学位論文要旨



No 129457
著者(漢字) 佐藤,大作
著者(英字)
著者(カナ) サトウ,ダイサク
標題(和) 新医薬品市販直後の安全性と処方行動に関する研究 : DPP4阻害薬と経口糖尿病薬の処方箋データ解析
標題(洋)
報告番号 129457
報告番号 甲29457
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1498号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 木村,廣道
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 特任教授 澤田,康文
 東京大学 特任教授 津谷,喜一郎
 東京大学 准教授 小野,俊介
 東京大学 教授 山崎,力
 東京大学 教授 ロバート,ケネラー
内容要旨 要旨を表示する

1.研究の位置づけ

新医薬品の市販直後は、治験時と比較して患者数は増大し、患者の状態も多様化することから、治験時に想定していない安全性の問題が顕在化しやすいことが指摘されている。これに対応して、製薬企業は新医薬品の販売開始にあたり、RMP(医薬品リスク管理計画)を作成し、市販後の安全監視とリスク最小化策を実施し、安全性の管理を行うことが求められる。

RMPに対応し、本研究は、市販直後の副作用等発現リスクを低減させるため、製薬企業が行うべき安全な新薬上市の戦略(1aunching strategy)について検討することを目的とする。医療における医薬品の安全性の問題は、医薬品成分自体の毒性のみならず、処方医による処方量や処方時の患者の選択などの処方行動の影響を受ける。現に、使用上の注意改訂に至る副作用の問題のうち、3割が処方行動に関連したものであることが本研究の予備的な調査によりわかった。

このため、本研究では、処方箋データを用いた経口糖尿病薬の処方行動に関する分析を通じて、日本での新医薬品市販直後の安全確保に関する現状と課題を検討した。

2.研究手法

(1)研究のセッティング

新規の経ロ糖尿病治療薬シタグリプチンは、2009年12月に日本初のDPP-4阻害剤として発売されたが、2010年4月に他の経口糖尿病治療薬スルホニルウレア剤(SU剤)との併用において使用患者に重篤な低血糖の副作用が重積して報告された。厚生労働省は同年4月27日に使用上の注意を改訂し、本剤と併用するSU剤の用量を減ずるよう指示通知を発出した。

本研究では、まず、副作用報告状況を分析し、使用上の注意改訂指示通知後に重篤な低血糖に係る副作用報告件数が減少し、定常状態となったことを確認した。

この事象について、(1)副作用の発現減少が、使用上の注意による処方行動の変化によるか、(2)重篤低血糖が発生した背景にSU剤(例として、グリメピリド)の処方に問題があったかを解析することとした。なお、経ロ糖尿病薬の領域での本研究は、諸外国と処方薬の選択が異なる日本の医療環境下での安全性評価のモデルとして適しており、同時に、処方量に基づく医療情報データベース(臨床的な薬学研究に適し、かつ代表性のあるものを選択)を用いた定量的な解析の先導研究として位置づけられている。

(2)研究方法

新薬上市およびその後の緊急の安全性情報が、臨床現場の医師の処方行動に与えたインパクトと安全性について、約300調剤薬局から収集した処方箋データ(調剤レセプトデータ)を用いて詳細分析し、医師の処方行動の傾向についての要因分析を行った。

具体的には、2010年4月27日の使用上の注意改訂指示の前後9ケ月間の経口糖尿病薬の調剤レセプト情報81万件のデータを分析し、使用上の注意改訂指示前後での処方される経口糖尿病薬の用量の比較を行った。

(3)結果

2010年4月27日の使用上の注意改訂以降、SU剤グリメピリド2mg/日以下に減ずる勧告に従い、シタグリプチンと併用するグリメピリドの処方に有意な用量の低下が見られた。特に、糖尿病専門の科を標榜する医師の処方内容おいて顕著な低下がみられた(表1)。

同時に、シタグリプチンを使用した患者は、使用前からグリメピリドの用量が高く、非専門医で用量が高い傾向があり(表2)、また、シタグリプチンを使用した経験のない患者はSU剤の用量がもともと低いことが判明した(表3)。ただし、結果は処方箋レセプト情報から得られているが、他の要因のバイアスの影響を受けている可能性がある。

本研究結果から、シタグリプチンに併用するSU剤の用量を減ずる使用上の注意改訂指示に処方行動が反応していること、同時に、シタグリプチン市販直後の安全性の問題は、SU剤を高用量で使う傾向が強い開業医等(非専門医等)が選択的にシタグリプチンを使用し始めたために発生したことを示唆する結果を得た。

