学位論文要旨



No 129484
著者(漢字) 吉田,綾子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシダ,アヤコ
標題(和) マウス神経発生後期におけるカスパーゼ活性の生後脳発達への寄与の解明
標題(洋)
報告番号 129484
報告番号 甲29484
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 博薬第1525号
研究科 薬学系研究科
専攻 統合薬学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 三浦,正幸
 東京大学 教授 村田,茂穂
 東京大学 教授 岩坪,威
 東京大学 准教授 池谷,裕二
 東京大学 准教授 富田,泰輔
内容要旨 要旨を表示する

【序】

アポトーシスは、無脊椎動物からほ乳類動物まで、発生中に様々な器官で多く見られる細胞死の主要な様式である。アポトーシス実行因子カスパーゼの活性制御因子Apaf-1 やCaspase-9 欠損個体はアポトーシス不全になり、神経管閉鎖不全などの重篤な神経発生異常を来す。これらの知見から、アポトーシスは神経管閉鎖以前の神経発生初期に重要な役割を果たすことが示唆されていた。しかし、胎生後期から生後(神経発生後期)にも神経系では多くのアポトーシスが起きるにも関わらず、その意義はこれまで殆ど明らかにされていない。恒常的に全身でカスパーゼが欠損したマウスでは、神経発生後期以降に神経系での異常が見られたとしても、カスパーゼ活性が重要な鍵となる時期や部位の特定が困難であった。また、単一カスパーゼ遺伝子欠損時には、類似機能を持つ他のカスパーゼが補償的に活性化することも報告されており、アポトーシスが十分に阻害されていない可能性がある(図1)。そこで私は、カスパーゼ阻害タンパク質を神経系特異的かつ神経管閉鎖後の時期特異的に発現させることにより、広範なスペクトラムのカスパーゼを阻害し、カスパーゼ活性の神経発生後期での意義を明らかにすることを目的とした。

【方法と結果】

<p 3 5 - V e n u s マウスを用いた実験系の構築>

カスパーゼ阻害タンパク質の中枢神経系特異的発現系として、私は当研究室で新たに作出したp35-Venus マウスを用いた(図2,A)。p35-Venus は、バキュロウイルス由来のカスパーゼ活性阻害因子p35 タンパク質と蛍光蛋白質Venus との融合タンパク質である。このマウスでは、p35-Venus 発現制御にCre-loxP システムを利用しており、組換え酵素Creが発現した細胞およびその子孫細胞のみでp35-Venus タンパク質が発現する。従って、任意の時期・組織でCre を発現するマウス系統とp35-Venus マウスをかけ合わせることにより、任意の時期・器官でp35-Venus を発現させることができる。さらにその発現部位はVenusの蛍光により容易に可視化される。

まず私はp35-Venus マウスの評価を行った。p35-Venus 個体から作成した胎児繊維芽細胞(MEF)にCre 発現型アデノウイルスを感染させたところ、Cre タンパク質存在下でのみ、p35-Venus の発現が認められた(図2, B)。また、生体内でのp35-Venus の発現は以下のような方法で確認した。Cre の組換え活性をTamoxifen により誘導できるCreERT2 を神経幹細胞特異的に発現するNestin-CreER(T2)系統マウスからNestin-CreER(T2);p35-Venus マウスを作出した。その雄個体と交配した野生型雌個体の妊娠期胎生(E)10.5 日にTamoxifen を投与して胎児脳でのp35-Venus 発現を解析したところ、Nestin-CreER(T2):p35-Venus 胎児でのみp35-Venus の発現が認められた。これらの結果から、p35-Venus をCre 依存的に発現するマウス系統が作出出来たことが確認された。次に、生体内でのp35-Venus の発現が本当にカスパーゼ活性を抑制するかを調べるため、DNA 障害性薬剤であるAraC を用いて、神経幹細胞にアポトーシスを誘導した際の脳でのカスパーゼ活性を測定した。既述の実験と同様に、Nestin-CreER(T2):p35-Venus 雄個体と交配した野生型雌個体の胎児にE10.5 からp35-Venusを発現させ、E14.5 でAraC を投与した。6時間後に脳を摘出してタンパク質を抽出し、蛍光カスパーゼ基質と反応させてカスパーゼ活性を測定した。その結果、同腹仔の脳に比べてNestin-CreER(T2):p35-Venus 個体の脳ではカスパーゼ活性が有意に抑制されていた(図2,C:p<0.01)。従って、p35-Venus 発現により生体内のカスパーゼ活性が抑制できることが示唆された。

