学位論文要旨



No 129480
著者(漢字) 藤平,陽彦
著者(英字)
著者(カナ) フジヒラ,ハルヒコ
標題(和) エボラウイルス糖タンパク質に対する糖鎖修飾制御
標題(洋)
報告番号 129480
報告番号 甲29480
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1521号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 入村,達郎
 東京大学 教授 嶋田,一夫
 東京大学 教授 関水,和久
 東京大学 准教授 東,伸昭
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

研究背景と目的

エボラウイルス(EBOV)はヒトを含む霊長類に感染し、重篤な出血熱を惹起する。現在までに、Zaire、Sudan、Ivory Coast、Bundibugyo、Reston の5 つのウイルス種の存在が報告されており、ウイルス種によってヒトに対する致死性、感染性が異なる。例えば、Zaire EBOV(ZEBOV)はヒトに対して88%の致死性を示すのに対し、Reston EBOV(REBOV)はこれまでに死亡報告が無い。なぜ異なるウイルス種間で致死性・感染性が異なるのかは不明であるが、EBOV の感染において、ウイルス表層の糖タンパク質(GP)が決定的な役割を担うことは明らかであった。

GP は、2 つのサブユニットGP1 とGP2 がウイルス表層に複合体を形成して存在し、GP1 にはN結合型糖鎖とO 結合型糖鎖に富むムチン様領域が存在する(図 1a, b)。水疱性口内炎ウイルス(VSV)のGP 遺伝子のみをEBOV 由来として作出した擬似ウイルスを用いた単球由来未成熟樹状細胞に対する感染実験の結果、ZEBOV のGP(ZGP)をまとった擬似ウイルスの方が、REBOV のGP(RGP)をまとった擬似ウイルスよりも感染性が高く、この感染がヒトマクロファージガラクトース型C型レクチン(MGL)のブロッキング抗体によって有意に阻害されることが先行研究で示された。この結果より、ZEBOV とREBOVの感染性の違いがGP の構造的な特徴によって決定されること、GP とMGL の相互作用がEBOV の感染に重要な役割を果たすことが示された。

本研究では、MGL を介したZEBOV とREBOV の間の感染性の違いに着目し、これがGP の特定のアミノ酸配列によって規定されていること、この配列がGP の生合成過程で糖鎖の構造的差異を生じさせることを明らかにし、その糖鎖修飾制御メカニズムの解明を目指した。

実験結果・考察

1.EBOV の異なるウイルス種間におけるMGL を介した感染性の違いを決定付けるGP の構造的な特徴の同定

第一に、ZEBOV、REBOV のMGL を介した感染性の違いを決定付けるGP の構造的な特徴(アミノ酸配列)の同定に取り組んだ。先行研究の結果から、VSV 改変擬似ウイルスのMGL 発現細胞に対する"感染性"とGP とMGL との"結合性"の間には正の相関(より感染性の強いものほどより強くMGLと結合する)があること、ムチン様領域が感染性とMGL 結合性に必須であること、しかし、ムチン様領域のアミノ酸配列の違いはZEBOV、REBOV 間の感染性とMGL 結合性の違いに影響しないことが示されていた。これらの結果とアミノ酸配列の相同性から、本研究ではGPのN末端側の33-50、33-186番目のアミノ酸配列に着目した。ZGP とRGP のN 末端側33-50、または、33-186 番目のアミノ酸配列を互いに置換したキメラ型GP を作製し、感染性、MGL との結合性を評価した。

その結果、ZGP の一部をRGP の配列に置換したキメラ型GP(R33-50、R33-186)では感染性、結合性が減少し、逆にRGP の一部をZGP の配列に置換したキメラ型GP(Z33-50、Z33-186)では感染性、結合性が増加した(図 2a, b)。以上の結果から、GP のN 末端側の33-50 番目という、わずか18アミノ酸配列がZEBOV とREBOV のMGL を介した感染性の違いに重要であることが示された。

