学位論文要旨



No 129447
著者(漢字) 春日,秀文
著者(英字)
著者(カナ) カスガ,ヒデフミ
標題(和) インスリン経路によって発現調節され芽細胞群の栄養応答性休眠を制御するmicroRNA mir-235
標題(洋)
報告番号 129447
報告番号 甲29447
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1488号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 堅田,利明
 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 一條,秀憲
 東京大学 准教授 垣内,力
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

幹細胞などの未分化な細胞は、栄養条件に応じて、自己複製や休眠維持、又は分化などの頻度やタイミングを適切に制御する必要があり、この破綻は、幹細胞プールの枯渇や癌幹細胞の発生といった病態との関連が示唆されている。しかしながら、哺乳動物等においては、個体内の幹細胞の同定が着実に進展しているものの、その体制の複雑性から、生体内の幹細胞の栄養に応答した挙動の観察と評価は未だ困難である。そこで私は、幹・芽細胞の栄養応答性制御モデルとして、孵化直後(L1幼虫期)の線虫Caenorhabditis elegans の幹・芽細胞群を用いた実験系を構築した。L1幼虫期の線虫の幹・芽細胞群は、飢餓条件下では、増殖や分化を停止した休眠状態で維持されており、摂食の開始により、栄養に応答して、一斉に休眠から離脱して発生を開始する(図1A)。これらの一連のステレオタイプな休眠とその離脱の過程は、線虫個体内で容易に誘導・観察可能であることから、個体レベルでの細胞休眠制御機構の解明に向けた有用な実験系になりうると期待される。そこで私は、この実験系を用いて、幹・芽細胞の栄養応答性制御に関わる新規因子の探索を行った。

【方法と結果】

1. インスリン経路を介した栄養応答性の幹・芽細胞制御に関わる因子の探索とmicroRNA mir-235の同定

今日までに、当研究室や他のグループにより、インスリン経路が幹・芽細胞群の栄養依存的な休眠制御に関与することが報告されてきた。インスリン経路の負の制御因子であるdaf-16/FoxO の欠失変異体では、飢餓条件下において、芽細胞群の休眠状態を維持出来ない。そこで私は、インスリン経路による制御をさらに理解する為に、daf-16/FoxO 変異体と同様な表現型を示す変異体の探索を行い、microRNA であるmir-235 を同定した。mir-235 の欠失変異体では、飢餓条件下にも関わらず、神経芽細胞 (P cell)の体側面から腹側への細胞移動、さらに中胚葉性芽細胞 (M cell) の分裂といった芽細胞群の休眠状態からの離脱と活性化が観察された(図1B)。これらの表現型は、mir-235 を含むゲノム断片の導入で救助された一方で、microRNA による標的遺伝子の認識に関わるseed 配列内の2残基を異なる塩基に置換したmir-235* の導入では救助されなかったことから、mir-235 が飢餓時の芽細胞群の休眠維持に必須であることが明らかとなった(図1B)。

2. mir-235 は表皮とグリア細胞で機能する

次に、mir-235 の発現部位を明らかにするために、mir-235 のプロモーター領域の下流にGFP を融合したレポーター遺伝子を構築した。飢餓条件下においてGFP は、神経芽細胞を含む表皮全般と、頭部神経のグリア細胞 (AMsoL/R) において発現が観察された(図2A)。しかし、中胚葉性芽細胞では発現が認められなかったことから、mir-235 は中胚葉性芽細胞を細胞非自立的に制御していることが示唆された。この結果を踏まえ、mir-235 を各種組織特異的プロモーターを用いてmir-235 欠失変異体に発現させた。mir-235 変異体の表現型は、mir-235 の表皮特異的発現によって救助されるのみならず、グリア細胞を含む神経系細胞全般への発現によっても同様に救助された。一方で、mir-235 のプロモーター活性が認められなかった腸における特異的発現では、表現型の救助は観察されなかった(図2B)。以上から、mir-235 は表皮とグリア細胞において、それぞれ芽細胞群の休眠状態を維持することが明らかとなった。

3. mir-235 の発現は栄養に応答してインスリン経路により抑制される

次に、飢餓・栄養条件下それぞれにおけるmir-235 をノーザンブロットにより解析した。mir-235 は飢餓条件の間、発現が持続し(図3A)、さらに、摂食の開始に伴い、mir-235 の発現は減少した(図3B)。そこで、この栄養に応答したmir-235 の発現抑制におけるインスリン経路の寄与を明らかにするために、線虫において唯一のインスリン受容体をコードするdaf-2/InsR の変異体におけるmir-235 の発現変動を検討したところ、daf-2/InR 変異体においては、栄養条件下での発現減少が見られなかった(図3C)。さらに、飢餓条件下においても、野生型と比較して、daf-16/FoxO 依存的にdaf-2/InR変異体でその発現量が上昇していた(図3D)。以上から、mir-235 は栄養に応答してインスリン経路によって発現が抑制されていることが明らかとなった。