<神経発生後期のカスパーゼ活性は脳の生後発達に重要である>

次に私は、カスパーゼが神経管閉鎖以降の正常な神経発生にどのような役割を果たすのかを明らかにするため、神経発生後期以降に脳全体でp35-Venus を発現するマウス系統(Nestin-Cre;p35-Venus)を解析した。Nestin-Cre;p35-Venus 個体はほぼメンデル比に従って出生したが、生後に同腹仔に比べて著しく低体重を示し(図3,A)、多くが生後(P)1週間~2ヶ月で死亡した(図3,B)。そこで、Nestin-Cre;p35-Venus 個体の脳を観察したところ、その多くが水頭症の症状を示した(図3,C)。水頭症は脳の発生・発達障害の一つで、脳内の空洞部位(脳室)を満たす脳脊髄液が何らかの理由で滞留し、亢進した脳圧により脳室拡大と様々な部位の萎縮が引き起こされた状態である(図3,D)。Nestin-Cre;p35-Venus 個体での水頭症の発症時期を特定するため、新生児個体の側脳室に注入した染色液が延髄領域まで到達するかを調べた(図3,E)。その結果、P0 ではNestin-Cre;p35-Venusマウスでもコントロール個体と同様、脳の後部まで染色液が到達していたが、P10 では多くのNestin-Cre;p35-Venus 個体で到達しなかった。従って、Nestin-Cre;p35-Venus マウスでは、生後0 日から10 日の間に脳脊髄液の撹乱が生じ、これが重篤な水頭症を誘発することが示唆された。

<E 1 2 . 5 以降の神経系でのp 3 5 - V e n u s 発現が水頭症を引き起こす>

Apaf-1 の変異体や、Caspase-9 欠損個体のうち、何らかの理由で胎生致死を免れた個体(サバイバー)の一部は生後水頭症を発症することが知られている。しかし、この水頭症の原因が神経管閉鎖異常に起因するか否かは不明である。Nestin-Cre 系統はE9.5 からCre 組換え酵素を発現し、神経管閉鎖終了前には殆ど組み換えが起きないと考えられたが、実際にはNestin-Cre;p35-Venus マウスでも、神経管閉鎖終了直前に一部の細胞でp35-Venus を発現していた。従って、Nestin-Cre;p35-Venus マウスの水頭症発症の原因が、中枢神経発生のどの時期のp35-Venus の発現であるかは不明であった。そこで、神経管閉鎖終了後十分時間が経過したE12.5 から中枢神経系でp35-Venus 発現を誘導し、水頭症を発症するか否かを調べた。このため、Nestin-CreERT2;p35-Venus 雄個体と交配した野生型雌個体にE12.5 でTamoxifen を投与し、生後の水頭症発症率を調べた(図4,A)。その結果、Tamoxifen を投与されたNestin-CreERT2;p35-Venus 個体の多くが水頭症を発症した(図4,B:n=5/6)。従って、Nestin-Cre;p35-Venus 個体が水頭症になる原因は神経管閉鎖の異常ではないことが示唆された。一方、E16.5 でTamoxifen を投与した場合はNestin-CreERT2;p35-Venus 個体は水頭症を発症しなかった(図4,B:n=0/5)。ゆえに、E12.5 からE16.5 の間に神経幹細胞から産まれる細胞でのp35-Venus 発現が水頭症を誘発することが示唆された。

【まとめと考察】

本研究において私は、まずp35-Venus により生体内でのカスパーゼ活性が抑制され得ることを示した。次に、神経発生後期に神経系全体でp35-Venus を発現するNestin-Cre;p35-Venus マウスは、その多くが出生後数日のうちに脳脊髄液の流れが撹乱され、重篤な水頭症を発症することを明らかにした。更に、この水頭症の発症には、E12.5 以降に神経幹細胞から生じる細胞でのカスパーゼ抑制が関与することも明らかにした。これらの結果は、脳の正常な生後発達には、神経管閉鎖後の脳神経細胞系譜でのカスパーゼ活性が重要であることを示唆している。故に、既に知られていた神経管閉鎖における機能とは別に、カスパーゼ活性には、神経系細胞の分裂・分化や回路形成といった中枢神経系の発生過程、あるいは脳全体の恒常性の維持等に重要な役割を果たす可能性がある。

本研究において、これまでの結果からは、どの細胞種のp35-Venus 発現が水頭症を誘発するかまでは明らかに出来ていない。しかし、Nestin-CreERT2;p35-Venus マウスやCAG-CreERT2;p35-Venus マウスを用いてp35-Venus 発現時期を操作すれば、カスパーゼ活性の抑制が水頭症を引き起こす臨界期を明らかに出来ると考えられる。臨界期から、水頭症の原因となる細胞種を推察することが可能である。今後、この細胞種特異的Cre 系統や、子宮内電気穿孔法等を利用して特定の領域/細胞種にp35-Venus を発現させることで、神経発生後期のp35-Venus 発現が水頭症を誘発する原因を明らかにすることが出来ると考えられる。

