学位論文要旨



No 129458
著者(漢字) 林,邦彦
著者(英字)
著者(カナ) ハヤシ,クニヒコ
標題(和) 創薬におけるバイオマーカーの役割 : 患者層別マーカーが医薬品の研究開発に与える影響
標題(洋)
報告番号 129458
報告番号 甲29458
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1499号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 特任教授 木村,廣道
 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 長野,哲雄
 東京大学 特任教授 津谷,喜一郎
 東京大学 准教授 小野,俊介
 東京大学 教授 元橋,一之
 京都大学 准教授 仙石,慎太郎
内容要旨 要旨を表示する

【背景・研究目的】

これまでに数多くのバイオマーカーが発見され、診療や医薬品開発で利用されている。そして疾患の診断や、疾患予後の予測など、多様な役割を有している。バイオマーカーが果たす役割の一つとして、医薬品の研究開発生産性の改善が期待されている。医薬品の研究開発費用は上昇を続けているのに対し、承認される医薬品の数は低下し、その結果医薬品の研究開発生産性は低下している。医薬品の1 剤あたりの研究開発コストは約18 億ドルとも言われており、企業にとって大きな負担となっている。特に臨床開発段階の開発コストは全体の57.6%を占めており、臨床試験の成功確率も高くないため、ここでの研究開発効率の改善が求められている。そのため、欧米各国では産官学を挙げた研究開発効率改善のためのプロジェクトが実施されており、バイオマーカー関連のものも多い。

バイオマーカーは研究開発生産性を高めると期待されているものの、その効果の定量的な分析はなされていない。そのため、研究開発でのバイオマーカー利用やバイオマーカーの研究開発には研究実施主体などによる差があると想定されるが、その点についても明確ではない。

そこで本研究は、1)臨床研究におけるバイオマーカー利用の現状分析、2)患者層別マーカーが医薬品開発効率に与える影響の定量的分析、3)日本の製薬企業におけるファーマコゲノミックス研究に関するアンケート調査により、バイオマーカーが研究開発効率及び研究開発競争力に影響を与えるメカニズムを解明するとともに、4)コンパニオン診断薬の開発と利用に関する現状分析を踏まえ、日本におけるバイオマーカーの研究開発環境について考察を行うことを目的とした。

【方法・結果】

1. 臨床試験におけるバイオマーカー利用の現状分析

医薬品の研究開発におけるバイオマーカーの利用状況を明らかにする目的で、臨床試験におけるバイオマーカー利用の実態に関し、臨床試験の属性(実施者、実施国、フェーズ、疾患領域等)によるグローバルな傾向を把握した。2002 年から2009 年の間に開始されたClinicalTrials.govに登録されている薬剤介入試験のうち、バイオマーカーが利用されている試験を対象に分析を行った。

バイオマーカーを利用した臨床試験として3,383 試験を同定した。バイオマーカー利用試験数、利用割合は年ごとに増加しており、特に第I、II相試験で顕著であった(全バイオマーカー利用試験の61.2%、図1)。疾患領域としてはがん領域が最も試験数が多かった(37.1%)。バイオマーカー利用試験は米国スポンサーが最も多く、そのうち41.8%は米国政府の支援によるものであった。実施した試験数では企業スポンサーのものが多いが、米国政府スポンサーの試験の方がバイオマーカーの利用割合が高かった。また、バイオマーカー利用臨床試験は一国で実施されるものが多かった(76.9%)。

臨床試験の実施は地域差や疾患領域等による差があり、このような差が研究開発競争力の差に繋がる可能性が考えられる。

2. 患者層別マーカーが医薬品開発効率に与える影響の定量的分析

バイオマーカーが、医薬品の研究開発効率に与える影響を明らかにする目的で、がん領域臨床試験の各段階(第I相→第II相、第II相→第III相、第III相→申請)における相移行確率を、患者層別マーカー利用の有無で比較した。1998 年から2009 年の間に企業により第I相試験が開始された新規有効成分を含有する抗がん剤を対象とした。各薬剤の全試験情報をClinicalTrials.govから抽出(3,308 試験)し、標的情報をPharmaProjects 等で確認の上、各薬剤の全試験で標的に関連した患者層別実施の有無を患者登録基準から判断して、患者層別マーカーの利用有無を決定した。研究開発効率の指標には、相移行確率(第n 相の評価が完了した品目数に対する第n+1 相を開始した品目数の割合)を用いた。

(1)患者層別マーカーの利用と相移行確率の関連

分析対象として抗がん剤908 剤を同定した。そのうち、患者層別マーカー利用品目は121 剤(13.3%)、非利用品目は787 剤(86.7%)であった。

開発品目の相移行確率を患者層別マーカー利用有無で見たところ、患者層別マーカー利用品目の方が、非利用品目と比べ各相で高い相移行確率を示した(図2)。特に、企業の研究開発費の約50%を占める後期臨床試験(第II、III相試験)で相移行確率が高かった。

