学位論文要旨



No 129536
著者(漢字) 吉村,千穂子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,チホコ
標題(和) 分子間相互作用解析に基づく蛋白質間相互作用阻害剤の創製
標題(洋)
報告番号 129536
報告番号 甲29536
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第881号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 津本,浩平
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 浜窪,隆雄
 産業技術総合研究所 副部門長 本田,真也
 東京大学 准教授 和田,猛
 東京大学 准教授 富田,野乃
内容要旨 要旨を表示する

第1章 序論

疾病の制御の目的で低分子化合物を用いることは,細胞内の蛋白質や蛋白質間相互作用など,多様な標的へのアプローチを可能とする.しかし低分子化合物の誘導体展開による活性の向上の過程では,しばしば分子量・疎水性の増大を伴い,時として非特異的な相互作用や生体利用率の低下を招く事が課題となっている.このため,活性は弱くとも相互作用の特性(質・効率)のよい化合物をもとに展開をはかることが有用と考えられるが,様々な蛋白との相互作用を持つ,動的な特性を見せる蛋白では,特に論理的分子設計が困難である.本研究においてはモデルとして,多数の蛋白質と相互作用し,それらの立体構造を制御する事が知られているHSP90と, Ca(2+)結合時の疎水性表面の露出によりp53の天然変性部位と結合するS100Bという,動的特性を持つ2つの系を対象として,相互作用解析に基づく阻害剤創製を試みた.

本論文は全5章により構成されている.第1章の序論に続いて,第2章ではHSP90と複数の阻害剤の熱力学的な相互作用解析を通じ,結合様式不明であった化合物THS-510の結合様式を推定し,その仮説に基づき得られた新規誘導体について,活性の向上に加え,アイソフォーム選択性の獲得という知見を得ている.第3章では,明確なポケットを持たず,疎水性のクレフトによりp53と結合するS100Bを対象に,S100Bと相互作用を持つと報告のある低分子化合物に関して,結合の熱力学的プロファイルと,p53との蛋白質間相互作用阻害の有無を明らかにした.これを通じ,S100B結合化合物がS100Bに対しゆらぎの制御を行っているという示唆を得ている.第4章では,蛍光偏光法によるp53-S100B蛋白質間相互作用阻害剤のアッセイ系を構築し,Fragment Libraryの評価をもとにFocused Libraryを構築・評価することで,Ligand Efficiencyの高いヒット化合物を得ると同時にその構造活性相関を明らかにした.さらに,メラノーマ細胞内での蛋白質間相互作用阻害について評価系を構築,得られた阻害剤の細胞内での作用についても知見を得ている.最後の第5章は,全体の総括である.

第2章 新規HSP90阻害剤の創製

HSP90は多数の癌関連蛋白質の立体構造保持に必須であり,癌治療において有望な標的である.フラグメント化合物THS-510がhuman HSP90αのN末端ドメイン(hHSP90αNTD)に対しΔH drivenな結合を示したことから,より詳細に解析することとし,結合様式既知の複数化合物を用いた競合的等温滴定カロリメトリー解析により,THS-510の結合様式推定を行った(図1).

その結果,THS-510はATPポケットを占有するタイプの化合物と競合せず,ATPポケットに加えhHSP90αNTDが特定のコンフォメーションをとる場合にあらわれる2(nd) ポケットを利用するタイプの化合物に対しては競合した.このことから,THS-510を2(nd) ポケットならびにその周辺領域を利用して結合している化合物であると仮定して,さらなる展開と解析を行った.

THS-510をもとに,ATPポケットを占有する目的で展開された化合物群のひとつであるTHS-1593において,HSP90への結合活性の向上と,それに伴う癌細胞株におけるHSP90クライアント分解・細胞増殖抑制効果が見られた.

THS-1593はこれまでの多くのHSP90阻害剤と結合様式上異なる性質(3rd ポケットの利用)を有する事が予想されたため,4種のIsoformに対する選択性を調べたところ,HSP90α・βに対し選択的な阻害を示した.これまでにPan HSP90阻害剤,およびIsoformのひとつであるGRP94の阻害剤は知られているものの,HSP90α・βを選択的に阻害する化合物は我々の報告以外では見られていない.より高次での作用を調べるため,Her2発現胃癌株であるNCI-N-87の皮下移植モデルにおいて,抗腫瘍効果を調べたところ,THS-1593は腫瘍を縮退させる効果を示した.

以上より,熱力学的な相互作用解析を通じ,新規HSP90阻害剤を得るとともに,得られた化合物がアイソフォーム選択性というユニークな特徴と,高い抗腫瘍効果を持つことを示した.

