学位論文要旨



No 129524
著者(漢字) 瀧山,健
著者(英字)
著者(カナ) タキヤマ,ケン
標題(和) 運動学習における運動野構造の機能解明 : 理論、データ解析、そして応用
標題(洋) Functional roles of motor cortex structures in motor learning : Theory, data analysis, and application
報告番号 129524
報告番号 甲29524
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(科学)
学位記番号 博創域第869号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 複雑理工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岡田,真人
 東京大学 教授 能瀬,聡直
 東京大学 教授 田近,英一
 東京大学 准教授 小谷,潔
 東京大学 講師 関根,康人
内容要旨 要旨を表示する

1.はじめに

グローブ目がけてボールを投げる。ボールがグローブからずれてしまっても、我々は次第に狙ったところへボールを投げられるように学習していく。このように、運動指令を修正して、目標の運動と実際の運動との誤差を小さくしていく学習過程を運動学習という(図1A)。我々が運動するとき、運動指令を生成・修正しているのは脳である。多くの研究者が運動学習中の脳活動や行動を計測し、運動学習の脳内メカニズムを追究している。その研究結果は、新たなリハビリの提案(Han et al., 2008, PLoS Compt Biol)や、ロボットの構築(Peters et al., 2008, Neural Netw)につながっており、臨床応用や工学応用のためにも運動学習の脳内メカニズムの理解は重要である。

より深く運動学習の脳内メカニズムを理解するための手がかりとして、私は脳の構造に注目している。なぜならば、進化の過程で脳は特徴的な構造を獲得してきたものの、特徴的な脳構造は、一体何の役に立っているのか明らかでないからである。運動指令の生成・修正に関わる主要な大脳領域は運動野である。運動野構造がある場合とない場合における運動学習の性能を比較することで、運動野構造の機能的役割を明らかにできる。しかしながら、実験動物の脳から運動野構造を消失させることは技術的、倫理的に困難である。そこで、運動野ニューロンの活動データを再現できる生物学的に妥当な数理モデル(運動野モデル)を構築し、運動野モデル上で運動野構造を消失させ、運動野構造の機能を調べた(図1B, 2,3節,付録C)。

2. 冗長構造は運動学習の学習速度を促進する(Takiyama & Okada, 2012, PLoS Computational Biology)

進化の過程と共にニューロンの数が指数的に増えている(Roth et al., 2005, Trends in Cog Neurosci)。運動野の数理モデルにおいても、ニューロン数が多いモデルは実際のニューロン活動をより高精度に再現できる(Rokni et al., 2007, Neuron)。しかしながら、ニューロン数が多いことの機能的役割は未だ明らかでない。

運動野ニューロンの数Nは筋肉の数Mより圧倒的に多いため、同じ筋活動、同じ運動を実現するニューロン活動は一意に定まらない(図2A, Neilson, 1993, Psycol Res)。事実、同じ運動を行なっているにも関わらず、運動野のニューロン活動が異なる例がサル(Rokni et al., 2007, Neuron)、マウス(Komiyama, 2010, Nature)にて報告されている。本節では、R=(N-M)を冗長構造の大きさと定義する(図2B)。

運動野モデル(Rokni et al., 2007)の解析を行い、Rと運動学習の性能との関係性を調べた。その結果、ニューロン数が増加すると学習速度は単調増加していくことを理論的・数値的に示した。すなわち、冗長構造が果たす機能的役割は、運動学習の学習速度の促進である。

3. 2半球構造に基づく効果的な脳卒中リハビリテーション方法の提案(Takiyama & Okada, 2012, PLoS One)

脳は左半球と右半球に分かれ、両半球間が脳梁と呼ばれる線維により繋がれている2半球構造を構成する(図3A)。しかしながら、運動学習において脳梁が果たす機能的役割は明らかでない。

脳卒中とは脳に血液を送る血管に障害が生じ、ニューロンが壊死する症状である。本節では運動野に脳卒中が生じた患者を想定するが、このような患者には四肢に麻痺が生じることが多い。下肢に生じた麻痺はリハビリを通じて回復する例が多いものの、上肢に生じた麻痺はリハビリを通じてさえ僅か35%程度の患者しか回復しない(Han et al., 2008, PLoS Compt Biol)。主な上肢リハビリパラダイムは、麻痺した腕のみを無理矢理使わせる集中訓練である(Schmidt & Lee, 2000, Human Kinetics)。その一方、麻痺した腕と健常に動く腕とを同時に動かす両腕リハビリ(図3B)は、集中訓練よりも効果的に麻痺が解消する例が報告されている(Mudie & Matias, 2000, Diabil & Rehabil)。しかしながら、全ての患者に両腕リハビリが有効なわけではない(Rose & Winstein, 2004, Top Stroke Rehabil)。Q1. なぜ両腕リハビリは脳卒中回復過程に有効なのか、Q2. どのような患者に両腕リハビリが推奨できるのか、という2つの問いに答えるため、運動野モデルを人工的に破壊した脳卒中運動野モデル(Han et al., 2008, PLoS Compt Biol)を解析した。特に、脳卒中患者は肘肩の同時伸展が苦手であるため(Beer et al., 2004, Exp Brain Res)、45°方向への運動を計画・実行するニューロン群を破壊した(図3C)。

