学位論文要旨



No 129545
著者(漢字) 柴嵜,孝幸
著者(英字)
著者(カナ) シバサキ,タカユキ
標題(和) RNA結合蛋白質PTBの神経発生における機能解析
標題(洋)
報告番号 129545
報告番号 甲29545
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第890号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 吉田,進昭
 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 教授 古川,洋一
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 東京大学 准教授 佐藤,均
内容要旨 要旨を表示する

背景)神経系を構成し、その複雑な機能を担う神経細胞やグリア細胞の多くは胎生期に神経幹細胞(以下、NSC)から生み出される。神経発生過程においてNSCはそれらの細胞を適切な時期に、適切な数生み出すよう厳密に制御されている。これまでにNSCの性状に関して、basic helix-loop-helix (bHLH)転写因子群による段階的な転写制御やDNAメチル化やヒストン修飾などのエピジェネティクス制御が自己複製能や時期特異的な分化制御に重要であることが明らかにされている。一方でNSCマーカーとしても知られるMshi1や神経系での発現量が多いHuDなどのRNA結合蛋白質によるmRNAの翻訳制御、安定性制御や細胞内局在制御といった転写後調節がNSCの自己複製や分化制御において重要な役割を担うことが報告されている。さらに、転写後調節機構の1つである選択的スプライシングの役割も注目されつつある。選択的スプライシング制御は主に蛋白質の多様性を補償する機構であり、これまでは多様な種類が存在する分化後の神経細胞の機能発現制御を担う機構として注目され、神経細胞の生存、細胞移動、シグナル伝達などに関与することが報告されてきた。一方で近年、神経分化モデルである胚性癌細胞株P19細胞から神経細胞への分化に伴い多くの遺伝子の選択的スプライシングパターンが変化することが報告され、NSCの自己複製や分化制御においても選択的スプライシングが重要な役割を担っている可能性が示唆されている。

Polypyrimidine tract binding protein (PTB) はhnRNPファミリーに含まれるRNA結合蛋白質である。これまでの研究により、PTBが標的RNAのポリピリミジン配列に結合し、mRNAの安定性、internal ribosome entry site (IRES)依存的翻訳、細胞内局在及び、選択的スプライシング等の制御に関わることが明らかにされている。また、当研究室においてPtb欠損マウスが作製され、PTBがマウスの初期発生に必須の因子であり、マウス胚性幹細胞の増殖や分化に重要な役割を果たすことが明らかとなっている。PTBの発現は生体内において様々な組織で見られる。特に中枢神経系において、PTBは主にNSCに発現し、神経細胞への分化に伴ってその発現が減少するという興味深い発現様式を示す。また、神経芽腫細胞株N2A細胞においてPTBの発現を抑制すると、P19細胞の神経分化過程で見られる選択的スプライシングパターンの変化をおよそ25%再現できることから、PTBがNSCから神経細胞への分化過程で起こる選択的スプライシングの主な制御因子の1つであることが示唆されている。また、PTBの発現は脳室を満たす脳脊髄液の循環や代謝において中心的な役割を担う神経上衣細胞や脈絡叢の上皮細胞にも見られる。以上の知見から、PTBはNSCおよび神経発生に加え、脳組織の恒常性維持においても重要な役割を担うと考えられた。

目的) 本研究では神経幹細胞および神経発生におけるPTBの生理学的役割を解析することを目的とし、神経組織特異的なPTB欠損マウスを作製し、その表現型を解析した。

方法)NSCでCre組換え酵素を発現するNestin-Cre、Nestin-Cre(ERT2)、Emx1-Creマウスの3つの異なるCreマウスを用いて組織特異的及び、時期特異的なPtb欠損マウスを作成、主に組織学的な解析手法によりその表現型解析を行った。また、PTB欠損によりNSCに生じた異常の分子メカニズムに迫るため、エクソンアレイを用いた網羅的解析を行った。生データの解析は統計処理ソフトRを用いて行い、PTB欠損神経幹細胞において発現量が変化しているエクソンを同定した。Gene Ontologyによりアノテーション解析を行い、生物学的な意味付けを行った。

結果・考察)Ptb(neo/floxed);Nestin-Cre(Ptb cKO)マウスではPTBの発現はE14.5の大脳皮質ではほぼ完全に発現が消失した。しかし、E14.5の大脳皮質での分化マーカーの発現はPtb cKOとControl(Ptb(+/floxed);Nestin-Cre)との間で大きな差はなかった。この結果からPTB欠損が神経幹細胞および神経発生に与える影響が非常に小さい、もしくは全く影響がないという可能性が考えられた。そこで次に、神経発生過程の異常が蓄積し顕著化することが期待できることに加え、発生過程に影響がない場合には脳の恒常性維持におけるPTBの役割を解析できると考え、生後マウスの解析を行った。その結果、およそ90% (19/22)のPtb cKOマウスが生後10週までに死亡することが明らかとなった。そこで、生後3週マウスの脳を組織学的に解析した結果、Ptb cKOマウスでは脳室が異常に拡張しており、Ptb cKOマウスの早死の原因が水頭症であることが強く示唆された。

