学位論文要旨



No 129534
著者(漢字) 藤野,泰寛
著者(英字)
著者(カナ) フジノ,ヤスヒロ
標題(和) 無細胞Fabディスプレイ技術の開発とその応用
標題(洋)
報告番号 129534
報告番号 甲29534
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第879号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 上田,卓也
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 富田,野乃
 東京大学 准教授 鈴木,穣
内容要旨 要旨を表示する

序論

抗体医薬は高い開発成功率、顕著な薬効等の理由で近年その重要性が広く認識されている。蛋白質ディスプレイ技術は、既存の抗体医薬の開発において重要な役割を果たしてきた。蛋白質ディスプレイ技術で抗体の探索や最適化を行う場合、完全長抗体から抗原認識に関わる部分を取り出したsingle-chain Fv (scFv)またはFabといった分子フォーマットを利用する。scFvは分子量が27kDa程度と小さいため発現効率は高いが、熱力学的不安定性、多量体化傾向、IgG変換時の活性変化等が問題となる。これに対しFabは分子量が50kDa程度に達するため発現効率は低下するが、単量体で安定に存在し、IgG変換時に活性が変化しないため研究効率が良い。

蛋白質ディスプレイ技術は細胞系と無細胞系に大別できる。ファージディスプレイに代表される細胞系は安定した運用が可能だが、細胞への遺伝子導入が律速となりライブラリ構築作業の負担が大きい。無細胞系の代表例として知られるリボゾームディスプレイは、ライブラリDNAをベクターに連結して細胞へ導入する作業が必要ないため、簡便かつ迅速にライブラリを構築できる。しかしRNAを遺伝媒体とするため系が不安定で、scFvへの応用例は報告されているものの、Fabを扱った報告はない。

抗体の親和性向上や親和性を維持しながら特異性や配列など他の性質を改変する試みは最適化の基本といえる。しかし、蛋白質間相互作用を支配する物理化学や蛋白質の構造・機能の変異耐性は非常に複雑であるため、X線結晶構造データと高性能な計算機システムを用いた計算科学的アプローチをもってしても1000倍以上の親和性向上を報告した例はない。一方、蛋白質ディスプレイ技術によるアプローチは過去に1000倍以上の親和性向上の報告があるものの、その成否はライブラリの設計やディスプレイ系の性能に依存し、多大な時間と労力を必要とするものであった。

本研究では、再構築型無細胞翻訳系PURE systemの採用により安定性を強化したpure ribosome display(PRD)を用いてFabを選択する技術(Fab-PRD)を開発した。さらにFab-PRDの迅速なライブラリ構築の強みを活かした、独自の親和性向上技術(Ymacs)の開発を試みた。

Fab-PRDの技術開発

Fab-PRDの動作確認に使用するモデルFabとしてHer-2に結合するFab(以下Fab-HH)とTNFαRに結合するFab(以下Fab-TT)を大腸菌分泌発現系で調製し、結合活性、特異性、L鎖・H鎖相互依存性を確認した。次にBicistronic型とMonocistronic型の2種類のFab-PRD用鋳型DNAを構築した。Bicistronic型は1本のRNA分子内に天然型Fab を構成するL鎖とH鎖の2つのORFを設置し、双方にリンカー配列を介してリボゾームストールを誘導するSecM配列を連結した。Monocistronic型はL鎖とH鎖をGSリンカーで接続したsingle-chain Fab (scFab)を単一のORFとして設置し、下流にリンカー配列を介してSecM配列を連結した(図1)。Bicistronic型、Monocistronic型それぞれのFab-PRD用鋳型DNAから天然型Fabおよびsingle-chain Fab(scFab)を合成し、ウエスタンブロットによる全長翻訳産物の確認、およびELISAによる標的結合活性の確認を行った。

2つのモデルFabの鋳型DNAを任意の比率で混合し、Fab-PRDによる1ラウンドの選択実験を実施した。その結果、1ラウンドあたりの濃縮倍率はBicistronic型で90倍程度、Monocistronic型で3500倍程度と算出された(図2)。これによりMonocistronic型で、1ラウンドの濃縮倍率の目標値であった1x103倍を達成した。また回収率を最大化するために、最初のRT-PCRによるcDNA回収領域を6つの相補性決定部位(CDR)を含むコア領域に限定し、次に前後のDNA断片とPCR連結することで全長化する方式を確立した。さらにSecM配列のコピー数、リンカー領域の長さを検討し回収率の目標値であった1x10(-3)を達成した。また1.2x10(12)分子のFab-HH中にFab-TTを4x102分子スパイクし、ここから1ラウンドのFab-PRDでFab-TTのmRNAを回収することに成功した。

