学位論文要旨



No 129450
著者(漢字) 田中,陸人
著者(英字)
著者(カナ) タナカ,リクト
標題(和) 小胞体ストレス応答分子ire-1による脂肪酸恒常性維持機構の解明
標題(洋) IRE-1 regulates saturated fatty acid metabolism under PUFA-depleted condition in C.elegans
報告番号 129450
報告番号 甲29450
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1491号
研究科 薬学系研究科
専攻 機能薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 新井,洋由
 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 准教授 垣内,力
 東京大学 特任准教授 田口,友彦
 東京大学 講師 千原,崇裕
内容要旨 要旨を表示する

【序】

生体膜の主要な構成成分であるリン脂質は、パルミチン酸のような飽和脂肪酸からアラキドン酸やエイコサペンタエン酸のような高度不飽和脂肪酸(PUFA,polyunsaturated fatty acid)まで様々な脂肪酸が結合している。生体膜リン脂質の脂肪酸組成は膜タンパク質の適切な機能発現に重要であり、生体は膜環境の変化に応答して、脂肪酸組成を変化させ適切な膜環境を維持していると考えられる。しかしながら、このような生体応答は、動物細胞においてほとんど明らかになっていない。

線虫C.elegansは、高等動物と同様にPUFAを有し、飽和脂肪酸からPUFAを合成するための一連の酵素(脂肪酸不飽和化酵素、伸長酵素)を持つ。さらに、これらPUFA合成系の遺伝子を欠損させることにより脂肪酸組成をコントロールすることが可能である。私は修士課程において、PUFA欠乏時にどのような生体応答が起きているかを明らかにするために、PUFA合成系の遺伝子を欠損したfat-3 fat-1変異体(不飽和結合が3つ以上の脂肪酸を合成できない)の遺伝子発現変動解析を行った。その結果、PUFA欠乏状態において小胞体ストレス応答のセンサー分子であるire-1が活性化している事を見いだした。そこで私は、博士課程においてPUFA欠乏時における小胞体ストレス応答分子ire-1活性化の意義の解明を目指した。

【方法と結果】

1. ire;fat-3 fat-1変異体はburst vulvaの表現型を示す

PUFA欠乏状態におけるire-1の活性化の生理的意義を明らかにするために、fat-3 fat-1変異体にさらにire-1を欠損させたire-1;fat-3 fat-1変異体の表現型解析を行った。その結果、ire-1;fat-3 fat-1変異体では成虫期に産卵口(vulva)が破裂し死に到る表現型(burst vulva)を示す個体が顕著にみられた。この表現型はire-1;fat-3 fat-1変異体にire-1プロモーター下でire-1を発現するコンストラクトを導入することによりほぼ抑制された。

次に、組織特異的プロモーターの下流でire-1が発現するコンストラクトをire-1;fat-3 fat-1変異体に導入し、burst vulvaの表現型の回復を調べることで、どの組織のire-1が重要であるかを調べた。線虫の主要な組織である腸および上皮にire-1を発現させたところ、腸特異的にire-1を発現させた場合は、表現型の回復は部分的であったが、上皮特異的にire-1を発現させると表現型はほぼ完全に回復した。さらに上皮細胞の一種であるseam cellのみにire-1を発現させても表現型はほぼ完全に回復した。

2. ire;fat-3 fat-1変異体はseam cellの形態里当を示す

組織特異的レスキュー実験から、seam cellにおけるire-1の機能が重要である事が示唆された。seam cellは線虫の側面に並ぶ上皮細胞であり成虫になる直前のL4幼虫期において融合し、一つの多核細胞になる事が知られている。このseam cellはvulvaの構造を支持しており、seam cellに異常が見られるとburst vulvaを示す事が知られている。そこで、vulva付近のseam cellの形態をseam cellとその周りの上皮細胞の細胞間接着(アピカルジャンクション)に局在する分子AJM-1の抗体染色により観察した。野生株では、体軸にそった2本の線状のAJM-1の染色が見られ、fat-3 fat-1変異体においても野生株と同様の染色像が見られた。しかし、ire-1;fat-3 fat-1変異体では体軸にそった2本の線状の染色像が交差、または分岐しており、seam cellが異常な形態を示していた。このseam cellの形態異常はseam cell特異的にire-1を発現させることにより回復した。以上の結果から、ire-1はPUFA欠乏時にseam cellの形態維持に重要な役割を担っていることが明らかになった。

3. ire;fat-3 fat-1変異体はパルミチン酸が蓄積している

次に、PUFA欠乏時のire-1の機能に脂質代謝が関与するか調べた。その結果、GC-MSによる脂肪酸組成解析により、ire-1;fat-3 fat-1変異体では野生株、fat-3 fat-1変異体に比べて、飽和脂肪酸であるパルミチン酸が顕著に蓄積していることを見いだした。まず、生体内のパルミチン酸の不飽和化が変化しているか、(14)C ラベルしたパルミチン酸を培地に添加し、線虫内で代謝されたラベル脂肪酸をTLCで分離、検出した。その結果、fat-3 fat-1変異体では添加したパルミチン酸が効率よく不飽和化されたのに対して、ire-1;fat-3 fat-1変異体ではパルミチン酸の不飽和化が減弱している事が明らかになった。