水頭症の主な原因である脳室狭窄部の閉塞はPtb cKOマウスには見られなかったが、脳脊髄液の循環に関わる運動性繊毛をもった神経上衣細胞が側脳室背側領域特異的に欠損していることが明らかとなった。そこで、Ptb cKOマウスにおいてこの領域特異的な異常が水頭症の原因であるのかを確かめるために、側脳室背側領域特異的にCre組換え酵素を発現するEmx1-Creマウスを用いてPtb(neo/floxed); Emx1-Creマウスを作製し、その表現型を解析した。その結果、生後10日(P10)のPtb(neo/floxed);Emx1-Creマウスの側脳室背側領域においてもPtb cKOマウスと同様に神経上衣細胞が欠損しており、側脳室が異常に拡張し、水頭症様の表現型を呈していることがわかった。この結果からPtb cKOマウスは側脳室背側領域の異常により水頭症を発症していることが示唆された。

次にPTBの欠損により神経上衣細胞が欠損する機構を明らかにするため、まずPTBが神経上衣細胞の成熟や生存に必須であるかどうか検討した。そのために時期特異的に組換え誘導可能なNestin-Cre(ERT2)マウスを用いてPtb(neo/floxed);Nestin-Cre(ERT2)を作製した。P0の時点でPTBの発現を消失させるためにタモキシフェンをE16.5で投与した。P0の時点でPTBの発現は消失していたが、P10ではControl(Ptb(+/floxed);Nestin(ERT2)-Cre)と同様にPtb(neo/floxed);Nestin-Cre(ERT2)マウスの側脳室背側領域においても神経上衣細胞が観察された。この結果からPTBは神経上衣細胞の成熟や生存に必須でないことが明らかとなった。

そこでPTB欠損NSCにおいて何らかの異常が生じている可能性を検討するため、E14.5以降のPtb cKOマウス胎仔脳の側脳室背側領域を詳細に解析した。その結果、接着結合がE14.5から徐々に消失し始めることが明らかとなった。また、E16.5胎仔脳を解析した結果、接着結合が消失した領域ではNSCからの神経分化が亢進していることが明らかとなった。さらにE18.5胎仔脳を観察した結果、Ptb cKOマウスでは側脳室背側領域のNSCが著しく減少していることが確認された。これらの結果から接着結合の消失により、胎生後期にNSCが枯渇し、神経上衣細胞へ分化できなくなっていることが示唆され、この接着結合の消失が水頭症発症の原因であると考えられた(図1)。

次にPTB欠損により接着結合が消失する分子メカニズムを明らかにするためにエクソンアレイ解析を行い、PTBの標的遺伝子の網羅的な探索を試みた。その結果、487個のエクソンで有意な変化(P<0.05)が検出された。また、それら有意な変化が見られたエクソンを持つ遺伝子についてGene Ontologyによるアノテーション解析を行ったところ、biological processのGO termの上位には「actin filament-based process」、「cytoskeleton organization」、「cell adhesion」、「biological adhesion」がランクされ、そこにはCelser2、Cdh17、Ctnnal1、Prkci等の接着結合の制御に直接または間接的に関与する遺伝子が多く含まれていることが明らかとなった。

結論)PTBは胎生期神経幹細胞の接着結合の維持に必要である。また、PTBは神経幹細胞において、接着結合関連因子の選択的スプライシング制御を介して接着結合維持に貢献している可能性がある。

展望)本研究ではこれまで未解明であったRNA結合蛋白質PTBの神経発生における生理学的役割を明らかにした。また、PTBの解析を通して、NSCにおける選択的スプライシング制御の生理学的な役割の一端を明らかにした。本研究では解析できていないNSCからアストロサイトやオリゴデンドロサイトといったグリア系の細胞への分化におけるPTBの役割の解析が今後の課題である。また、神経系以外の多くの組織においてもPTBが発現していることや接着結合が造血幹細胞等のいくつかの組織幹細胞の維持に関与することから、今後、他の組織幹細胞においてPTBの機能解析が展開されていくことが期待される。

本研究により得られた結果から考えられるPtb cKOマウスにおける水頭症発症機構。大脳皮質背側領域における接着結合の消失から早熟な神経分化、早期のNSC枯渇、神経上衣細胞(Ependymal cell)の欠損を経て水頭症が発症すると考えられる。CP:皮質板、IZ:中間帯、VZ:脳室帯は大脳皮質における層の名称、Neuron:神経細胞、BPC:神経前駆細胞、AJs:接着結合、CC:脳梁、LV:側脳室。

