学位論文要旨



No 129528
著者(漢字) 五十嵐,史彦
著者(英字)
著者(カナ) イガラシ,フミヒコ
標題(和) 昆虫ステロイドホルモン生合成器官におけるコレステロール取り込みの分子機構
標題(洋)
報告番号 129528
報告番号 甲29528
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第873号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 片岡,宏誌
 東京大学 教授 山本,一夫
 東京大学 教授 藤原,晴彦
 東京大学 准教授 永田,晋治
 東京大学 准教授 丹羽,隆介
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

エクジソンは昆虫の脱皮・変態の引き金となるステロイドホルモンである。エクジソンは前胸腺と呼ばれる器官でコレステロールを原料として生合成され、その生合成は脳神経ペプチドである前胸腺刺激ホルモン (prothoracicotropic hormone, PTTH)によって促進される(図1A)。近年、前胸腺に発現する複数のエクジソン生合成酵素が同定され、さらにその一部がPTTHによって転写制御を受けるなど、エクジソン生合成・分泌の制御メカニズムが明らかにされてきている。しかしながら、前胸腺における原料物質(コレステロール)の取り込み機構については、その分子機構がほとんど解明されておらず、エクジソン生合成制御機構の全容解明に向けて解決すべき重要課題として残されている。

昆虫はコレステロールのde novo生合成経路を失っているため、必要なコレステロールは全て食餌に由来する。例えば、肉食性昆虫は食餌から直接、食植性昆虫ではβ-シトステロールなどの植物ステロールを腸管で変換することで、コレステロールを得ている(図2)。腸管を経由したコレステロールは、昆虫の主要なリポタンパク質(リポフォリン)と結合して各組織へと輸送される。すなわち、リポフォリンは前胸腺へコレステロールを供給する分子であると考えられる。しかしながら、リポフォリンと共役してコレステロール取り込みを行う受容体の実態や取り込みの制御メカニズムは明らかにされていない。

近年、当研究室で行われたカイコ前胸腺を用いたトランスクリプトーム解析から、哺乳類LDL受容体(LDLR)と相同性を持つLpR(Lipophorin receptor)の発現がPTTH刺激後の前胸腺で上昇することが見出された(図1B)。これまでLpRについてはリポフォリンのアポタンパク質と結合することが明らかにされているのみだが、LDLRはLDLと結合したコレステロールをLDL―LDLR複合体として細胞内に取り込む。このことから、前胸腺細胞におけるコレステロール取り込みメカニズムは、リポフォリン―LpRを介した取り込み経路がPTTHによって制御される機構である可能性が考えられた(図1B)。そこで本研究は、リポフォリンからのコレステロール取り込み時におけるPTTHの役割やLpRなど取り込み関連分子の機能を明らかにし、昆虫前胸腺におけるコレステロール取り込みの分子機構の解明を目指した。

【結果および考察】

1.LC/APCI-MS/MSシステムによるカイコ幼虫で見出される7種類のステロールの定量分析系の構築

研究開始当初、コレステロールの供給源である食餌やリポフォリン、さらには前胸腺の含有するステロールの組成が不明であった。このため、まずカイコで代謝されるステロール類の定量分析系の確立を行った。

昆虫で見出されるステロールはお互いの構造が似ており(図2)、また、昆虫サンプルは一般的に小さく試料から得られる代謝物が微量である。そのため、構造特異性および感度を伴った分析系が必要と考えられた。そこで、本研究ではLC/APCI-MS/MSシステムに着目した。このシステムではイオン化の際に誘導体化処理を必要としない大気圧化学イオン化法(APCI)を用いるため、サンプル調製が簡便で済む。さらに、タンデムマススペクトロメトリー(MS/MS)を行うため、構造特異的な検出および感度に優れている。分析対象は、図2に示す7種のステロールとした。また、定量の際の内部標準にはコレステロール-3,4-13C2を用いた。

