学位論文要旨



No 129473
著者(漢字) 水沼,未雅
著者(英字)
著者(カナ) ミズヌマ,ミカ
標題(和) 海馬における記憶再生の神経回路基盤
標題(洋)
報告番号 129473
報告番号 甲29473
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1514号
研究科 薬学系研究科
専攻 生命薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松木,則夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 富田,泰輔
 東京大学 講師 千原,崇裕
内容要旨 要旨を表示する

[背景]

海馬は新しい記憶情報を一時的に蓄えておく脳部位であると考えられており、記憶を長期的に保存するためには、記憶を固定化するプロセスが必要である。海馬で観察される様々な周波数の脳波のうちSharp Wave(以下SW)は記憶の再生に関与していると考えられている。個体動物を用いた先行研究により、SW発生時には、学習時に発現した神経活動パターンが再びあらわれており、その記憶再生が記憶の固定化に重要な役割を果たしていることが明らかになっている。

しかしながら、SW発生時に海馬でどのようにして記憶再生が起こるのかは明らかになっていない。そこで本研究では、活動した神経細胞を蛍光タンパク質で標識できるArc-dVenusトランスジェニックマウスと脳切片標本を用いたSWモデル、ホールセルパッチクランプ法を組み合わせ、記憶再生の神経回路メカニズムの解明に取り組んだ。

[方法・結果]

SW発生時の海馬CA1ニューロンの活動パターン

SW発生時の海馬CA1ニューロンがどのような活動パターンを示すのかについて明らかにするために、海馬急性切片のCA1野からSWを記録し、CA1ニューロン集団の活動を機能的カルシウムイメージング法で観察した。ニューロンの発火タイミングとSW発生のタイミングの関係について解析を行ったところ,SWのピークタイミング付近で発火イベント頻度が高くなっていた。また、SWに参加するのは一部のニューロン集団で、その組み合わせは多様であった(図1A)。また、各々のニューロンのSWへの参加パターンの類似度を算出し、Affinity Propagationアルゴリズムを用いて解析を行ったところ、参加パターンの類似したニューロン集団からなる複数のサブグループが抽出された。以上の結果から、SW発生時には一部のCA1ニューロン群が活動し、セルアセンブリ様のダイナミクスを示すことが示唆される(図1B,C)。

記憶獲得時に活動した細胞集団はSW発生時に活動しやすい

SW発生時の神経活動は過去の経験(記憶獲得)を反映する記憶痕跡であるという仮説を検証するために、Arc-dVenusトランスジェニックマウスを用いた。同マウスは強く活動したニューロンを数時間に限りdVenus(蛍光タンパク質)により識別できる利点がある。このマウスに新奇環境を30分間自由探索させた後、海馬急性切片を作製し、SWを記録した(図2A)。SW発生時の各ニューロンの活動を記録するために、近赤外線蛍光プローブであるCaSiR-1を用いて多数のニューロンから高速カルシウムイメージングを行った。SWに参加する確率は、dVenus陽性ニューロンのほうがdVenus陰性ニューロンに比べて高かった(図2C)。この結果から、直近の過去の空間体験に関わったニューロンはSW発生時に活動しやすいことがわかる。LTP(長期増強)の維持過程を阻害するペプチドZIPを処置した標本では、SWは消失した。SWへの参加確率と、自発活動率には相関があることから、自発活動率はSWへの参加率のひとつの指標となる。そこでZIP処置後の各ニューロンの自発活動率を算出したが、dVenus陽性ニューロンと陰性ニューロン間で差は見られなかった(図2D)。以上の結果より、SW発生時には記憶に関わったニューロンが優先的に選ばれて活動しており、それにはシナプス可塑性が重要であることが示唆された。