図1 Ptb cKOマウスにおける水頭症発症モデル

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、RNA結合蛋白質PTB(polypyrimidine tract-binding protein)がマウス大脳皮質の胎生期神経幹細胞において、接着結合の維持に寄与することを明らかにした。また、胎生期の接着結合の破綻が生後のPTB欠損マウスの水頭症の原因であることを示した。

PTBはmRNA前駆体の選択的スプライシング制御や成熟mRNAの安定性、IRES (internal ribosome entry site)依存的な翻訳、細胞内局在の制御に関与することが知られている。一方で、PTBの発現は多くの組織に見られるものの、それぞれの臓器や組織の発生、恒常性維持におけるPTBの生理学的役割は不明点が多い。

神経系において、PTBの発現は神経幹細胞に発現しており、分化した神経細胞では消失する。培養細胞を用いた研究によると、未分化な細胞から神経細胞への分化過程では多くのエクソンの選択的スプライシングパターンが変化し、そのうちおよそ25%がPTBの影響下にあることが示唆されている。また、脳脊髄液の産生や循環に関わり、脳の恒常性維持において中心的な役割を担う細胞である神経上衣細胞や脈策叢の上皮細胞にもPTBの発現が見られる。これらの知見から、本論文ではPTBが胎生期の神経発生に加え、その後の脳組織の恒常性維持にも重要な役割を担っていると予想し、神経系特異的ノックアウトマウスを作製・解析することでPTBの生理学的役割の解明を試み、以下の結果を得た。

Ptb(neo/flox);Nestin-Creマウスは、およそ90%が生後10週までに水頭症を呈して死亡することが明らかとなった。水頭症の主な原因である脳室の閉塞はPtb(neo/flox);Nestin-Creマウスには見られなかったが、脳脊髄液の循環に関わる神経上衣細胞が側脳室背側領域特異的に欠損していることが明らかとなった。そこで、この領域特異的な異常が水頭症の原因であるかを確かめるために、側脳室背側領域特異的にCre組換え酵素を発現するEmx1-Creマウスを用いてPtb(neo/flox);Emx1-Creマウスを作製した。その結果、生後10日(P10)のPtb(neo/flox);Emx1-Creマウスの側脳室背側領域においてもPtb(neo/flox);Nestin-Creマウスと同様に神経上衣細胞が欠損しており、側脳室が異常に拡張し、水頭症様の表現型を呈していることがわかった。

次にPTBの欠損により神経上衣細胞が欠損する機構を明らかにするため、まずPTBが神経上衣細胞の成熟や生存に必須であるかどうか検討した。そのために時期特異的に組換え誘導可能なNestin-Cre(ERT2)マウスを用いてPtb(neo/flox);Nestin-Cre(ERT2)を作製した。多くの神経上衣細胞が胎生後期に神経幹細胞から分化し、生後1週間ほどかけて成熟することから、P0の時点でPTBの発現を消失させるためにタモキシフェンを胎生16.5日(E16.5)で投与した。P0において、PTBの発現は消失していたが、P10ではPtb(+/flox);Nestin(ERT2)-Creと同様にPtb(neo/flox);Nestin-Cre(ERT2)の側脳室背側領域においても神経上衣細胞が観察された。

そこでPTB欠損神経幹細胞において何らかの異常が生じている可能性を検討するため、胎生14.5日以降の胎仔脳の側脳室背側領域を詳細に解析した。その結果、接着結合がE14.5から徐々に消失し始めることが明らかとなった。胎生期の神経幹細胞の自己複製や正常な分化制御には接着結合が重要であることから、接着結合の消失により神経幹細胞の維持に異常が生じることが予想された。E16.5胎仔脳を解析した結果、接着結合が消失した領域では神経幹細胞からの神経分化が亢進していることが明らかとなった。さらにE18.5胎仔脳を観察した結果、Ptb(neo/flox);Nestin-Creマウスでは側脳室背側領域の神経幹細胞が著しく減少していることが確認された。

以上、本論文はRNA結合蛋白質PTBの胎生期神経幹細胞における重要性を明らかにした。PTBの欠損は生後に水頭症を引き起こし、その原因として胎生期神経幹細胞の早期枯渇を発見した。さらには、幹細胞の早期枯渇の原因として接着結合の破綻とその後の早期神経分化を見出している。また、本研究はRNA結合蛋白質と脳領域特異的な神経幹細胞の性質を関連付けるモデルとしても有用であると考えられる。

なお、本論文は、徳永暁憲、坂本怜子、相良洋、野口茂、笹岡俊邦、吉田進昭との、共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって博士 (生命科学)の学位を授与できると認める。

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