No | 129520 | |
著者(漢字) | 板倉,由季 | |
著者(英字) | ||
著者(カナ) | イタクラ,ユキ | |
標題(和) | ショウジョウバエ幼虫のぜん動運動を制御する神経回路内における介在ニューロンの新規同定とその機能解析 | |
標題(洋) | Identification and functional analyses of interneurons in the neural network that regulates the peristaltic locomotion of Drosophila larvae | |
報告番号 | 129520 | |
報告番号 | 甲29520 | |
学位授与日 | 2013.03.25 | |
学位種別 | 課程博士 | |
学位種類 | 博士(科学) | |
学位記番号 | 博創域第865号 | |
研究科 | 新領域創成科学研究科 | |
専攻 | 複雑理工学専攻 | |
論文審査委員 | ||
内容要旨 | 背景 神経系は、それを構成する個々の神経細胞(ニューロン)が適切に結合を作り、機能的なネットワークとして働くことで、個体の行動を生み出す。神経科学におけるここ数十年の研究は、個々のニューロンの性質や神経活動の様子、ニューロン間の結合部位であるシナプスの性質やそこで行われる情報伝達の仕組みについて、多くのことを明らかにしてきた。しかし、それらの知見と動物個体が示す行動との間にはまだ大きな隔たりがあり、多くの場合、行動を中枢神経系の神経活動から説明することはできていない。これは、中枢神経系が膨大な数のニューロンからなり、それぞれのニューロンの神経突起が密に分布した非常に複雑な構造であるため、その中で個々のニューロンを区別して同定・機能解析をすることが困難なためである。しかし近年、こうした課題に対して有効な技術が急速に進歩してきた。人為的に神経活動を操作したり可視化するためのタンパク質ツールが開発され、さらにそれらを特定のニューロン群でのみ発現させる遺伝学的手法が発展したのである。個々のニューロンがどのように繋がって回路を形成し、その中で各々がどのような活動パターンを示すことで行動が生み出されるのか。神経科学におけるこの大きな未解決問題に対して、遺伝学的手法による回路レベルの研究は強力なアプローチとなっている。 本研究では外来遺伝子発現システムが優れているショウジョウバエを実験動物とし、幼虫の前進運動(ぜん動運動)を制御する神経回路をモデルとして、この回路が運動を生み出す動作原理の解明を目指した。この運動は中枢パターン発生器(CPG)と呼ばれる神経回路によって生み出される。CPGとは、動物の前進運動など、特定の動きを繰り返して作られる定型運動を制御する中枢回路で、外界からの信号や体の動きのフィードバックといった感覚入力を必要とせずに、この回路自身によってリズミックな運動出力を生み出すことが知られている。この神経回路をモデルとしたのは以下の理由からである。第1に、CPGは昆虫からヒトを含む哺乳類まで多くの動物種で確認されており、異なる系や動物種の間で類似点が多いため、ショウジョウバエを用いた研究から種を超えた共通の原理を導くことができると期待されるためである。第2に、CPGが生み出す運動は反復的・定型的であり、実験や得られた結果の定量化に適しているためである。第3に、CPGは複数のニューロンが回路として機能してこそ実現される興味深い特徴をもつためである。CPGが生み出す運動は、動物の体の様々な部位の筋収縮・弛緩が複雑に組み合わさって達成される。また、動物個体が置かれている状況によって運動出力が変化する。これらの性質がどのようにして生み出されるのかが明らかになれば、様々な神経回路の動作原理解明につながるだろう。 ぜん動運動は、体の尾端から頭端へと各体節の体壁筋が順番に収縮することで体を前進させる運動である。ショウジョウバエ幼虫の中枢神経系は脳と腹部神経節(以下「神経節」)から成り、各体節を支配する運動ニューロンの細胞体は神経節内の地理的に対応する領域、各神経分節に位置する。よってぜん動運動の際の運動ニューロンの活動を可視化すると、神経節内を尾端から頭端へと伝播する波状の活動パターンが観察される。しかしこの波状の活動パターンがどのように生成されるのか、そもそもどのような介在ニューロンが回路を構成するのか、ほとんど分かっていない。 結果と考察 本研究ではこの回路内の介在ニューロンの新規同定と機能解明を目的とした。まず運動ニューロンに対して入力を行う介在ニューロンはこの回路に含まれる可能性が高いと考え、特定のニューロンと運動ニューロンとの間のシナプスを可視化しその有無を指標とする、蛍光タンパク質GFP再構成法(GRASP法)を用いたスクリーニングを行った。