学位論文要旨



No 129504
著者(漢字) 和泉,篤士
著者(英字)
著者(カナ) イズミ,アツシ
標題(和) フェノール樹脂の架橋ネットワーク不均一性
標題(洋) Cross-link Inhomogeneity of Phenolic Resins
報告番号 129504
報告番号 甲29504
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第849号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 准教授 横山,英明
 東京大学 准教授 野口,博司
 東京大学 准教授 松浦,宏行
内容要旨 要旨を表示する

1. 緒言

1907年にBaekelandによって発明されたフェノール樹脂は世界で初めて人間の手によって合成されたプラスチックであり、機械特性、絶縁性、耐熱性、耐溶剤性に優れる不溶不融の熱硬化性樹脂として、発明から100年以上経過した現在においても、電気、自動車、住宅など様々な産業分野で利用されている。樹脂の基本構造は三官能性のフェノールがメチレン結合を介して三次元に架橋したネットワーク構造である。その架橋ネットワークは、特に樹脂の機械特性に影響を与えていると推察され、弾性率や強度を最大限に引き出す材料設計には、架橋構造の把握が特に重要と考えられる。

フェノール樹脂の架橋構造と物性の相関に関する研究は、1936年にde BoerとHouwinkらによってなされた問題提起によって始まった[1,2]。de Boerはフェノール樹脂の弾性率を理論計算し、樹脂中の反応点が全て反応した完全架橋体の弾性率が110GPaになるという推算値を報告した。しかしながら、一般的なフェノール樹脂の実験値は5-6GPaである。Houwinkはこの理論値と実験値との大幅な乖離の要因について考察し、フェノール樹脂には架橋ネットワークの不均一性(以下、不均一性と称す)が構造欠陥として存在するとの仮説を提案した。

熱硬化性樹脂の構造解析は、電子顕微鏡の登場によって1950年代から盛んとなり、走査型電子顕微鏡(SEM)や透過型電子顕微鏡(TEM)を用いた破断面モルフォロジーの観察結果が多数報告されるようになった。その結果、フェノール樹脂やエポキシ樹脂などの熱硬化性樹脂の破断面には、共通して数十~数百nmサイズの粒子状構造体(nodule)が存在することが明らかとなった[3]。このnoduleと熱硬化性樹脂の不均一性の関連について多くの議論がなされた結果、相反する二つの仮説が形成された。それは、noduleと不均一性は関連がなくnoduleは樹脂の破壊現象そのものに起因するモルフォロジーであるという仮説[4]、および両者には密接な関連がありnoduleは不均一性の存在そのものを示すという仮説である[5]。前者は、ポリスチレンなどの架橋ネットワーク構造を有さない熱可塑性樹脂の破断面にも同様のモルフォロジーが観察されるという実験結果、およびnodularのサイズに相当する不均一性が小角中性子・X線散乱(SANS, SAXS)で観測されないという実験結果によって支持されている。後者は、熱硬化性樹脂には架橋密度の粗密が存在し、noduleは架橋密度の高いドメインであるという仮説に基づくものであり、破断面に観察されるnoduleのモルフォロジーは、nodule-nodule間の架橋密度の低いドメインで樹脂の破壊が進展した結果であるという主張である。この仮説は主にSEMやTEMによる多数の研究によって支持されている。一方、熱硬化性樹脂の不均一性に関するSANSやSAXSの研究例は限られ、実験によって得られる散乱関数が十分に検証されていないこともあり、多くの研究が後者の仮説のもとに進められているのが現状である。しかしながら、いずれの仮説においても、不均一性の存在を直接的に示す実験データがまだ存在しないため、熱硬化性樹脂における不均一性の解明は、プラスチックの発明から100年が経過した現在においても残る重要な未解決課題である。