(2)相移行確率と各種背景因子の関連

患者層別マーカー利用品目、非利用品目でそれぞれ相移行確率と各種背景因子の関係を分析したところ、全相で患者層別マーカー非利用品目のオーファン品は相移行確率が高かった(表1)。これは非オーファン品目の患者層別マーカー非利用群では相移行確率が低いことを示す。また、患者層別マーカー利用群は第I、III相で影響されなかった。また、オーファン指定品目、非オーファン品目別に背景因子の影響を分析したところ、非オーファン品目では患者層別マーカー利用群で有意に相移行確率が高いことが示されたが、オーファン指定品目では患者層別マーカーの利用は相移行確率に影響を与えなかった。これらのこと及び品目の特性を考慮すると、開発品目の多数(第I相品目の67.3%)を占める非オーファン品目では患者層別マーカーの探索研究を行うことが相移行確率の向上に繋がる可能性がある。

患者層別マーカーの利用の有無は医薬品開発効率に影響する可能性が考えられる。

3. 製薬企業におけるファーマコゲノミックス研究に関するアンケート調査

バイオマーカーの研究開発と企業の研究開発競争力との関係を明らかにする目的で、治験サンプルを用いたバイオマーカー等の探索研究のためのファーマコゲノミックス研究(以下PGx 研究)の実施状況について、日本製薬工業協会臨床評価部会に加盟している国内製薬企業(66 社)を対象にアンケート調査(無記名)を行い、企業の属性(外資・内資、企業規模等)による傾向を分析した。

国内治験でPGx 研究を実施している企業の割合は、内資系企業より外資系企業、準大手企業より大手企業の方が高かった。実施試験数、国際共同治験においても同様の傾向が認められた。また、PGx 研究の障害となっている要因として、実施経験が少ない企業では内的要因(企業方針、社内教育、予算等)が、実施経験の多い企業では外的要因(医療機関協力、自主ガイドライン等)が実施に影響すると考えられた。

PGx 研究の実施は企業間で差があり、今後の研究開発競争力の差に繋がる可能性が考えられる。

4. コンパニオン診断薬の開発と利用に関する現状分析

患者層別マーカーを臨床で利用する上で重要なコンパニオン診断薬の開発と利用に関して現状分析を行ったところ、以下のような課題が認められた。まず、開発上の課題としては、医薬品と診断薬の開発プロセスの違い、コンパニオン診断薬に関する各国規制の違いがあることを示した。また、利用に際しては、コンパニオン診断薬の償還価格と保険償還で課題があることを示した。

患者層別マーカーによる研究開発生産効率の改善を行う上で、これらの課題解決が必要である。

【考察・まとめ】

バイオマーカーが医薬品の研究開発効率、研究開発競争力に影響を与えるメカニズムには、臨床試験の属性として臨床試験の実施地域や疾患領域などによる差、臨床試験に利用されるバイオマーカーの種類として患者層別マーカー利用有無による差、更に企業属性、特に国内製薬企業の属性による差が認められ、これらがバイオマーカーによる研究開発効率、研究開発競争力に影響を与える可能性を示した。また、日本企業におけるPGx 研究が外資系企業と比べて乏しいことから、患者層別マーカーなどのバイオマーカーを利用した効率的な研究開発が行えず、研究開発競争力に差が生じる懸念がある。更に、患者層別マーカーの臨床使用に必要なコンパニオン診断薬の開発と利用に際しても様々な課題がある。但し、コンパニオン診断薬やバイオマーカーの価値に関する課題については、医学、経済、社会等の集学的な見地から更に検討が必要と考える。

バイオマーカーの利用は研究開発効率向上に作用しており、研究開発競争力の向上に貢献する。バイオマーカーを効果的に利用し、研究開発競争力を向上させるためには、本研究により明らかにされた課題に対し、製薬企業、行政、アカデミア対応していく必要があり、それぞれに対して考えうる提言をまとめた。これらを踏まえ、バイオマーカーの利用を推進する環境を整備し、医薬品の研究開発効率向上に繋げるとともに、医療の質の向上に貢献することに努めたい。

図1 バイオマーカーを利用した臨床試験数・割合の推移

図2 患者層別マーカーの利用別に見た抗がん剤の相移行確率

表1 相移行確率と背景因子の関連

審査要旨 要旨を表示する

本論文は、医薬品開発におけるバイオマーカー利用の現状を評価・分析することを通じて、その課題を多面的に検討したものである。すなわち、医薬品臨床試験におけるバイオマーカーの国際的な利用傾向の分析、患者層別マーカー利用・非利用の抗がん剤開発品目での臨床開発成功確率の評価分析、そして治験サンプルを利用したファーマコゲノミクス研究に関する日本における実施状況のアンケート調査の結果から、バイオマーカーの利用が創薬の研究開発効率及び研究開発競争力の向上に貢献する可能性について示唆を与えるとともに、製薬企業や行政が取り組むべき課題および解決策について考察をおこなった業績である。