また、パルミチン酸はパルミチン酸選択的な不飽和化酵素(fat-5)により代謝される事が知られている。そこで、定量PCRによりfat-5の発現を調べたところ、fat-5はfat-3 fat-1変異体において野生株の約15倍発現しており、さらにこの発現上昇はire-1の欠損により顕著に抑制された。これらの結果から、ire-1はPUFA欠乏時においてfat-5の発現を上昇させることにより、パルミチン酸の蓄積を抑制している事が示唆された。

4.飽和脂肪酸の蓄積がire-1;fat-3 fat-1変異体のburst vulvaを引き起こす

さらに、ire-1;fat-3 fat-1変異体で見られたパルミチン酸の蓄積がburst vulvaの表現型に関係しているかを検証した。ire-1;fat-3 fat-1変異体にfat-5を強制発現させ、パルミチン酸の代謝を促進させたところ、burst vulvaは顕著に抑制された。一方、パルミチン酸を培地に添加すると、burst vulvaは増強された。これらのことから、ire-1;fat-3 fat-1変異体で見られたburst vulvaはパルミチン酸の蓄積により引き起こされている事が強く示唆された。

5. ire-1による飽和脂肪酸代謝制御はxbp-1非依存的である

ire-1はフォールディングが異常なタンパク質が小胞体内に蓄積すると、転写因子であるxbp-1を活性化し、小胞体内の異常タンパク質の蓄積を抑制する遺伝子の転写を促進することが知られている。そこで、PUFA欠乏時におけるire-1の機能にxbp-1が関与するか調べた、予想外な事に、xbp-1;fat-3 fat-1変異体では、ire-1;fat-3 fat-1変異体で見られたburst vulvaやseam cellの形態異常、パルミチン酸の蓄積といった表現型が見られなかった。さらに、xbp-1の欠損はfat-3 fat-1変異体におけるfat-5の発現上昇にも影響しなかった。これらの結果から、PUFA欠乏時のire-1による飽和脂肪酸代謝制御はxbp-1を介さない経路である事が明らかになった。

【まとめと考察】

本研究において私は、PUFA欠乏時にire-1が活性化し、飽和脂肪酸の不飽和化酵素であるfat-5のmRNA発現を制御していることを明らかにした。また、このire-1によるfat-5の発現上昇はxbp-1非依存的であることもわかった。さらに、ire-1の欠損による飽和脂肪酸の蓄積がseam cellの形態異常を引き起こしていることを示した。

ire-1;fat-3 fat-1変異体でみられた飽和脂肪酸の蓄積は、ire-1単独変異体やfat-3 fat-1変異体では見られなかった。この事から、fat-3 fat-1変異体は飽和脂肪酸が蓄積しやすい状態であり、このような状態に応じてire-1を活性化することにより飽和脂肪酸の蓄積を抑制していると考えられる。すなわち、本研究から飽和脂肪酸恒常性におけるire-1の重要性が明らかとなった。これまでire-1-xbp-1経路は小胞体内の異常タンパク質の蓄積に対する生体応答としての重要性が示されてきた。本研究において見いだしたire-1の機能はxbp-1非依存的であった事から、異常タンパク質に対するire-1の機能とは質的に異なる事が予想される。

審査要旨 要旨を表示する

生体膜の主要な構成成分であるリン脂質は、パルミチン酸のような飽和脂肪酸からアラキドン酸やエイコサペンタエン酸のような高度不飽和脂肪酸(PUFA,polyunsaturated fatty acid)まで様々な脂肪酸が結合している。生体膜リン脂質の脂肪酸組成は膜タンパク質の適切な機能発現に重要であり、生体は膜環境の変化に応答して、脂肪酸組成を変化させ適切な膜環境を維持していると考えられる。しかしながら、このような生体応答は、動物細胞においてほとんど明らかになっていない。

線虫C.elegansは、高等動物と同様にPUFAを有し、飽和脂肪酸からPUFAを合成するための一連の酵素(脂肪酸不飽和化酵素、伸長酵素)を持っ。さらに、これらPUFA合成系の遺伝子を欠損させることにより脂肪酸組成をコントロールすることが可能である。修士課程において田中は、PUFA欠乏時にどのような生体応答が起きているかを明らかにするために、PUFA合成系の遺伝子を欠損したfat-3 fat-1変異体(不飽和結合が3つ以上の脂肪酸を合成できない)の遺伝子発現変動解析を行った。その結果、PUFA欠乏状態において小胞体ストレス応答のセンサー分子であるire-1が活性化している事を見いだしていた。博士後期課程において田中は、PUFA欠乏時における小胞体ストレス応答分子ire-1活性化の意義の解明を目指した。

PUFA欠乏状態におけるire-1の活性化の生理的意義を明らかにするために、fat-3 fat-1変異体にさらにire-1を欠損させたire-1;fat-3 fat-1変異体の表現型解析を行った。その結果、ire-1;fat-3 fat-1変異体では成虫期に産卵口(vulva)が破裂し死に到る表現型(burst vulva)を示す個体が顕著にみられた。この表現型はire-1;fat-3 fat-1変異体にire-1プロモーター下でire-1を発現するコンストラクトを導入することによりほぼ抑制されることを見出した。