第3章 S100B結合化合物の物理化学的解析

S100Bはメラノーマ等において発現が亢進しており,発現と予後との相関について報告がある.S100Bは癌抑制蛋白質であるp53と相互作用能を持つが,S100Bを阻害することでp53によるアポトーシス誘導能が亢進されることが報告されている.従って,S100B-p53蛋白質間相互作用阻害がメラノーマを中心とした癌の治療標的となる可能性がある.

まず先行研究においてNMRおよびX線共結晶構造解析によりS100Bへの結合が報告されている化合物およびそれらと類似性を持つ化合物群を収集し,熱力学的な寄与を調べた.結果,DNAやRNAなど他多数の標的を持つ事が明らかとされているpentamidineを除いては結合時の発熱は観察されず,またpentamidineの結合においても本研究における測定条件下ではΔS 駆動型であった.深いポケットと結合水を有する酵素における標的部位の場合と異なり,浅く広く疎水性のクレフトを対象とする系では,物理的に相互作用が確認されている化合物であってもΔH駆動型の結合が見出されづらい傾向を示していると考えられる.また,表面プラズモン共鳴(SPR)により,p53(367-388)を固定したセンサーチップに対しS100Bの結合の有無を観察する系において,S100Bに化合物を混合した際に,S100Bのp53への結合が阻害されるか否かを評価したところ,化合物の存在下でもp53への結合が失われない場合があった.ここから,蛋白質間相互作用阻害剤の探索においては,対象の一方の蛋白質に化合物が結合するだけでは不十分である場合があることが示された.また,S100B結合化合物とS100Bの共存下でpentamidineを結合させた際,pentamidineの結合時の発熱が増強される例が見られた.これは,低分子化合物がS100Bのゆらぎを制御している可能性を示唆しており,蛋白立体構造をRigidに扱ってのStructure Based Drug Designが困難であることが予想された.

第4章 Human S100B-p53蛋白質間相互作用阻害剤の探索

S100Bとp53の相互作用に対して強い阻害能を持つ化合物を効率よく見出すために,蛍光標識タグを持ったp53(367-388)ペプチドを用いて,競合的偏向蛍光法によるハイスループット評価が可能であるアッセイ系(FPアッセイ)を構築した.化合物溶液については東京大学創薬オープンイノベーションセンターから提供を受けた.プレスクリーニングとして分子量が小さく溶解度が高い2000化合物(フラグメントライブラリー)について250 μMにおける阻害率を評価した.30%以上の阻害率を示した化合物群(Initial Hit)をもとに,センター保有の約20万化合物を対象にSimilarity検索を実施することにより化合物選択を行いFocused Libraryを構築・評価した.その結果,IC50値が50 μMを下回る化合物が22化合物見いだされ,同時にInitial Hitおよび周辺化合物のHit・Non-hit化合物群の構造を比較することで,それぞれの群での構造活性相関が明らかとなった(図2).以上より,蛋白質間相互作用阻害剤探索における化合物ライブラリ構築・アッセイ系構築・スクリーニング・ヒット化合物の解析を通じ,S100B-p53蛋白質間相互作用阻害剤を新たに獲得するとともに,標的蛋白質の立体構造やPositive Controlとなる化合物を事前に必要としない,阻害剤獲得初期における効率的なワークフローを構築した.また,疎水性の浅いクレフトが対象であるにもかかわらず,明らかな構造活性相関が存在することを示し,蛋白質間相互作用における制御の厳密性の一端を示した.

化合物10aについてSPRによる解析を行ったところ,10aはS100Bに結合することで,S100B-p53相互作用を阻害している事が示された.さらに,S100Bおよび野生型p53発現ヒトメラノーマ細胞株WM-115において10aは細胞増殖を抑制し,細胞膜透過性を持つことが示された.そこでさらに,細胞内におけるp53とS100B複合体を検出する系をProximity Ligation Assay法により構築し,細胞内でのS100B-p53蛋白質間相互作用阻害をIn situで観察する事に成功した.同系において化合物10aを添加の上観察したところ,S100B-p53相互作用の阻害が確認された(図3).

第5章 結論

物理化学的解析,相互作用解析は,結合様式や標的蛋白あるいは低分子化合物の構造情報と統合して用いることで,より深い洞察を与えることができる.これにより,本研究においてはHSP90阻害剤およびS100B-p53相互作用阻害剤の探索において,比較的分子量が小さくmodelateな活性を示す化合物から,さらに活性の向上,高次評価へと導くことができた.今回の結果は,鍵と鍵穴式では語りえない,動的な特性をもつ標的への阻害剤創製に対する基礎情報を与え,また今後様々な新たな標的への治療薬開発に向けた有用な知見となりうる.

