学位論文要旨



No 129551
著者(漢字) 原,敏朗
著者(英字)
著者(カナ) ハラ,トシロウ
標題(和) マクロファージ関連疾患における新規HIF-1活性化因子Mint3の機能解析
標題(洋)
報告番号 129551
報告番号 甲29551
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第896号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 村上,善則
 東京大学 教授 津本,浩平
 がん研究会 部長 冨田,章弘
 東京大学 准教授 秋山,泰身
 東京大学 准教授 佐藤,均
内容要旨 要旨を表示する

細胞機能の多くはATPを消費するエネルギー依存的な反応であり、好気性生物を構成する細胞はATP産生の多くを酸素要求性の酸化的リン酸化に依存する。一方、低酸素下では酸化的リン酸化はうまく機能せず、代わりに酸素を必要としない解糖系がATP産生の主流となる(図1)。このような代謝変換に重要な役割を果たす因子が低酸素応答性転写因子Hypoxia Inducible Factor-1 (HIF-1)であり、HIF-1はグルコーストランスポーターや解糖系関連の代謝酵素の発現制御を行うことで酸化的リン酸化から酸素を必要としない解糖系への代謝変換を包括的に促進する。HIF-1は酸素依存的な制御を受けるαサブユニットと恒常的に発現するβサブユニットから構成され、酸素存在下では二つの酸素依存的な水酸化酵素による翻訳後修飾機構によってその活性が制御されている。Prolyl Hydroxylase domain Proteins (PHDs) はHIF-1αプロテアソーム系依存的なタンパク質分解を促進し、Factor Inhibiting HIF-1 (FIH-1) はHIF-1αのHIF-1の転写活性を負に制御する。このようにHIF-1は、厳密に酸素依存的な制御を受けることが知られているが、マクロファージなどの一部の細胞においてはHIF-1の恒常的な活性が保持されている。

マクロファージは、自然免疫応答における代表的な細胞であり、貪食による病原体や死細胞の除去、抗原提示、炎症性サイトカインの産生等を介して生体の恒常性維持に重要な役割を果たす。マクロファージが機能する炎症組織は多くの場合、創傷による血管系の崩壊や細菌の増殖などによって低酸素状態にある。このような低酸素環境に速やかに適応し機能を遂行するために、マクロファージは通常酸素分圧下においてもATP産生の多くを解糖系に依存している事が知られている。マクロファージの解糖系に依存したエネルギー産生機構は、低酸素下に観察される代謝系と似通っており、近年のHIF-1αの骨髄系細胞特異的欠損マウスの解析から、HIF-1が通常酸素分圧下におけるマクロファージの解糖系を介したATP産生に重要な役割を果たしている事が明らかにされている。多くの細胞では、通常酸素分圧下におけるHIF-1の活性は酸素依存的に抑制されている事から、マクロファージ独特の制御機構が存在することが示唆される。

Membrane-type 1 matrix metalloprotease (MT1-MMP)はI型コラーゲンやECM、膜タンパク等を切断することで、細胞の機能調節を行う膜型のマトリクスメタロプロテアーゼである。当グループは、MT1-MMP欠損マウスを用いた解析から、MT1-MMPがプロテアーゼ活性非依存的にマクロファージにおけるHIF-1の恒常的な転写活性及びATP産生を促進している事を見出している。また、詳細な解析から、HIF-1αの転写活性を抑制するFIH-1の新規結合タンパク質としてMunc18-1-interacting protein 3 (Mint3)を同定し、Mint3とFIH-1の結合にMT1-MMPの細胞内領域が必須である事を明らかにした(図2)。Mint3は、FIH-1へのHIF-1αの結合を競合的に阻害するだけでなく、MT1-MMPと協調的に細胞膜近傍へのFIH-1の局在制御を行うことでFIH-1とHIF-1αとの結合の機会を低下させ、結果的にHIF-1の転写活性を促進する。Mint3自身は様々な細胞種に恒常的に発現するため、Mint3によるHIF-1の制御機構はMT1-MMPを発現するマクロファージや線維芽細胞、血管内皮細胞などで特異的に働く。一方、MT1-MMPは多機能分子であることからMT1-MMPの遺伝子欠損モデルを用いて生体内におけるHIF-1の新規制御機構の解析を行うことは困難であることが想定された。そこで、本解析においてMint3欠損マウスを用いた解析を試みるに至った。