我々はこれらの熱硬化性樹脂の構造解析に関する先行研究を踏まえ、フェノール樹脂の不均一性解明における次の課題に着目した。すなわち、(i)不溶不融という分析上の制約によって構造解析が困難なため、硬化物の架橋構造と機械特性の相関が未だ示されていない、(ii)構造解析の研究対象は、殆どが熱硬化反応後の硬化構造であり、架橋ネットワークが形成される初期過程も含めた構造解析が不十分、かつ不溶不融化した硬化物において不均一性が観測されないというSAXSおよびSANS解析結果についての議論が不十分である、という点である。本研究ではこれらの課題を踏まえ、(i)分子動力学(MD)シミュレーションを用いた架橋構造と弾性率の相関に関する理論的な解明、(ii)高分子ゲルの不均一性解析において特に有効な動的光散乱(DLS), SANS, SAXSを用い、モノマーから架橋ネットワークが形成される一連の過程(重縮合反応による可溶オリゴマーの成長、ゲル化反応による不溶化、熱硬化反応による不融化)についての精密構造解析を行った。

2. 論文各章の概要

以下に、本論文の各章における概要を記述する。

第1章では、イントロダクションとして、フェノール樹脂に関する歴史的な研究背景、熱硬化性樹脂としての構造解析研究における課題とその要因について考察し、本研究テーマとして取り上げた架橋ネットワーク構造の不均一性把握の重要性について記述した。

第2章では、全原子MDシミュレーションを用い、フェノール樹脂の架橋構造と弾性率の相関について解析した。樹脂の架橋ネットワーク構造は機械特性に影響を与えていると推察されるが、構造解析が実験的に困難であるため、相関については未だ明らかとなっていない。そこで、実験的制約のないMDシミュレーションを用い、構造物性相関の解明を試みた。その結果、架橋度の上昇によって、ポアソン比が低下し、弾性率およびガラス転移温度が上昇する結果が得られ、これらの物性と架橋構造との間に明確な相関が存在することが示された。更に、この結果について一軸伸長変形時のポテンシャルエネルギー変化の観点から考察した結果、架橋構造によって局所的な分子運動が抑制されることを明らかとした。

一方、フェノール樹脂の弾性率について、実験的には架橋剤量と弾性率の相関が確認できないことが指摘されている。すなわち、実験結果がシミュレーション結果と異なる要因として、実験で得られるフェノール樹脂における不均一性の存在が示唆される。この不均一性の実験的な解明のため、第3章以降では、光・中性子・X線散乱を用いた不均一性の解析について記述した。

第3章では、DLSおよびSANSを用い、可溶フェノール樹脂オリゴマーに関する分子鎖成長過程の構造解析を行った。様々な原料仕込み比および反応時間で得たオリゴマーに関してDLSおよびSANS測定を行い、希薄溶液中における慣性半径(Rh)をStokes-Einstein式により、準希薄溶液中における相関長(ξ)をOrnstein-Zernike (OZ)式により求めた。これらの値を、ゲル浸透クロマトグラフィー(GPC)によって求めたz平均分子量(Mz)と比較した結果、RhとξはいずれもMzとの間に冪乗則の相関関係(Rh ~ Mz(0.57), ξ ~ Mz(0.27))を示すことを見出した。この解析結果から、検討した種々の合成条件において、フェノール樹脂の可溶オリゴマーは平均分子量に対して自己相似的な構造を有していることを明らかとした。

第4章では、13C-NMRおよびSAXSを用い、フェノール樹脂のゲル化過程の構造解析を行った。フェノール樹脂がゲル化により不溶化する過程の反応度変化を13C-NMRにより解析した結果、架橋剤の量によって異なるゲル化のメカニズムが存在することを示唆する結果を得た。そこで、樹脂をTHF中で溶解もしくは平衡膨潤させた試料を用い、反応に伴う散乱関数変化をSAXSにより解析した。架橋の粗密を有するフェノール樹脂が膨潤した場合、相対的に架橋密度が高いドメインの膨潤度が低くなるため、不均一性が観測されることが期待される。その結果、ゲル化前の散乱関数はOZ式により、ゲル化後の散乱関数は不均一性を示す項としてSquared-Lorentz (SL)式をOZ式に加えた関数により、各々フィッティング可能であり、ゲル化過程で不均一性が発現することを実験的に示すことに成功した。更に、フィッティングパラメータとして得られた相関長の反応時間変化を詳細に解析した結果、(a)架橋剤が少ない系では、ゲル化時に大きなクラスター(ゲル内部の架橋密度の高いドメイン)が生成し、次にそのクラスター内部の網目が緻密化する反応が進行する、(b)架橋剤が多い系では、ゲル化時に小さなクラスターが多数生成し、それらが互いに結合しながらクラスターが巨大化する、という架橋剤の量によって異なる不均一性の発現および成長メカニズムが存在することを明らかとした。