図1. 競合的等温滴定カロリメトリー解析によるTHS-510の結合様式推定

図2.左:スクリーニング概要 右:SARの例

図3. Proximity Ligation Assay法によるWM-115細胞におけるS100B-p53複合体(赤)の検出(青はDAPIによる細胞核の染色)

審査要旨 要旨を表示する

本論文は全5章により構成されている.第1章の序論に続いて,第2章ではHSP90と複数の阻害剤の熱力学的な相互作用解析を通じ,化合物THS-510の結合様式を推定し,その仮説に基づき得られた新規誘導体について,活性の向上に加え,アイソフォーム選択性の獲得という知見を得ている.第3章では,明確なポケットを持たず,疎水性のクレフトによりp53と結合するS100Bを対象に,S100Bと相互作用を持つと報告のある低分子化合物に関して,結合の熱力学的プロファイルと,p53との蛋白質間相互作用阻害の有無を明らかにした.これを通じ,S100B結合化合物がS100Bに対しゆらぎの制御を行っているという示唆を得ている.第4章では,蛍光偏光法によるp53-S100B蛋白質間相互作用阻害剤のアッセイ系ならびにアッセイ対象となる化合物ライブラリを構築し,Ligand Efficiencyの高いヒット化合物を得ると同時にその構造活性相関を明らかにした.さらに,メラノーマ細胞内での蛋白質間相互作用阻害について評価系を構築,得られた阻害剤の細胞内での作用についても知見を得ている.最後の第5章は,全体の総括である.

第2章においては等温滴定熱量測定により,フラグメント化合物THS-510がHSP90に対してエンタルピー駆動型の結合を示すことを明らかとした.さらにはTHS-510の結合様式推定のため,結合様式既知の複数化合物を用いた競合的等温滴定熱量測定を行っている.申請者は,競合的熱力学的解析の結果からTHS-510を2nd ポケットならびにその周辺領域を利用して結合している化合物であると考察し,さらなる展開と解析を行った.結果得られた新規HSP90阻害剤THS-1593においては,HSP90への結合活性の向上と,それに伴う癌細胞株におけるHSP90クライアント分解・細胞増殖抑制効果,Her2発現胃癌株NCI-N87のマウス皮下移植モデルにおける抗腫瘍効果が認められた.THS-1593については細胞質型HSP90に対するアイソフォーム選択性が報告されたが,これはHSP90阻害剤の中でも初めて報告されたものである.

第3章,第4章では,S100B-p53蛋白質間相互作用を標的として検討している.S100Bに結合することが既知の化合物を用いて熱力学的解析によりS100B表面の特性を考察する過程において,蛋白質間相互作用阻害剤の標的に対し初めてCompetitive SITE法を適用し,従来考えられていたReference化合物による発熱のキャンセルとは逆の現象,つまり対象化合物と標的蛋白の混合下に対しReference化合物を滴定した際に,Reference化合物結合時の発熱をエンハンスする,という事象が起こることを見いだしている.申請者はこれに対し,関連する既知共結晶構造のB-factorを解析することで,低分子化合物による標的蛋白のゆらぎ制御を反映しているのではという考察を提示した.さらに申請者は,S100B-p53蛋白質間相互作用阻害剤としてより強力な阻害活性を示す化合物を探索するべくハイスループットなスクリーニング系を構築の上,フラグメントライブラリのアッセイ,そのヒットに基づくFocused Libraryを作成・評価し,S100Bに結合することでS100B-p53相互作用を阻害する化合物(10a)を同定した.また,ライブラリ中の類似化合物群から構造活性相関を提示し,疎水性の浅いクレフトを対象とした場合においても厳密な制御が関与している可能性を示している.化合物10aについては細胞内にてS100B-p53複合体の形成阻害能を持つことについてもProximity Ligation Assay法を用いて示した.

なお,本論文第4章は宮房 孝光,津本 浩平との共同研究であるが,論文提出者が主体となってスクリーニング系構築・阻害剤同定フローの構築・阻害剤の分析を行ったもので,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

本研究ではいずれも動的な特性をもつ標的であるHSP90ならびにS100B-p53を対象として,低分子化合物による阻害剤創製を行った.阻害活性を有する化合物の同定からさらにその活性の向上までを相互作用解析を中心に,複数手法を組み合わせ,広く応用可能なフローとして示し,また実際に複数の阻害剤を同定することに成功している.これは,今後の低分子化合物による創薬の基盤となり,ひいては新たな薬物候補化合物の獲得やこれによる治療機会の提供につながりうるものである.

その価値を考慮し,審査委員の合議により,博士(生命科学)の学位を授与できると認める.

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