4. mir-235 はnhr-91 の発現抑制を介して飢餓時の芽細胞休眠を維持する

microRNA は標的遺伝子の3' 末端非翻訳領域 (3'-UTR) 内の相同配列を認識して、その発現を抑制する。そこで、複数のアルゴリズムによって重複して予測された遺伝子の中で、飢餓条件下において、野生型に比較してmir-235 変異体で発現が増加している遺伝子を探索したところ、核内受容体をコードするnhr-91/GCNF を見出した(図4A)。さらに、nhr-91 は摂食に伴い発現が誘導されるが、mir-235 変異体においては、野生型よりも顕著に発現誘導された(図4B)。これらのことから、mir-235 はnhr-91 の発現を抑制している可能性が示唆された。nhr-91 がmir-235の直接の標的遺伝子であるか検討するために、次に、nhr-91 の3'-UTR を用いたGFP レポーター実験を行った。GFP をnhr-91 の3'-UTR の制御下で発現させると、GFP が発現しない形質転換体が多く見られる一方で、その3'-UTR における二カ所のmir-235 認識配列の2 残基を異なる塩基に置換すると、GFP を発現する形質転換体が有意に増加することから、mir-235 がnhr-91の3'-UTR の認識配列を介して直接発現制御していることが示された(図4C 及びD)。さらに、mir-235 変異体の飢餓時の神経芽細胞の細胞移動はnhr-91 の欠失により有意に抑制された(図4E)。以上から、mir-235 によるnhr-91 の発現抑制が飢餓時の芽細胞の休眠維持に関わることが明らかとなった。

【まとめと考察】

本研究を通じて、私は、microRNA mir-235 が核内受容体nhr-91/GCNF の発現抑制を介して、飢餓条件下における芽細胞群の休眠状態を維持すること、またその発現が、栄養によって、インスリン経路を介して抑制されることを明らかにした。mir-235 は、哺乳類miR-92 の相同遺伝子で、miR-92 はmiR-17~92 クラスターファミリーの一つとして発現する。このクラスターはリンパ腫や各種固形癌での高発現が報告されており、癌原遺伝子として初めて示されたmicroRNA群である。今後、これら哺乳類相同遺伝子の栄養応答性や幹細胞制御への関与の検討により、幹細胞の栄養応答性制御の理解に重要な知見を与えうることが期待される。

図1.microRNA mir-235は芽細胞の休眠維持に必須である

A.芽細胞群の摂食による活性化の模式図

B.mir-235変異体は、飢餓条件下において芽細胞群の休眠状態を維持できない。この表現型はmir-235を含む遺伝子断片の導入で救助されるが、seed配列への変異の導入により表現型は救助されなくなる。

図2.mir-235は表皮とグリア細胞で機能する

A.飢餓条件下におけるPmir-235::gipの発現部位。P:神経芽細胞、V:Seam細胞(表皮幹細胞様細胞)、Hyp7:分化した表皮細胞、矢印:グリア細胞(AmsoL/R)の細胞体、矢頭:グリア細胞の突起

B mir-235変異体の飢餓時の表現型は、表庚と神経でのmir-235の発現で救助されるが、腸での発現では救助されない。

図3 mir-235の発現は、栄養に応答してインスリン経路を介して抑制される

A.mir-235のノーザンプロットを行った。飢餓条件下の間、mir-235の発現は持続する。

B及びC.摂食の開始に伴い、mir-235はdaf-2/tnR依存的に発現が減少する。

D.mir-235をqRT-PCRにより定量した。飢餓条件下において、mir-235の発現量はインスリン経路により抑制的に制御されている。*p<0.05,**p<0.01

図4.mir-235はnhr-91の発現抑制を介して芽細胞群の休眠状態を維持する

A.及びB.飢餓条件下、及び栄養条件下において、野生型に比べnhr-91変異体ではnhr-91のmRNA量が増加している。*p<0.05

C.及びD.nhr-91gfpレホーターアッセイ。nhr-91の3'-UTR内のmir-235認識配列依存的に、GFPの蛍光が消失する。

E.mir-235変異体における飢餓時の神経芽細胞移動は、nhr-91の変異により抑制される。**ρ<0.001

審査要旨 要旨を表示する

幹細胞などの未分化な細胞は、栄養条件に応じて、自己複製や休眠維持、又は分化などの頻度やタイミングを適切に制御する必要があり、この破綻は、幹細胞プールの枯渇や癌幹細胞の発生といった病態と関連することが示唆されている。孵化直後(L1幼虫期)の線虫Caenorhabditis elegansの幹・芽細胞群は、飢餓条件下では増殖や分化を停止した休眠状態で維持されているが、摂食を開始すると栄養に応答し、一斉に休眠から離脱して発生を開始する。「インスリン経路によって発現調節され芽細胞群の栄養応答性休眠を制御するmicroRNA mir-235」と題した本論文では、これらの幹・芽細胞の栄養応答性制御に関わる新規因子の探索から、microRNAであるmir-235がインスリン経路の下流で飢餓条件下での芽細胞群の休眠維持に関わることを見出している。