第5章では、第6章で詳細に述べるフェノール樹脂硬化物の構造解析に必要となる重水素化フェノール樹脂オリゴマーの合成と特性解析について記述した。高分子の高次構造解析における樹脂のラベル化手法として、重水素化は簡便かつ極めて有効な手法であるが、樹脂の分子量分布やコンフォメーション、反応性などが重水素化の影響を受けないことを示す必要がある。そこで、蓚酸存在下、重水素化フェノールと重水素化ホルムアルデヒドの重縮合反応により重水素化オリゴマーを合成し、GPC, NMR, FT-IR, DSC測定などによって、化学構造、分子量分布、溶液中のコンフォメーション、および硬化剤(ヘキサメチレンテトラミン(HMTA))との反応性が、非重水素化原料を用いて合成したオリゴマーと同等とみなせることを確認した。更に、得られた重水素化オリゴマーは非干渉性中性子散乱の少ないマトリックス樹脂であることをSANS測定によって確認した。

第6章では、SANSおよびSAXSを用い、不溶不融のフェノール樹脂硬化物の構造解析を行った。硬化物中の架橋ネットワーク構造における架橋点の分散状態をSANSにより解析するため、非重水素化硬化剤HMTAを用いて重水素化フェノール樹脂オリゴマーを硬化した。硬化反応は、HMTAの分解により生成するCH2基が重水素化樹脂同士を架橋する反応であるため、架橋点CH2とマトリクス樹脂との間でH/Dコントラストを有する硬化物が得られる。SANSによって得た散乱関数が、硬化剤量(官能基当量比 = 0, 0.5, 1)によらずI(q) ~ q(-3.5)の冪乗則を示したことにより、架橋点は観測領域3-1600 nmにおいてランダム分散していることが明らかとなった。更に、冪乗則をもたらす因子について考察するためSAXS測定も行い、SANSおよびSAXSの散乱関数を解析することによって、散乱の要因が樹脂と空孔との散乱長密度コントラストであり、圧縮成形で作製した樹脂中には数十~数百nmオーダーの空孔が存在することを明らかとした。これらの結論は、SANSやSAXSによる熱硬化性樹脂硬化物の解析において十分な議論がなされていなかった冪乗則を与える散乱関数の起源を初めて明らかとした結果であり、中性子およびX線の相補解析によってのみ解明することが可能な結論である。

3. 結言

フェノール樹脂における架橋ネットワーク不均一性の解明を目的とし、(i)MDシミュレーションによる架橋構造と応力歪挙動の解析、および(ii)光・中性子・X線散乱法によるオリゴマー成長~ゲル化~熱硬化の一連の過程についての構造解析を行った。その結果、これまで明確に示されていなかった架橋構造と機械特性の相関の存在をMDシミュレーションにより初めて明らかとした。更に、フェノール樹脂オリゴマーが自己相似的な構造を維持して成長した後、ゲル化過程において不均一性が発現することを初めて明らかとした。更に、その不均一ドメインの成長挙動に関して、架橋剤量によって異なる成長メカニズムが存在することを明らかとした。一方、不溶不融となった硬化物においては、架橋点が3-1600 nmにおいてランダム分散していることをSANSおよびSAXSによる相補解析により明らかとした。これらの研究成果は、人類が初めてプラスチックを発明してから100年以上が経過して初めて解明することに成功したものである。

また、本研究の構造解析手法は、高分子ゲルの不均一性解析手法を熱硬化性樹脂に応用したものであり、熱硬化性樹脂における不均一性解明のための新しい方法論として有効であることが示された。未だ解明されていない課題の多い熱硬化性樹脂の構造において、本研究で示した解析手法を用いることで、熱硬化性樹脂の構造物性相関の更なる解明および樹脂の高性能化が今後大いに期待される。

