学位論文要旨



No 129578
著者(漢字) 森田,健二
著者(英字)
著者(カナ) モリタ,ケンジ
標題(和) アマモ場の成立条件と周辺生物におよぼす影響に関する研究
標題(洋) Study on Suitable Conditions for Eelgrass Bed and Its Effect on Surrounding Organisms
報告番号 129578
報告番号 甲29578
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(環境学)
学位記番号 博創域第923号
研究科 新領域創成科学研究科
専攻 社会文化環境学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 磯部,雅彦
 東京大学 教授 味埜,俊
 東京大学 教授 佐藤,徹
 東京大学 准教授 鯉渕,幸生
 東京大学 准教授 福田,正宏
内容要旨 要旨を表示する

1.背景と目的

広い海洋の中でわずか1%にも満たない河口や藻場・サンゴ礁は、熱帯雨林と同等以上の高い生産力を持っている。日本の大都市の多くは沿岸河口域に立地し、東京湾にもかつては広大なアマモ場が広がっていた。

我が国のアマモ場に関する研究は水産関係者を中心に1960年代から進められていたが、高度経済成長期以降の埋立や水質汚濁の影響により、1970年以降急速にその面積を減らしてきた。1980年以降になるとアマモ場再生の研究や事業が進められるようになり、成立条件の理解も進んできたが統一的な基準づくりはされておらず、未知の事象も残されている。また、機能効果事態も定量的になされていない。

2.理論的考察

アマモは海底面から10cm程度までの深さに地下茎と根束を張って生育している。したがって、高波浪などにより海底付近の流速が増大し、生育している地盤が短期的に10cm以上洗掘されると流失の危険性が高くなり、反対に葉の根元にある葉鞘部が埋没してしまうと新葉が地上に出られなくなって枯れてしまう。したがって、台風などの異常気象時における短期的な地盤変動の最大値がどの程度か、どれくらいの頻度で発生するのかを正しく予測することが適地評価に求められる。また、多年生のアマモについては、年間を通じて補償点光量を上回る光が届く浅場が必要である。植物であるので、栄養塩も一定以上必要となるが、海水中からも吸収できるため、不足することは考慮されてこなかった。

アマモ場は生物生息、環境浄化、海岸保全、利活用など様々な機能を有していると考えられてきているが、定量的な評価はほとんどなされていない。その中で近年も拡大傾向にある貧酸素水隗に対する酸素供給能の定量化と生物生息機能に着目した。

3.方法

3.1アマモ場の成立条件

横浜市金沢区野島海岸では、事前の適地評価によりアマモ場が再生された。このアマモ場の再生過程を空撮写真の画像解析とグラウンドトゥルースにより行い、事前の適地基準との整合性を検証することで、成立条件の妥当性を評価した。また、岡山県白石島では適地の中でアマモの生育不良箇所が生じたため、底質中の栄養塩濃度分析、施肥を伴う再移植、流向・流速観測を行い、原因を探索した。

3.2周辺生物におよぼす効果

野島海岸で再生したアマモ場内外16点で、貧酸素化が想定される9月上旬の小潮期に早朝から夕刻まで4周期で水質の鉛直分布を測定した。また、一昼夜に亘りDOの連続観測を行うとともに、アマモ場に設置したビニールチャンバー内外でDOの収支を測定した。

生物生息機能については、同海岸で2000年から毎月実施されている引き網調査の結果との比較、漁獲統計データ等を用いて評価した。

4.結果と考察

4.1アマモ場の成立条件

2000年に2,734m2だったアマモ場は2003年に一旦消滅するが、水産庁・神奈川県・市民グループの再生活動により2009年には32,947m2まで広がった。その範囲は事前に予測した適地範囲とほぼ一致しており、以下の成立条件の妥当性が確かめられた。上限水深(年最大有義波の5年間平均値に対応するシールズ数0.2)下限水深(月平均純光合成光量の10年間最低値:>0)。