2.GP の一部のアミノ酸配列が糖鎖修飾に与える影響の解明

GP とMGL との結合性はGP の糖鎖の構造的な特徴によって直接、または、間接的に制御されると仮定し、GP のN 末端側33-50、33-186 番目のアミノ酸配列がGP への糖鎖修飾に与える影響の解明に取り組んだ。GP にはN 結合型、O 結合型糖鎖の2 種類の糖鎖が付加されている。糖タンパク質からN 結合型糖鎖のみを特異的に切り出す糖分解酵素、Peptide: N-glycosidase F (PNGaseF) でZGP、RGP を処理した前後でのGP へのMGL の結合性の変化を調べた結果、ZGP ではN 結合型糖鎖を除去してもMGL の結合性が変化しないのに対し、RGP ではN 結合型糖鎖の除去によってMGL の結合性が増加した(図 3a)。この結果を受け、GP に付加されたN 結合型糖鎖の構造を解析した。N 結合型糖鎖の伸長パターンに着目すると、ZGP に比べRGP では伸長したN 結合型糖鎖の割合が多いことがわかった(図 3b)。さらに、ZGP の一部をRGP の配列に置換したR33-50 とR33-186の糖鎖構造を見ると、伸長したN 結合型糖鎖の割合が増加した。一方、RGP の配列の一部をZGP の配列に置換したZ33-50、Z33-186 においては、伸長した糖鎖の割合が減少した(図 3c)。これらの結果から、GP のN 末端側33-50 番目のアミノ酸配列は、GP に付加されるN 結合型糖鎖の伸長パターンを制御していることが示された。また、RGP に特徴的なGP の伸長型のN 結合型糖鎖の存在がMGL との結合性を低下させることが強く示唆された。

3.GP の一部のアミノ酸配列がN 結合型糖鎖の伸長を制御するメカニズムの解明

GPの一部のアミノ酸配列がN結合型糖鎖の伸長を制御する分子メカニズムの解明に取り組んだ。この配列が生合成後のGP の細胞内滞留時間、または、細胞内局在に影響する可能性を考えた。細胞内滞留時間は、GP を産生している細胞において[(35)S]標識されたCys/Met を利用したパルスチェイス実験を行い、細胞内の[(35)S]標識されたGP 量の経時変化を調べた。その結果、GP が細胞内から消失する経時変化、つまり、細胞内滞留時間はZGP とRGP の間で差がなかった(図 4a)。そこで、GPの細胞内局在と糖鎖生合成に関わる糖転移酵素の局在との関係を調べた。前述の糖鎖解析の結果から、ZGP とRGP 間では非還元末端のN-アセチルグルコサミン(GlcNAc)にガラクトース(Gal)が付加される効率が大きく異なると考えられた。そこで、β-1,4-ガラクトース転移酵素(B4GALT1)とGP の局在を共焦点顕微鏡により観察した。ZGP の発現細胞ではB4GALT1 が細胞膜付近で観察されたが、RGP 発現細胞ではGP を発現していない細胞と同じくゴルジ装置付近にのみ分布した(図 4b)。このB4GALT1 の細胞内局在の大きな違いが、糖鎖修飾の伸長を制御しているかを確かめるため、R33-50 またはZ33-50 を発現している細胞におけるB4GALT1 の細胞内局在を調べた。その結果、33-50 番目のアミノ酸配列をZGP とRGP の間で置換してもB4GALT1 の細胞内局在は変化しなかった(図 4b)。つまり、B4GALT1 の細胞内局在は明らかにしたかった糖鎖伸長の制御とは関係無いことが明らかとなった。また、トランスゴルジ体、シスゴルジ体のマーカータンパク質(それぞれTGN46 とGM130)の細胞内を、ZGPまたはRGPを発現している細胞で調べたところ、細胞内局在に違いは見られなかった(データは示していない)。以上の結果から、GP にみられたN 結合型糖鎖伸長の制御は、B4GALT1 の細胞内局在、生合成後のGP のゴルジ体の各コンパートメントにおける局在の違いが関与していないことが明らかとなった。今後、他の細胞内小器官や細胞内分子との局在の関係を明らかにすることにより、特定のアミノ酸配列が糖鎖伸長を制御するメカニズムをさらに明確にできると考える。