References : (1) J. H. de Boer, Trans. Faraday Soc., 1936, 32, 10-37. (2) R. Houwink, Trans. Faraday Soc., 1936, 32, 122-131. (3) E. H. Erath and R. A. Spurr, J. Polym. Sci., 1959, 35, 391-399. (4) K. Dusek, J. Plestil, F. Lednicky and S. Lunak, Polymer, 1978, 19, 393-397. (5) J. Mijovic and J. A. Koutsky, Polymer, 1979, 20, 1095-1107.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は、フェノール樹脂が有する三次元の架橋ネットワーク構造について、不均一性という観点から精密構造解析を行った研究についてまとめたものであり、6章より構成される。第1章では研究背景と目的、第2章では分子動力学(MD)シミュレーションを用いた理論的な構造物性相関の研究、第3章から第6章では光・中性子・X線散乱を主体とした実験的な構造解析の研究について述べられている。各章の概要は以下のとおりである。

第1章では、序論としてフェノール樹脂に関する歴史的な研究背景、熱硬化性樹脂としての構造解析研究における課題とその要因について考察し、本研究テーマとして取り上げた架橋ネットワーク構造の不均一性把握の重要性について述べられている。

第2章では、全原子MDシミュレーションを用いたフェノール樹脂の架橋構造と弾性率の相関解析について記述されている。不溶不融となった樹脂の架橋ネットワーク構造は実験的に解析が困難であるため、この相関については未だ明らかとなっていない。そこで、実験的制約のないMDシミュレーションを適用した結果、ポアソン比、弾性率、ガラス転移温度などの物性と架橋構造との間に明確な相関が存在し、更に架橋構造によって局所的な分子運動が抑制されるということを明らかとした。

第3章では、動的光散乱および小角中性子散乱(SANS)を用いた可溶フェノール樹脂オリゴマーの分子鎖成長過程の構造解析について記述されている。様々な原料仕込み比および反応時間で得たオリゴマーに関して、希薄溶液中における慣性半径および準希薄溶液中における相関長が平均分子量との間に冪乗則の相関関係にあることを見出し、フェノール樹脂の可溶オリゴマーは平均分子量に対して自己相似的な構造を有していることを明らかとした。

第4章では、13C-NMRおよび小角X線散乱(SAXS)を用いたフェノール樹脂のゲル化過程の構造解析について記述されている。フェノール樹脂オリゴマーがゲル化する過程について、NMRによる反応度変化の解析およびSAXSによる反応に伴う散乱関数変化の解析を行なっている。溶媒膨潤法を利用したハイドロゲルの不均一性解析手法を適用した結果、フェノール樹脂の架橋ネットワークにおける不均一性の存在を初めて実験的に明らかとすることに成功し、架橋剤の量によって異なる不均一性の発現および成長メカニズムが存在することを明らかとした。本章の解析手法は、熱硬化性樹脂における不均一性解明のための新しい方法論の提案として非常に興味深いものである。

第5章では、第6章で詳細に述べるフェノール樹脂硬化物の構造解析に必要となる重水素化フェノール樹脂オリゴマーの合成と特性解析について記述されている。重水素化は高分子の高次構造解析における樹脂のラベル化手法として有効な手法であるが、樹脂の分子量分布やコンフォメーション、反応性などが重水素化の影響を受けないことを示す必要がある。重水素化試薬を用いて合成した重水素化樹脂オリゴマーに関して、化学構造、分子量分布、溶液中のコンフォメーション、および硬化剤(ヘキサメチレンテトラミン(HMTA))との反応性が、非重水素化原料を用いて合成したオリゴマーと同等とみなせることを示している。

第6章では、SANSおよびSAXSを用いた不溶不融のフェノール樹脂硬化物の構造解析について記述している。硬化物の架橋ネットワーク構造における架橋点は、観測領域3~1600nmにおいてランダム分散していること、樹脂中には数十~数百nmオーダーの空孔が存在することを明らかとした。また、これらの結論は中性子およびX線を用いた相補解析によってのみ解明することが可能であるという点で非常に重要な研究結果である。

なお、本論文第2章は中尾俊夫、柴山充弘との共同研究、第3章は竹内健、中尾俊夫、柴山充弘との共同研究、第4章は中尾俊夫、柴山充弘との共同研究、第5章は中尾俊夫、柴山充弘との共同研究、第6章は中尾俊夫、岩瀬裕希、柴山充弘との共同研究であるが、いずれも論文提出者が主体となって実験および解析を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。

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