岡山県白石島のアマモ生育不良地で土壌間隙水の栄養塩濃度分析した結果、NH4-Nの濃度が0.15mg l-1(8.3μM)未満となっており、アマモのNH4-N濃度半飽和定数(Km値)の9.2μMを下回っていたこと、施肥を伴う再移植により生育状況が改善されたことから、間隙水中のNH4-N濃度が光合成を制限していたことが考えられた。

生育が良好な地点の流速はピーク時でも10cm s-1程度の流速にとどまっているのに対して、生育不良地では大潮時には20cm s-1を超す流速も観測されるなど、栄養塩の供給源となる有機懸濁物質の安定性を損なう流速域に達していたことから、地盤の安定性以外に有機懸濁物質の安定性も考慮する必要があると考えられた。

4.2周辺生物におよぼす効果

多項目水質計による観測を行った結果、沖合底層の貧酸素水が表層離岸流の補償流によってアマモ場を通過する際、DOが付加されていく状況が解析図上でみられた。

このときに得られた測定値と文献値を基にDOの供給量を計算した結果、太陽高度の高い日中のアマモ場内(Sta.2)については、実測値と計算値は概ね一致した。アマモ場外(Sta.1、3)については相対的に流速が早いために移流拡散して濃度が低下することが推察された。供給割合では海底上と葉上の微小藻類の割合が高いと考えられた。

夏期から秋期の高水温時、天候不順の日が続くと酸素の消費量が勝り、貧酸素化が進行する。日照が回復するとアマモ場が供給するDOを求めて魚類が蝟集する様子がよく見られる。

アマモ場が回復した野島海岸では、アマモ場の面積に比例して引網で採集される魚介類の平均重量が増加している。岡山県下では1980年代に激減したガザミ、コウイカなどの漁獲水準がアマモ場の再生とともに回復してきている。しかし、安定同位体分析結果をみると、アマモを直接食べている生物はほとんど見当たらない。DO供給でも餌料供給でも間接効果が主体になっている。

アマモ場再生に漁協全体で長年取り組んでいる日生町では、アマモ場が回復してから養殖カキの斃死率が低下したという。アマモ場には我々が未だ気付いていない効果が隠されているのかもしれない。

5.結論

アマモ場が成立するためには、これまで知られていた生育地盤の安定性、呼吸量を上回る水中光量以外に底質間隙水中のNH4-Nを主体とする栄養塩濃度も一定以上必要となることが明らかとなり、適地評価には栄養塩を土壌に供給する有機沈降物質の安定度評価も必要と考えられた。

アマモ場の形成は付着生物への着生基質提供や地盤の安定化をもたらし、餌料供給による生物の現存量増加や多様性向上に加え、自らと相乗的に酸素を供給する微小藻類の繁茂を促すことで貧酸素化の抑制・改善を果たすなど、浅海部砂泥底の生態系や環境保全に重要な役割を果たしていることが明らかとなった。

図4.1 アマモ場の分布範囲(緑色域)と適地範囲(赤線と青線)

図4.2 底質のシルト分と間隙水中の栄養塩濃度の関係(図中の赤丸印はアマモの生育不良個所の結果)

図4.3 DOの鉛直分布断面図(RUN3)

図4.4 アマモ場とその周辺におけるDO供給量とその割合

図4.5 日照が回復したアマモ場内に蝟集するアオタナゴ(赤丸内は酸欠による失神個体)

図4.5 野島海岸におけるアマモ場面積と引網で採集された魚介類の平均重量(上)と岡山県下におけるアマモ場依存度の高い魚種の漁獲量(下)

審査要旨 要旨を表示する

沿岸域は地圏・水圏・気圏の接する環境を基盤として、生態系の中でも重要な空間である。その基礎生産は地球上でも最も高い水準であり、熱帯雨林のそれに匹敵する。本究で取り上げるアマモ場は浅海砂泥域において、海域では数少ない顕花植物であるアマモの群落を中心として形成され、魚類などの産卵、生育場となることなどを通じて生態系を支える重要な生物生息場となっている。アマモ場が形成される浅海砂泥床は波浪などの外力によって移動しやすいために不安定であり、また埋め立てを始めとする人間活動の影響を受けやすい。その結果、アマモ場の多くが消失してきたために、その再生の努力が続けられている。本研究は、アマモ場再生に向けて、実海域における一連のアマモの移植実験を通じてアマモの生育条件を明確にするとともに、アマモ群落が周辺生物におよぼす効果を明らかにしたものである。

