学位論文要旨



No 129555
著者(漢字) 芳野,聖子
著者(英字)
著者(カナ) ヨシノ,セイコ
標題(和) ゲノムワイドshRNAライブラリーを用いた低酸素適応遺伝子の網羅的探索と解析
標題(洋)
報告番号 129555
報告番号 甲29555
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(生命科学)
学位記番号 博創域第900号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 メディカルゲノム専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 清木,元治
 東京大学 教授 菅野,純夫
 東京大学 教授 北村,俊雄
 東京大学 教授 井上,純一郎
 東京大学 特任教授 渡邉,すみ子
 がん研究会 部長 藤田,直也
内容要旨 要旨を表示する

【背景】

好気性の生物にとって酸素はエネルギー産生に重要な役割を果たす。通常組織は比較的安定した酸素分圧下にあるが、一旦急性炎症や虚血性疾患などの病変が形成されると、これらの組織における酸素濃度は1% O2に満たない低酸素状態へと変化する。細胞は、通常酸素分圧下ではミトコンドリア依存性のエネルギー代謝(酸化的リン酸化)を用いてエネルギー分子であるATPを大量に産生する。一方、低酸素下では酸素を利用出来ないことから、ATP産生効率の悪い解糖系がエネルギー供給源となる。このように、酸素濃度の変化は細胞の生存・機能に大きな影響を与えると考えられる。また、癌組織では十分な機能を保持した血管が形成されないため、激しい低酸素状態から比較的通常酸素分圧に近い箇所まで幅広い酸素濃度が組織内に存在し、長時間それぞれの酸素濃度にさらされる中で癌細胞は生存・増殖を続けている。

好気性生物は進化の過程で、自身を取り巻く細胞環境の酸素濃度を感知し応答するシステムを構築し、酸素利用度に合ったエネルギー産生系を稼働することで、様々なレベルの低酸素環境下の生存を図ってきた。低酸素環境下では、代謝調節、血管新生、アポトーシスの制御、細胞周期、タンパク合成の変化など多様な生理応答を誘発する。一方で、酸素は生体に取り込まれるとミトコンドリアのエネルギー産生の際、一部が過酸化水素や超酸化物イオンなどの活性酸素種に変化する。通常酸素下において、活性酸素種を適切に除去することは細胞増殖に重要であり、ここに異常が生じると老化や癌化を引き起こす。このように酸素依存性の細胞増殖の仕組みを理解することは、生理的、病理的にも非常に重要なことであるが、我々の知見は限られたものである。そこで、どのような遺伝子が酸素応答性の細胞増殖に関わるかを解明するため、本研究ではゲノムワイドshRNAライブラリーを用いた網羅的探索を行った。

【実験方法と実験結果】

1.酸素依存性の細胞増殖に関わる遺伝子の同定

肺癌細胞株PC8にゲノムワイドshRNAライブラリーであるGeneNetTM Human 50K shRNA Library (SBI)を導入し、ライブラリー導入細胞を作製した。この癌細胞株を通常酸素下(酸素21%)、低酸素下(酸素1%)で培養した。ライブラリーの10倍以上の集団を常に保持した条件で10回継代し、total RNAを回収し、逆転写を行った。shRNAカセット部分をPCRで増幅しAffymetrix U133+2 GeneChip(R) Arrayで解析した。使用したライブラリーは各遺伝子に対し4-5のshRNA配列を持つため、再現実験の確率を高めるために4つ以上のshRNA配列が有意に変化したものを候補遺伝子として選出し、56遺伝子を得た。アレイ解析により選出された候補遺伝子に対して、再度shRNAを導入してノックダウン細胞を作製し、通常酸素下、低酸素下での増殖アッセイを行い、アレイ解析と同様の結果が出る遺伝子を同定した。またshRNAのオフターゲット効果を排除するため、異なるターゲット配列でのshRNAを作製して同様の解析を行った。その結果、13個の遺伝子が新たに酸素依存性の細胞増殖に影響を与えることが明らかとなった。これらの遺伝子の中には低酸素応答性アポトーシス阻害因子であるBCL2L1が含まれていた。一方で、他の12遺伝子は、酸素依存性の増殖に関する報告が過去に無い遺伝子群であった。このことから、本研究の目的である、酸素依存性の細胞増殖に影響を与える新規遺伝子を同定することが出来た。