1. インスリン経路を介した栄養応答性の幹・芽細胞制御に関わる因子の探索とmicroRNA mir-235の同定

インスリン経路によって負に制御されるdaf-16/FoxOの欠失変異体では、飢餓条件下において、芽細胞群の休眠状態を維持出来ない。そこで、daf-16/FoxO変異体と同様な表現型を示す変異体を探索し、microRNAであるmir-235を同定した。mir-235の欠失変異体では、飢餓条件下にも関わらず、神経芽細胞の体側面から腹側への細胞移動、さらに中胚葉性芽細胞の分裂といった芽細胞群の休眠状態からの離脱と活性化が観察された。このことから、mir-235が飢餓時の芽細胞群の休眠維持に必須であることが明らかとなった。

2. mir-235は表皮とグリア細胞で機能する

mir-235の発現部位を明らかにするために、mir-235 のプロモーター領域の下流にGFPを融合したレポーター遺伝子を構築した。飢餓条件下においてGFPは、神経芽細胞を含む表皮全般と頭部神経のグリア細胞において発現が観察された。しかし、中胚葉性芽細胞では発現が認められなかったことから、mir-235は中胚葉性芽細胞を細胞非自立的に制御していることが示唆された。この結果を踏まえ、mir-235を各種組織特異的プロモーターを用いてmir-235欠失変異体に発現させた。mir-235変異体の表現型は、mir-235の表皮特異的発現によって救助されるのみならず、グリア細胞を含む神経系細胞全般への発現によっても同様に救助されたことから、mir-235は表皮とグリア細胞において、それぞれ芽細胞群の休眠状態を維持することが明らかとなった。

3. mir-235の発現は栄養に応答してインスリン経路により抑制される

飢餓・栄養条件下それぞれにおけるmir-235をノーザンブロットにより解析した。飢餓の間、mir-235の発現が持続し、さらに、摂食の開始に伴ってmir-235の発現は減少した。daf-2/InsRの変異体におけるmir-235の発現変動を検討したところ、daf-2/InR変異体においては、栄養条件下での発現減少が見られなかった。さらに、飢餓条件下においても、野生型と比較して、daf-16/FoxO依存的にdaf-2/InR変異体でその発現量が上昇していた。以上から、mir-235は栄養に応答してインスリン経路によって発現が抑制されていることが明らかとなった。

4. mir-235はnhr-91の発現抑制を介して飢餓時の芽細胞休眠を維持する

複数のアルゴリズムによって重複して予測された標的遺伝子候補の中で、飢餓条件下において、野生型に比較してmir-235変異体で発現が増加している遺伝子を探索し、nhr-91/GCNFを見出した。nhr-91がmir-235の直接の標的遺伝子であるか検討するために、nhr-91の3'-UTRを用いたGFP レポーター実験を行った。GFPをnhr-91の3'-UTRの制御下で発現させると、GFP が発現しない形質転換体が多く見られる一方で、その3'-UTRにおける二カ所のmir-235認識配列の2 残基を異なる塩基に置換すると、GFPを発現する形質転換体が有意に増加することから、mir-235 がnhr-91の3'-UTRの認識配列を介して直接発現制御していることが示された。さらに、mir-235変異体の飢餓時の神経芽細胞の細胞移動は、nhr-91の欠失により有意に抑制された。以上から、飢餓時の芽細胞の休眠維持に、mir-235によるnhr-91の発現抑制が関わることが明らかとなった。

本論文から、microRNA mir-235がnhr-91/GCNFの発現抑制を介して、飢餓条件下における芽細胞群の休眠状態を維持すること、またその発現が、栄養によってインスリン経路を介して抑制されることを明らかとなった。mir-235は哺乳類miR-92の相同遺伝子であり、miR-92はmiR-17~92 クラスターファミリーの一つとして発現する。このクラスターはリンパ腫や各種固形癌での高発現が報告されており、癌原遺伝子として初めて示されたmicroRNA群である。今後、これら哺乳類相同遺伝子の栄養応答性や幹細胞制御への関与の検討から、幹細胞の栄養応答性制御の理解に重要な知見を与えうることが期待される。以上を要するに、本論文は博士(薬学)の学位として十分な価値があるものと認められる。

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