学位論文要旨



No 129549
著者(漢字) 髙原,悠佑
著者(英字)
著者(カナ) タカハラ,ユウスケ
標題(和) サルエイズモデルにおける抗HIV薬投与下の治療ワクチン接種による細胞傷害性T細胞誘導に関する研究
標題(洋)
報告番号 129549
報告番号 甲29549
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第894号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 俣野,哲朗
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 藤堂,具紀
 東京大学 客員教授 間,陽子
 東京大学 准教授 立川,愛
内容要旨 要旨を表示する

ヒト免疫不全ウイルス 1 型(human immunodeficiency virus type 1 ; HIV-1)は免疫担当細胞の CD4 陽性 T 細胞に感染しこれを傷害する。一般的な HIV-1 感染症の自然経過では、感染急性期に血漿中ウイルス量が一過的に上昇したのち宿主免疫の働きにより血漿中ウイルス量はある程度低下するものの、ウイルス複製制御に至らず慢性持続感染が成立し、その後数年にわたる宿主 CD4 陽性 T 細胞の傷害による宿主免疫の侵襲ののち、宿主を後天性免疫不全症候群・エイズ(acquired immune deficiency syndrome ; AIDS)発症へと至らしめる。

複数の抗 HIV 薬を用いた抗レトロウイルス薬療法(combination antiretroviral therapy ; cART)の開発により、病態進行の遅延およびエイズ発症の阻止が可能となってきた。しかしながら、現在の cART によっても体内のウイルスの完全な排除は困難であり、エイズ発症の阻止には終生にわたる服薬継続が必要となっている。服薬期間の長期化の結果生じる副作用や薬剤耐性株出現の問題さらに医療費負担の問題の克服に向け、治療期間の短縮もしくは長期の発症阻止を目指した治療法が模索されている。

多くの感染症では感染後に誘導される中和抗体がウイルス複製制御に中心的な役割を果たすが、HIV 感染症においては複雑な糖鎖修飾などから標的部位へのアクセスが困難で一般に感染初期に十分な中和抗体は誘導されない。獲得免疫系のもう一方のエフェクターである CD8 陽性細胞傷害性T細胞(cytotoxic T lymphocyte ; CTL)は、実際のHIV感染者において血漿中ウイルス量と HIV 特異的 CTL 反応との間に逆相関が見られること、CTL の標的抗原提示に関与する主要組織適合遺伝子複合体クラス I(major histocompatibility complex class I ; MHC-I)遺伝子型は病態に大きく影響することから、HIV-1 複製抑制において重要な役割を果たすと考えられており、予防・治療ワクチン開発における免疫誘導の標的として注目されている。

ワクチン研究においては、動物モデルを用いて宿主免疫反応の動態を解析し、ウイルス複製抑制に寄与する因子を明らかにすることが必要不可欠である。HIV 感染症に対する動物モデルの一つとして、HIV の近縁種であるサル免疫不全ウイルス(simian immunodeficiency virus ; SIV)SIVmac239 株をアカゲザルにチャレンジ感染するサルエイズモデルの系がある。この系は、ヒトと HIV 感染症の場合と同様に慢性持続感染を経てエイズ発症に至ること、ウイルスが主にメモリー CD4 陽性 T 細胞に感染することを含め病態がヒトにおける HIV 感染症と類似しており、現時点で最適のエイズモデルとして考えられている。

所属研究室では CTL 誘導型エイズワクチンとしてDNA プライム・SIV 抗原発現センダイウイルス(SeV)ベクターブーストワクチン法を開発し、MHC-I 遺伝子ハプロタイプ共有サル群を用いた SIV 感染サルエイズモデルにて解析を進めている。SIV 構造タンパク質である Gag を抗原とした予防ワクチン接種実験では、その後の SIV チャレンジ感染においてウイルス複製制御に至る MHC-I ハプロタイプ共有サル群を報告しており、本研究ではこのシステムを治療ワクチン開発へと展開することとした。

cART 中には HIV 抗原特異的 CTL 頻度は低下することが知られており、cART の計画的中断により復帰するウイルスによって CTL をはじめとする宿主免疫の賦活化を図る療法(structured treatment interruption ; STI)が検討されたが、機能的CTLの減少や、CD4陽性T細胞の回復の程度が低下するといった報告がなされ STI の有効性については否定的な見解が一般的となっている。私は STI にみられるように既に誘導されているウイルス特異的な CTL の頻度を上昇させるだけではなく、CTL 反応の標的抗原分布に着目し、標的部位の異なる CTL 反応を誘導することができれば、より有効な治療ワクチン開発につながる可能性があるのではないかと考えた。そこで本研究では、SIV 感染後に優位な反応として誘導されない CTL 反応を抗 HIV 薬投与下の治療ワクチンによって誘導し、CTL 反応の標的抗原分布を変化させることができるかを検証した。

実験ではまず、抗 HIV 薬投薬治療サルエイズモデルの構築およびこのモデルを用いた CTL反応解析系の構築を行った。SIV 慢性持続感染の成立しているビルマ産アカゲザルに対し、抗 HIV 薬を含む飼料を投与することで経口による cART を行った。投与する抗 HIV 薬は逆転写酵素阻害剤として AZT/3TC、TDF、プロテアーゼ阻害剤として LPV/RTV を用いた。抗 HIV 薬投与開始後、血漿中の抗 HIV 薬濃度は十分に高い値を示し、血漿中ウイルス量は検出限界以下あるいは 103 RNA copies / ml 以下まで低下した。抗 HIV 薬投与を中止すると 2 ~ 3 週後には抗 HIV 薬投与開始前の水準まで血漿中ウイルス量は再上昇した。SIV 抗原特異的 CTL の頻度は抗 HIV 薬投与開始後減弱したが、抗 HIV 薬投与中止後再び上昇した。抗 HIV 薬投与開始前と中止後に特異的 CTL の標的抗原分布には大きな変化は認められなかった。また、抗 HIV 薬投与期間の前後で血漿中 SIV ゲノム塩基配列を解析すると、主要なアミノ酸非同義置換変異のパターンは投与開始前と投与中止後で大きな変化はなく、抗原特異的 CTLによる選択圧が加わる部位は大きく変化していないことが示唆された。