ヒトでは、現在のところ水頭症の発症メカニズムは殆どわかっていない。本研究で得られたアポトーシス及びカスパーゼ活性制御が水頭症発症に関与するという知見は、水頭症の予防や新たな治療法の手がかりとなることが期待される。

図1

図2 (A)p35-Venus系統の模式図。(B)p35-Venus個体由来MEFにアデノウイルスを用いてCreを発現させ、抗GFP及び抗p35抗体染色が同一細胞で陽性になることを確認した(矢印)。(C)カスパーゼ活性化刺激後のNestin-CreER(T2);p35-Venus個体胎児脳では、DEVDase活性が同腹仔より著しく低かった。

図3 (A)Nestin-Cre; p35-Venus個体は出生時は同腹仔と同程度の体重を示したが、生後(P)10では著しい成長遅延を示した(p<0.005)。(B)Nestin-Cre; p35-Venusマウスは生後4週までに約6割が死亡した。(C)生後2ヶ月の個体の脳矢状断面Nestin-Cre; p35-Venus個体では側脳室が著しく肥大し(矢印)、重篤な水頭症の症状を示した。(D)脳脊髄液流路。側脳室から第三脳室、中脳水道、第四脳室を通り脊髄まで到達する。(E)PO,5,10で側脳室に染色液を注射した脳。POではNestin-Cre;p35-Venus個体でも同腹仔と同様延髄領域まで染色液が到達したが(PO:矢印)、P10では殆どの個体でほとんど染色されなかった(P10:黄抜き矢印)。数字は非到達個体数/全個体数。

図4 (A)TamoxifenによりNestin-CreER(T2); p35-Venus個体の中枢神経系全体で、特定の時期からp35-Venusの発現を誘導したNestin-CreER(T2); p35-Venus個体でも重篤な水頭症の発症が認められた。一方で、E16.5で誘導した場合は水頭症を誘導しなかった。*は肥大した側脳室。

審査要旨 要旨を表示する

アポトーシスは、無脊椎動物からほ乳類動物まで、発生中に様々な器官で多く見られる細胞死の主要な様式である。アポトーシス実行因子カスパーゼの活性制御因子Apaf-1やCaspase-9欠損個体が神経管閉鎖不全などの重篤な神経発生異常を来すことから、アポトーシスは神経管閉鎖以前の神経発生初期に重要な役割を果たすことが示唆されていた。しかし、胎生後期から生後(神経発生後期)にも神経系では多くのアポトーシスが起きるにも関わらず、その意義はこれまで殆ど明らかにされていない。恒常的に全身でカスパーゼが欠損したマウスでは、神経発生後期以降に神経系での異常が見られたとしても、カスパーゼ活性が重要な鍵となる時期や部位の特定が困難であった。またぐ単一カスパーゼ遺伝子欠損時には、類似機能を持つ他のカスパーゼが補償的に活性化することも報告されており、アポトーシスが十分に阻害されていない可能性がある。そこで本研究は、カスパーゼ阻害タンパク質を神経系特異的かっ神経管閉鎖後の時期特異的に発現させることにより、広範なスペクトラムのカスパーゼを阻害し、カスパーゼ活性の神経発生後期での意義を明らかにすることを目的とした。

本研究においてはカスパーゼ阻害タンパク質の中枢神経系特異的発現系どして、当研究室で新だに作出したp35-Venusマウスを用いた。p35-Venusは、バキュロウイルス由来のカスパーゼ活性阻害因子p35タンパク質と蛍光蛋白質Venusとの融合タンパク質である。このマウスでは、p35-Venus発現制御にCre-loxPシステムを利用しており、任意の時期・組織でCreを発現するマウス系統を用いることで、任意の時期・器官でp35-Venusを発現させることができる。さらにその発現部位はVenusの蛍光により容易に可視化される。本研究では始めにp35-Venusマウスの評価を行った。まず、生体内でのp35-Venusの発現を以下のような方法で確認した。Creの組換え活性をTamoxifenにより誘導できるCreER(T2)を神経幹細胞特異的に発現するNestin-CreER(T2)系統マウスからNestin-CreER(T2);p35-Venusマウスを作出した。その雄個体と交配した野生型雌個体の妊娠期胎生(E)10.5日にTamoxifenを投与して胎児脳でのp35-Venus発現を解析したところ、Nestin-CreER(T2):p35-Venus胎児でのみp35-Venusの発現が認められた。従って、p35-VenusをCre依存的に発現するマウス系統が作出出来たことが確認された。次に、生体内でのp35-Venusの発現が本当にカスパーゼ活性を抑制するかを調べるため、神経幹細胞にアポトーシスを誘導した際の脳でのカスパーゼ活性を測定した。既述の実験と同様に、Nestin-CreER『2'P35一アenus雄個体と交配した野生型雌個体の胎児にE1O.5からp35-Venusを発現させ、E14.5でDNA障害薬剤AraCを投与した。脳からタンパク質を抽出し、蛍光カスパーゼ基質と反応させてカスパーゼ活性を測定した。その結果、同腹仔の脳に比べてNestin-CreER(T2):p35-Venus個体の脳ではカスパーゼ活性が有意に抑制されていた(p<0.01)。従って、p35-Venus発現により生体内のカスパーゼ活性が抑制できることが示唆された。

