学位論文要旨



No 129552
著者(漢字) 韓,忠勇
著者(英字)
著者(カナ) ハン,チュンヨン
標題(和) エピトープスイッチング : HIV-1感染における重複したCTLエピトープの出現と消滅の連動性に関する研究
標題(洋)
報告番号 129552
報告番号 甲29552
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第897号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 岩本,愛吉
 東京大学 教授 渡邉,俊樹
 東京大学 教授 三宅,健介
 東京大学 教授 東條,有伸
 東京大学 教授 川口,寧
内容要旨 要旨を表示する

背景

HIV-1感染細胞において、ウイルス由来の遺伝子から翻訳されるタンパク質の一部が主要組織適合抗原(MHC)クラスI分子上に8~11アミノ酸からなるペプチド断片として発現される。このペプチドをエピトープと呼ぶ。ヒトのMHCクラスI分子はヒト白血球抗原(HLA)と呼ばれ、それぞれ多型性のあるHLA-A、HLA-B、そしてHLA-C分子として細胞表面に発現している。HIV-1のエピトープは、HLA-A、HLA-B、あるいはHLA-C分子上に結合した状態で発現する。以下この複合体をペプチド-HLA複合体(pHLA)と呼ぶ。細胞傷害性Tリンパ球(CTL)はT細胞受容体(TCR)を介してpHLAを認識し、細胞傷害性を発揮する。このCTLの細胞傷害性によりウイルスを産生するHIV-1感染細胞を除去することが、血中ウイルス量のコントロールに深く関与している。

20年を超える過去の研究からHIV-1における多数のCTLエピトープが同定された。膨大な数のHIV-1エピトープが報告されているがHIV-1感染者において必ずしも全てのエピトープに対する反応が見られるわけではない。その原因の一つとして多様性に富んだ変異の影響が考えられる。HIV-1は複製の過程でゲノム上に頻繁に変異を生ずるが、その一部がCTLからの細胞傷害性を直接・間接的に回避する方向に選択されていく(Arien et al., 2007, Nat Rev Microbiol; Brumme et al., 2009, PLoS One)。そこでHIV-1ゲノムに生じた変異がある特定のアミノ酸を置換することでその周辺のエピトープ性質が大きく変化する可能性が考えられる。過去の研究報告のほとんどはCTLエスケープ変異によるエピトープの消滅に関するものであった。だが慢性持続感染期において長い期間活発なCTL機能とウイルス量がつりあっていることからエピトープ機能の出現をも含めた複雑なメカニズムが予想される。エピトープ特異的免疫応答とウイルス変異に対する詳しい研究が必要とされている。

材料と方法

本研究では、日本人の約60%が発現するMHCクラスI分子であるHLA-A24を発現するHIV-1感染者46人を対象にHIV-1のHLA-A24拘束性CTLエピトープに特異的な免疫応答を調べた。各エピトープに対する特異的免疫応答はHIV-1感染者のPBMCを用いたIFN-γ ELISpot assayにて測定した。また、ウイルスの塩基配列を調べるためにHIV-1感染者の血漿からHIV-1 genomic RNAを抽出し、遺伝子解析を行った。エピトープペプチドのHLAに対する結合能はpeptide-HLA binding assayを用いて調べた(Furutsuki et al., 2004, J Virol)。Nef126-10, Nef134-10の抗原提示を解析するために、両エピトープを含むポリペプチドを発現する抗原plasmidとHLA-A24を発現する293T細胞、そしてNef126-10, Nef134-10特異的CTLクローンを作製した。次にHLA-A24陽性293T細胞に抗原plasmidを遺伝子導入して抗原提示細胞とし、エピトープ特異的CTLクローンと共培養後ELISAにて上清中のIFN-γ量を測定した。各エピトープに対するfunctional avidityは段階希釈したエピトープペプチドを用いてIFN-γ ELISpot assayを行うことで算出した。

