学位論文要旨



No 129508
著者(漢字) 板東,晃徳
著者(英字)
著者(カナ) バンドウ,アキノリ
標題(和) 環動ゲルの膨潤変形挙動に関する実験的及び理論的研究
標題(洋)
報告番号 129508
報告番号 甲29508
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第853号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 物質系専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕三
 東京大学 教授 雨宮,慶幸
 東京大学 教授 有馬,孝尚
 東京大学 教授 柴山,充弘
 東京大学 准教授 佐々木,岳彦
 東京大学 准教授 横山,英明
内容要旨 要旨を表示する

高分子ゲルとは,内部に溶媒を含んだ高分子の三次元網目構造をもつ物質である.高分子ゲルは主に物理ゲルと化学ゲルに分類される.物理ゲルは架橋点が水素結合,イオン結合,疎水性相互作用などの物理的な相互作用によって形成されるため,一定以上の荷重や変形を加えると一般には流動が起こり,粘弾性流体として振る舞う.一方,化学ゲルは架橋点が共有結合によって形成されており,粘弾性固体として振る舞う.

以前は生成したゲルの分析や,合成したゲルの有効利用ができなかったが,体積相転移の発見以来,外部環境や刺激に応答して変形や物性の変化が起こる刺激応答性ゲルが大きな注目を集めている.また,近年ではゲルの分析に関しても新しい測定法が次々に開発されている.その結果,ゲルの研究は急速に進み,アクチュエータ,ドラッグデリバリシステム,人工軟骨などの様々な応用に利用しようという試みが行われている.

一方で,従来の化学ゲルは機械的強度が非常に弱いという問題を抱えており,産業的な利用はコンタクトレンズなどの一部の用途に限られている.近年では,無機物のクレイナノ粒子を多官能性架橋点として利用したNano Compositeゲル,硬くて脆い高分子網目と柔らかく延伸性のある高分子網目を相互貫入させたDouble-Networkゲル,均一性が極めて高いTetra-PEGゲル,そして,架橋点が軸高分子に沿ってスライドする環動ゲルなど,機械的脆弱性を大幅に改善したゲルが開発されている.

環動ゲルはポリロタキサン(PR)という,軸高分子が複数の環状分子を貫き,末端をかさ高い置換基で封止した高分子から合成される.環動ゲルは異なるPRの環同士を架橋することで得られ,環および架橋点は軸に沿ってスライドできる.そのため,変形によって伸長された鎖が周囲の鎖を引き出すことによって応力が著しく低下される.その結果,20倍を超える高伸長特性や20000倍を超える高膨潤特性を示すことが報告されている.また,機械的強度が高いだけではなく,軸高分子が可動架橋点をすり抜ける運動に起因した新しい粘弾性緩和や,ゲル膜の溶媒透過挙動の非線形性など新奇な現象が観測されている.そのメカニズムの解明も様々なアプローチで進められているものの,まだ十分な理解には至っていない.

本研究の目的は,環動ゲルの可動架橋点が膨潤変形挙動に与える影響を実験および理論の両面から明らかにすることである.我々はまず体積相転移に着目して環動ゲルの膨潤収縮挙動の実験的な研究を行った.その実験結果をもとに,環動ゲルの膨潤変形に関する理論モデルを構築し,実験結果と比較検討した.また,その理論モデルを一軸伸長,光弾性則,伸長誘起膨潤などのゲルの諸変形現象に適用した.

以下,本論文の内容を各章ごとに要約する.

第一章では,イントロダクションとして高分子ゲルの研究動向と,従来の化学ゲルの膨潤変形挙動に関する理論を記述した.

第二章では,体積相転移現象に着目して環動ゲルの膨潤収縮挙動の測定を行った.体積相転移の要因の一つとして,高分子上のイオン基が挙げられる.実験および理論の両面から,ある臨界値よりも高いイオン化度をもつ化学ゲルでは体積相転移が起こることが明らかになっている.そこで,修飾率の異なるスルホン酸化PRの合成を行い,架橋してイオン化度の異なる環動ゲルを得た.エタノール―水混合溶媒中での環動ゲルの膨潤度のエタノール体積分率依存性を光学顕微鏡を用いて測定した.イオン化度が極めて高い環動ゲルにおいて膨潤相と収縮相の共存状態が観測され,体積相転移が起きていることが分かった.しかしながら,体積相転移を起こすのに十分なイオン化度をもつ環動ゲルにおいて,1000倍を超える高い膨潤度を示しながらも連続的な体積変化を示す結果が得られた.実験で得られた臨界イオン化度は,従来の化学ゲルの理論値より3倍程度高くなった.すなわち,環動ゲルは化学ゲルに比べて体積相転移が抑制されることが分かった.

第三章では,環動ゲルの膨潤変形挙動に関する理論モデルを構築し,体積相転移に適用した.まず,網目のつながり方,網目を構成する成分,変形の仕方などによらない一般性の高い形式で理論を整理した.その結果,各鎖の化学ポテンシャルがつり合うように鎖が移動し,環動ゲルに働く応力が化学ゲルと同じ形式で書けることが分かった.環動ゲルと化学ゲルの応力の違いは,架橋点間の鎖長の違いのみによって解釈できる.