具体的には、様々なサブセットのニューロンで遺伝子発現を誘導するショウジョウバエ系統を用い、それらニューロンと運動ニューロンに、相補的なGFP断片、GFP1-10、GFP11をそれぞれ発現させた。両ニューロンがシナプスを形成するほど近接していれば、その部位でGFPが再構成されて蛍光シグナル(GRASPシグナル)を得られることが予想される。こうして10系統のスクリーニングを行った結果、神経節においてGRASPシグナルを示すGal4系統RRC-Gal4を同定した。神経節内でRRC-Gal4は比較的少数のニューロン(以下RRCニューロン)において遺伝子発現を誘導することがわかり、その中に運動ニューロンとの間にシナプスを形成しているニューロンが含まれると考えられた。 次に、RRCニューロン特異的に神経活動を抑制または亢進し、ぜん動運動に影響が現れるかを調べた。結果、抑制するとぜん動運動の伝播が遅くなり、逆に亢進するとぜん動運動がほとんど起こらず、前進できなくなるという結果を得た。これはRRCニューロンがぜん動運動に関与するニューロンを含むことを示唆する。 RRCニューロンのうち、複数の神経分節に一対ずつ存在する介在ニューロン2種類(R1s, R2sとする)は、活動パターンからぜん動運動を制御する神経回路内に含まれていることが明らかになったため、以下それぞれの結果について個別に記述する。 R1sの細胞体は神経節内の腹外側に位置し、神経突起を、1~2つ前方の神経分節と、同じ神経分節内の背側領域の2カ所に伸ばす。GRASP法の結果を照らし合わせると、この後者の領域においてGRASPシグナルが確認され、さらに同じ領域でグルタミン酸作動性のシナプス前構造に局在するマーカーが確認された。先行研究によると、運動ニューロンはグルタミン酸を受容するとその活動が抑制される。よってR1sはこの部位において運動ニューロンとシナプスを作っており、抑制性の入力を行うことが示唆された。次にカルシウムイメージング法を用い、R1sと運動ニューロンの活動を同時に、かつそれぞれを区別できるように可視化した。結果、R1sは運動ニューロンの波状の活動に少し遅れて波状の活動パターンを示すことが明らかになった。つまり各神経分節のR1sはぜん動運動の際に、運動ニューロンの活動に少し遅れて運動ニューロンへの抑制性入力を行うと考えられる。また、R1sが前方の神経分節へと伸ばした突起上にはシナプス前構造マーカーが見られないため、これらの突起は情報を受け取る部位であると考えられる。したがって、R1sはぜん動運動の際、あとに活動する前側の神経分節での活動情報を受け、すでに活動している神経分節の運動ニューロンの活動を抑える、神経分節間の協調を助ける役割を果たす可能性がある。 R2sの細胞体はR1sと比べてより腹内側に存在する。神経突起は二つに分かれ、一方は外側から、もう一方は正中線近くからそれぞれ同神経分節内を背側へと伸び、背内側で合流し、神経終末を同側・反対側の両方に分布する。この領域でもGRASPシグナル、グルタミン酸作動性シナプス前構造マーカーの局在が確認された。よってR2sも運動ニューロンに対し抑制性入力を行うと考えられる。R2sの活動はR1sや運動ニューロンの波状の活動とは異なり、複数の神経分節内のR2sが同時に活動することがわかった。活動のタイミングは運動ニューロンの波状の活動が始まるタイミングと近い。これらのことから、R2sは分節間の協調、さらにはぜん動運動の開始に関わる可能性がある。 結論 本研究ではショウジョウバエ幼虫のぜん動運動回路に関わる二種類の介在ニューロン、R1sとR2sを同定した。これらは運動ニューロンに対し抑制性入力を行う可能性が高い。R1sは運動ニューロンの活動にやや遅れて尾端から頭端へと伝播する活動パターンを、R2sは運動ニューロンの活動の前に複数の分節で同時に活動するパターンを示した。 運動ニューロンは複数の介在ニューロンからの入力を統合し最終的な運動出力を生み出す。それゆえ、運動ニューロンへと入力を行うニューロンの同定、そしてその活動パターンの記述は、運動パターン生成機構を介在ニューロンの活動から説明するために必要不可欠である。本研究ではこのようなニューロンの候補と言える二種類のニューロンを同定し、各々の特徴的な活動パターンについて記述することに成功した。 また、筋収縮とそれに対応する運動ニューロンの活動パターンとは異なるタイミングで固有の活動パターンを呈する介在ニューロンをこの系において初めて見出した。先行研究より、一回のぜん動運動を一周期とすると、伝播速度によらず各体節は適切な位相差を保って活動する。また各周期は重ならない。このようなぜん動運動を実現するためには、介在ニューロン群は、一過的な運動ニューロンの活動を順番に引き起こすだけでなく、周期内のそれ以外の時間は運動ニューロンの活動を抑制するなどして体全体の協調を生む必要がある。一周期の中で運動ニューロンとは異なるタイミングで活動する介在ニューロンを同定した本研究は、中枢神経系において運動のパターンが生み出される機構を明らかにしていく上で重要な知見を与えるものと言えるだろう。 | |
