学位論文要旨



No 129526
著者(漢字) 小野口,真広
著者(英字)
著者(カナ) オノグチ,マサヒロ
標題(和) エンハンサー由来の新規noncoding RNAによるneurogenin1遺伝子の発現制御機構の解析
標題(洋) A noncoding RNA regulates the neurogenin1 gene locus during mouse neocortical development
報告番号 129526
報告番号 甲29526
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第871号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 後藤,由季子
 東京大学 教授 青木,不学
 東京大学 教授 宇垣,正志
 東京大学 准教授 小嶋,徹也
 東京大学 准教授 泊,幸秀
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

哺乳類の脳は多様なニューロンやグリア細胞により構成されており、これらの細胞は共通の幹細胞である神経系前駆細胞から生みだされる。ニューロンが生み出されるタイミングは発生の時期や脳の領域ごとに厳密に制御されており、ニューロン分化の時空間的な制御は精密な脳構造の構築に不可欠である。Neurogenin1 (Neurog1)はbHLH型の転写因子であり、神経系前駆細胞が特定のニューロンに分化する際に中心的な役割を果たす決定因子として知られている。従って脳を構築するメカニズムを理解する上で、Neurog1の発現がどのように制御されているのかは重要な問題である。発生の過程における遺伝子発現の時空間的制御においてエンハンサーは中心的な役割を果たす。エンハンサーは様々な転写因子やcofactorなどの結合箇所であり、標的遺伝子のプロモーターへ近接し転写活性化を促進する。興味深いことに、近年の網羅的な解析の結果、エンハンサーは特定のヒストン修飾と相関があることや、転写活性化している遺伝子のエンハンサーからはタンパク質をコードしていないnoncoding RNA (ncRNA)が転写されるという現象が報告された。これらの報告はエンハンサーによる遺伝子発現制御機構がこれまで考えられてきた以上に複雑であることを示唆している。しかしながらNeurog1遺伝子座においてエンハンサーがどのようにNeurog1の発現を制御しているのか、あるいはエンハンサーの活性がどのように制御されているのかについてはほとんど明らかになっていない。そこで本研究ではNeurog1遺伝子座をモデルとし、エンハンサーによる遺伝子発現制御機構を解明することを目的とした。

【結果・考察】

1.Neurog1のエンハンサー領域からは新規のnoncoding RNAと考えられるutNgn1が発現している

Neurog1のエンハンサー領域にはLSE, ANPE, LATEの3つのエレメントが知られている。この領域の特徴的な配列として、CpG island (CGI)が存在することに着目した(図1A)。CGIは遺伝子のプロモーター領域にしばしば見られ、RNAの転写との相関が報告されている。そこで、この領域に新規の転写産物が存在する可能性を考え検証を試みた。まずこの領域のヒストン修飾をクロマチン免疫沈降法により調べたところ、H3K4me3修飾が高いことがわかった。H3K4me3修飾は一般に、遺伝子のプロモーター領域のヒストン修飾として知られている。この結果より、エンハンサー付近のCGIは未知のRNAのプロモーター領域である可能性が示唆された。そこで次に、この近傍に実際に転写産物がコードされているのかをRT-PCR法により調べた。その結果、CGI付近のエンハンサーエレメントの1つであるLATE領域から、転写産物の存在を示唆するシグナルが得られた(図1B)。そこで5'/3'RACE解析によりこのRNAの全長を調べたところ、このRNAはCGI から転写される全長およそ1.4 kb程度のPoly(A)付加されたRNAであることがわかった。さらに、RNAの発現をノザンブロット解析により確認した。以下、この転写産物をutNgn1 (Upstream Transcript for Neurogenin1)と呼ぶ。utNgn1の配列を解析したところ、最長49アミノ酸のORFが存在する可能性があることがわかった。しかしながら、既知の遺伝子と相同なタンパク質ドメイン等を一切もたないことから、タンパク質をコードしていないncRNAである可能性が高いと考えられる。さらにutNgn1の局在を調べた結果、utNgn1は核に濃縮していることがわかった。この局在はncRNAの特徴と一致するため、utNgn1はncRNAであると推定される。

2.utNgn1とNeurog1の発現パターンは高い相関を示す

utNgn1とNeurog1がどのような関係にあるのかを調べるため、それぞれの発現パターンを定量RT-PCR法により検討した。まず、脳の領域ごとの発現を胎生13.5日目マウス胎児の各組織を採取し比較した。その結果utNgn1の発現はNeurog1の発現と相関し、大脳新皮質や中脳で発現が高いことがわかった。次に、大脳新皮質の神経系前駆細胞がニューロン分化する際の発現パターンを調べた。その結果utNgn1はNeurog1同様に、神経系前駆細胞がニューロン分化する際に一過的に発現が上昇することがわかった(図2)。さらにin vivoでのutNgn1の発現パターンを胎生13.5日目のマウス大脳切片を用いてin situ hybridizationにより検討した。その結果utNgn1はNeurog1と同様の発現パターンを示した。また、utNgn1の転写が外的シグナルによりどのように制御されているのかを調べるため、神経系前駆細胞のニューロン分化を促進するシグナルであるWntシグナルとutNgn1の発現の関係を調べた。WntシグナルのリガンドであるWnt3aを神経系前駆細胞に作用させutNgn1の発現を調べたところ、utNgn1はNeurog1と同様に発現が上昇した。これらの結果より、utNgn1とNeurog1の発現には強い正の相関があることが示唆された。

