学位論文要旨



No 129448
著者(漢字) 久保,智史
著者(英字)
著者(カナ) クボ,サトシ
標題(和) バイオリアクターを用いたin-cell NMR法による細胞内タンパク質間相互作用の観測
標題(洋)
報告番号 129448
報告番号 甲29448
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1489号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 船津,高志
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 清水,敏之
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

タンパク質の細胞内における構造や機能を調べるためには、可能な限り細胞内環境に近い条件で解析を行うことが重要である。in-cell NMR法は、生きた細胞内のタンパク質のNMRシグナルを直接観測する手法であり、精製や結晶化を必要とする従来の手法とは異なり、タンパク質が実際に機能を発揮する環境下でのタンパク質構造や相互作用を解析することが出来る。当研究室ではこれまでに、細胞膜上に可逆的なボアを形成させるstreptolysin O(SLO)を用いて、哺乳細胞内に安定同位体標識タンパク質を導入しNMR観測を行う新規in-cell NMR法を開発した[1]。

しかし、哺乳細胞を対象としたin-cell NMR測定法では、十分な測定感度を得るために、高い細胞密度で測定を行う必要がある。そのために、測定中に溶液中の培地成分や溶存酸素が枯渇し、測定環境が生理的条件から解離してしまうだけでなく、細胞内のATP濃度が顕著に低下することで細胞死が誘起されてしまう。さらに、細胞内に導入したタンパク質は経時的に細胞外へ漏出してしまうことが知られており、細胞外に漏出したタンパク質由来のNMRシグナルは細胞内タンパク質の観測の妨げとなる。よって、in-cell NMR法はこれらのサンプルの経時的変化が起こる前に測定を終える必要があり、長時間の測定を必要とする様々なNMR測定法を適用できないという問題があった。

NMRサンプル管内の細胞を生存状態に保つためは、サンプル管内に培地を潅流するバイオリアクターを用いることが有効である。そこで本研究では、哺乳細胞に対して適用可能なバイオリアクターを開発し、生理的環境を保ちながらin-cell NMR測定を行う手法を開発することを目的とした。また、開発した測定法により、転移交差飽和(TCS)法を用いて、細胞外から導入したタンパク質と内在性タンパク質との相互作用を解析することを目指した。

【方法】

バイオリアクターを用いたin-cell NMR法

本研究にて開発したバイオリアクターで1よ外径1mmのチューブの先端に接続したガラスキャピラリーを介して、NMRサンプル管の底部に50μl/mlでDMEM(25mM HEPES-NaOH(pH7.4),20%D20)を常時供給した。DMEMはよく脱気した後にCO2インキュベーター内で1時間撹拝し、細胞の生存に必要なO2,HCO3-を溶存させて用いた。サンプル管の中部には外径2mmのテフロンチューブを挿入し、アスピレーターを用いて余剰のDMEMを吸引した(Fig.1 A,B)。

バイオリアクターで培地潅流時にも細胞をNMRサンプル管底部に保持するため、細胞懸濁液は温度可塑性のポリマーであるMebiol gelと混合し、ゲル内に封入した。Mebiol gelはおよそ20℃を境界に高温ではゲル化、低温ではゾル化するポリマーであり、細胞の3次元培養などに実績があり細胞毒性を有さない。また、ゲル化後もDMEM培地の流路を保ち、効率よく培地成分を交換するため、細胞懸濁液はNMRサンプル管内においてコイル状にゲル化した(Fig.l C)。

観測対象とするタンパク質

本研究では、微小管結合タンパク質CLIP-170の微小管結合ドメインであるCGl(9.4kDa)を観測対象とした。CGlはこれまでに開発したSLOを用いた手法により、HeLa S3細胞に導入した。細胞内CGlのNMRシグナルを高感度で測定するため、Ile,Leu,Valの側鎖メチル基を選択的に1H,(13)C標識したCGlを観測対象として、IH-(13)C SOFAST-HMQC法によるin-cell NMRスペクトルの測定を行った。

【結果】

バイオリアクターの有効性の評価

バイオリアクターを用いることによる細胞への影響を調べるため、(31)PNMR測定によってサンプル管内の細胞内に存在するATPのシグナルを観測することで、細胞内ATP濃度の経時的変化を調べた。従来法で測定を行った場合は測定後30分で細胞内ATPはほぼ枯渇したが、バイオリアクターを用いることで22時間経過後も初期濃度の80%以上の細胞内ATP濃度を保つことが出来た(Fig.2)。