本研究では次に、カスパーゼが神経管閉鎖以降の正常な神経発生にどのような役割を果たすのかを明らかにするため、神経発生後期以降に脳全体でp35-Venusを発現するマウス系統(Nestin-Cre;p35-Venus)を解析した。Nestin-Cre;p35-Venus個体はほぼメンデル比に従って出生したが、生後に同腹仔に比べて著しく低体重を示し、多くが生後(P)1週間~2ヶ月で死亡した。このマウスは多くが水頭症の症状を示した。水頭症は脳の発生・発達障害の一つで、脳内の空洞部位(脳室)を満たす脳脊髄液が何らかの理由で滞留し、亢進した脳圧により脳室拡大と様々な部位の萎縮が引き起こされた状態である。Nestin-Cre;p35-Venus個体での水頭症の発症時期を特定するため、新生児個体の側脳室に注入した染色液が延髄領域まで到達するかを調べた。その結果、POではNestin-Cre;p35-Venusマウスでもコントロール個体と同様、脳の後部まで染色液が到達していたが、P10では多くのNestin-Cre;p35-Venus個体で到達しなかった。従って、Nestin-Cre;p35-Venusマウスでは、生後0日から10日の間に脳脊髄液の撹乱が生じ、これが重篤な水頭症を誘発することが示唆された。

Nestin-Cre系統はE9.5からCre組換え酵素を発現し、神経管閉鎖終了前には殆ど組み換えが起きないと考えられたが、実際にはNestin-Cre;p35-Venusマウスでも、神経管閉鎖終了直前に一部の細胞でp35-Venusを発現していた。従って、Nestin-Cre;p35-Venusマウスの水頭症発症の原因が、中枢神経発生のどの時期のp35-Venusの発現であるかは不明であった。そこで、神経管閉鎖終了後十分時間が経過したE12.5から中枢神経系でp35-Venus発現を誘導し、水頭症を発症するか否かを調べた。このため.Nestin-CreER(T2);p35-Venus雄個体と交配した野生型雌個体にE12.5でTamoxifenを投与し、生後の水頭症発症率を調べた。その結果、Tamoxifenを投与されたNestin-CreER(T2);p35-Venus個体の多くが水頭症を発症した(n=5/6)。従って、Nestin-Cre;p35-Venus個体が水頭症になる原因は神経管閉鎖の異常ではないことが示唆された。一方、E16.5でTamoxifenを投与した場合はNestin-CreER(T2);p35-Venus個体は水頭症を発症しなかった(n=0/5)。ゆえに、E12.5からE16.5の問に神経幹細胞から産まれる細胞でのp35-Venus発現が水頭症を誘発することが示唆された。

既存の研究では、神経管閉鎖より前の脳の発生過程においてアポトーシスが重要な役割を果たすことは知られていたが、その後のアポトーシスの意義は殆ど知られていなかった。本研究から、脳の正常な生後発達には、神経管閉鎖後の脳神経細胞系譜でのカスパーゼ活性が重要であることが初めて示唆された。故に、既に知られていた神経管閉鎖における機能とは別に、カスパーゼ活性には、神経系細胞の分裂・分化や回路形成といった中枢神経系の発生過程、あるいは脳全体の恒常性の維持等に重要な役割を果たす可能性がある。また、ヒトでは、現在のところ水頭症の発症メカニズムの解明はあまり進んでいない。本研究で得られたアポトーシス及びカスパーゼ活性制御が水頭症発症に関与するという知見は、水頭症の予防や新たな治療法の手がかりとなることが期待される。以上より、本研究は博士(薬学)の学位に値すると判定した。

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