学位論文要旨



No 129535
著者(漢字) 荒井,千恵
著者(英字)
著者(カナ) アライ,チエ
標題(和) 異常膜タンパク質発現による酵母プリオン消失機構の解析
標題(洋)
報告番号 129535
報告番号 甲29535
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第880号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 伊藤,耕一
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 准教授 富田,野乃
 東京工業大学 教授 田口,英樹
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

プリオンとは、βシート構造の豊富なミスフォールディングしたタンパク質の一種であり、哺乳類細胞ではPrPタンパク質がミスフォールドした感染性タンパク質PrPsc(スクレイピー型) を形成するクロイツフェルト・ヤコブ病などでよく知られる。タンパク質のプリオン化は、プリオン凝集体に作用され異常型に変換された正常型タンパク質が連鎖的に重合することで進行する。出芽酵母Saccaharomyces cerevisiaeでは翻訳終結因子eRF3が本来の機能性から延長した部位にQNリッチ領域を含むプリオンドメインを持ち、タンパク質の構造変化によりプリオン化を引き起こす現象が知られている。eRF3がプリオン化すると[PSI+]という翻訳終結活性が低下する遺伝型(ナンセンスサプレッション型)に変換される。このeRF3のプリオン[PSI+]は報告のある酵母プリオンの中で最も解析が進んでおり、プリオン化することで、翻訳終結能ばかりでなく多様な表現型に影響することが知られる。このように酵母プリオンは遺伝子配列に依存しない広範囲なエピジェネティックな遺伝型変換を可能にする。

[PSI+]遺伝型の継承は、娘細胞への凝集体の伝播によって行われる。分子シャペロンHsp104は、プリオン凝集体に直接作用し断片に解体(脱凝集)する活性をもつ。この脱凝集作用により、巨大な凝集体が適度な凝集体の大きさに分断され凝集核として娘細胞へ運搬されやすくなりプリオンが継承される(プリオン伝播)。

一方、Hsp104の過剰発現下では凝集体の過度な分断が起こり、凝集核も形成されなくなるため娘細胞へのプリオン伝播が行われなくなると考えられている。逆に、Hsp104の欠損では凝集体がほとんど分断されず肥大化するため凝集核が不足し、娘細胞へのプリオン伝播が行われない。

酵母プリオンの特徴は、プリオン状態と消失する状態とが一定の頻度で可逆的に遺伝型変換(switching)を示すことである。しかしながら、どのようなことを契機にswitchingが起き、その後それぞれの状態が安定に維持されるのかを決定する諸要因の細胞内システムの理解には至っていない(図1)。昨年、プリオンと同様なアミロイド疾患であるアルツハイマー病の酵母モデル化成功による新規因子同定が報告された。この事からも、モデル生物として酵母プリオンの有用性が証明され、細胞内の振る舞いを理解することでプリオン病や神経変成疾患の治療にも貢献できると考えた。そこで、本研究は、プリオン化した細胞からプリオン消失に至るswitchingメカニズムの理解に焦点を当て研究を行った。

【方法・結果】

プリオン消失を引き起こす異常型膜タンパク質の同定

最初に、プラスミドベクター上のゲノムライブラリーから、プリオン株に導入することで積極的にプリオンを消失させる遺伝子のスクーリーニングを行った。その結果、取得されたプラスミドクローンには、一群の欠損型膜タンパク質が含まれることが明らかになった。プリオン化に関与する因子として異常膜タンパク質の報告はこれまでされていなかったため、その分子機構の解明を行うこととした。

本研究は、そのうち最も効果が顕著なDip5の異常型欠損体(Dip5ΔC-v82)に注目し解析を進めた。Dip5は12回膜貫通ドメインを持つグルタミン酸とアスパラギン酸の取り込みを行うジカルボキシアミノ酸パーミアーゼである。Dip5ΔC-v82は、C末端の膜貫通ドメイン4つが欠失しその延長にベクター由来のアミノ酸配列82残基が直結する構造をもつ(図2)。まず、Dip5ΔC-v82タンパク質が本来の機能性を保持しているかを遺伝学的なトランスポーターアッセイ系で検討した結果、活性が認められなかった。また、Dip5ΔC-v82が細胞内の野生型に対してドミナントネガティブ体としても機能しないことも明らかとなった。これらのことはDip5ΔC-v82が正常な膜への発現や協調因子との相互作用を行わないことを意味する。