まず各ステロールのAPCI-MSスペクトルを解析したところ、3位のOH基が脱水されたイオン[M+H-H2O]+が最も強いピークとして得られた。APCI-MS/MSスペクトルの解析では、各ステロールのステロイド骨格のA環およびB環を含むフラグメントイオンが主なピークとして得られた(図3A)。この結果を基に、脱水イオンおよびフラグメントイオンを選択的に捉えるチャンネルを設定し、複数のステロールの構造特異的な一斉定量システムを構築した(図3B)。定量限界 (LOQ: S/N比≧10)は、1回の分析当たり0.05 ng から0.5 ngの範囲であり、カイコ1匹分の前胸腺が含有するコレステロール量(約40 ngから60 ng)の測定に十分な感度だった。確立した分析系を用いてリポフォリンのステロール組成を調べたところ、食餌に含まれるβ-シトステロールなどの植物ステロールがリポフォリンに結合していることが分かった(図3C)。また、カイコ5齢期前胸腺の含有ステロール量のエクジソン生合成期前後における変動パターンを分析したところ、エクジソン生合成期であるワンダリング期にコレステロールおよび7-デヒドロコレステロールの蓄積量が増加していた(図4A)。このため、前胸腺ではワンダリング期にコレステロール取り込み活性が高まることが示唆された。

2.前胸腺におけるリポフォリン由来コレステロール取り込み活性の解析

5齢期の前胸腺におけるLpRの発現を調べたところワンダリング期に発現レベルが高く(図4B)、また体液中のPTTH濃度はワンダリング期に高い。このことからリポフォリン-LpRを介した取り込み経路がPTTHよって調節される機構が考えられた。そこで、PTTH刺激時前胸腺におけるLpRの発現上昇の確認およびリポフォリン由来コレステロール蓄積活性の有無の検証を、前胸腺器官培養系を用いて行った。なお、実験にはワンダリング期直前のカイコ5齢6日目(V6)の前胸腺を用いた。

まず3時間PTTH刺激した前胸腺におけるLpRの発現を定量PCRで解析した。その結果、PTTH刺激画分(PTTH+)では、PTTH刺激を行わなかったPTTH‐やEcdy+画分と比べて、LpRの発現が高く、PTTHによってLpRの発現が誘導されることが示された(図5)。

次に、1対の前胸腺を単離し3時間 PTTH刺激を行った後、片方の前胸腺はリポフォリン入り培地(Lp+)へ、もう片方はリポフォリンを含まない培地(Lp-)へ移し、さらに12時間 PTTH刺激を行った。その結果、PTTH刺激および(Lp+)で培養した前胸腺から、リポフォリン由来と考えられるコレステロールの蓄積が認められた(図6A)。PTTH‐およびEcdy+画分の前胸腺では、(Lp+)と(Lp-)の間にこのような差は見られなかったことから、PTTHによってリポフォリン由来コレステロールの取り込みが促進されることが示唆された。また、PTTH刺激下の前胸腺が(Lp+)の培地に放出したエクジソン量は(Lp-)に対して約2倍と、高いレベルであった(図6B)。このから、エクジソン生合成量の調節にリポフォリンが重要な役割を担っていることが考えられた。さらに、Alexa546で蛍光ラベルしたリポフォリン(Alexa546-Lp)を用いて、リポフォリンの局在解析を行ったところ、PTTH 刺激した前胸腺の細胞膜付近および細胞間隙からAlexa546-Lpの蛍光が認められた(図7A)。このとき、PTTH刺激した前胸腺ではAlexa546-Lpの蛍光密度が上昇しており(図7B)、このことからリポフォリンの結合活性が高まっていることが示された。

3.コレステロール取り込みを担う分子の機能解析

最後に、コレステロール取り込みを担う分子としてLpRの機能解析を行った。また、機能解析を行う分子としては細胞内コレステロール輸送に関わるとされるNpc1aにも着目した。Npc1aはワンダリング期の前胸腺で発現が高く、PTTH刺激で発現上昇がみられた 。培養細胞としては、内在性のリポフォリン結合活性が低いCHO細胞を用いた。