3.utNgn1はNeurog1のエンハンサー活性に重要である

発現の相関から、utNgn1は機能を持たない「副産物」としてNeurog1の発現に伴って転写されているのか、それとも機能をもってNeurog1の発現を制御しているのかという疑問が生じる。これを検討するため、utNgn1をsiRNAによってノックダウンしNeurog1の発現を定量RT-PCR法により検討した。その結果Neurog1の発現はutNgn1のノックダウンにより減少することが示唆された(図3)。このとき、Neurog1遺伝子座近傍にコードされた他の遺伝子の発現レベルは減少しなかった。これらの結果より、utNgn1はNeurog1の発現を特異的に正に制御していることが示唆された。この結果をさらに検証するため、utNgn1領域が遺伝子の発現を活性化させるのかをレポーターアッセイにより検討した。このアッセイでは、ルシフェラーゼ遺伝子のプロモーター領域にNeurog1のプロモーター領域を挿入し、さらに上流にutNgn1領域を挿入したベクターとutNgn1領域を挿入していないコントロールベクターでレポーターの活性を定量し比較した。その結果、utNgn1領域の挿入はレポーターの発現を促進するエンハンサーとしての活性を示すことが示唆された。次に、このエンハンサーとしての活性にutNgn1の転写が必要かを調べるため、utNgn1の配列中にutNgn1の転写が途中で強制的に終結するよう外来のpolyA配列を挿入したコンストラクトを作成し、同様の実験を行った。その結果、polyA配列を挿入したコンストラクトでは、utNgn1領域の挿入によるレポーターの発現促進が阻害されることが示唆された。これらの結果から、utNgn1領域はutNgn1の発現を介してエンハンサーとしての活性を担っている可能性が示唆された。

4.utNgn1の発現は発生後期にPolycomb group(PcG)タンパク質により抑制される

神経系前駆細胞は発生の遅い時期ではニューロンを産生せず、これに伴いNeurog1の発現は抑制される。先行研究によりNeurog1プロモーターの発生時期依存的な抑制にPcGタンパク質が必要であることが報告されている。そこで、utNgn1がPcGタンパク質によって制御されている可能性を検討した。まず、PcGタンパク質が触媒するヒストン修飾であるH3K27me3レベルを調べた。その結果、H3K27me3レベルはNeurog1のプロモーター領域のみではなく、エンハンサー領域でも高く、発生時期依存的に上昇することが示唆された。次に、utNgn1の発現レベルを検討したところ、utNgn1の発現はNeurog1と同様、発生時期が進むにつれ減少することがわかった。そこで、utNgn1の発現の抑制にPcGタンパク質が必要かを、PcGタンパク質複合体の必須の構成因子の一つであるRing1Bコンディショナルノックアウトマウスを用いて検討した。その結果、utNgn1の発現はNeurog1と同様に、Ring1Bのノックアウトにより上昇することが示唆された(図4)。これらの結果より、発生後期でのutNgn1の抑制にはPcGタンパク質が必要であることが示唆された。

【結論】

本研究により、Neurog1遺伝子座において、エンハンサー領域から新規のncRNAと考えられるutNgn1が発現し、Neurog1の発現を正に制御していることが明らかになった。utNgn1はNeurog1のエンハンサー活性に重要であり、その発現はNeurog1と高い相関を示す。発生前期ではutNgn1の発現は神経系前駆細胞がニューロン分化する際に一過的に上昇し、Wntシグナルにより促進されることが示唆された。一方で発生後期の神経系前駆細胞では、utNgn1の発現はPcGタンパク質によって抑制されることが示唆された。これらの結果から、utNgn1はNeurog1のエンハンサーの活性として重要な役割を担い、その活性はWntシグナルやPcGによる時期依存的なエピジェネティックな制御を受けていることが示唆された(図5)。この結果はエンハンサーによるncRNAの発現を介した新しい遺伝子発現制御機構が存在し、PcGがncRNAの発現制御を介してエンハンサーの活性と遺伝子の発現を制御している可能性を示唆している。