異常膜タンパク質Dip5ΔC-v82は、ヒートショック応答を誘導する

次に、Dip5ΔC-v82の発現が異常タンパク質による細胞内ストレス応答を引き起こしている可能性を検証した。異常タンパク質により誘導されるストレス応答は、主にUnfolded protein response (UPR)とヒートショック応答 (HSR)が知られ、それぞれに特異的なプロモーターを用いたレポーターアッセイ系を用い、Dip5ΔC-v82発現の影響を確認した。その結果、プリオン株でのDip5ΔC-v82発現は、特異的にHSRを誘導していることが判明した。また、同時に、このHSRにより若干のHsp104のタンパク質発現上昇も確認された。

Hsp104発現誘導はDip5ΔC-v82によるプリオン消失の直接の原因でない

前述したように分子シャペロンHsp104の過剰発現は、プリオン凝集体を過剰に細断化することでプリオンが伝播されず消失を引き起こす。したがって、Dip5ΔC-v82によるプリオンの消失は、Hsp104の発現上昇に起因する可能性が想定された。そこで、Dip5ΔC-v82のプリオン消失とHsp104誘導の因果関係を検証した。Hsp104のヒートショック誘導は、プロモーター上のヒートショックエレメント配列に依存する。Dip5ΔC-v82によるプリオン消失とHsp104発現上昇の関係性を明らかにするため、HSP104遺伝子のプロモーターをヒートショック非応答性の定常

時と同程度の強度のプロモーターに置換したプリオン株を構築しDip5ΔC-v82のプリオン消失を検討した。その結果、Dip5ΔC-v82によるプリオン消失は、野生型株と比較し優位な差は認められず、Hsp104の発現上昇とは依存しない別のHSR由来のメカニズムの存在が示唆された。

異常膜タンパク質の小胞体への蓄積とプリオン消失の検証

次に、Dip5ΔC-v82の変異体以外に、様々な膜貫通領域部位で欠失した変異体シリーズを作成し、トランスポーター活性とプリオンの消失を検討した。膜貫通ドメイン8 (TM8)で切断されているDip5ΔC-v82を改変した変異体TM7-v82、TM9-v82、完全長Dip5にv82配列を付加したDip5+-v82を作製した(図2)。その結果、プリオンの消失は、TM7-v82、TM9-v82で起きるが、Dip5+-v82はプリオンの消失を起こさないことが分かった。さらに、Dip5+-v82はトランスポーターアッセイの結果、活性を保持していることが判明した。このことは、膜への適正な発現が出来ず同時にトランスポーター活性を失ったもののみがプリオン消失を誘導し、機能未知のベクター由来配列v82自身の付加はプリオン消失の直接の要因では無いことを示唆する。このことは、第1膜貫通ドメイン直下のループ領域へのHAタグを挿入した変異体Dip5+-HA(図2)でもDip5ΔC-v82と同様の効果が見られたことからも支持された。

異常タンパク質発現による"ヒートショック応答"は、細胞に負荷がかかることから逃れるための細胞応答であるため、Dip5ΔC-v82の細胞内局在を観察することでストレス負荷部位を推測出来ると考えた。蛍光タンパク質タグを付加したDip5ΔC-v82変異体の細胞内局在を観察したところ、小胞体(ER)への蓄積が観察された。したがって、Dip5ΔC-v82によりERストレスが起こされることでHSRが持続的に誘導されプリオンが消失するという経路が推定された。

小胞体輸送の阻害は、Dip5ΔC-v82によるプリオン消失を阻害する

Dip5ΔC-v82がERに蓄積されていたことから、プリオンの消失は異常タンパク質の輸送・分解系経路との関与が考えられた。しかし、Dip5ΔC-v82によるプリオン消失と、一連の膜タンパク質の分解系因子との関与は認められなかった。そこで、膜タンパク質合成過程の輸送に関わる品質管理機構に注目した解析を行った。

膜貫通タンパク質は厳密に翻訳と膜挿入が同時に行われるメカニズムが提唱されている(co-translational translocation)。しかし、複数回膜貫通タンパク質での輸送メカニズムや合成において失敗した時などの品質管理機構についての詳細は不明である。近年、C末端側に一回膜貫通ドメインを持つtail-anchored型膜タンパク質の膜挿入は、疎水性領域と親和性を示すGet3を含むGet complexの制御により行われているという報告が相次いでいる。そこで、異常複数回膜貫通型タンパク質であるDip5ΔC-v82のタンパク質品質管理システムに関与する因子が、Get complex によって処理される可能性を想定し、Dip5ΔC-v82によるプリオン消失とGet complexの関与を検討した。その結果、Get3を始めとする幾つかのGet complex因子の欠損株背景では、Dip5ΔC-v82によるプリオン消失が完全に抑制されることが判明した。興味深いことに、このプリオン消失阻害現象は異常膜タンパク質によるプリオン消失機構に特異的であることも明らかにした。さらに、ERに蓄積していたDip5ΔC-v82は、Get3欠損株では、ERに局在性を示さなくなった。このことは、異常複数回膜貫通タンパク質がGet complexにより認識され、ERへの輸送を行うというGet complexの新規機能を示唆している。以上のことから、Get3が異常膜タンパク質を認識し、ERへ輸送した結果、ERストレスが蓄積され、それと共にプリオンの消失に至ったというメカニズムが推測された。