CHO細胞には内在性のコレステロールが多量に含まれるため、LpRの取り込み活性を評価するためには、培養細胞系にほとんど存在しない同位体標識コレステロールを用いる必要があった。そこで、安定同位体標識コレステロール(コレステロール-d7)を含有させたリポフォリンを作成し、LpR発現細胞と共培養することで、リポフォリン由来コレステロール-d7の蓄積活性の有無を検証した。その結果、LpR発現細胞画分でコントロールと比べて有意なコレステロール-d7の蓄積が認められた(図8A)。さらに、LpR発現細胞にリポフォリンが局在しているか否かを検証するために、LpRのC末端にGFP配列を結合させたコンストラクトを作成し、細胞に発現させて、Alexa546-Lpと共培養した。その結果、LpRGFP発現細胞から特異的にAlexa546-Lpの蛍光が認められた(図8B)。これらの結果から、LpRにはリポフォリン由来コレステロールを細胞内に取り込む活性があることが示された。

Npc1aの機能解析では、機能再構成系の構築を行うために、まずNpc1aGFPコンストラクトを用いてCHO細胞における局在を調べた。その結果、意外にも細胞膜からシグナルが観測された。このためNpc1aは細胞膜上で何らかの機能を有していると考え、リポフォリンとの結合の有無およびリポフォリン由来コレステロール-d7の蓄積活性を調べた。その結果、Npc1a発現細胞画分からコレステロール-d7の蓄積が観測された(図8A)。この結果は、Npc1aがリポフォリン由来のステロールと結合することを示しており、Npc1aに存在する進化的に高く保存されたステロール結合ドメインに起因するものと考えられる。

【結論】

本研究から、PTTH刺激後の前胸腺ではLpRの転写が誘導されること、および前胸腺におけるリポフォリン由来コレステロールの取り込みがPTTHによって促進されることが分かった。また、機能解析実験により、LpRのリポフォリン由来コレステロール取り込み活性を確認し、Npc1aについてはリポフォリン由来ステロールとの結合を示唆する結果が得られた。すなわち、前胸腺におけるコレステロール取り込みメカニズムは、PTTH刺激によってLpRの発現レベルが上昇し、コレステロール取り込み経路が活性化されるという分子機構が考えられた。本研究は、昆虫前胸腺におけるコレステロール取り込みの分子基盤に関する初めての知見であり、今後PTTH刺激時における取り込み関連分子の機能およびコレステロール動態の解明が期待される。

図1.(A)カイコの頭部と前胸腺の位置。(B)PTTHの前胸腺に対する作用および前胸腺細胞におけるコレステロール取り込みメ力ニズムの作業仮鋭。

図2.今回分析したステロール類の全構造およびエウジソンの構造。植物ステロール(β-シトステロール、カンベステロール、スチグマステロール)およびエルゴス〒ロールはカイコの食餌(人工飼料)に含まれるステロール。デスモステロールは、中腸で植物ステロールがコレステロールへ変換される際の代謝中間体。7-デヒドロコレス〒ロール(7DC)は、前胸腺におけるエクジソン生合成経路においてコレステロールから生成される最初の代謝中間体。

図3.(A)コレステロールとβ-シトステロールのAPCI-MS/MSスペクトル。(B)デスモス〒ロール、7-デヒドロコレステロール(7DC)、コレステロール、コレステロール-3,4-(13)C2,、カンベステロール、β-シトステロールのMRM(Multiple Reaction Monitoring)クロマトゲラム。(C)リボフォオリンのステロール組成。

図4.(A)カイコ5齢期前胸腺における含有ステロール量の経時変動。(B)LpR転写産物の発現変動。各平均値±標準偏差。n=4。

図5.PTTH刺激(10nM、3時間)した前胸腺におけるLpR転写産物の発現。Ecdy+はエクジソン刺激画分。各平均値±標準偏差。n=6。

図6、(A)PTTH刺激(10nM,15時間)した前胸腺におけるコレステロールの蓄積。Lp+におけるリボフォリン濃度は1mg/mlとした。(B)各培地から検出されたエクジソンの量。各平均値±標準偏差,n=5,*pく0.05.**p〈0.01。

図7.(A)PTTH刺激下15時間の前胸腺におけるリポフォリ(Alexa-Lp)の局在,スケールバー=20μm。(B)(A)の画偉解析。AlexaS46のシゲナル密度。各平均値±標準偏差。n=4。

図8、(A)LpRあるいはNpc 1a発現細胞画分におけるリポフォン由来コレステロール-d7の蓄積。各平均値±標準偏差,n=6。(B)共焦点イメージングによる、LpRGFPとAlexa546-Lpの局在解析。スケールバー=10μm。