次に、ILV側鎖メチル基を選択的に1H,(13)C標識したCGI細胞内に導入し、バイオリアクターを用いてin-cell NMRスペクトルの測定を行った。その結果、in vitroにおいて観測されていたCGI由来のシグナル全てを、in-cell NMRスペクトルにおいて高い分解能で得ることが出来た(Fig.3 A,B)。さらに、従来法で1時間のin-cell NMR測定を行うと、測定後の上清から測定中に漏出したCGI由来のシグナルが観測されていたが、バイオリアクターを用いて測定を行うと、5時間の測定を行った後でも上清からはCGIに由来するシグナルは観測されなかった(Fig.3 C,D)。よって、バイオリアクターを用いることで細胞内CGI由来のシグナルを選択的に観測できることが分かった。これは、細胞外のDMEM培地が常に交換されているため、細胞からタンパク質が漏出したとしても速やかに希釈され除去されるためである。

細胞内における転移交差飽和実験ln-cell TCS実験

バイオリアクターを用いることで長時間のin-cell NMR測定が可能になったため、導入したCGIにおける内在性微小管との相互作用部位をTCS法により解析した。in-cell TCS実験の結果、観測されたシグナル強度減少比をシグナルごとにプロットしたところ、L77,I90,L92,VlO3,Ill7において0.5以上の強度減少比が観測された。これらの残基はCGIの立体構造上において一定の面を形成し、報告されているCGIの微小管相互作用界面と一致した(Fig.4 A,C)。さらに、観測された相互作用が内在性微小管との特異的な相互作用に由来することを確かめるため、安定同位体標識CGIと同時にその10倍量の非標識CG1を細胞内に導入して、in-cell TCS実験を行った。過剰量の非標識CGIを細胞内に導入することにより、微小管上のCGI結合部位が非標識CGIによって占有されるため、特異的な相互作用を抑制し、細胞内分子との非特異的な相互作用の影響のみを観測することができると考えた。その結果、すべてのシグナル強度減少率は、0.5以下に抑制された(Fig.4B)。よって、in-cell TCS実験において観測されたシグナル強度減少は、内在性微小管との相互作用界面を反映していることが示された[2]。

【考察】

本研究においてバイオリアクターを用いたin-cell NMR法を開発することにより、生理的条件下においてin-cell NMR測定を行うことが可能になった。さらに、in-cell TCS法による細胞内のタンパク質問相互作用解析が可能であることが示された。本手法は、細胞内のみに安定に存在する、膜タンパク質やタンパク質複合体を相互作用相手としたTCS実験に適用できると考えている。また、Mebiol gelは細胞の3次元培養にも適用可能なため、本手法の開発によりin-cell NMR法を接着状態の細胞に応用することが可能となる。今後、バイオリアクターによって生理的条件下においた細胞を用いて、細胞周期の進行に伴うタンパク質の相互作用変化や、翻訳後修飾の変化などを研究対象とした、in-cell NMR法による原子レベルでの解析が展開されると期待する。

1 Ogino S.,Kubo S.,Umemoto R.,Huang S.,Nishida N., Shimada I. (2009) J Am Chem Soc, 131, 108342 Kubo S.,Nishida N., Udagawa Y., Takarada O.,Ogino S., Shimada I. (2012) Angew Chem Int Ed, in press

Figure 1.バイオリアクターの模式図

(A)本研究で用いたバイオリアクターの模式図。(B)Aにおける点線内の拡大図。(C)Mebiol gelを用いてHeLa細胞懸濁液をNMRサンプル管内にてコイル状にゲル化した際の写真。

Figure 2.細胞内ATP濃度の経時的変化

(A)バイオリアクターなしで30分経過後(上)、およびバイオリアクターありで22時間経過後(下)の細胞の(31)P NMRスペクトル。(B)バイオリアクターなし(□)、およびバイオリアクターあり(■)の場合のATPβPに由来するシグナルの経時的な強度変化。

Figure 3.バイオリアクターを用いたCGIのin-cell NMR測定

(A)バイオリアクターを用いて得られたCGIのin-cell NMRスペクトル。(B)ln vitroにおけるCGIのスペクトル。(C,D)バイオリアクターなしで1時間(C)、およびバイオリアクターありで5時間(D)のin-cell NMR測定を行い、測定後にMebiol gelを低温でゾル化させ、細胞外液を回収してNMRスペクトルを測定した。