2.RNF126は通常酸素下で乳酸産生を制御する

続いて、これらの新規遺伝子の中からRNF126に着目し、RNF126がストレス応答にどのように関わり、癌細胞の生体での増殖にどのように影響しているのか解析を行った。まず、shRNA発現レンチウイルスを用いてRNF126の安定ノックダウン細胞を作製し、増殖アッセイを行った。RNF126ノックダウン細胞では、通常酸素下での増殖が有意に減少することが明らかとなった。通常酸素下では、生存・増殖に必要なエネルギーは主にミトコンドリアの酸化的リン酸化で産生される。このことから、RNF126ノックダウン細胞が通常酸素下の増殖に異常を示す原因として、通常酸素下のエネルギー代謝経路である解糖系と酸化的リン酸化の代謝バランスに問題が起きている可能性が考えられた。そこで、代謝変化とRNF126について解析した。その結果、RNF126ノックダウン細胞では解糖系の最終代謝産物である乳酸のレベルが上昇していた。一方で、グルコースの消費量には変化が無かった。

この原因をさらに明らかにするため、細胞の解糖系と酸化的リン酸化の代謝バランスを制御する分子である、PDK1とLDHAの発現解析を行った。PDK1(pyruvate dehydrogenase kinase 1)は、ピルビン酸からアセチルCoAに変換する酵素PDH(pyruvate dehydrogenase)の阻害因子である。また、LDHA (Lactate dehydeognenase A)はピルビン酸を乳酸へ変換する。PDK1とLDHAは、低酸素下で発現誘導され、酸化的リン酸から解糖系への代謝シフトを促進する。RNF126ノックダウン細胞において、PDK1とLDHA の発現解析をした結果、PDK1のタンパクレベルが上昇している事が明らかとなった。一方、LDHAの発現レベルに変化は無かった。リアルタイムPCRによる解析から、RNF126ノックダウン細胞の、PDK1 mRNAレベルに変化は無かったことから、RNF126は転写レベルでは無く、タンパクレベルでPDK1を調節していることが示唆された。このことから、PDK1のタンパク安定性について解析するため、プロテアソーム阻害剤であるMG132を用いた実験を行った。その結果、MG132で処理したコントロール細胞では、タンパクレベルが著しく上昇したのに対し、ノックダウン細胞ではわずかに上昇するのみであった。このことから、RNF126は、PDK1をプロテアソーム依存的に分解している可能性が示唆された。

3.RNF126はPDK1のE3ユビキチンリガーゼである

RNF126は、E3ユビキチンリガーゼに共通に見られるRING-fingerドメインを有することがアミノ酸配列から判断された。このことから、RNF126はPDK1のユビキチン化を促進するかどうか解析を行った。HEK293細胞に、一過性にV5-RNF126、FLAG-PDK1又はLDHA、HA-ユビキチンを共発現させた。FLAG抗体で免疫沈降しHA抗体で検出した。RNF126は、PDK1を特異的にポリユビキチン化することが明らかとなった。また、In vitroのユビキチンアッセイにおいても、RNF126はPDK1をユビキチン化することが示された。RING-fingerドメインは、E2結合酵素と結合するだけでなく、酵素活性を持つ。RNF126のRING-fingerドメイン欠損変異体では、PDK1をユビキチン化出来ない事が分かった。

4.低酸素下ではPDK1発現が著しく誘導されRNF126の分解能を超える

さらに、低酸素下でRNF126はPDK1を制御するのかについて検討した。PDK1は低酸素下で発現が著しく上昇するのに対して、RNF126ではほとんど変化は無かった。そこで、RNF126ノックダウン細胞を低酸素下で処理すると、通常酸素下ではPDK1タンパクの増加が見られたのに対し、低酸素下ではほとんど変化が見られなくなる事が明らかとなった。このことから、低酸素下ではPDK1はHIF-1、 Myc等の誘導により高発現するため、RNF126によるPDK1の分解が追いつかなくなる可能性が考えられた。

5.RNF126はMDA-MB-231細胞、A549細胞の造腫瘍能に重要である

続いて、RNF126が造腫瘍性に関わるかどうか明らかにするため、MDA-MB-231 、A431細胞で、RNF126ノックダウン細胞を作製した。そして、ヌードマウス皮下での造腫瘍能を解析した結果、RNF126ノックダウン細胞では有意に造腫瘍能が低下している事が明らかとなった。また、RNF126ノックダウン細胞ではPDK1タンパクレベルの増加が見られたことから、PDK1が造腫瘍性に関わるかどうか検討した。PDK1過剰発現細胞をヌードマウス皮下に移植し造腫瘍能を解析した結果、PDK1過剰発現細胞では有意に造腫瘍能が低下していた。この結果は、RNF126ノックダウン細胞を用いた結果と一致していた。このことから、PDK1タンパクレベルは造腫瘍性に重要であることが明らかとなった。

【結語】

本研究では、ゲノムワイドshRNAスクリーニングを用いて、酸素依存性の細胞増殖に重要な遺伝子の探索を行い、13個の遺伝子を同定した。この中で、RNF126は通常酸素下においてPDK1のタンパク分解を制御することで、解糖系と酸化的リン酸化のエネルギー代謝のバランスを調節し、癌細胞の造腫瘍性に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。RNF126/PDK1経路は腫瘍形成における弱点であり、有望な治療標的となる可能性がある。また、本研究で得られた知見は、癌以外にも細胞増殖やエネルギー代謝の異常に起因する様々な疾患の研究にも貢献することが期待される。