審査要旨 要旨を表示する

本論文の題目は「昆虫ステロイドホルモン生合成器官におけるコレステロール取り込みの分子機構」で、序章と本編が第1~3章から、総括の章、実験材料と方法の章、参考文献の章、の7つの章から構成されている。

本編の第1章から第3章の内容は、以下のとおりである。

まず、第1章では、APCI-LC-MS/MSにより微量のステロール化合物の定量系を確立した。まず、様々なステロール標品を用いて、APCI-MSおよびAPCI-MS/MSスペクトルにて分析し、そこで得られた分析結果、特にスペクトルに関して、ステロール化合物で認められる特異性を検証した。次に、ステロイド化合物に特徴的に認められた脱水ピークおよび開裂イオンピークをもとに、高感度の検出系を確立し、さらにスペクトルのイオンピークから作成した検量線を作成した。

このAPCI-LC-MS/MSを用いたステロール化合物の定量系を用いて、カイコの食餌(桑および人工試料)のステロール組成、およびカイコ幼虫の体液中に含まれるリポフォリンが抱合しているステロール化合物の組成を分析した。さらに、カイコ幼虫の前胸腺をはじめとする各器官(中腸、脂肪体、マルピーギ管、脳)のステロール組成、およびその含有量を比較した。また、この定量系の応用として、前胸腺のステロール含有量と血中エクジソン濃度の経時変動も解析した。

第2章では、第1章でのステロール化合物の定量分析結果を、さらに生理学および生化学的に研究を発展させ、カイコ幼虫の前胸腺におけるリポフォリン由来コレステロール取り込み活性を解析した。ここでは、昆虫の脱皮ホルモンであるエクジソンを前胸腺から分泌させるホルモン前胸腺刺激ホルモン(PTTH)の前胸腺へのコレステロール取り込みに関する実験を行った。まず、PTTH刺激によるリポフォリン受容体(LpR)の転写活性が上昇していることを示した。同様に、PTTH刺激により、リポフォリン由来のコレステロールが前胸腺内に蓄積し、その量が増加していることを見出した。この増加量が取り込みによるものかどうかを培養時間の検討や、安定同位体標識のコレステロールを用いトレーサー実験により、リポフォリンが抱合しているコレステロールが前胸腺へと取り込まれることを培養前胸腺を用いて示した。

第3章では、第2章で示した、前胸腺へのコレステロール取り込みをさらに分子レベルでのメカニズムを明らかにするため、リポフォリン、リポフォリン受容体以外にも、近年哺乳類でステロール輸送体として同定されたNiemann Pick type C disease-1a (NPC1a)を同定し、その機能解析を試みた。本章全体では、前胸腺へのコレステロールの取り込み機構がどのようになっているかを検討したものである。まず、LpR発現細胞におけるリポフォリン由来コレステロールの蓄積を分析した。一方、コレステロールの蓄積時におけるLpRとリポフォリンの細胞内局在を、免疫組織化学的・細胞生化学的に解析した。また、前胸腺細胞内で発現しているコレステロール輸送体Npc1aの発現を解析し、生体内におけるリポフォリン、LpR、Npc1aの関係を解析した。Npc1aに関しては、キイロショウジョウバエDrosophila melanogasterのみであるため、CHO細胞を用いた発現系を用いて、Npc1aの機能解析を試みた。ここでは、Npc1aの発現産物がLpRと協調的に前胸腺細胞内へのコレステロール輸送を担っていることを強く示唆したデータが得られている。このことを、さらに遺伝学的に確かめるために、キイロショウジョウバエのNpc1aの発現低下個体が、どのような表現型として認められるかを検討した。結果は、さらなる詳細な生化学的同定は必要であるものの、Npc1aが体内にコレステロールを取り込みに寄与していることを強く示唆するものであった。

本編の記述後は、本研究の総括の章で、本論文における統合的な考察が議論されている。すなわち、カイコ幼虫における前胸腺のコレステロール取り込み機構において、LpRとNpc1aが関わっていることが示されていた。

なお、本論文の一部は共同研究による実験結果も含まれているが、いずれも論文提出者が主体となって行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

以上、本論文は、昆虫ステロイドホルモン生合成器官におけるコレステロール取り込みの分子機構を明らかにしたもので、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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