SWの入力の興奮/抑制比が活動の有無を決定している

SW発生時に活動するニューロンが選ばれるメカニズムを明らかにするために、ホールセルパッチクランプ法により海馬CA1ニューロンがSW発生時に受けるシナプス入力を観察した。観察した全てのニューロンで、SW発生時に一過的な興奮性入力と抑制性入力が観察された(図3A)。興奮性入力のタイミングは抑制性入力に対して先行する傾向にあったが、そのタイムラグ(タイミングの差)に関してはSW参加ニューロンと不参加ニューロンで違いはなかった(図3F,G)。興奮性入力と抑制性入力の大きさについて解析を行ったところ、SW参加ニューロンは平均振幅、電荷量について、興奮/抑制比が不参加ニューロンより有意に大きかった(図3D,E)。つまり興奮/抑制の比が興奮性に傾くことがSW発生時の活動の有無を決定していると考えられた。この仮説を検証するために、ダイナミッククランプ法を用いて、CA1ニューロンにSW発生時に観察されるような一過性のコンダクタンスを注入した。様々な興奮/抑制比とタイムラグを組み合わせた49通りの興奮性および抑制性コンダクタンスを注入し、各コンダクタンスに対する発火応答確率を算出した。その結果、タイミラグの大きさに関わらず、興奮/抑制比が大きいコンダクタンスを注入されたニューロンでは、再現よく発火応答がみられた。よって興奮/抑制比が興奮性に傾くことにより、SW時に活動するニューロンが選ばれることが示唆された。

抑制性入力の大きさはSW発生時の回路の活動レベルを反映する

SW発生時の入力の興奮・抑制比はどのようにして決定されているのだろうか?これを明らかにするために、SWの大きさと興奮・抑制各入力の大きさの関係を調べた。興奮性入力とSWの大きさの相関は弱かった(図4A上)。これは、興奮性入力はCA3野で活動した前シナプス細胞集団とのシナプス結合性を反映しており、そのニューロンの過去の活動履歴に依存しているためと考えられる。一方で、抑制性入力の大きさはSWの大きさと強い相関があった(図4A下)。つまり抑制性入力はSWの大きさ、つまりCA3錐体ニューロンからの入力の全体の大きさを反映していると考えられる。抑制性入力を担うインターニューロンの中で、パルバルブミン陽性インターニューロン(以下PVニューロン)に着目した。PVニューロンの活動とSWの大きさの関係を調べるために、PV-GFPマウスを用いて急性スライス標本を作製し、ホールセルパッチクランプ法によりGFP陽性ニューロンから、SW中の発火応答を記録した(図4B)。SWの大きさが大きいほど、PVニューロンのスパイク活動数も大きくなり、スパイク数とSWの大きさは線形の関係にあった(図4C)。また、PVニューロンはSWの大きさと強い相関がある興奮性入力を受けていた(図4D)。つまりPVニューロンはSWの大きさをモニターし、それに応じて周囲のCA1ニューロンを強力に抑制しており、その抑制から抜け出せるような大きな興奮性入力を受けた一部のCA1ニューロンのみがSWに参加することができると考えられる。

[総括]

本研究により、SW発生時にはそれまでの経験(記憶)に関わったニューロンが優先的に選ばれて発火することが明らかになった。そしてSW発生時に選ばれるニューロンにおいては、シナプス入力の興奮・抑制比が興奮性に傾いていることが示された。SWの大きさに応じた均一な抑制性入力と、個々のニューロンの活動履歴に応じて決まる不均一な興奮性入力により形成されるバランスが、SW発生時の記憶痕跡の出現を運命づけていることが示唆される(図5)。

図1 SW発生時の海馬CA1ニューロンの活動パターン

(A) それぞれのSWに参加したニューロンの組み合わせ。(B) SW参加パターンの相関係数をもとに,計92ニューロンのうち64のSW参加ニューロンを15個のサブグループに分離した。(C) Bに示された15個のニューロングループの細胞地図。それぞれの丸が各々のニューロンの空間的配置を表し、グループごとに色分けされている。活動パターンが類似しているニューロン集団の空間的配置は分散していた。

図2 海馬急性切片で観察される記憶痕跡の再生

(A) Arc-dVenusマウスに新奇環境を探索させ、その後海馬急性切片を作製。(B) SWを記録しながら、dVenus陽性ニューロンと陰性ニューロンの活動をカルシウムイメージングした。(C)dVenus陽性ニューロンはSW発生時に活動する確率が高かった。 (D) ZIP処置後の自発活動率の比較。**P = 3.6×10-7, Fisher's exact probability test, n = 197 dVenus(-) and 90 dVenus(+) cells.