本論文では、第一に、臨床試験におけるバイオマーカー利用の実態に関し、2002年~2009年のグローバルな利用傾向を、臨床試験の属性(実施者、実施国、開発相、疾患領域等)により分析した。その結果、バイオマーカーを利用した臨床試験の実施数は日米欧で地域差があり、また癌領域の臨床試験で多用されるなどの差があることが明らかとなった。第二に、抗がん剤の開発品目での臨床開発成功確率に関し、1998年~2009年の間に、いずれかの国・地域で第I相試験が開始された抗がん剤を対象に、患者層別マーカーの利用有無による開発各相の相移行確率を評価分析した。その結果、いずれの開発相においても、患者層別マーカー利用品目の方が、非利用品目よりも高い相移行確率であり、特に、研究開発費に占める割合の大きい後期臨床試験(第II、III相試験)においてより高いことが明らかとなった。また、背景因子(開発企業国籍、企業規模、オーファン指定有無等)との関係を評価することにより、特に、オーファン指定の有無との関係性において、相移行確率は、オーファン指定を受けた品目群では、患者層別マーカー利用の影響を受けない一方、非オーファン品目群では、患者層別マーカー利用により高くなることが明らかとなった。このことから、現状、非オーファン品目の大部分は患者層別マーカーを持たず、かつ開発品目の多数を占めるが、これらの品目において患者層別マーカーの探索研究を積極的に行っていくことが、特に相移行確率の向上、研究開発効率の向上に貢献する可能性があることが示された。第三に、日本の治験サンプルを利用したファーマコゲノミクス研究実施状況に関するアンケート調査の結果、内資系企業より外資系企業、準大手企業より大手企業の方が実施している企業の割合が高いことが示された。また、ファーマコゲノミクス研究実施経験の多寡で、実施上の障害となっている要因が異なり、実施経験の少ない企業では社内の内的要因が障害となる一方、実施経験の多い企業では外的要因が障害となっていることが示された。

以上の検討により、バイオマーカーが、創薬の研究開発効率、研究開発競争力の向上に関与するメカニズムとして、臨床試験の属性(臨床試験の実施地域や疾患領域等)、臨床試験に利用されるバイオマーカーの種類(患者層別マーカーの利用)、企業属性(国内製薬企業の属性)を挙げ、それぞれについて、製薬企業や行政が取り組むべき課題および解決策について考察した。さらに、臨床試験の相移行確率の向上に寄与する患者層別マーカーの利用は、臨床応用に必須のコンパニオン診断薬の開発が不可欠であることから、コンパニオン診断薬についても、現状分析をもとに、開発と利用に関する課題を考察した。

本研究は以下の点で新規性、進歩性があると認められる。第一に、バイオマーカーの利用実態に関して、臨床試験における状況を国際的、包括的に初めて調査し、公開データの限界はあるものの、調査開始年の2002年以降、バイオマーカー利用の臨床試験は増加し続け、バイオマーカーの役割が増大していることを定量的に示すとともに、地域や疾患領域などの臨床試験の属性における傾向を詳細に示した点である。第二に、バイオマーカーの一種である患者層別マーカーの利用は、臨床試験の相移行確率の向上に寄与しうることを定量分析により直接的に示し、さらに、臨床試験で活用されるべきバイオマーカーの内容についても言及した点である。第三に、日本の製薬企業におけるファーマコゲノミクス研究の実施状況について、網羅的に初めてアンケート調査を行い、将来的な日本の製薬企業の研究開発競争力における課題を明らかにした点である。そして、最後に、これらの評価分析結果に基づき、バイオマーカーの利用が創薬の研究開発効率及び研究開発競争力の向上に貢献する可能性について示唆を与えるとともに、製薬企業や行政が取り組むべき課題について多面的かつ具体的に考察をおこなった点である。

製薬企業にとって、医薬品研究開発生産性の低下は、大きな経営課題であり、研究開発におけるバイオマーカーの活用はその改善に貢献するものであると期待されている。本研究は、研究開発効率、研究開発競争力に対するバイオマーカーの貢献の実証を試み、生産性低下の経営課題に対し、製薬企業、行政に対して、具体的解決策を提示することにより、実社会に対しても一定のインパクトがあったと考えられる。しかしながら、創薬におけるバイオマーカーの役割は多岐にわたるため、その全体像が、本研究により、必ずしも明らかとなったわけではない。例えば、臨床応用の場では、患者層別マーカー(コンパニオン診断薬)の利用は、倫理面や経済合理性に関して、患者、製薬企業、行政、医療提供者等の間でコンセンサスが得られる状況にはなく、薬価制度など、社会薬学研究が取り組むべき研究課題は多い。今後、本研究の次テーマとして、医薬品の研究開発者側のみならず、使用者側の立場も考慮した研究の進展が期待される。

以上、本論文は創薬におけるバイオマーカーが研究開発効率、研究開発競争力に果たす役割を明らかにするとともに、バイオマーカーを活用した更なる研究開発競争力向上のために製薬企業や行政などが果たすべき課題を明確にした。本研究結果は、本研究科において博士(薬学)の学位を授与するにふさわしい業績だと評価される。

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