Figure 4.in-cell TCS実験

(A)in-cell TCS実験における各シグナルのシグナル強度減少率。シグナルの縮重により解析対象から外れた残基をアスタリスクで示した。0.5以上のシグナル強度減少率を示した残基を黒で示した。(B)過剰量の非標識CGI存在下におけるin-cell TCSコントロール実験。(C)Aの結果をCPK表示したCG1の立体構造(PDB code=2CP9)にマッピングした。観測対象のメチル基を灰色、0.5以上のシグナル強度減少率を示した残基を黒で示す。

審査要旨 要旨を表示する

バイオリアクターを用いたin-cell NMR法による細胞内タンパク質問相互作用の観測と題する本論文は、NMRサンプル管内における細胞を生理的条件下に保つためのバイオリアクターを開発し、哺乳細胞内におけるタンパク質問相互作用をin-cell NMR法によって観測した成果を述べたものである。本論文は全5章から構成されており、第1章に序論、第2章に実験材料および手法、第3章にバイオリアクターを用いたin-cell NMR法の開発、第4章にin-cell NMR法による細胞内タンパク質問相互作用の観測、第5章に全体の総括と今後の展望について記述されている。

本論文では、NMRサンプル管内の細胞を生理的条件に保ちながらin-cell NMR測定を行う手法を開発し、微小管結合タンパク質CLIP-170の微小管結合ドメインであるCGIを安定同位体標識してHeLa S3細胞に導入し、内在性微小管との相互作用を観測することが目的とされている。第3章ではまず、NMRサンプル管内の細胞を生理的条件下に保ちながらNMR測定を行うため、NMRサンプル管内にガラスキャピラリーを挿入し、サンプル管底部に細胞培養に用いる培地を常時供給するバイオリアクターを開発している。この時、バイオリアクターを用いて培地を潅流した場合でも、細胞をNMRサンプル管底部に保持するため、細胞懸濁液は温度可塑性のポリマーであるMebiol gelと混合し、ゲル内に封入している。また、ゲル化後もDMEM培地の流路を保ち、効率よく培地成分を交換するため、細胞懸濁液はNMRサンプル管内においてコイル状にゲル化している。バイオリアクターを用いることによる細胞への影響を調べるため、(31)P NMR測定によってサンプル管内の細胞内に存在するATPのシグナルを観測し、細胞内ATP濃度の経時的変化が調べられた。その結果、従来法で測定を行った場合は測定後30分で細胞内ATPはほぼ枯渇したが、バイオリアクターを用いることで22時間経過後も初期濃度の80%以上の細胞内ATP濃度を保つことに成功している。また、バイオリアクターを用いた場合でも、細胞内に導入したCGIの高分解能なNMRスペクトルを取得することでき、バイオリアクターを用いる事で、測定中に細胞外に漏出したタンパク質の影響を排除できたことが示されている。

第4章では、開発したバイオリアクターを用いたin-cell NMR法により、細胞内におけるCGlと内在性微小管との相互作用解析を目指している。バイオリアクターを用いることで長時間のin-cell NMR測定が可能になったため、導入したCGIにおける内在性微小管との相互作用部位を細胞内における転移交差飽和法(in-cell TCS法)により解析している。in-cell TCS実験の結果、L77,190,L92,VlO3,Ill7において、相互作用を示す顕著なシグナル強度の減少が観測されている。これらの残基はCGIの立体構造上において一定の面を形成し、報告されているCGIの微小管相互作用界面と一致している。さらに、観測された相互作用が内在性微小管との特異的な相互作用に由来することを確かめるため、安定同位体標識CGIと同時にその10倍量の非標識CGIを細胞内に導入することによる、阻害実験を行っている。過剰量の非標識CGIを細胞内に導入することにより、微小管上のCGI結合部位が非標識CGIによって占有され、細胞内分子との非特異的な相互作用の影響のみを観測することができるかどうかについては、微小管との相互作用を示すシグナルの化学シフト変化を指標として確かめられている。過剰量の非標識CGI存在下におけるin-cell TCS実験の結果、L77,190,L92,VlO3,I117において観測されていたシグナル強度減少は抑制された。以上より、in-cell TCS実験において観測されたシグナル強度減少は、内在性微小管との相互作用界面を反映していることが示されている。

以上の成果は、細胞内におけるタンパク質問相互作用をin-cell NMR法によって原子レベルで解析した初の例であり、これを行った学位申請者は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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