(4)疫学的手法による解析

一方、用量の低下が、使用上の注意改訂指示の影響かどうかを検証するには、さまざま要因による選択バイアスや交絡を除去した分析を行う必要がある。このため、疫学研究で近年よく利用されるプロペンシティ・スコア法により、シタグリプチン投与群と非投与群(コントロール)の患者や処方者の背景を調整しマッチングさせて、両群の背景が均一な集団として、レトロスペクティブに2群間比較臨床試験に近似した解析を行った。選択バイアス等を除去するために、(1)年齢、(2)性別、(3)メトホルミン使用の有無、(4)病床数、(5)専門医、(6)投与継続期間を変数としてマッチングに使用した。レセプトデータでは患者背景の情報がないが、メトホルミン使用を変数として選択し、インスリン抵抗性かそれ以外かの患者層別の代替手法を試みた。

プロペンシティ・スコアにより調整したコホートを用いて、使用上の注意前後のSU剤(グリメピリド、グリベンクラミド、グリクラジド)の処方行動を比較した。その結果、調整したコホートにおいても、シタグリプチン投与患者群におけるSU剤グリメピリドの一日処方用量の減少は、シタグリプチンの非投与群と比べて有意な変化であること、同時に、経口糖尿病薬の背景として、シタグリプチン処方群は、シタグリプチン非投与群に比べて、SU剤(グリメピリド)が高用量で投与されていたことが確認された他、他のSU剤2剤についても同様の結果を得た。

3 本研究の考察と今後

本研究では、安全対策の行政措置のインパクトを定量的に評価したものであるが、同時に医師の処方行動が医薬品の安全性与える影響を示唆している。すなわち、シタグリプチンが先行して発売された諸外国では同種の問題が発生していないことからみても、この結果は、糖尿病治療のガイドラインでSU剤を第一選択薬とする我が国に対してメトホルミンを第一選択薬とする諸外国の医療環境の違いを反映したものと考察される。新医薬品導入前のベースラインの処方行動といった医療環境の違いが、新医薬品導入時の安全性に影響を与えたことを定量的に示した研究としての意義がある結果である。

本研究では、レセプトデータの分析方法は、安全対策措置の影響評価や新医薬品導入時のべースラインの医療環境の評価に活用可能であることを示唆している。新医薬品導入時の安全性問題の回避のため、通常の治験では得られない国ごとの医療環境(処方行動)の違いを理解し、安全な新薬上市の戦略を立てる必要性を本研究により示すことができた。今後、本研究の手法は高次の医療データベースを活用した研究、また、別の対象医薬品に発展でき、企業の安全な新薬上市の戦略立案に貢献するものと期待している。

表1 使用上の注意改訂指示前後の期間におけるグリメピリドの併用処方用量

Ref) Sato D, Sato Y, Masuda S. Kimura H. Impact of the Sitagliptin Alert on Prescription of Oral Antihyperglycemic Drugs in Japan. Int J Clin Pharm. 2012; 34:917-924

表2 シタグリプチン使用前のグリメピリドの処方用量

Ref) Sato D, Sato Y, Masuda S, Kimura H. Impact of the Sitagliptin Alert on Prescription of Oral Antihyperglycemic Drugs in Japan. Int J Clin Pharm. 2012; 34:917-924

表3 シタグリプチン使用歴のない患者群でのグリメピリドの処方用量

Ref) Sato D, Sato Y, Masuda S, Kimura H. Impact of the Sitagliptin Alert on Prescription of Oral Antihyperglycemic Drugs in Japan. Int J Clin Pharm. 2012; 34:917-924

表4 プロペンシティ・スコア法によるマッチング後のデータにおけるグリメピリド処方用量の比較

(Ref) Sato D, Sato Y, Masuda S, Kimura H. Effects of a Sitagliptin Safety Alert on Prescription Behavior for Oral Antihyperglycemic Drugs: A Propensity Score-Matched Cohort Study of Prescription Receipt Data in Japan. Drug Safety 2013 (in press)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、新医薬品市販直後の安全性確保に関し、医師の処方行動に着目し、日本の現状を分析することを通じて、その課題を考察したものである。特に、製薬企業が、医薬品リスク管理計画(RMP)の下、日本固有の医療環境を踏まえた製品リスクマネジメントを行う必要性について示唆を与えるべく、経口糖尿病薬の新医薬品「シタグリプチン」の市販直後における医師の処方行動を、大規模な処方箋(調剤レセプト)データを用いて詳細に分析した研究業績である。