図3 SWに参加するニューロンの興奮・抑制比

(A)錐体細胞に対する興奮性入力(左)と(右)抑制性入力(D-E)SWに参加するニューロンでは興奮・抑制比が興奮側に傾いている。**P < 0.01, Mann-Whitney-Wilcoxon test. (F-G)タイムラグについては参加するニューロン、しないニューロンで差がみられなかった。

図4 PV陽性インターニューロンの活動

(A)錐体細胞に対する入力の大きさとSWの大きさの相関。上:興奮性入力、下:抑制性入力。抑制性入力とSWの大きさは強く相関する。r2 = 0.15, n = 1,542 EPSCs; r2 = 0.46, n = 1,139 IPSCs from 20 cells. P < 10-16, Z = 9.38, Z-test for two correlation coefficients. (B)PV陽性インターニューロンからのパッチクランプ記録。(C)PV陽性インターニューロンのSWの大きさに応じた発火応答。Gray lines indicate 10 individual cells, and the black graph represents the means ± SDs of 2,901 SWs from 10 cells. (D)PV陽性インターニューロンではSWの大きさと強く相関する興奮性入力が観察された。r2 = 0.47, n = 3,032 SWs from 10 cells.

図5 SW発生時の海馬神経回路のはたらき

空間探索時に発火したニューロンではLTPが起こり、上流の細胞集団との結合性が高まる。そのため記憶にかかわったニューロンは平均よりも大きな興奮性入力を受けることになる。PV陽性ニューロンはその回路全体に入ってくる興奮性入力を網羅的に受け取ることで、回路全体の興奮性レベルを検知し、それに応じた発火活動を行うことで、近傍にある錐体細胞に一様に抑制をかける。こうした多様性に富んだ興奮性入力と、一様な抑制性入力を組み合わせることで、記憶にかかわったニューロンのみが活動できるよう海馬の神経回路は巧妙に設計されている。

審査要旨 要旨を表示する

海馬は新しい記憶情報を一時的に蓄えておく脳部位であると考えられており、記憶を長期的に保存するためには、記憶を固定化するプロセスが必要である。海馬で観察される様々な周波数の脳波のうちSharp Wave(以下SW)は記憶の再生に関与していると考えられている。個体動物を用いた先行研究により、SW発生時には、学習時に発現した神経活動パターンが再びあらわれており、その記憶再生が記憶の固定化に重要な役割を果たしていることが明らかになっている。

しかしながら、SW発生時に海馬でどのようにして記憶再生が起こるのかは明らかになっていない。そこで本研究では、活動した神経細胞を蛍光タンパク質で標識できるArc-dVenusトランスジェニックマウスと脳切片標本を用いたSWモデル、ホールセルパッチクランプ法を組み合わせ、記憶再生の神経回路メカニズムの解明に取り組んだ。

SW発生時の海馬CA1ニューロンの活動パターン

SW発生時の海馬CA1ニューロンがどのような活動パターンを示すのかについて明らかにするために、海馬急性切片のCA1野からSWを記録し、CA1ニューロン集団の活動を機能的カルシウムイメージング法で観察した。ニューロンの発火タイミングとSW発生のタイミングの関係について解析を行ったところ,SWのピークタイミング付近で発火イベント頻度が高くなっていた。SWに参加するのは一部のニューロン集団で、その組み合わせは多様であった。また、各々のニューロンのSWへの参加パターンの類似度を算出し、Affinity Propagationアルゴリズムを用いて解析を行ったところ、参加パターンの類似したニューロン集団からなる複数のサブグループが抽出された。以上の結果から、SW発生時には一部のCA1ニューロン群が活動し、セルアセンブリ様のダイナミクスを示すことが示唆される。