片腕運動と両腕を同時に動かす両腕運動とでは、運動野ニューロンの活動が異なる(Rokni et al., 2003, J Neurosci)。運動は大きく2つのフェーズに分かれる。1つは脳内で運動を計画する運動計画フェーズ、もう1つはニューロン活動(運動指令)を筋肉に伝えて運動を実行する運動実行フェーズである。Q1の答えとして、両腕運動では運動計画フェーズにおいてニューロン活動が変化するため、脳卒中回復過程に影響を及ぼすことを示した。Q2の答えとして、両腕運動におけるニューロン活動の変化が大きい患者のみ、両腕リハビリが有効であることを示した(図3D,E)。

両腕運動においてニューロン活動の変化が大きくなるための条件は、高次運動野ではなく、左右の一次運動野間の結合強度が強いことである。この結合強度は個人差があるが、脳卒中患者においても脳活動計測データからこの結合強度が推定できる(Grefkes, 2011, Brain)。すなわち、2半球構造の機能的役割の一つは、損傷からの回復を促進することであり、左右の一次運動野間の結合強度が弱い患者には片腕リハビリ、強い患者には両腕リハビリが推奨できる。

2, 3節の結果は生物学的に妥当な数理モデルの解析に基づいており、妥当性が高い仮説を提唱している。より生物学的に妥当な数理モデルを構築し、新たな仮説を提案するためには、運動学習中の運動野ニューロンの活動データを高精度に解析する必要がある。

4. 運動学習における運動野ニューロン活動の統計解析手法の提案 (Takiyama & Okada, 2011, Neural Computation)

ニューロン活動データは、電気活動(スパイク)が生じた時刻では1,生じていない時刻では0をとる2値の時系列データである(図4A)。数多くの研究結果から、スパイクの発生確率(発火率)がニューロンの表現している情報を反映していることが示唆されている(Hubel & Wiesel, 1962, J Physiol, Georgopoulos et al., 1982, J Neurosci)。多くの研究者が、例えば同じ運動を100回行わせて100試行分得られた電気活動データを試行平均し、SN比を改善しつつ発火率を推定する(図4A)。しかしながら、運動学習中では、学習に伴い脳内情報表現が変化するため(Rokni et al., 2007)、この試行平均の妥当性が低い(図4B)。さらに、運動野ニューロンは運動を実行・終了する瞬間に発火率が不連続に変化する(Isomura et al., 2009, Nat Neurosci)ことから、運動学習中の運動野ニューロン活動データを解析するためには、1. 1試行毎の解析が可能であり、2. SN比を高精度に改善可能であり、3. 2値の時系列データを解析可能であり、4. 不連続に時間変化する発火率を推定可能な統計解析手法が必要である。

ニューロン活動の時間変化はほとんど滑らかであるものの、時たま不連続性を含む(図4D)、という事前知識をもちいたベイズ統計手法を提案した(図4C)。発火率推定のみならず、不連続性が生じる時刻(変化点)も同時に推定し、実験動物の行動を見ずとも運動を実行した時間を推定することも可能とした。本手法は、私がかつて提案した統計手法(Takiyama et al., 2009, J Phys Soc Jpn)を含め、従来の発火率推定手法、従来の変化点推定手法を全て上回る性能を誇る。更に、実データ解析の結果、本手法のみで推定できる変化点の存在を示した。

5. まとめと今後の展望

運動野モデルを解析した結果、1. 冗長構造の発達により運動学習の学習速度が有意に上昇すること(2節)、2. 2半球構造を利用することで、脳卒中患者に対して効果的なリハビリ方法が提案できること(3節)を示した。私の修士課程時代の研究により、ニューロン同士が互いに結合し合う再帰的構造の機能は入力ノイズ除去による目標運動情報の正確な表現であることが示されている(Takiyama et al., 2009, J Phy Soc Jpn, 付録C)。脳の構造は、素早く、効果的な、そして正確な運動学習を可能としていることが示唆された。

今後は4節で提唱した統計手法を実際の実験データに適用し、新たな数理モデルの構築とともに新たな仮説を提唱していく。

図1: 研究の目的 (A): 運動学習の概念図(B): 特徴的な運動野構造が運動学習に及ぼす影響を、数理モデルを解析して検証(2,3 節, 付録C) (C): 数理モデルの妥当性を検証するため、統計解析手法を提案(4 節)。

図2(: A,B):冗長構造=ニューロン数 >> 筋活動の自由度. (C): 冗長構造は運動学習の学習速度を促進する.