Ymacsの技術開発

抗体の親和性向上を目的としたライブラリ設計は、可変領域全体を対象としたランダム点変異の導入や、CDRに限定したアミノ酸配列のランダム化が主流といえる。これらのライブラリは容易に構築できるが、性能は必ずしも高くない。これに対し個々の親抗体ごとにCDRの有用変異を網羅的に同定し、これらを組み合わせてテーラーメイドライブラリを構築する手法は、効率的な親和性向上が期待できる反面、個々の変異体を生化学的手法で評価しながら有用変異を探索するという負担の大きい作業が別途必要になるため、報告例は非常に少なかった。有用変異を探索する別の方法として、蛋白質ディスプレイ系によるライブラリ濃縮過程で個々の変異体の濃縮速度を測定する方法がある。この手法は大規模なDNA配列解析を必要とするが、次世代シークエンス技術の普及によりこの問題点が解消しつつある。

本研究ではFab-PRDの迅速なライブラリ構築能力と次世代シークエンス技術の高い配列解析能力を組合せることで、CDRの高速かつ網羅的な有用変異探索(変異スキャン)を実施し、得られた情報に基づいてテーラーメイドライブラリを構築し、その性能を評価した。

Fab-TT(KD=7nM)の6つのCDRを構成する全50ポジションを対象に、1ポジションずつ天然アミノ酸20種類にランダム化する1アミノ酸置換ライブラリを構築した。合計50ポジション分のライブラリをL鎖とH鎖で別々にグループ化し、L鎖およびH鎖の1アミノ酸置換マトリクスライブラリとした。TNFαRをベイトとした合計3ラウンドのFab-PRDで2つの1アミノ酸置換マトリクスライブラリを平行して濃縮し、CDR1からCDR3にかけてのDNA配列をRoche454次世代シークエンサーで解析した。理論的に考えられる合計1000種類の1アミノ酸置換体について濃縮比(選択後ライブラリ中の頻度/選択前ライブラリ中の頻度)を算出し、濃縮比の高いアミノ酸置換を優先的に採用しながら組合せライブラリを構築した。

ベイトのTNFαRの濃度を徐々に下げながら、合計5ラウンドのFab-PRDで組合せライブラリを濃縮した。scFabをコードする濃縮後のライブラリからインバースPCRクローニングで天然型Fab発現ベクターを構築し、大腸菌の培養上清に分泌したFabを用いて個々のクローンを評価した(図3)。合計92クローンから43個のELISA陽性クローンを同定し、これらを表面プラスモン共鳴(SPR)で評価したところ、上位クローンはSPRでの精密な親和性測定が困難なレベルにまで親和性が向上していることが明らかとなった(図4)。ここから3クローンを選抜しkinetic exclusion assay (KinExA)による親和性の精密測定を実施した結果、それぞれのFabのKDは18.2 pM(400倍向上)、14.1 pM(516倍向上)、3.45 pM(2110倍向上)と算出された(図5)。43個のELISA陽性クローンのアミノ酸配列は全て異なっており、KinExA測定を実施した3つのクローンは5または7と非常に少ないアミノ酸置換数で高度な親和性向上を達成したことが明らかとなった(図6)。

結論

Fab-PRDの技術開発では、Monocistronic型Fab-PRDで1ラウンドの濃縮倍率≧103倍以上、必要最低コピー数≦103分子、の目標値を達成した。これらの数値はphage displayに匹敵するパフォーマンスであり、Fab-PRDが高い実用性を持つと考えられる。また無細胞蛋白質ディスプレイ技術でFabを扱った唯一の先行研究であるemulsion DNA displayは無細胞翻訳反応50μl当り1.5x108分子しか処理できないのに対し、Fab-PRDは無細胞翻訳反応50μl当り3x10(12)分子という高密度反応で動作するため、より大規模なライブラリの運用が可能と考えられる。

Ymacsの技術開発では、Fab-PRDの迅速なライブラリ構築の強みと次世代シークエンス技術の高い解析能力を組み合わせた高速・網羅的な変異スキャンを試み、効率的に有用変異を同定することに成功した。変異スキャンで得られた情報を基に設計した組合せライブラリからは、100に満たない最小限の数のクローン解析から高度に親和性が向上したクローンが多数同定されており、親和性向上用のライブラリとして非常に質が高いと考えられる。今回確認されたKD値による2110倍の親和性向上倍率は、人為的な親和性向上の研究において、調べた限り文献的に最も高い値と考えられる。非常に少ないアミノ酸置換数で高い親和性向上倍率を達成している点も、予想外の機能変化リスクを回避する上で重要と考えられる。また本研究で開発された親和性向上戦略は本来的にテーラーラーメイド戦略であるため、他の抗原抗体結合や抗体以外の蛋白質間相互作用の親和性向上にも状況適応的に高い汎用性を示すと考えられる。