環動ゲルの一軸伸長における理論モデルが報告されているが,等方膨潤の場合には鎖の移動が起こらないため化学ゲルと等価になり,実験結果を説明できない.そこで,本研究ではPRの末端に存在するダングリング鎖を考慮したモデルを提案する.ダングリング鎖とは,一方の末端のみが高分子網目につながった鎖で,通常の化学ゲルでは弾性には寄与しない.しかしながら,環動ゲルの場合にはダングリング鎖と弾性に有効な鎖との間で鎖のやりとりが起こり,有効鎖の長さが変化することで間接的に影響を与えることが期待される.また,従来の環動ゲルのモデルで考慮されている未架橋の環の影響を考慮し,軸高分子には伸びきり鎖モデルを用いた.未架橋の環により架橋点は両側から圧力を受け,軸に沿った架橋点のスライド運動は抑制される.伸びきり鎖とは鎖の有限性を考慮した高分子モデルで,伸長によって末端間距離が最大鎖長に近づくと末端に働く力は急激に増大する.

構築した網目モデルを体積相転移に適用したところ,高架橋密度と低架橋密度の場合で挙動が大きく異なることが分かった.高架橋密度の場合,膨潤状態ではダングリング鎖がほとんど余っていないため応力が低下しない.一方で,収縮の際にはダングリング鎖の方に鎖が移動することで応力を低下させる.その結果収縮状態が安定化され,イオン基による過剰な膨潤を緩和することで体積相転移が抑制される.一方で,低架橋密度の場合には,膨潤状態でも鎖のやりとりが起こるため,伸びきり効果が著しく緩和され,膨潤した状態が著しく安定化される.その結果,貧溶媒中でも膨潤した不安定な状態を保ち,体積相転移が促進される.また,未架橋の環の数が減って鎖のやりとりが活発になるほど,体積相転移の抑制あるいは促進が顕著になることが分かった.また,実験で得られたパラメータを用いて計算したところ,体積相転移が抑制され,定性的には実験結果と一致した.しかしながら,定量的には実験で得られた臨界イオン化度とずれが見られた.定量的な不一致は,環動ゲルがミクロ相分離構造をとることによる影響を考慮していないことが要因の一つとして考えられる.

第四章では,構築した網目モデルを一軸伸長における応力伸長曲線,光弾性則,伸長誘起膨潤の諸変形現象に適用した.

まず,ダングリング鎖をもつ場合ともたない場合の一軸伸長の応力伸長曲線を比較した.環動ゲルは伸長された鎖が周囲の鎖を引き出すことで鎖長が長くなり,伸びきり効果を著しく緩和する.ダングリング鎖があるとその分だけ鎖の流入が多くなり,伸びきり効果がより抑制されるが,異方的な変形では変形倍率の異なる有効鎖同士の鎖のやりとりが支配的となり,ダングリング鎖の影響はあまり大きくなかった.この結果は体積相転移の定量的な不一致と関係していると考えられる.すなわち,等方膨潤でもミクロ相分離で不均一になったことによる有効鎖同士の鎖のやりとりを考慮すれば,実験結果と定量的に一致することが期待される.

高分子ゲルを一軸伸長すると,伸長方向と垂直方向とで鎖の配向度が異なるため,分極率が異方的になり,複屈折が起こる.通常の化学ゲルの場合には複屈折が真応力に比例する光弾性則が成り立つことが知られている.本研究で提案するモデルを用いて環動ゲルの複屈折を計算し,光弾性則に関する検討を行った.未架橋の環の数によって,その挙動が劇的に変化することが分かった.まず,未架橋の環が十分ある場合には,環動ゲルにおいても光弾性則が成り立つことが分かった.一方で,未架橋の環が極端に少ない場合には,極めて微小な変形領域とそれよりも伸長倍率の高い線形領域において光弾性係数が異なる値をとることが分かった.これは,未架橋の環の数が極端に少なくなったときに初期弾性率が急激に減少することに由来する.

溶媒中でゲルを一軸伸長したときに,鎖の配向の異方性を緩和するために伸長とは垂直な方向に膨潤が誘起される伸長誘起膨潤が知られている.従来の化学ゲルの場合には,伸長誘起膨潤におけるポアソン比がおよそ0.25の一定の値をとることが実験と理論の両面から知られている.一方,環動ゲルの伸長誘起膨潤では伸長にともなってポアソン比が増加するという異常な挙動を示すことが報告されている.環動ゲルの伸長誘起膨潤の計算を行ったところ,実験結果とよく一致した結果が得られた.ポアソン比が増加するということは,伸長にともなって誘起される膨潤が起こりにくくなることを意味する.環動ゲルの場合には,鎖のやりとりによって異方性の緩和が起こったと解釈することができる.