総括

MGL を介したZEBOV とREBOV の感染性の違いはGP のN 末端側33-50 番目の18 アミノ酸配列が規定しており、その配列はGP のN 結合型糖鎖の伸長を制御していることを糖鎖構造解析によって明らかにした。本研究によって、GP 中の18 アミノ酸がGP 全体への糖鎖修飾を制御し、その結果、GP と標的細胞表面分子との相互作用が調節され、最終的に、EBOV の異種間での感染性が制御されていることが示された。本研究で得られた結果は、EBOV に感染したヒトに対する有効な治療法の開発に貢献し、さらにタンパク質医薬の糖鎖修飾制御への応用なども期待される。

図1 (a)GP遺伝子

(b)GP立体構造模式図

図2 (a)VSV改変擬似ウイルスのhMGL発現細胞に対する感染性

(b)EBOVのウイルス様粒子(VLP)上に提示された各種GPとhMGLとの結合性

図3 (a)PNGaseF処理によるGPとhMGLとの結合性の変化

(b)ZGPとRGPにおける~結合型糖鎖の伸長パターンの比較

(c)ZGP、RGPとキメラ型GPにおけるN結合型糖鎖の伸長バターンの比較

図4 (a)GP発現細胞における細胞内の[(35)S】標識されたGP量の経時的な変化*Ohにおける【(35)S]標識GP量を100%とした

(b)ZGP、RGP、キメラ型GPを発現している細胞とMock細胞におけるB4GALT1とGPの局在

審査要旨 要旨を表示する

種類の異なるエボラウイルスの感染性の違いはウイルス表層糖蛋白質(GP)の性質に基づいており、GPに含まれるN-結合型糖鎖の構造的な違いが樹状細胞に発現するC型レクチンであるMGLへの結合性に影響する事によって感染性を決定する事が示唆されていた。「エボラウイルス表層糖タンパク質に対する糖鎖修飾制御」と題する本論文は、この仮説を裏付ける分子的な基盤を確立する事と、糖鎖の構造に差異をもたらす機構の解明を主な目的とした研究の成果を述べたものである。学士申請者は感染性の高いザイールと感染性の低いレストンと呼ばれるエボラウイルスを比較する事によって、GPのN-結合型糖鎖の伸長度、GPへのMGLの結合性、及び擬ウイルスのin vitroでの感染性という3点について明確な違いを見出す事に成功した。さらにこの原因として、GPのN-結合型糖鎖の伸長度の違いがGPのN末端側33-50番目という18アミノ酸配列によって規定されている事を明らかにした。本研究の成果の重要な点として、第一に糖タンパク質糖鎖の構造が、生合成に関わる糖転移酵素の種類や相対量とは全く別の、糖タンパク質の一部のアミノ酸配列によって規定されるという、常識を覆す発見であること、第二に結果として糖鎖構造の違いがウイルスの感染力(致死性)を理解するという医学的に重要な問題の解決に寄与すること、の二つが示されている。

本論文は、序論、研究内容、総論、実験方法、図表の5部からなり、第2部が主要な部分である。第2部は3章からなり、第1章は感染性の違いをもたらすGPのアミノ酸配列について、第2章はGPのアミノ酸配列が糖鎖伸長を制御することが詳細な糖鎖構造解析から見出された経緯について、第3章は糖鎖伸長度がGPの一部のアミノ酸配列によって制御される機構を明らかにする種々の試みについて記載している。