図1

図2

図3

図4

図5

図6

審査要旨 要旨を表示する

医療用モノクローナル抗体の普及と同時に、抗体を効率よく探索・最適化する技術の重要性が高まっている。蛋白質ディスプレイ技術は抗体の探索技術のみならず最適化技術としての応用が可能であり、医療用モノクローナル抗体の開発研究において重要な役割を果たしている。無細胞翻訳系を利用したリボゾームディスプレイは大規模な抗体ライブラリにアクセスできるという強みを持つ一方で、RNA分解酵素等の影響を受けやすいため系が不安定であるという課題をもつ。本論文は、再構築型の無細胞翻訳系で安定化したリボゾームディスプレイで抗体創薬研究において研究効率が高いFabの分子形を扱う技術(Fab-PRD)の開発とその応用例について述べたものであり、緒言、材料と方法、結果と考察、総合考察の4章より構成されている。

第1章は緒言であり、研究の背景が述べられている。ここでは抗体分子の構造と各ドメインの役割を整理し、scFvの分子形とFabの分子形の比較を通してIgG創薬研究をFabの分子形で実施することの優位性に着目した。また抗体研究で活用されている他の蛋白質ディスプレイ技術とリボゾームディスプレイの強みと弱みを比較し、これまで不可能とされてきたFabの分子形でのリボゾームディスプレイの有用性を指摘した。さらに、この技術を開発するために、無細胞翻訳系として再構築型のPURE systemの採用が重要となる点やFab-PRDで用いるDNA断片の具体的な設計について事前に考察した。Fab-PRDの応用例として抗体親和性エンジニアリングを想定し、過去に報告されてきた手法とその成績を再確認することで、親和性エンジニアリングにおけるライブラリ設計の重要性に着目した。その結果、これまでのライブラリ設計の主流であったCDRランダム化やerror-prone PCRによる確立論的なライブラリ設計に対し、CDRにおける1アミノ酸置換で親和性向上に貢献しうるものを網羅的に探索しそれらを組合せることで個々の抗体ごとにライブラリを設計するカスタムライブラリ戦略の優位性を指摘した。

第2章では実験に用いた材料と方法、第3章では実験の結果と考察が述べられている。前半のFab-PRDの技術開発では、2つのモデルFabを用いた基礎実験を実施した。Fab-PRDにおけるBicistronic型とMonocistronic型の2つのディスプレイ方式の濃縮倍率を比較した結果、Monocistronic型Fab-PRDが高い性能を示すことを見出した。その理由としてディスプレイ複合体の配向性やL鎖・H鎖の合成が同期しやすい点を指摘した。その後Monocistronic型Fab-PRDにフォーカスして回収率の測定と最適化を実施した。ここではSecM配列によるリボゾームストールの不完全性に着目し、SecM配列を2コピーにすることで回収率を向上させることに成功した。またRT-PCRで回収するアンプリコンの検討では、全長回収ではなく重要な遺伝情報を含むコア領域だけを回収する戦略を採用することで、より安定した回収を実現した。これらの最適化の結果、1ラウンドあたりの濃縮倍率が1000倍以上、検出感度に関しては投入RNA10(12)分子中に含まれる400分子を回収できる系の開発に成功した。

後半のFab-PRDの応用例では、Kdが7.3nMのモデルFabの親和性エンジニアリングに挑戦した。ここでは、Fab-PRDと1アミノ酸置換変異体ライブラリを組合せて、次世代シーケンス技術によるCDR領域の変異スキャンを実施し、濃縮比(Enrichment Ratio)を指標に親和性向上に有用と思われる1アミノ酸置換を非常に効率よく同定した。これらの1アミノ酸置換は実際に親和性の測定実験に基づいて同定されたわけではないため、ある程度のノイズを含む可能性がある。しかし、変異スキャンで同定した1アミノ酸置換を組合せたカスタムライブラリを合成し、ここから2000倍以上親和性が向上した変異体を単離することに成功した。これにより変異スキャンデータを基に選抜した1アミノ酸置換が親和性向上に十分貢献しうることを証明した。これらの結果から抗体の親和性エンジニアリングにおいてFab-PRDの有効性を十分示すことに成功した。

第4章では総合考察を行いFab-PRD技術の今後の展望を議論した。この中でFab-PRDが本来は大規模ライブラリへのアクセシビリティーを強みとする技術であることを前提に、ナイーブライブラリ技術への応用の可能性や、高品質なナイーブライブラリを構築する技術としての可能性、またファージディスプレイやイーストディスプレイ等他の蛋白質ディスプレイ技術と連携しながらFab-PRDを活用していくための戦略を議論した。

以上、本論文は独創的なアプローチによって、蛋白質ディスプレイ技術による抗体エンジニアリング研究の新しい手法を開発したもので、学問上、応用上貢献するところが少なくない。よって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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