学位論文要旨



No 129530
著者(漢字) 陳,揚
著者(英字)
著者(カナ) チン,ヨウ
標題(和) 脳梗塞モデル動物の脳機能障害とその回復に関する拡散MRIを用いた研究
標題(洋)
報告番号 129530
報告番号 甲29530
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第875号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 先端生命科学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 久恒,辰博
 東京大学 客員教授 松村,保広
 東京大学 准教授 尾田,正二
 東京大学 准教授 松本,直樹
 東京大学 准教授 関野,正樹
内容要旨 要旨を表示する

【序論】

脳梗塞後の感覚運動機能ならびに認知記憶機能の障害とその回復について、神経再生の観点から大きな関心が集まっている。しかしながらそれらの障害と回復のプロセスやメカニズムについては未だ多くのことがわかっていない。これらの事を理解する上で、梗塞後の脳内の組織を実際に観察することは非常に有効な手段であり、非侵襲的なイメージング技術である核磁気共鳴画像法(MRI)に期待が寄せられている。すでに、脳梗塞後のMRI画像診断として、水分子の組織内での拡散現象に着目した拡散MRIを用いて、超急性期の脳組織変化を鋭敏に検出する方法が開発され(Le Bihan et al., 1986)、臨床の現場で広く用いられている。本研究では、脳梗塞後の亜急性期から慢性期(2ヵ月まで)にかけての長期的な変化を拡散MRIで捉えることを目指して脳梗塞モデル動物を用いた研究を行った。

拡散MRI解析では、主に二つの指標を用いて脳梗塞後の脳内変化が評価されている。一つは、水分子の拡散の方向性を示すfractional anisotropy(FA)である。一般的に、多くの組織では拡散は全ての方向におよそ均一になされるものだが、神経線維が密集する脳の白質では拡散の方向は制限される。FA値は0から1の間をとり、1に近い程方向性が強い。このFA値を調べることによって白質の統合性を知ることできる。二つ目は、拡散の大きさを示すmean diffusivity(MD)である。MD値は、1秒あたりの水の拡散面積を表す。例えば、細胞膨張が起こり、細胞外のスペースが狭くなると、水が自由に拡散できるスペースが相対的に小さくなるため、MD値は減少する。このMD値解析により線維構造を持たない灰白質の状態も評価することができる。

本研究では、二種類の脳梗塞モデルを用いた。サルのラクナ梗塞モデルは、サルの内頸動脈からマイクロビーズを注入し血管を閉塞させるモデルであり(Sato et al., 2009)、軽度な感覚運動機能障害が生じるが、この機能障害は長期的にみると回復する。げっ歯類中大脳動脈閉塞モデル(MCAO)は、ナイロン糸により中大脳動脈を一時的に閉塞させるモデルであり、感覚運動機能に加え、認知記憶機能の障害も生じることが知られている。本研究では、動物モデルを用いた脳梗塞後の拡散MRI解析によって得られた指標と、長期的な感覚運動・認知記憶機能の変化を結びつけるような知見を得ることを目的としている。

【結果】

1.サル脳梗塞後における感覚運動機能回復と白質FA値の関係

マイクロビーズ法という小さなビーズを血栓に見立てて右内頚動脈に射出し、毛細血管を詰まらせることでラクナ様脳梗塞を起こすモデルを適用した。カニクイザル(4~5歳、雄、Macaca fascicularis)に手術を施した後、感覚運動機能障害の評価と拡散MRIによる白質(運動路)の解析を並行して行った。MRIはSiemens社の3 T装置を使用した。感覚運動機能は徐々に回復し、6週後にはほとんど障害はみられなかった(図2A)。また、拡散MRIから得られた数理データをソフトウェアを用いてFA値解析を行った結果、運動路のFA値の減少は7日後にピークを迎え、同じく6週後にはほとんど回復していたことがわかった(図2C)。サルの脳梗塞後の感覚運動機能の回復と、白質のFA値の変化に関連性があることが考えられる。ラクナ梗塞後の白質は一過的な傷害を経て自己修復が行われるという可能性が示唆された。

2.ラット脳梗塞後における感覚運動機能回復と白質FA値の関係

中大脳動脈に2センチ程度のナイロン糸を挿入する中大脳動脈閉塞モデル(MCAO)をラット(9週齢、雄、Sprague-Dawley rat)に適用し、手術から1週後、3週後、2ヵ月後までの感覚運動機能の評価と、拡散MRI撮像を行った。MRIは、Varian社の小動物用4.7 T装置を使用した。感覚運動機能では、1週後と比較して3週後、2ヵ月後は有意な回復が見られた(図3A)。白質(脳梁)のFA値を解析したところ、同様に1週後で一過的な値の減少が見られたものの、3週後と2ヵ月後では対照群と同程度の値を示した(図3C)。