図1. Neurog1のエンハンサー領域からは新規ncRNA, utNgn1が転写されている

(A)Neurog1遺伝子座におけるutNgn1の転写領域(B)RT-PCRによるutNgn1の検出結果。使用したPCR primerは(A)に図示した。NCX,大脳新皮質, GE,大脳基底核原基, TSS, 転写開始点。RT+逆転写酵素有り, RT-逆転写酵素なし

図2. utNgn1はニューロン分化時に一過的に発現上昇する

図3. utNgn1のノックダウンはNeurog1の発現を減少させる

図4. Ring1BのノックアウトはutNgn1の発現を上昇させる

図5. エンハンサーによるutNgn1を介した遺伝子発現制御モデル

審査要旨 要旨を表示する

本論分は、胎生期のマウス大脳新皮質において、神経系前駆細胞がニューロン分化する際に中心的な役割を果たす転写因子、Neurogenin1(Neurog1)のエンハンサー領域から新規のnoncoding RNA (ncRNA)、utNgn1が発現していることを示し、utNgn1がNeurog1のエンハンサーの機能として重要であることを示唆したものである。本論分の結果は5つの部分から構成され、第一部ではNeurog1エンハンサー領域のDNA配列の特徴およびヒストン修飾状態が記述されている。Neurog1エンハンサー領域にはCpG islandが存在し、転写活性型のヒストン修飾であるH3K4me3やH3K9/K14Ac修飾がされていることを示している。これらの特徴は一般的なエンハンサー領域には見られないものであり、このエンハンサー領域にプロモーターとしての活性が存在することを示唆している。第二部では、エンハンサー領域に存在するCpG islandから新規のncRNA, utNgn1が転写されていることを示している。utNgn1は全長およそ1.4 knt程度のスプライシングされていないRNAであり、poly(A)付加されている。また、utNgn1が核に多く存在することを示し、utNgn1はncRNAであると推察している。第三部ではutNgn1の発現とNeurog1の発現パターンが中枢神経系の各領域において極めて高いことを示している。さらに神経系前駆細胞の初代培養系を用いた実験から、神経系前駆細胞がニューロン分化する過程においてもutNgn1とNeurog1の発現に高い相関があることが示された。また、神経系前駆細胞の未分化維持に重要なシグナルであるNotchシグナルを阻害しニューロン分化を誘導すると、Neurog1とともにutNgn1の発現も上昇することを示している。一方でニューロン分化を誘導するWntシグナルの下流でutNgn1の発現が上昇することも示している。これらの結果はutNgn1の発現とNeurog1の発現には高い相関があることを示唆している。第四部は本論分の最も核心となる部分、すなわちutNgn1の機能解析である。utNgn1の機能阻害の実験から、utNgn1はNeurog1の十分な発現に必要であることを示した。さらに、レポーターを用いた実験から、utNgn1領域にはエンハンサーとしての活性があること、utNgn1の転写がそのエンハンサー活性に必要であることが示唆された。これらの結果より、utNgn1はNeurog1のエンハンサー活性として重要な役割を担い、Neurog1の転写を促進する可能性が示唆された。第五部では、発生後期の神経系前駆細胞におけるutNgn1の発現制御について述べられている。発生後期の神経系前駆細胞では、Neurog1の発現は抑制されており、ニューロンではなくグリア細胞が産生される。この時Neurog1およびutNgn1遺伝子座では、エピジェネティックな抑制因子であるポリコームタンパク質によって触媒される抑制性のヒストン修飾、H3K27me3レベルが高いことが示された。さらにポリコームタンパク質複合体の必須構成因子の1つであるRing1Bコンディショナルノックアウトマウスを用いた実験から、発生後期のutNgn1の発現はポリコームタンパク質によって抑制されることが示唆された。

以上の研究結果から、utNgn1はNeurog1のエンハンサーの活性として重要であり、エンハンサー活性はutNgn1の発現制御を介してWntシグナルやポリコームによる発生時期依存的なエピジェネティックな制御を受けていることが示唆された。本論文はエンハンサーによる遺伝子発現制御機構に、エンハンサー由来のncRNAの発現を介した新しい制御が存在する可能性を提示しており、哺乳類の高度な遺伝子発現制御機構の理解を深め、新しい研究領域を提起する非常に意義深いものである。また本論分によって、ポリコームの新たな役割として、ポリコームがncRNAの発現制御を介してエンハンサーの活性と遺伝子の発現を制御することが示唆された。これはポリコームによるエピジェネティックな遺伝子の発現制御に新たな階層が存在することを示唆している。さらに、本論分はncRNAによる新たな遺伝子発現制御機構と神経発生におけるその生理的意義という観点からも、多くの示唆的なデータを提示しており、先駆的で独創的な研究として高く評価できる。

なお、本論分は理化学研究所、古関明彦グループディレクター、東京大学、平林祐介助教との共同研究であるが、全ての実験・解析・検証は論文提出者によって主体的に進められており、研究の構想を含め論文提出者の寄与が非常に大きい。

したがって博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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