第1章は背景と目的であり、海域におけるアマモ場の重要性を解説するとともに、その現状を取りまとめ、アマモ場の成立条件および周辺生物への効果を明らかにすることを研究の目的とすることを述べている。

第2章はアマモの生活史を解説するとともに、1960年代から始まったアマモ場再生の経緯とそこから得られた知見を紹介している。特に、アマモ場の分布上限水深は底質の安定性によって決まるため、これを表すシールズ数によって決定されてきた。しかし、これまでの研究では、実海域で対象とするアマモ場の持続性や、実験期間、シールズ数を計算するための外力評価の方法などの違いにより、限界となるシールズ数として異なる値が提案されてきた。これらには長期的な評価としては不適切なものもあり、今後のアマモ場再生事業などで利用するために適切な指標を求めるためには、単に精度を上げるだけでなく、考え方を整理した上でデータ整理を行うことが必要である。また、アマモ場の周辺生物に与える効果に関しては、一株の酸素供給能の測定などが行われているものの既往の研究が限られているため、アマモ場としての現地データを蓄積しなければならない。

第3章は現地実験の方法を述べている。主となる実験フィールドは神奈川県野島海岸と岡山県白石島である。野島海岸においては、SMB法と呼ばれる波浪推算法によって年最大波高を計算し、これによって分布上限水深を予測した。分布下限水深に関しては、アマモの光合成速度と呼吸速度との差分を与える光量として純光合成光量を定義し、対象海域の気象条件や透明度からこれがゼロとなる水深を決定した。これらより、再生に適切な海域を選定して播種および苗移植を行い、航空写真やGPS魚群探知機・ストラクチャースキャンを用いてその後のアマモ場の拡大を測定し、拡大の限界水深を求めた。白石島においても同様に波浪推算を行ったが、地形が複雑であるために、エネルギー平衡方程式を用いた波浪変形計算も行っている。また、ここでは、栄養塩供給の影響を調べるために海底の間隙水の水質測定も行っている。野島海岸においては、周辺生物におよぼす効果を調べるために、チャンバー実験を含めたアマモ場の酸素供給能の測定や、引網調査を行った。

第4章は結果であり、アマモ場が予測通り拡大したことを含めて、アマモ場の拡大範囲が求められた。また、白石島においては、分布水深帯内にも関わらずアマモが成長しなかった実験海域があった。原因が海底中の間隙水からの窒素の供給不足にあるとの考察に基づいて、施肥を行ったところ、アマモが生育するようになった。これより、底質のシルト成分が少ないために還元層が形成されず、それが栄養塩の供給不足につながったことが判明した。また、アマモ場の効果については、提案された水中光量・光合成の算定式により酸素供給量が定量化できることが検証されるとともに、周辺生物の種数・重量が増加していることが確認された。

第5章は考察である。多年生のアマモ場の分布限界水深を決定するシールズ数については、SMB法によって推算された波高から求めた5年平均年最大シールズ数を用いて0.2とすることが妥当であることが結論された。分布下限水深は提案された純光合成光量を用いることの妥当性が検証された。また、海底間隙水中の栄養塩濃度に関して、特にアンモニア濃度が半飽和常数程度以上になることが必要であることが明らかになった。さらに、アマモ場の酸素供給能により、青潮時の貧酸素水による生物影響が緩和される状況が確認されるとともに、アマモ場が間接的に食物連鎖に寄与することも示された。

以上の研究成果は、アマモ場再生に向けて、アマモの生育条件に関して一連の現地実験を行って分布限界水深を決定する条件を提案し検証するとともに、アマモ場の周辺生物に対する効果を具体的に評価したものとして環境分野における学問的価値がある。よって、博士(環境学)の学位を授与できると認められる。

UTokyo Repositoryリンク