次に田中は、組織特異的プロモーターの下流でire-1が発現するコンストラクトをire-1;fat-3 fat-1変異体に導入し、burst vulvaの表現型の回復を見ることで、どの組織のire-1が重要であるかを調べた。線虫の主要な組織である腸および上皮にire-1を発現させたところ、腸特異的にire-1を発現させた場合は、表現型の回復は部分的であったが、上皮特異的にire-1を発現させると表現型はほぼ完全に回復した。さらに上皮細胞の一種であるseam cellのみにire-1を発現させても表現型はほぼ完全に回復することを示した。

田中は、組織特異的レスキュー実験からseam cellにおけるire-1の機能が重要である事を示唆した。seam cellは線虫の側面に並ぶ上皮細胞であり成虫になる直前のL4幼虫期において融合し、一つの多核細胞になる。このseam cellはvulvaの構造を支持しており、seam cellに異常が見られるとburst vulvaを示す事が知られている。そこで田中は、vulva付近のseam cellの形態をseam cellとその周りの上皮細胞の細胞間接着(アピカルジャンクション)に局在する分子AJM-1の抗体染色により観察した。その結果、野生株では、体軸にそった2本の線状のAJM-1の染色が見られ、fat-3 fat-1変異体においても野生株と同様の染色像が見られた。しかし、ire-1,fat-3 fat-1変異体では体軸にそった2本の線状の染色像が交差、または分岐しており、seam cellが異常な形態を示していた.このseam cellの形態異常はseam cen特異的にire-1を発現させることにより回復した。以上の結果から、ire-1はPUFA欠乏時にseam cellの形態維持に重要な役割を担っていることを明らかにした。

次に、PUFA欠乏時のire-1の機能に脂質代謝が関与するか調べた。その結果、GC-MSによる脂肪酸組成解析により、ire-1;fat-3 fat-1変異体では野生株、fat-3 fat-1変異体に比べて、飽和脂肪酸であるパルミチン酸が顕著に蓄積していることを見いだした。まず、生体内のパルミチン酸の不飽和化が変化しているか、(14)Cラベルしたパルミチン酸を培地に添加し、線虫内で代謝されたラベル脂肪酸をTLCヒで分離、検出した。その結果、fat-3 fat-1変異体では添加したパルミチン酸が効率よく不飽和化されたのに対して、ire-1;fat-3 fat-1変異体ではパルミチン酸の不飽和化が減弱している事が明らかになった。

また、パルミチン酸はパルミチン酸選択的な不飽和化酵素(fat-5)により代謝される事が知られている。そこで、定量PCRによりfat-5の発現を調べたところ、fat-5はfat-3 fat-1変異体において野生株の約15倍発現しており、さらにこの発現上昇はire-1の欠損により顕著に抑制された。これらの結果から、ire-1はPUFA欠乏時においてfat-5の発現を上昇させることにより、パルミチン酸の蓄積を抑制している事を示唆した。

さらに、ire-1;fat-3 fat-1変異体で見られたパルミチン酸の蓄積がburst vulvaの表現型に関係しているかを検証した。ire-1;fat-3 fat-1変異体にfat-5を強制発現させ、パルミチン酸の代謝を促進させたところ、burst vulvaは顕著に抑制された。,一方、パルミチン酸を培地に添加すると、burst vulvaは増強された。これらのことから、ire-1;fat-3 fat-1変異体で見られたburst vulvaはパルミチン酸の蓄積により引き起こされている事を示唆した。

ire-1はフォールディングが異常なタンパク質が小胞体内に蓄積すると、転写因子であるxbp-1を活性化し、小胞体内の異常タンパク質の蓄積を抑制する遺伝子の転写を促進することが知られている。そこで田中は、PUFA欠乏時におけるire-1の機能にxbp-1が関与するか調べた。予想外な事に、xbp-1;fat-3 fat-1変異体では、ire-1;fat-3 fat-1変異体で見られたburst vulvaやseam cellの形態異常、パルミチン酸の蓄積といった表現型が見られなかった。さらに、xbp-1の欠損はfat-3 fat-1変異体におけるfat-5の発現上昇にも影響しなかった。これらの結果から、PUFA欠乏時のire-1による飽和脂肪酸代謝制御はxbp-1を介さない経路である事を明らかにした。

本研究において田中は、PUFA欠乏時にire-1が活性化し、飽和脂肪酸の不飽和化酵素であるfat-5のmRNA発現を制御していることを明らかにした。また、このire-1によるfat-5の発現上昇はxbp-1非依存的であることも明らかにした。さらに、ire-1の欠損による飽和脂肪酸の蓄積がseam cellの形態異常を引き起こしていることを示した。本研究は、ire-1がxbp-1非依存的に脂肪酸恒常性維持機構として重要な役割を担っていることを見いだしたものとして意義深く、博士(薬学)に充分に値する研究である。

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