次に、SIV 感染後の優位な Gag および Vif 抗原特異的 CTL 反応に相関しない MHC-I ハプロタイプ 90-010-Ie を共有するビルマ産アカゲザル6 頭に、SIVmac239 株をチャレンジ感染し、感染 12 週後より感染 32 週後まで抗 HIV 薬投与を行った。抗 HIV 薬投与開始後の血漿中ウイルス量は検出限界以下(5 頭)、あるいは約 103 RNA copies / ml(1 頭)まで低下した。感染後に認められた SIV 抗原特異的 CTL は Env および Nef を標的とするものが優位であった。SIV 抗原特異的 CTL の頻度は抗 HIV 薬投与開始後 6 頭すべてにおいて低下する傾向にあったが、感染 26 週後に 3 頭に対し Gag および Vif 抗原をそれぞれ発現する SeV ベクターを治療ワクチンとして接種すると、Gag 抗原特異的 CTL もしくは Vif 抗原特異的 CTL の頻度の顕著な上昇が認められた。

最後に、治療ワクチンを接種した 3 頭に対し、感染 32 週後に再度ワクチンを接種した後に抗 HIV 薬投与を中止し、特異的CTL の標的抗原分布がどのように変化するか解析した。抗 HIV 薬投与終了 2 ~ 3 週後にはすべての個体で再びウイルス血症が認められ、SIV 抗原特異的 CTL 反応が認められるようになった。治療ワクチン非接種群においては抗 HIV 薬投与開始前と中止後に CTL の標的抗原分布には大きな変化は認められなかった。一方、治療ワクチン接種群においては抗 HIV 薬投与中止後 Gag, Vif 以外の SIV 抗原に特異的な CTL の頻度が若干上昇したものの、それらに比べはるかに高頻度の Gag 抗原または Vif 抗原に特異的な CTL が認められた。

本研究では、MHC-I ハプロタイプ 90-010-Ie を共有するサル群を用いた SIV 感染・抗 HIV 薬投与・治療ワクチン接種実験により、SIV 感染後に元来優位とならない Gag および Vif 抗原特異的 CTL 反応を抗 HIV 薬投与下の治療ワクチンによって誘導すること、つまり CTL 反応の標的抗原分布を変化させることが可能であることを示した。このような治療ワクチン実験によって CTL 反応の標的抗原を変化させること、あるいはより広範にすることがウイルス複製抑制にどのような寄与をもたらすか詳細に検証を進めることで、HIV 感染者の HIV 複製制御法の開発に結びつく新たな知見が得られることが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文は抗HIV薬投与下の治療エイズワクチン開発に資する研究である。2章からなり、第1章はサル免疫不全ウイルス(SIV)感染サルエイズモデルにおけるSIV抗原特異的細胞傷害性Tリンパ球(CTL)反応への抗HIV薬投与の影響を調べたものである。2頭のビルマ産アカゲザルを用い、抗HIV薬投与開始前と中止後のCTL標的抗原の分布の解析および血漿中SIVゲノム塩基配列の解析を行った結果が示されている。まず、優位となるCTL反応の標的抗原は抗HIV薬投与前後で大きな変化はないこと、また、ゲノム解析結果から、抗HIV薬投与前後でCTL反応による選択圧が加わる部位は大きく変化していないことが示唆された。なお、論文提出者はこの実験において、サルエイズモデルにおける抗HIV薬投与下のCTL反応解析系の樹立を行った点も評価に値する。

第2章は、第1章の結果をふまえ、抗HIV薬投与下の治療ワクチン接種により、優位となるCTL反応を変化させることができるかについて検証したものである。実験で用いたMHC-Iハプロタイプ90-010-Ieを共有するサル群では、SIV感染後にNef抗原およびEnv抗原特異的CTL反応が優位になるが、抗HIV薬投与下の治療ワクチン接種によってSIV感染後に元来優位とならないGagおよびVif抗原特異的CTL反応を誘導すること、つまりCTL反応の標的パターン(優位性)を変化させることが可能であることを示した。特に、抗HIV薬投与中止後のSIV全抗原刺激が増加する状況でもワクチン抗原特異的CTL反応の優位性が認められたことは重要である。

CTL誘導型の治療エイズワクチンを考えるうえで、あらかじめ優位に抗原特異的CTL反応が認められているウイルス抗原を標的とする場合と、元来優位には抗原特異的CTL反応が認められていないウイルス抗原を標的とする場合が考えられる。本論文では後者の場合に焦点を当て、抗HIV薬投与下の治療ワクチン接種によって元来優位にはならない抗原特異的CTL反応の誘導が可能であることを明らかにした。MHC-I遺伝子型をハプロタイプレベルで共有する群を対象とし、CTL反応の優位性に着目したCTL誘導治療エイズワクチン研究は初めてのものであり、学位論文として高く評価できるものである。

なお、本論文は、松岡佐織、桑野哲矢、塚本徹雄、山本浩之、石井洋、仲宗根正、武田明子、井上誠、飯田章博、原裕人、朱亜峰、長谷川護、阪脇廣美、堀池麻里子、三浦智行、五十嵐樹彦、成瀬妙子、木村彰方、俣野哲朗との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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