3.ラット脳梗塞後における空間記憶機能の障害と海馬MD値の関係

脳梗塞後の認知記憶機能の障害とその回復に関して、文脈恐怖条件付けテストによる評価で研究を行った。この試験は箱の中に動物を入れて音と電気ショックを与え、翌日箱に入れた時に動物が驚愕して静止する時間(Freezing time)を測定するというものである。Freezing timeが長いほど、記憶形成がなされているということになる。翌日同じ箱に入れるのをContextual testと言い、海馬依存的な空間記憶を評価する。別の箱に入れて音だけを鳴らすのをCue testと言い、扁桃体依存的な恐怖記憶を評価する。結果として、Contextual testでのみMCAO群は対照群と比べて1週後、3週後、2ヵ月後の全てのタイムポイントで有意にFreezing timeが減少しているということがわかった(図4)。ここで特記すべきは、感覚運動機能と異なり慢性期においても回復が見られなかったという点である。

そこで次に我々は空間記憶を司る海馬における変化を捉えるために、灰白質である海馬の拡散MRI解析を行った。海馬は灰白質で線維構造に乏しいため、FA値ではなくMD値を用いて調べた。梗塞側の海馬において、MD値の有意な減少が見られた。長期のタイムポイントでも値の回復は見られなかった(図5B)。さらに、より客観的な解析方法としてStatistical Parametric Mapping (SPM)を利用した集団解析を行った。intactグループと、1週後のMCAOグループ間で図5のCに示すような有意差のあるエリアを表示することができた。これにより、線条体と梗塞側海馬の主に外側の領域がMCAOによるMD値の減少を引き起こしているということがわかった。このMD値の減少により、海馬領域でグリア細胞が膨張している可能性が示唆された。

4.脳梗塞後の海馬における脳組織の変化

脳梗塞後の海馬MD値が回復しない原因を探るために、グリア細胞、特にアストロサイトに焦点をあてた組織解析を行った。脳梗塞後の炎症反応として、アストロサイトが活性化し膨張する際に、glial fibrillary acidic protein (GFAP)の発現が増強されることが知られている。梗塞側海馬全体を3つの領域に分け、GFAPの発現面積を比較したところ、CA2/CA3領域に有意差が見られた(図6)。

【考察】

サルのラクナ梗塞モデルならびにラットMCAOモデルにおいて、感覚運動機能が回復すると白質FA値も回復していた。白質の傷害と修復は感覚運動機能の変化と密接な関わりを持つことが考えられる。一方でラットのMCAOモデルにおいては、空間記憶機能と海馬MD値は共に慢性期においても回復が見られなかった。この時の海馬MD値の減少には、炎症反応によって活性化されたアストロサイトの膨張が影響しているという可能性がGFAPの染色によって示唆された。以上より拡散MRIから得られたこれらの指標は、脳梗塞後の脳機能障害及び回復と相関関係にあるということが言える。

脳梗塞モデル動物の拡散MRIデータ取得

図2感覚運動機能テストと運動路のFA値解析

A. 感覚運動機能障害の評価、健康な状態を0点とする(●サル#1, サル#2)

B. 前交連から-6 mmにおけるFAマップ。白丸で囲った部位の運動路のFA値を解析した

C. 長期的なFA値の回復の様子、7日から14日後に著しく減少したFA値は6週後には回復していた

図3 感覚運動機能テストと脳梁のFA値解析

A. 感覚運動テストの結果。全てのタイムポイントで障害は認められたが(**p<0.01, ***p<0.001)、回復傾向が見られた(★p<0.05, ★★p<0.01)。B. Bregma 0.0 mmの位置におけるFAマップ。緑で示された部分が脳梁である(白矢印)。C. 脳梁のFA値の変化を解析したところ、一過性に減少したが回復が見られた。対照群には無処置のintactと、偽手術を施したshamを用意した。(各群n=6、##p<0.01: shamグループとの比較、*p<0.05, **p<0.01: intactグループとの比較)

図4 MCAO後の文脈恐怖条件付けテスト

A. Contextual testの結果

B. Cue testの結果

MCAOによって海馬依存的な空間記憶形成が阻害されるということがわかった。(各群n=6, #p<0.05, ##p<0.01)

図5 海馬MD値の個別解析と集団解析

A. 梗塞側の海馬を関心領域とした(Bregma -3.50 mm) B. 関心領域におけるMD値の長期的な変化

C. 集団解析によるintact群とMCAO1w群間の比較、MD値の有意な差を色のついたエリアで表示した

D-F. 上段A-Cの解析をそれぞれBregma -4.50 mm の位置で行った結果。1週後の群のみで有意差がついた(各群n=6、#p<0.05, ###p<0.001: shamグループとの比較、*p<0.05, **p<0.01: intactグループとの比較)