審査要旨 | 本研究においては、神経回路の作動原理の解明を目指し、ショウジョウバエ幼虫のぜん動運動を制御する神経回路をモデル実験系とした研究を行った。神経系がどのようにして複雑かつ多様な機能を果たすのか、これを理解するためには、神経系の機能単位である神経回路の作動原理を解明する必要がある。しかし、細胞レベルでの研究と比べ、複数のニューロンを性質によって区別して扱う神経回路レベルでの研究は格段に難しく、これまであまり進んでこなかった。中枢神経系には膨大な数のニューロンと各々が伸ばした突起が密に分布しているため、その中において、どのようなニューロン群がどのような回路を構成することにより特定の機能を生むのかを調べることは非常に困難である。 この問題に対し、本研究で扱った実験系には以下の二つの利点がある。第一に、ぜん動運動及びそれを出力する運動ニューロンの活動パターンが定型的かつ単純であり、実験や解析に適しているという点である。ショウジョウバエ幼虫の中枢神経系を成す脳と腹部神経節のうち、腹部神経節は、神経分節と呼ばれる単位構造の繰り返しと見なすことができる。各分節は体の各体節を支配しており、体節間の位置関係と対応して並んでいる。ぜん動運動の際には、各体節の筋肉が尾端から頭端に向けて順番に収縮し体全体を前進させるが、これは腹部神経節の各分節内の運動ニューロンが尾端から頭端へと順番に活動するためである。筋収縮の波、運動ニューロンの活動の波は、頻度や伝播速度を指標とした定量化が容易であり、良い系であるといえる。第二に、近年急速に発展した優れた分子ツールを、強力なショウジョウバエ遺伝学的手法により、特定のニューロン群に対してのみ用いることができる点である。これにより特定のニューロン群の神経活動の可視化や操作が可能になり、神経回路内に含まれるニューロンを同定し、さらに機能について調べることができた。 この回路の作動原理解明を目指して、提出者はまず、介在ニューロン群の中から、ぜん動運動に関与するものを探索した。運動ニューロンと直接シナプス形成している介在ニューロンはぜん動運動に関与する可能性が高いと考え、運動ニューロンとの間のシナプスを可視化する手法を用いてスクリーニングを行い、そのようなニューロンを含む一群のニューロン(RRCニューロン)を同定した。次にRRCニューロン特異的に神経活動の抑制、亢進を行うと、どちらの場合もぜん動運動に異常が見られた。よってRRCニューロンにはぜん動運動に関与するニューロンが含まれると考えられる。次にRRCニューロンの中から、複数の神経分節にわたって左右一対ずつ存在する介在ニューロンを二種類(R1、R2)同定し、これらが共に運動ニューロンに対し抑制性入力を行うことを示す結果を得た。またR1、R2がそれぞれぜん動運動に伴い独自の神経活動パターンを示すことを見出した。R1は運動ニューロンと同様の波状の活動を、運動ニューロンに遅れて示す。一方R2は、尾端の運動ニューロンの活動に近いタイミングで、数分節にわたって同時に活動する。 以上のように、提出者はショウジョウバエ幼虫のぜん動運動を制御する神経回路において二種類の介在ニューロンを新規に同定し、各々がぜん動運動の際に独自の活動パターンをもって運動ニューロンに対し抑制を行うことを示した。この系において運動ニューロンと異なるタイミングで活動する介在ニューロンを同定したのは本研究が初めてである。効率的なぜん動運動を生み出すためには、運動ニューロンは適切なタイミングで活動するだけでなく、それ以外の時間には活動しないことが必要とされる。R1、R2は、ぜん動運動が全体節を通して協調的に行われるよう、運動ニューロンの活動を抑制的に制御している可能性が高い。具体的には、R1はぜん動運動に伴う運動ニューロンの活動を尾端から頭端へと順に終わらせる機能、R2はぜん動運動開始直前に運動ニューロンの状態を静止状態へとリセットする機能をもつことが考えられる。 本研究は着目した神経回路の動作原理を明らかにする上で重要かつ新規性のある発見をしたといえ、また提案された仮説を基に今後の研究が進められると期待される。一般的な神経回路の作動原理解明に向けても、重要な知見を与えるといえるだろう。この論文は、高坂洋史助教、能瀬聡直教授との共同研究であるが、提出者が主体となって研究を行ったもので、提出者の寄与が十分であると認められる。したがって、博士(科学)の学位を授与できると認める。 | |
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