Mintタンパク質ファミリーはアダプタータンパク質として膜輸送に関与していることが知られている。Mintタンパク質には、3つのアイソフォームが存在し、それぞれ独特なN端配列および共通のPTBドメイン、2つのPDZドメインから成る。Mint1、Mint2は主にニューロン特異的に発現する一方で、Mint3は様々な細胞で恒常的に発現する。これまでに、Mint3は様々なタンパク質と結合することが報告されているものの、具体的な細胞機能に対する影響に関しては明らかにされていない。また、Mint3の生体内における役割については、脳の発生やシナプス伝達、アルツハイマー病疾患モデル等の神経学的解析が行われているものの、ニューロン特異的に発現するMint1やMint2に比べて、その重要性は現在までに明確化されてこなかった。そこで、本研究では、当グループが同定したMT1-MMP及びMint3によるHIF-1の新規制御機構の生体内における役割を解明する目的で、Mint3の遺伝子欠損マウスの作製、解析を行った。

Mint3欠損マウスはメンデルの法則に基づいて正常に生まれ、見かけ上、生育も野生型と比べ明らかな違いは認められなかった。本研究では最初に、先行研究と同様に、Mint3がFIH-1を介してHIF-1を制御していること、及び解糖系を介したATP産生を促進していることを確認した(図3)。Mint3欠損マクロファージのATP産生の欠陥は、Mint3の再導入、FIH-1の発現抑制または機能抑制により野生型と同程度にまで回復した。細胞機能の多くはATPを消費するエネルギー依存的な反応である。さらなる解析では、マクロファージの運動能、サイトカイン産生能及び貪食能の解析を行った。Mint3欠損マクロファージでは、いずれの機能に関してもATP量に相関した不全を呈している事が見出された。これらの機能は酸化的リン酸化阻害剤では影響を受けないが、解糖系阻害剤により大いに抑制され、また野生型およびMint3欠損マクロファージの細胞機能の差が解糖系阻害剤により解消された。これらのことから、Mint3はマクロファージの解糖系亢進に寄与することで、細胞機能を制御していることが示唆された。また、Mint3欠損マクロファージのサイトカイン産生が低下していることから、マクロファージのサイトカイン産生が寄与するモデルとしてLPS誘導性敗血症ショックへの影響を解析した。その結果、Mint3欠損マウスは敗血症ショックに抵抗性を有していることが明らかとなった。Mint3に着目した本解析から、マクロファージの新たな細胞機能制御機構が明らかとなった。

次に、がん悪性化過程での間質細胞におけるMint3の役割を解析する目的で、Mint3欠損マウスに対するがん細胞株の移植実験を行った。まずMint3欠損または野生型マウスにがん細胞株を皮下接種し、がん間質におけるMint3の造腫瘍能に対する影響を評価した。その結果、野生型マウスとMint3欠損マウスにおける造腫瘍能には著しい差異は認められなかった。次に、Mint3欠損マウスにがん細胞株をマウス尾静脈より移植し、原発巣での増殖、浸潤過程に依存しない経尾静脈肺転移モデルにおけるMint3の影響を評価した。その結果、肺転移過程において間質細胞のMint3が促進的な働きを有することが見出された。マクロファージにおけるMint3ががん細胞の転移能に影響を及ぼしていることが想定されたため、マクロファージを含む骨髄系細胞特異的Mint3欠損マウスを作製し、同様の実験を行った。その結果Mint3欠損マウスと同じく骨髄系細胞特異的Mint3欠損マウスについても対照群に比べ、肺への転移が抑制されることが明らかになった。転移は多段階的な現象の総和である。特に、転移先臓器でのがん細胞増殖には影響が認められなかったことから、転移のどの段階でMint3が寄与しているかを解析する目的で蛍光標識したがん細胞株をマウス尾静脈より移植した。その結果、移植後1~24時間以内という転移の初期段階に重要な役割を果たすことが明らかになった。さらに血管内外に存在するがん細胞の割合を評価することで血管外遊出へのMint3の影響を評価したところ、Mint3欠損マウスでは血管外に存在するがん細胞の割合が有意に低下していた。このことからMint3はがん細胞の血管外遊出を促進する働きを持つことが示唆された。またin vitroでの経内皮細胞性浸潤アッセイにおいてもマクロファージにおけるMint3ががん細胞の血管外遊出を促進していることが明らかになった。