記憶獲得時に活動した細胞集団はSW発生時に活動しやすい

SW発生時の神経活動は過去の経験(記憶獲得)を反映する記憶痕跡であるという仮説を検証するために、Arc-dVenusトランスジェニックマウスを用いた。同マウスは強く活動したニューロンを数時間に限りdVenus(蛍光タンパク質)により識別できる利点がある。このマウスに新奇環境を30分間自由探索させた後、海馬急性切片を作製し、SWを記録した。SW発生時の各ニューロンの活動を記録するために、近赤外線蛍光プローブであるCaSiR-1を用いて多数のニューロンから高速カルシウムイメージングを行った。SWに参加する確率は、dVenus陽性ニューロンのほうがdVenus陰性ニューロンに比べて高かった。この結果から、直近の過去の空間体験に関わったニューロンはSW発生時に活動しやすいことがわかる。LTP(長期増強)の維持過程を阻害するペプチドZIPを処置した標本では、SWは消失した。SWへの参加確率と、自発活動率には相関があることから、自発活動率はSWへの参加率のひとつの指標となる。そこでZIP処置後の各ニューロンの自発活動率を算出したが、dVenus陽性ニューロンと陰性ニューロン間で差は見られなかった。以上の結果より、SW発生時には記憶に関わったニューロンが優先的に選ばれて活動しており、それにはシナプス可塑性が重要であることが示唆された。

SWの入力の興奮/抑制比が活動の有無を決定している

SW発生時に活動するニューロンが選ばれるメカニズムを明らかにするために、ホールセルパッチクランプ法により海馬CA1ニューロンがSW発生時に受けるシナプス入力を観察した。観察した全てのニューロンで、SW発生時に一過的な興奮性入力と抑制性入力が観察された。興奮性入力のタイミングは抑制性入力に対して先行する傾向にあったが、そのタイムラグ(タイミングの差)に関してはSW参加ニューロンと不参加ニューロンで違いはなかった。興奮性入力と抑制性入力の大きさについて解析を行ったところ、SW参加ニューロンは平均振幅、電荷量について、興奮/抑制比が不参加ニューロンより有意に大きかった。つまり興奮/抑制の比が興奮性に傾くことがSW発生時の活動の有無を決定していると考えられた。この仮説を検証するために、ダイナミッククランプ法を用いて、CA1ニューロンにSW発生時に観察されるような一過性のコンダクタンスを注入した。様々な興奮/抑制比とタイムラグを組み合わせた49通りの興奮性および抑制性コンダクタンスを注入し、各コンダクタンスに対する発火応答確率を算出した。その結果、タイミラグの大きさに関わらず、興奮/抑制比が大きいコンダクタンスを注入されたニューロンでは、再現よく発火応答がみられた。よって興奮/抑制比が興奮性に傾くことにより、SW時に活動するニューロンが選ばれることが示唆された。

抑制性入力の大きさはSW発生時の回路の活動レベルを反映する

SW発生時の入力の興奮・抑制比はどのようにして決定されているのだろうか?これを明らかにするために、SWの大きさと興奮・抑制各入力の大きさの関係を調べた。興奮性入力とSWの大きさの相関は弱かった。これは、興奮性入力はCA3野で活動した前シナプス細胞集団とのシナプス結合性を反映しており、そのニューロンの過去の活動履歴に依存しているためと考えられる。一方で、抑制性入力の大きさはSWの大きさと強い相関があった。つまり抑制性入力はSWの大きさ、つまりCA3錐体ニューロンからの入力の全体の大きさを反映していると考えられる。抑制性入力を担うインターニューロンの中で、パルバルブミン陽性インターニューロン(以下PVニューロン)に着目した。PVニューロンの活動とSWの大きさの関係を調べるために、PV-GFPマウスを用いて急性スライス標本を作製し、ホールセルパッチクランプ法によりGFP陽性ニューロンから、SW中の発火応答を記録した。SWの大きさが大きいほど、PVニューロンのスパイク活動数も大きくなり、スパイク数とSWの大きさは線形の関係にあった。また、PVニューロンはSWの大きさと強い相関がある興奮性入力を受けていた。つまりPVニューロンはSWの大きさをモニターし、それに応じて周囲のCA1ニューロンを強力に抑制しており、その抑制から抜け出せるような大きな興奮性入力を受けた一部のCA1ニューロンのみがSWに参加することができると考えられる。

本研究により、SW発生時にはそれまでの経験(記憶)に関わったニューロンが優先的に選ばれて発火することが明らかになった。そしてSW発生時に選ばれるニューロンにおいては、シナプス入力の興奮・抑制比が興奮性に傾いていることが示された。SWの大きさに応じた均一な抑制性入力と、個々のニューロンの活動履歴に応じて決まる不均一な興奮性入力により形成されるバランスが、SW発生時の記憶痕跡の出現を運命づけていることが示唆された。よって、博士(薬学)の学位授与に値すると判断した。

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