図3: (A):2半球構造 (B):両腕リハビリ (C): 脳卒中=ニューロン壊死(D, E):半球間結合強い患者のみ、両腕リハビリ有効

図5 (A):試行平均による発火率推定 (B):運動学習中のデータには試行平均使えない (C): 提案手法は発火率・変化点を同時推定可能 (D):提案手法の概要

審査要旨 要旨を表示する

目的となる運動を達成するように、運動指令を修正していく学習過程を運動学習という.例えばリハビリテーション(以下リハビリ)などが,運動学習の例として挙げられる.本論文では運動学習の脳内メカニズムを理解するための手がかりとして,脳の構造、特に運動に関連する脳領域である運動野の構造に注目した運動野モデルに基づく理論的なアプローチを行っている.第2章では,運動野モデルを構成するニューロン数と運動学習の速度の関係を述べている.第3章では,運動野モデルに基づき,半球構造を利用することで、脳卒中患者に対して効果的なリハビリ方法が提案できること示している.第4章では,運動学習中の運動野ニューロンデータを解析できる手法を提案した.

第2章では,運動野のモデルのニューロン数の冗長性を議論している.進化の過程と共に,ニューロンの数は指数的に増えている.その一方で,筋肉の数はあまり増えていない.このようなニューロンの数と筋肉の数が異なる構造を,ここでは冗長構造と呼ぶこととする.運動野モデルにおいても,冗長構造が顕著なモデルは説明能力が高いと考えられる.しかしながら,冗長構造が果たすそのほかの機能的役割は未だ明らかでなかった.そこで運動野モデルのニューロンの数のみを増減させ,冗長構造が顕著な場合とそうでない場合との比較を行った.その結果,冗長構造が顕著なほど運動学習の学習速度が速くなっていくことが理論的・数値的にあきらかになった.これは冗長構造が果たす機能的役割の一つとして,運動学習の学習速度の促進があることを示唆している.

第3章では,脳の半球構造と運動野モデルを組み合わせて,脳卒中のリハビリについて議論している.脳は左半球と右半球に分かれ,両半球の運動野間は脳梁により結ばれている.このような2半球が相互作用している2半球構造が運動学習に及ぼす影響は未だに明らかでなかった.右腕を動かすときは,左の運動野のみが主に活動することが知られている.また両腕を動かすときは左右の運動野が同時に活動し,脳梁を通じて両運動野が互いの活動に影響を及ぼすことが知られている.第3章では,これらの知見を元に,片腕運動時の運動野モデルと両腕運動時の運動野モデルとを比較し,2半球構造の機能的役割を検証している.その具体例として,脳卒中リハビリに着目して議論を行っている.従来の脳卒中リハビリ方法は,麻痺した腕のみを無理矢理使わせる片腕運動が主流である.その一方,麻痺した腕と健常に動く腕とを同時に動かす両腕運動により,片腕運動よりも効果的に麻痺が解消できる例が報告されている。しかしながら,全ての患者に両腕運動が有効なわけではない.

そこでここでは,なぜ両腕運動は脳卒中回復過程に有効なのか,両腕運動が推奨できる条件は何か,いう二つの問いをたて,運動野のモデルを用いて,その答えを理論的に求めた.その結果,両腕運動と片腕運動とでは脳-脊髄経路に違いはなく,脳内情報処理に違いがあるため,両腕運動が脳卒中リハビリに有効な例があることを示した.加えて,左右の一次運動野間の結合強度が強い患者のみ両腕運動が推奨され,弱ければ片腕運動が推奨されることが示した.

第4章では,ベイズ推論を用いて実際のニューロン活動データを解析する手法を提案している.第2章,第3章で議論した運動野モデルは実際のニューロン活動データに基づいたモデルである.このモデルを検証するには,以下の二つの非定常性を取り扱える手法の開発が必須である.まず運動学習と共にニューロン活動は変化するため,試行間の非定常性が存在する.さらに,運動開始時や終了時などに不連続にニューロン活動が変化し,試行内の非定常性も存在することが予想される.第4章では,この2種類の非定常性を同時に解決し,より詳細に運動学習中の運動野ニューロン活動データを解析できる手法を提案した.本手法は,ニューロンの頻度の背後に存在する潜在構造として,頻度の平均値と分散が潜在構造ごとに異なるという確率モデルを用い,その潜在構造の数自体もデータのみから推定することに成功している.

以上のように,本論文の第2章,第3章では,運動野モデルに基づき,運動学習における運動野構造の冗長構造が果たす新しい機能的役割を提唱し,さらにリハビリ等に応用可能な知見を提唱することに成功している.また第4章では,これらの仮説を実証するために,新たなデータ解析手法を提案した.今後は,これらの知見にもとづき,新たな運動野モデルの構築とともに,新たな仮説を提唱が期待される.

なお,本論文第2章,第3章,第4章は岡田真人との共同研究であるが,論文提出者が主体となって解析及び検証を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

したがって,博士(科学)の学位を授与できると認める.

UTokyo Repositoryリンク