第1章「日本での医薬品の市販後の安全性の課題」では、これまでの安全性問題の実例から、医薬品のリスクマネジメントにおいて医師の処方行動が重要な要因となりうることを示している。医薬品の安全性向上を図る効果的な対策を立案・実施するため、医師の処方行動の予測性を高めること、その基礎となる調査研究を進める意義を述べている。また、第2章「処方行動と医薬品の安全性の関係の研究の背景」では、医薬品の安全対策と医師の処方行動に関する本論文の研究手法の位置づけを明らかにするため、国内外の先行研究との比較などから、医療情報データベースの活用が研究手法として有用であることを示している。

第3章「経口糖尿病薬シタグリプチンとスルホニルウレア剤の併用と安全性」と第4章「疫学的手法による検証」では、具体事例として、経口糖尿病薬の新医薬品「シタグリプチン」を取り上げ、大規模調剤レセプトデータの分析・解析を行っている。当該薬に関する安全性の問題として、国内市販開始後に重篤な低血糖の副作用が多数報告され、行政が使用上の注意改訂を指示し、医療現場に対し併用薬であるスルホニルウレア(SU)剤の用量を減ずるよう周知することとなった経緯を示す一方で、当該薬は、既存の経口糖尿病薬との併用が想定されるが、既存治療薬の第一選択薬は国内外で異なり、海外ではメトホルミン、日本ではSU剤が第一選択薬として広く利用されている点について指摘している。これらの背景を踏まえ、日本における当該薬および他の経口糖尿病薬に関する大規模調剤レセプトデータの分析・解析を行った結果、当該薬の安全性の問題を解明するにあたって意義のある次の事項を初めて明らかにしている。

(1) 行政による安全性アラートの効果として、使用上の注意改訂後に、当該薬と併用するSU剤(グリメピリド)の処方一日用量が有意に低下していたこと。また、専門医において低下がより顕著であったこと。

(2) 当該薬導入初期には、SU剤(グリメピリド)が高用量で処方されていた患者に対して当該薬が使用される傾向にあったこと。

(3) SU剤(グリメピリド)の一日処方量は、非専門医が専門医よりも有意に高く、非専門医を中心に当該薬の使用が広がったことが、市販直後における重篤な低血糖の副作用の重積を誘発した可能性があること、を導き出した。

このような処方が行われた理由として、開業医を含む非専門医では、SU剤による患者の血糖コントロールが不十分な事例があったことが考察されている。また、行政による安全性アラート(使用上の注意改訂)の効果等をさらに検証するため、当該薬投与群と非投与群からなる処方箋(調剤レセプト)データによる患者コホートを構成し、選択バイアスや交絡などの治療の選択の影響を受ける年齢、性別、医師の属性、メトホルミンの使用、投与期間等の要因を、プロペンシティ・スコア法により調整してマッチングした集団において、当該薬投与群の処方行動について、非投与群と比較解析を行っている。行政による安全性アラート(使用上の注意改訂)が影響したと考えられる併用SU剤(グリメピリド、グリベンクラミド、グリクラジド)を減量した処方行動について検証し、同時にSU剤が高用量で処方されていた患者に対して当該薬が使用された処方行動を検証している。

第5章「処方行動と新医薬品の安全性の総括」及び第6章「新薬の市販直後の安全対策の提言」では、全体を総括し、新医薬品シタグリプチンの承認時点での臨床試験データからのリスクの予見可能性や医療機関の規模による安全性情報伝達効率の差違についても考察するとともに、第3章及び第4章の結果から、新医薬品が導入された場合の医師の処方行動の予測などを事前に行うべきことなどを提言している。今後、当該薬に限らず、新医薬品の導入にあたってのリスクマネジメントの一環として、新医薬品の市販方法、情報伝達の在り方等を日本の医療環境に適したものとし、処方行動と関連した原因分析及び安全対策の効果測定を定量的に行い、根拠に基づく安全対策を実施するといったPDCA(計画・実行・評価・改善)のサイクルを円滑に進めるためには、本論文で、具体的に示されたレセプトデータの分析手法は有用である。

総括して、本論文は、安全対策の行政措置のインパクトを評価すると同時に、新医薬品導入前の処方行動のベースラインとなる医療環境の違いが、新医薬品導入時の安全性に影響を与えたことを定量的に評価した研究結果であり、医師の処方行動の影響を評価することが安全な新医薬品の上市の戦略を立てることに役立つことを示したことに意義がある。今後、第7章「今後の研究の発展」でも示されたように、医療データベースを活用した研究は、企業の安全な新医薬品上市の戦略立案や医薬品の安全性問題の早期の発見や検証にも貢献するものと期待している。

以上のような次第で、本論文は、本研究科において博士(薬学)の学位を授与するにふさわしい業績だと評価される。

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