本研究では、MT1-MMP及びMint3による新規HIF-1活性化機構の生体内における役割を解析する目的で、Mint3の遺伝子欠損マウスを作製し、Mint3の生体内における役割を明らかにした。特にATP産生を解糖系に依存するマクロファージが寄与する敗血症やがん転移などの疾患モデルにおいてMint3が重要な役割を果たしていることを本解析より明らかにした。今後、Mint3欠損マウスの解析を継続することにより、HIF-1の制御因子としてのMint3がどのような生物学的現象に貢献しているのかを明らかにしていくと共に、炎症性疾患やがん疾患の治療や診断への応用を視野に入れた実用的な解析を発展させていきたい。

図1.低酸素下及びマクロファージにおける解糖系亢進

図2.MT1-MMP及びMint3によるHIF-1活性機構

図3.Mint3欠損マクロファージにおけるATP産生の欠損

図4.Mint3欠損によるがん転移の抑制

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、新規HIF-1活性化因子Mint3の遺伝子欠損マウスの解析結果について述べられている。論文提出者の所属する研究グループが行った先行研究では、マクロファージにおいてMT1-MMP及びMint3がマクロファージ特異的なHIF-1の恒常的な活性化に寄与していることを明らかにしている。MT1-MMPは多機能分子であり、またMT1-MMP欠損マウスが重篤な表現型を示すことから、MT1-MMP欠損マウスを用いて新規HIF-1活性化機構の生体内における役割を解明することは困難であった。この問題点を解決すべく、論文提出者は、新たにMint3欠損マウスを作製し、Mint3がマクロファージ特異的なHIF-1活性の亢進に寄与していることを明らかにした。

Mint3欠損マクロファージではHIF-1活性が低下し、結果としてエネルギー産生を解糖系に依存するマクロファージのATP産生を減少させている。ATPは様々なマクロファージ機能の遂行に重要であり、Mint3を欠損したマウスではマクロファージが産生するサイトカインに依存する敗血症ショックが起こりにくいことも明らかにした。さらに、がん微小環境内におけるMint3の役割の解明に取り組み、明瞭にマクロファージにおけるMint3ががん細胞の転移を促進していることを明らかにした。また、イメージング技術を駆使し、マクロファージにおけるMint3が肺組織内においてがん細胞の血管外浸潤を促進していることを明らかにしている。本論文で明らかにされた知見は非常に興味深く、単に生物学的な研究結果にとどまらず、新たながん治療標的としてのMint3の可能性を提示するものであった。

本論文提出者は、時間と労力を要するマウス実験を膨大にこなし、博士論文で期待される成果を大きく上回った解析結果を報告している。また、関連する分野の最新の情報や実験技術を積極的に学び、研究に応用していた。論文内容に関する発表も優れており、効果的なプレゼンテーションを常に心がけていた。審査員からは研究背景、実験手法、研究結果に関する様々な質問を受けていたが、的確に答えることで審査員を十分に納得させていた。研究成果、知識、発表手法など博士号を取得するに十分な能力を兼ね備えていた。

なお、本論文は、三村耕平、阿部高也、塩井剛、清木元治、坂本毅治との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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