【結論】

これまで、プリオンを安定的な状態から不安定化させるswitching因子は、シャペロンやアミロイドタンパク質の誘導体など直接的な凝集体との相互作用を行うものでしか示されていなかった。しかし、本研究では、異常膜タンパク質の発現によるERストレス誘導によりプリオンが効率よく消失するという新規な経路を明らかにした。この現象には細胞内ストレス応答に関与する多くの既知または未知因子との関与が考えられる。さらに、異常膜タンパク質に作用しERストレス応答に関与する主要因子としてGet complexを同定した。正常時におけるERストレス経路を介したプリオン消失機構の寄与は未解明ではあるが、Get complexは種間保存性が高く、哺乳類のアミロイド凝集体の消失作用にも関与する可能性があり、将来の疾患治療に応用が期待出来る。

また、複数回膜貫通タンパク質合成と共役するco-translational translocationに関わる品質管理機構の一環としてGet complexが関与するという極めて重要な知見も示唆された。複数回膜貫通タンパク質の異常合成時には、Get complexにより異常膜タンパク質がERに蓄積され、ストレス応答を誘導することで分解等の作用を受けるのではと考えられる。膜タンパク質の合成・膜挿入に関わる品質管理機構のメカニズムの詳細は不明な点が多いが、今後Dip5ΔC-v82をモデルにした異常膜タンパク質の品質管理メカニズムを解析することで解明に繋がると考えられる。

図1. 酵母プリオンにおける表現型スイッチング

酵母プリオンは、自らの凝集体の分断による娘細胞へのプリオン伝播やアミロイド誘導体の作用などでプリオン化することが知られている。酵母プリオンは、プリオン状態と非プリオン状態を行き来することが可能である(Switching)。しかし、このswitchingをトリガーとするメカニズムは不明である。また、それぞれの状態でなぜ安定状態を保てるかという事も不明である。

図2. Dip5の各変異体

野生型Dip5は12回膜貫通タンパク質である。取得された変異体Dip5ΔC-v82は8回膜貫通ドメインで切断されv82配列が付加されている。TM7、TM9はそれぞれ7回、9回膜貫通ドメインで切断してv82配列が付加されている。Dip5+-v82、Dip5+-HAは完全長Dip5にそれぞれv82、HAタグを付加した。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は5章からなり、酵母プリオンに関して、酵母ゲノムライブラリーよりスクリーニングされた、新規なプリオン消失因子に関する研究成果が述べられている。第1章では本研究の背景が述べられている。第2章では本研究のために考案された新規なプリオン消失因子のスクリーニング法および、新規に得られたプリオン消失因子であるC末端欠失型異常膜タンパク質クローン(Dip5ΔC-v82変異体)の検証実験、および、既知のストレス応答系(HSR, UPR)への影響や、局在性解析など詳細な検証解析結果について述べられている。その結果、同異常タンパク質は、細胞内において熱ショック応答HSRを誘導すると同時に、小胞体膜への局在性を示すことが明らかになった。第3章では、C末端欠失型異常膜タンパク質(Dip5ΔC-v82変異体)の小胞体局在性の分子機構について、推測し検証した解析結果について述べられている。その結果、複数膜貫通型タンパク質が、C末端欠損により異常化した場合に、一回膜貫通タンパク質の小胞体膜挿入に関わるGET Complexがこの小胞体の局在性ならびに、GET complexと関与する因子のシャペロンタンパク質Hsp70がプリオン消失に関与する事実を明らかにした。第4章では、これらの新知見をもとに、C末端欠失型異常膜タンパク質がプリオン消失を引き起こす分子機構について総合的に議論し、作用機序を説明するモデルを提案している。第5章には実験素材と方法、終章には引用文献が記載されている。

なお、本論文は、倉橋洋史、石渡昌雄、大石圭太、及び 中村義一の共同研究を含むが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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