第2部の第1章は、エボラウイルスの異なるウイルス種間におけるMGLを介した感染性の違いを決定付けるGPの構造的な特徴の同定と題して、感染性の違いを決定づけるGPのアミノ酸配列の同定に取り組んだ結果が述べられている。GPのN-末端側の33-50、33-186番目のアミノ酸配列に着目し、ザイールのGP(ZGP)とレストンのGP(RGP)のN-末端側33-50、または、33-186番目のアミノ酸配列を互いに置換したキメラ型GPを作製し、感染性、MGLとの結合性を評価した。その結果、ZGPの一部をRGPの配列に置換したキメラ型GP(R33-50、R33-186)では感染性、結合性が減少し、逆にRGPの一部をZGPの配列に置換したキメラ型GP(Z33-50、Z33-186)では感染性、結合性が増加した。以上の結果から、GPのN-末端側の33-50番目という、わずか18アミノ酸配列がザイールエボラウイルスとレストンエボラウイルスのMGLを介した感染性の違いに重要であることが示された。

第2部の第2章ではGPの特定アミノ酸配列が糖鎖修飾に与える影響をZGP、RGP及びキメラGPの糖鎖構造解析によって明らかにした。GPにはN-結合型、O-結合型糖鎖の2種類の糖鎖が付加されている。糖タンパク質からN-結合型糖鎖のみを特異的に切り出す糖分解酵素、Peptide:N-glycosidaseFでZGP、RGPを処理した前後でのGPへのMGLの結合性の変化を調べた結果、ZGPではN-結合型糖鎖を除去してもMGLの結合性が変化しないのに対し、RGPではN-結合型糖鎖の除去によってMGLの結合性が増加した。GPに付加されたN-結合型糖鎖の構造を解析すると、ZGPに比べRGPでは伸長したN-結合型糖鎖の割合が多いことがわかった。さらに、ZGPの一部をRGPの配列に置換したR33-50とR33-186の糖鎖構造を見ると、伸長したN-結合型糖鎖の割合が増加した。一方、RGPの配列の一部をZGPの配列に置換したZ33-50、Z33-186においては、伸長した糖鎖の割合が減少した。これらの結果から、GPのN一末端側33-50番目のアミノ酸配列は、GPに付加されるN-結合型糖鎖の伸長パターンを制御していることが明らかになった。また、RGPに特徴的なGPの伸長型のN-結合型糖鎖の存在がMGLとの結合性を低下させることが強く示唆された。

第2部の第3章では、GPの一部のアミノ酸配列がN-結合型糖鎖の伸長を制御する分子メカニズムの解明に取り組んだ結果が述べられている。この配列が生合成後のGPの細胞内輸送速度、または、細胞内局在に影響する可能性を考え、細胞内輸送に関しては、GPを産生している細胞において、パルスチェイス実験を行い、生合成と細胞外への放出における経時変化を評価した。その結果、ZGPとRGPとの問で、GPの細胞内輸送速度に差はみられなかった。GPの細胞内局在と糖鎖生合成に関わる糖転移酵素の局在との関係を調べることとし、β-1,4-ガラクトース転移酵素とGPの局在を共焦点顕微鏡により観察した。ZGPの発現細胞ではβ一1,4一ガラクトース転移酵素が細胞膜付近に移動したが、RGP発現細胞ではGPを発現していない細胞と同じくゴルジ装置付近に分布した。興味深い違いであったが、この違いはN-末端側33-50番目のアミノ酸配列を置換してキメラ化したGPにおいても見られ、N-結合型糖鎖の伸長パターンを制御する機構ではないことが明らかになった。

以上のように、本研究を通し、MGLを介したザイールとレストンの感染性の違いにはGPのN-末端側33-50番目という18アミノ酸配列が規定しており、その配列はGPのN-結合型糖鎖の伸長を制御していることを糖鎖構造解析によって明らかにした。本研究によって、GP中の18アミノ酸がGP全体への糖鎖修飾を制御し、その結果、GPと標的細胞表面分子との相互作用が調節され、最終的に、エボラウイルスの種間での感染性の違いが制御されていることが示された。エボラウイルスに感染したヒトに対する有効な治療法は現存しないため、本研究で得られた結果が、その開発に貢献することも期待される。これらの結果は糖鎖生物学、ウイルス学、感染症学及び免疫学に資するところが大である。よって、本研究を行った藤平陽彦は博士(薬学)の学位を得るにふさわしいと判断した。

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