審査要旨 要旨を表示する

本論文では、酸素依存性の細胞増殖に重要な遺伝子の探索のため、肺癌細胞株PC8にゲノムワイドshRNAライブラリーを導入し、通常酸素下と低酸素下の比較で変動したshRNAをマイクロアレイにより解析した。その結果、酸素依存性の細胞増殖に重要な遺伝子を13個同定している。さらに、同定遺伝子の1つであるRNF126の機能解析を行い、癌細胞の造腫瘍性に重要な役割を果たしていることを明らかにした。以下にその要旨を示す。

第2章は序論であり、酸素の生体内での役割(酸素生物学)、解糖系制御、これまでに報告されているshRNAライブラリーを含むスクリーニング、E3 ubiquitin ligaseによる生物機能の制御について述べると共に、本研究の目的と意義について述べている。

第4章の結果の前半部では、shRNAライブラリーによるスクリーニングにより低酸素適応遺伝子の探索を行った結果を述べている。ゲノムワイドshRNAライブラリーを肺癌細胞株PC8に導入し、この癌細胞株を通常酸素下(酸素21%)、低酸素下(酸素1%)で培養し、変動したshRNA配列をマイクロアレイにより解析した。アレイ解析により選出された候補遺伝子に対して、再度ノックダウン細胞を作製し、通常酸素下および低酸素下での増殖アッセイを行い、13個の遺伝子が酸素依存性の細胞増殖に影響を与えることを明らかにした。これらの遺伝子の中には低酸素応答性アポトーシス阻害因子であるBCL2L1が含まれていた。一方、他の12個の遺伝子は、酸素依存性の増殖に関する報告が過去に無い遺伝子群であった。続いて、新規同定遺伝子群の低酸素下での発現を検討した結果、新規同定遺伝子群は通常酸素下と低酸素下の発現に有意な変化は見られない事を明らかにした。これより今回のスクリーニングから、低酸素下で遺伝子発現が誘導されないが、低酸素下での細胞増殖に重要な役割を果たす、という新しいタイプの遺伝子群が同定された事を明らかにした。

第4章の結果の後半部では、新規同定遺伝子の1つであるRNF126の機能解析について研究が展開されている。まず、RNF126ノックダウン細胞を作製し増殖アッセイを行った結果、RNF126ノックダウン細胞では通常酸素下での増殖が有意に減少することを明らかにした。細胞の通常酸素下の生存・増殖に必要なエネルギーは主にミトコンドリアの酸化的リン酸化で産生される。これよりRNF126ノックダウン細胞では通常酸素下のエネルギー代謝経路である解糖系と酸化的リン酸化の代謝バランスに問題が起きている可能性を指摘し、続いて代謝変化とRNF126について着目して解析を進めている。その結果、RNF126は通常酸素下で乳酸産生を制御していることを明らかにした。この原因を解明するため、細胞の解糖系と酸化的リン酸化の代謝バランスを制御する分子である、PDK1とLDHAの発現解析を行っている。その結果、RNF126ノックダウン細胞では、ピルビン酸からアセチルCoAに変換する酵素PDHの阻害因子であるPDK1のタンパクレベルが上昇していることを明らかにした。更なる解析からRNF126はPDK1のE3ユビキチンリガーゼであり、PDK1のタンパク分解を制御していることを明らかにした。続いてRNF126が造腫瘍性に関わるかどうか明らかにするため、MDA-MB-231 、A431細胞でRNF126ノックダウン細胞を作製し、ヌードマウス皮下での造腫瘍能を解析している。その結果、RNF126ノックダウン細胞では顕著に造腫瘍能が低下しており、RNF126は造腫瘍能に重要である事を明らかにした。

本論文は、ゲノムワイドshRNAスクリーニングを用いて酸素依存性の細胞増殖に重要な遺伝子の探索を行い、13個の遺伝子を同定した。この中で、RNF126は通常酸素下においてPDK1のタンパク分解を制御することで、解糖系と酸化的リン酸化のエネルギー代謝のバランスを調節し、癌細胞の造腫瘍性に重要な役割を果たしていることを明らかにした。

なお、本論文の前半のshRNAライブラリーによるスクリーニング部分は、すでに国際学術誌に論文が採択済みである。主論文は、原 敏朗、Jane S. Weng.、高橋悠佳、清木元治、坂本毅治との共著となっているが、論文提出者が主体となって分析および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が十分であると判断する。

したがって、博士(生命科学)の学位を授与できると認める。

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