結果1

最初に、HIV immunology databaseに報告されているHLA-A24拘束性CTLエピトープ11種類について解析を行った。IFN-γ ELISpot Assay の結果、Nefタンパク質由来のエピトープNef126-10、Nef134-10に対して46人の感染者中それぞれ50.0%、80.4%で免疫応答がみられた。Nef126-10、Nef134-10に対する免疫応答とHIV-1のエピトープ近傍のアミノ酸配列との関係を調べた結果、Nef126-10に対する反応性とNef配列内135番目アミノ酸のtyrosine (Y)からphenylalanine (F)への変異(Y135F)の間に強い関連性がみられた。この関係を明らかにするためにPeptide-HLA binding assayを行ったところ、Y135FによりNef126-10とHLA-A24との結合力が大きく向上した事が確認された。続いて、ポリペプチドを細胞内から発現することにより、変異の有無でエピトープ特異的CTLクローンのpHLA認識がどのように変わるかを確認した。Nef134-10において、野生型配列と変異型配列ポリペプチドを細胞内から発現させた時、CTLクローンによって野生型配列エピトープが認識されたものの変異型配列エピトープは認識されなかった。一方で、Nef126-10においては、変異型配列はCTLクローンによって認識されたが、野生型配列は認識されなかった。最後に、野生型塩基配列から変異型に変化が確認された一人の患者において、エピトープ特異的免疫応答がどのように変化するかを経時的に調べることで、感染者体内でこの現象が起きているかを確認した。その結果、野生型塩基配列の時に確認できなかったNef126-10特異的免疫応答がY135Fの出現後に誘導されていることが確認できた。

結果2

今回の解析に用いた46人の患者の塩基配列情報において、Y135Fが見られた35人のうち25人から、Nef配列内133番目アミノ酸isoleusine (I)からthreonine (T)への変異(I133T)が観察された。I133TとY135Fとの強い関連性がみられたことから、Nef126-10/Nef134-10への影響が考えられたが、HLAへの結合、CTLによる認識では違いを示さなかった。よってI133T出現のメカニズムを明らかにするために次の実験を行った。まず、海外の急性感染者cohortの経時的な塩基配列解析データからY135FとI133TがHLA-A24陽性患者集団の中でどのような頻度で起こっているかを調べた。Kaplan-Meier plot結果から、I133TはY135Fと同等に比較的早期に現れる変異であることが分かった。続いて、I133T/Y135F変異型ウイルスを持つ患者集団においてex vivo IFN-γ ELISpot assayによるNef126-10(8I10F)とNef126-10(8T10F)に対する免疫応答の強さとウイルス量との相関を調べたところ、Nef126-10(8I10F)特異的免疫応答の強さとウイルス量との間で有意な逆相関の関係が認められた。一方、Nef126-10(8T10F)特異的免疫応答はウイルス量と相関を示さなかった。さらにNef126-10(8I10F)やNef126-10(8T10F)とHLA-A24複合体の結晶構造解析をすることでエピトープの構造の違いを調べた。結晶構造からは、8番目のisoleucine又はthreonineはTCRの方向を向いていてTCRとの結合に影響を及ぼしている可能性が示唆された。また、Y135F単独の変異型アミノ酸配列を示す患者集団とI133T/Y135F変異型配列を示す患者集団がNef126-10(8I10F)とNef126-10(8T10F)に対してどのような応答を示すかについてex vivo IFN-γ ELISpot assayにより調べたところ、Y135F単独の患者集団ではNef126-10(8T10F)特異的な免疫応答が全く見られなかったことから、I133TはNef126-10エピトープにおいて異なるCTLサブセットを誘導するエスケープ変異である可能性が示唆された。最後に両エピトープの機能性の違いを確認するためにI133T/Y135F変異型ウイルスを持つ患者集団においてNef126-10(8I10F)とNef126-10(8T10F)特異的なCTL集団のfunctional avidityを比較した結果、Nef126-10(8I10F)特異的CTL集団はNef126-10(8T10F)特異的CTL集団より有意に高いfunctional avidityを持っていることが明らかになった。

考察と展望

HLA-A24陽性患者において、Nef134-10特異的免疫応答により出現したY135Fによって、新たなエピトープとしてNef126-10が出現したことが証明された。Nef126-10において、Y135FはHLA-A24との結合に重要なC末端アンカーを変える変異であり、変異後Nef126-10のHLA-A24への結合力を大きく向上させてエピトープ特異的CTLを誘導した。Y135Fによって誘導されたNef126-10(8I10F)特異的CTLはエピトープ特異的免疫応答の強さとウイルス量の間に逆相関の関係を示していたことから、ウイルス抑制に寄与している可能性が考えられる。I133Tは、エピトープペプチドとHLA複合体の結晶構造解析結果からpHLA-TCRの結合を変化させる変異であることが示唆された。また、Y135F単独の変異を持つ個人においてはI133T後のNef126-10(8T10F)を認識するCTLが存在しないことから、Nef126-10(8T10F)特異的CTLはNef126-10(8I10F)とは違うCTLサブセットであり、I133T後に新しいTCRレパトリーを持つサブセットとして誘導されたことが示唆された。HIV-1は慢性持続感染期において絶えない免疫応答とHIV-1の複製がバランスと取り、多くの患者において長い期間にわたり安定したウイルス量を呈する。従来の研究ではHIV-1のエピトープ周辺アミノ酸変異によってCTLの選択圧からウイルスが逃れるメカニズムだけが報告されてきた。しかし過去に報告されたサルエイズモデルの研究でCTLが働かなくなった宿主においてはウイルスの複製能が飛躍的に上昇することが以前知られていることから(Jin et al., 1999, J Exp Med)、比較的安定に長期間にわたってHIV-1の複製を抑えるメカニズムをエスケープ変異だけでは説明できない。今回の研究はHIV-1が宿主との間で変異を繰り返しているうちに、本来存在しないエピトープが出現する事を発見しており、これによって誘導されたCTLによってウイルスが抑制されている可能性も示唆された。これはまさにHIV-1の慢性持続感染期において宿主の中で起きている宿主とウイルスとの攻防の一部を映し出しており、別のHLA、違うHIV-1のゲノム上にも同じようなメカニズムでエピトープが出現、消滅を繰り返している可能性が十分考えられる。これはまた、従来のHIV-1のCTL誘導ワクチン開発において免疫原としてコンセンサスの配列だけを考えることの不十分さを認識できるきっかけとなるだろう。このようなHIV-1エスケープ変異による抗原提示の違いが、誘導される免疫に及ぼす影響を考えることで、今後HIV-1特異的CTL誘導ワクチン開発に寄与できることを期待する。

Arien, K. K., G. Vanham and E. J. Arts (2007). "Is HIV-1 evolving to a less virulent form in humans?" Nat Rev Microbiol 5(2): 141-151.Brumme, Z. L., M. John, J. M. Carlson, C. J. Brumme, D. Chan, M. A. Brockman, L. C. Swenson, I. Tao, S. Szeto, P. Rosato, J. Sela, C. M. Kadie, N. Frahm, C. Brander, D. W. Haas, S. A. Riddler, R. Haubrich, B. D. Walker, P. R. Harrigan, D. Heckerman and S. Mallal (2009). "HLA-associated immune escape pathways in HIV-1 subtype B Gag, Pol and Nef proteins." PLoS One 4(8): e6687.Furutsuki, T., N. Hosoya, A. Kawana-Tachikawa, M. Tomizawa, T. Odawara, M. Goto, Y. Kitamura, T. Nakamura, A. D. Kelleher, D. A. Cooper and A. Iwamoto (2004). "Frequent transmission of cytotoxic-T-lymphocyte escape mutants of human immunodeficiency virus type 1 in the highly HLA-A24-positive Japanese population." J Virol 78(16): 8437-8445.Jin, X., D. E. Bauer, S. E. Tuttleton, S. Lewin, A. Gettie, J. Blanchard, C. E. Irwin, J. T. Safrit, J. Mittler, L. Weinberger, L. G. Kostrikis, L. Zhang, A. S. Perelson and D. D. Ho (1999). "Dramatic rise in plasma viremia after CD8(+) T cell depletion in simian immunodeficiency virus-infected macaques." J Exp Med 189(6): 991-998.
審査要旨 要旨を表示する

本論文は6章立てで、第1章研究背景と目的、第2章材料と方法、第3章結果、第4章考察、第5章謝辞、第6章参考文献で構成されている。第1章では、疾患としての後天性免疫不全症候群(AIDS)の原因ウイルスであるヒト免疫不全ウイルス1型(HIV-1)についての基礎的な知見が述べられている。HIV-1感染細胞において、ウイルス由来の蛋白質がどのようにしてプロセシングを受け、感染細胞表面のHLAクラスI 分子上に8~11アミノ酸からなるペプチド(エピトープ)として発現されるメカニズムが記述されている。宿主の主要な防御機能である細胞傷害性T細胞(CTL)はT 細胞受容体(TCR)によってエピトープを認識し、攻撃を加える。しかし、変異性の高いHIV-1は、突然変異によってCTLの攻撃を逃れ、エスケープ変異体として増殖し続ける。このため、HIV-1の主要な感染標的であり、免疫の司令塔ともいえるCD4陽性細胞が減少し、発症へと至ることがAIDSの基本的な感染病態であることを良く理解し、記述している。本研究の目的は、日本人を含む東アジアの民族に多いHLA-A24分子によって発現されるとして過去に報告された主要なエピトープについて、患者個体の中で主要に反応するエピトープを同定し、HIV-1の増殖と宿主反応の相互作用を解析することを目的とした。

第2章の材料と方法では、医科学研究所附属病院に通院するHLA-A24陽性HIV-1患者の46名の概要が書かれ、研究倫理的な配慮がなされたことが明記されている。患者の固体内で増殖するHIV-1のエピトープ部位の配列を同定した方法や、研究に用いた分子生物学的手法(PCR解析や遺伝子配列決定の方法、遺伝子発現ベクターの作製など)、免疫学的手法(細胞培養やIFN-γ ELISpot assay、CTL反応の解析、T2-A24 stabilization assayなど)、統計学的手法等が詳しく記されている。

第3章の結果においては、46名のHIV-1感染者のPBMCを用いてIFN-γ ELISpot assayを行った結果、Nef134-10に対する免疫応答の頻度が46人中37人(80.4%)と最も高く、Nef126-10は46人中23人(50.0%)と2番目に高いという結果を得た。高い免疫応答が見られたNef126-10とNef134-10は二つの重複したエピトープとして存在していることに着目した。血漿中のウイルスからNef126-10、Nef134-10周辺のアミノ酸配列を同定し、Nefタンパク質の135番目のアミノ酸がチロシンからフェニルアラニンに変わった変異(Y135F)ウイルスが観察された(Nef135F)。135番目のアミノ酸が野生型のチロシンであったのは(Nef135Y)46人中8人だけであった(8/46=17.4%)。また、半数以上のHIV-1感染者でNef135Fに伴って133番目のアミノ酸がイソロイシン(Nef133I)からトレオニン(Nef133T)に変異した(I133T)配列が見られた。IFN-γ ELISpot assay によって、Nef135Y配列を持つ8人全員においてNef134-10に対する免疫応答がある一方、Nef126-10に対する免疫応答は全く見られないことが明らかになった。すなわち、Y135FがNef126-10特異的免疫応答の有無と強く関連していた。T2-A24 stabilization assayによって、Y135FはNef126-10のHLA-A24に対する結合親和性を著しく高めることを明らかにした。ついで、感染者末梢血単核球から樹立されたNef126-10特異的CTLクローンを用いて、Y135FによってCTLがNef126-10を強く認識出来るようになっていることを発見した。以上は合成ペプチドを用いた実験であるが、発現ベクターにNef遺伝子の一部を発現するミニジーンを組み込み、Nef126-10, Nef134-10の抗原提示を評価した実験により、Y135F変異は細胞内蛋白質のプロセッシングに変化を来し、Nef134-10の抗原提示が著しく減少する一方、Nef126-10が新たに抗原として提示されることを発見した。この結果は、アミノ酸変異による「エピトープスイッチング」が起きていることをはじめて示したものである。臨床経過中にNef135YからNef135Fへのアミノ酸配列変化が経時的に観察されたHIV-1感染者の保存検体を用いて、エピトープスイッチングがHIV-1感染者の臨床経過の中で起きていることも確認した。

I133TのNef126-10特異的免疫応答への影響を調べるために、異なるウイルスアミノ酸配列を呈するHIV-1感染者においてNef126-10(8I10F)とNef126-10(8T10F)に対する免疫応答を比較した。その結果、I133Tは異なるCTL集団を誘導していることが明らかになった。46人のHIV-1感染者のうち、Nef133T/135F配列を持ち、Nef126-10(8I10F)とNef126-10(8T10F)を認識するCTLが存在する9人を対象にfunctional avidity assayを実施した。その結果、Nef126-10(8I10F)に対するfunctional avidityがNef126-10(8T10F)に比べて有意に高い事が明らかとなった。ペプチドとHLA-A24との複合体の結晶構造解析により、Nef126-10(8I10F)とNef126-10(8T10F)のイソロイシンとトレオニンはペプチド結合溝から突出しており、TCRとの結合に関与する可能性が示唆された。

第4章においては、上記の結果に基づき詳しい考察が記載され、ワクチン開発の際に役立ちうる点を示唆している。本研究は、医科学研究所附属病院で診療を行う感染免疫内科の医師一同、感染症分野の立川愛准教授、清水晃尚氏、東京大学放射光携研究機構生命科学部門構造生物学研究室の深井周也准教授、山形敦史助教等との共同研究であるが、論文提出者が主体となって分析及び検証を行ったもので論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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