図6 梗塞側海馬におけるGFAPの発現強度比較 (各群n=4, ##p<0.01)

審査要旨 要旨を表示する

脳梗塞モデル動物の脳機能障害とその機能回復に関して、MRI画像解析法の一つである拡散MRIを用いて研究を行いその内容をまとめた論文である。論文は2章から構成されており、第1章ではサルの脳梗塞モデルを用いた研究の結果が、また第2章ではラットの脳梗塞モデルを用いた研究の結果が述べられている。

脳梗塞後の感覚運動機能ならびに認知記憶機能の障害とその回復について、神経再生の観点から大きな関心が集まっている。しかしながらそれらの障害と回復のプロセスやメカニズムについては未だ多くのことがわかっていない。これらの事を理解する上で、梗塞後の脳内の組織を実際に観察することは非常に有効な手段であり、非侵襲的なイメージング技術である核磁気共鳴画像法(MRI)に期待が寄せられている。すでに、脳梗塞後のMRI画像診断として、水分子の組織内での拡散現象に着目した拡散MRIを用いて、超急性期の脳組織変化を鋭敏に検出する方法が開発され、臨床の現場で広く用いられている。拡散MRI解析では、主に二つの指標を用いて脳梗塞後の脳内変化が評価されている。一つは、水分子の拡散の方向性を示すfractional anisotropy(FA)である。一般的に、多くの組織では拡散は全ての方向におよそ均一になされるものだが、神経線維が密集する脳の白質では拡散の方向は制限される。FA値は0から1の間をとり、1に近い程方向性が強い。このFA値を調べることによって白質の統合性を知ることできる。二つ目は、拡散の大きさを示すmean diffusivity(MD)である。MD値は、1秒あたりの水の拡散面積を表す。例えば、細胞膨張が起こり、細胞外のスペースが狭くなると、水が自由に拡散できるスペースが相対的に小さくなるため、MD値は減少する。このMD値解析により線維構造を持たない灰白質の状態も評価することができる。

第1章においては、サルのラクナ梗塞モデルを用いた。サルの内頸動脈からマイクロビーズを注入し血管を閉塞させるモデルであり、軽度な感覚運動機能障害が生じるが、この機能障害は長期的にみると回復する。カニクイザルに手術を施した後、感覚運動機能障害の評価と拡散MRIによる白質(運動路)の解析を並行して行った。MRIはSiemens社の3T装置を使用した。感覚運動機能は徐々に回復し、6週後にはほとんど障害はみられなくなった。この拡散MRIから得られたデータを、汎用されているソフトウェアであるdTVを用いてFA値の解析を行った。その結果、運動路のFA値の減少は7日後にピークを迎えるが、この減少は6週後にはほとんど回復していたことがわかった。サルの脳梗塞後の感覚運動機能の回復と、白質のFA値の変化に関連性があることが考えられる。ラクナ梗塞後の白質は一過的な傷害を経て自己修復が行われる可能性を示唆した。

第2章においては、ラット脳梗塞後における感覚運動機能回復と拡散MRIデータの関連性に関する研究データがまとめられている。MRIは、Varian社の小動物用4.7 T装置を使用した。感覚運動機能では、1週後と比較して3週後、2ヵ月後は有意な回復が見られた。白質(脳梁)のFA値を解析したところ、同様に1週後で一過的な値の減少が見られたものの、3週後と2ヵ月後では対照群と同程度の値を示した。なお、ラットの解析においては世界において汎用されているソフトウェアであるDTIstudioを用いて、そのデータ解析を行った。本研究において特記すべきは、感覚運動機能と異なり慢性期においても記憶障害の回復が見られなかったという点である。そこで、空間記憶を司る海馬における変化を捉えるために、海馬の拡散MRI解析を行った。海馬は灰白質で線維構造に乏しいため、FA値ではなくMD値を用いて調べた。梗塞側の海馬において、MD値の有意な減少が見られた。長期のタイムポイントでも値の回復は見られなかった。さらに、より客観的な解析方法としてStatistical Parametric Mapping(SPM)を利用した集団解析も実施し、海馬における梗塞半球側海馬におけるMD値の減少を確認した。

以上のように、サルのラクナ梗塞モデルならびにラットMCAOモデルにおいて、拡散MRIから得られる指標は脳機能障害と連動していることが見出された。特に、FA値は、白質の傷害と修復に関連しており、または海馬MD値の変動は空間記憶機能と連動していることが推察された。本研究は論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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