以上のように,環動ゲルの膨潤変形挙動の特異性を観測するとともに,従来の化学ゲルではみられないような異常な挙動を,分子論的な理論により可動架橋点と関連づけて説明できることが明らかとなった.また,本研究で提案するモデルを用いて環動ゲルの物性を理論的に評価・予測することが可能となった.本研究が環動ゲルの材料設計の基盤となり,基礎と応用の両面で研究がさらに発展することを期待する.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では,架橋点が軸高分子に沿ってスライド可能な環動ゲルの膨潤変形挙動を観察し,環動ゲルの膨潤変形に関する理論モデルを構築し,様々な膨潤変形挙動に適用した.

本論文は5章から構成され,各章の概要は以下の通りである.

第1章では,従来からよく知られる物理ゲルおよび化学ゲルとその応用例について紹介している.続いて,化学ゲルの機械的脆弱性を改善した高分子ゲルの研究例として,ナノコンポジットゲル,ダブルネットワークゲル,Tetra-PEGゲルを紹介している.続いて,架橋点が軸高分子上をスライドし,滑車のような働きをすることで高伸長特性,高膨潤特性,低ヤング率などの特徴を示す環動ゲルについて記述している.最後に,従来の高分子ゲルの膨潤変形に関する理論を紹介している.環動ゲルの可動架橋構造が膨潤変形挙動に与える影響を実験および理論の両面から明らかにすることを本研究の目的として説明している.

第2章では,体積相転移に着目したイオン性環動ゲルの膨潤収縮挙動の実験的な研究について記述している.一般にある臨界値よりも高いイオン化度をもつ化学ゲルにおいて,外部環境の変化によって体積が不連続的に変化する体積相転移現象が知られている.イオン化度の高い試料において膨潤相と収縮相の共存状態を観測し,環動ゲルにおいても体積相転移が起こることを明らかにした.しかしながら,相転移を起こすのに必要な臨界イオン化度が従来のゲルから予想される値よりも3倍程度高くなり,体積相転移が抑制されることが明らかとなった.

第3章では,環動ゲルの膨潤収縮挙動に関する理論的研究を行い,実験結果と比較検討している.まず,環動ゲルの膨潤変形に関する理論を整理し,解釈やモデルの修正を容易にしている.次に,ダングリング鎖,未架橋の環,伸びきり効果を考慮したモデルを構築し,膨潤収縮挙動に適用している.高架橋密度の環動ゲルでは体積相転移が抑制される一方で,低架橋密度の環動ゲルでは体積相転移が促進されることが明らかとなった.また,これらの性質は環の包接率が低く,架橋点が動きやすいほど顕著になることが明らかとなった.実験値を用いて計算したところ,相転移が抑制され,定性的に実験と理論が一致することを示した.より定量的に議論するためにはミクロ相分離の影響を考慮する必要があることを指摘している.

第4章では,理論モデルを一軸伸長,光弾性則,二軸伸長,伸長誘起膨潤に適用した結果について記述している.まず一軸伸長における応力伸長曲線について検討した結果,異方的な変形においては有効鎖同士の鎖のやりとりが主に起こり,ダングリング鎖の影響は小さいことが分かった.次に,複屈折と真応力の関係について検討した結果,鎖のやりとりによって配向の異方性が緩和されるために低伸長領域では複屈折の値が化学ゲルよりも小さくなる一方で,高伸長領域では伸長方向の鎖が長くなるために複屈折の値が化学ゲルよりも大きくなることが分かった.未架橋の環の数が十分多ければ複屈折と応力の関係は化学ゲルと同様の挙動を示すが,未架橋の環の数が少なくなると,低伸長領域の光弾性係数が高伸長領域の値よりも高くなるという特異な挙動を示すことが明らかとなった.次に,二軸伸長において,実験で報告されている一軸伸長,等二軸伸長,拘束二軸伸長,二段階の拘束二軸伸長の応力伸長曲線を極めてよい精度でフィッティングできることが明らかとなった.最後に,伸長誘起膨潤において低伸長領域で伸長倍率の増加に応じてポアソン比が急激に増加するという実験結果を再現することに成功した.

第5章では,本論文の全体の結論が示されており,本研究を通して明らかになった環動ゲルの体積相転移に関する特性と,環動ゲルの理論モデルとその膨潤変形挙動についての結果が総括され,今後の研究への展望について述べられている.

以上のように本論文で著者は,環動ゲルの体積相転移における可動架橋構造の影響を実験的に明らかにし,環動ゲルの理論モデルを構築して様々な膨潤変形挙動に適用することにより,可動架橋構造の基礎的なメカニズムを解明し,環動ゲルの材料設計の基盤となる可能性を示した.これら一連の研究結果は,応用する際に要求される環動ゲルの合成条件の最適化,ならびに,環動ゲルに特有な挙動を利用したアプリケーションの開発に大きな進展をもたらすことが予想される.

本論文の内容において,第2章は横山 英明,酒井 康博,加糖 和明との共同研究,第3章は横山 英明,眞弓 皓一との共同研究,第4章は横山 英明,眞弓 皓一との共同研究であるが,論文提出者が主体となって実験を行い解析したものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断される.したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク