学位論文要旨



No 129617
著者(漢字) 横田,亮
著者(英字)
著者(カナ) ヨコタ,リョウ
標題(和) 神経集団による符号化の多様性と同期性の意義
標題(洋)
報告番号 129617
報告番号 甲29617
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第439号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 知能機械情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 講師 高橋,宏知
 東京大学 教授 神崎,亮平
 東京大学 教授 國吉,康夫
 東京大学 教授 合原,一幸
 東京大学 准教授 小林,徹也
内容要旨 要旨を表示する

大脳皮質内の神経細胞は,領野やコラム構造のように,似通った応答特性を持つ細胞同士で神経集団を形成すると考えられてきた.しかし,近年,同じコラム内の神経細胞でも,多様な応答特性を示すことが指摘されている.そこで,本研究では,各コラム内の応答特性の多様性を符号化能力に注目して定量化し,学習という可塑性を与えることにより,その変化の仕方から多様性の意義について考察した.また,神経集団の多様性と冗長性を区別する指標として,神経集団の同期性にも注目した.さらに,同期性の変化が,どのような神経回路の特徴から生じるかをシミュレーションにより検証した.本研究で実施した研究項目と,それらから得られた知見を下記にまとめる.

I ) 本研究で行った実験

・行動・生理実験による神経応答の計測

オペラント条件付けにより,ラットを未学習・学習途上(Day4)・学習成立後(Day20)の3つの学習群に分け,各段階で様々な純音刺激に対する神経応答を一次聴覚野全域より計測した.計測した神経応答を用いて,各計測点で相互情報量(Mutual information;MI)とCircular varianvce(CV)を計算し,個々の神経応答の符号化能力と集合応答(局所電場電位,LFP)に対する同期性をそれぞれ定量化した.

・シミュレーションによる神経回路・応答の評価

i)神経ダイナミクスに多様性を持つ神経回路

STDPにより自己組織的に再編された回路構成を,同多様性を想定しない場合と比較した.また,多様性を考慮した神経回路において,コリン作動性受容体活性の効果として抑制性細胞から興奮性細胞への結合強度を10分の1に減弱してトレーニングを行い,そのトレーニング前後に,あるいは,その最中において,正弦波入力に対する神経応答の同期性を評価した.

ii)周波数局在性をモデル化した神経回路におけるコリン作動性受容体活性

聴覚野のコラム構造をモデルに組み込んだ後,コリン作動性受容体活性の効果として,興奮・興奮間の水平結合,興奮・抑制間の水平結合,視床・皮質間の求心性結合を先行研究の結果をもとにそれぞれ調整した.

II) 本研究で得られた知見

1)感覚野における神経応答の多様性の特徴

コラム内の神経回路は,個々の細胞に多様性を持つ.また,その多様性の度合いは,コラムの大きさ(細胞数)と相関した

・行動・生理実験による多様性の評価

MI,CVを計算した結果,低い周波数選択性(Best frequency; BF)領域よりも高BF領域でMI,CVはより広いバラつきを示した.これは,BFコラム内の神経細胞群に応答の多様性が存在するのと同様に,BFコラム間にも多様性を生むことで情報処理の効率化を実現していると推察される.また,このBF依存的なMI,CVの分布は学習経過中も存続したが,学習途上でMIは増加・CVは減少し,学習成立後でMIは減少・CVは増加した.さらに,学習の全段階で,各指標とBF領域の面積は相関する傾向にあった.これは,BFコラムの面積,すなわち,神経細胞群の数に,応答の多様性が相関することを示唆する.

2)多様性を生み出すメカニズムとしての同期現象

個々の神経のダイナミクスに多様性を想定した場合の結合強度分布は逆指数関数的になり,想定しない場合は正規分布に近くなった.これは,先行研究から,より生理実験結果に則した結果であることが分かった.また,多様性を想定した場合は,抑制性細胞と興奮性細胞のバランスの変化による同期性の変化がより顕著になった.これは,多様性を考慮した場合の方が,学習による効果が大きいことを示唆する.

・学習による多様性の調整原理

学習は,経過日数と共に情報処理の確実性と効率性のバランスを変化させる.神経応答の多様性はこのバランスに対応して変化する.また,この変化は,ネットワーク内の抑制・興奮間のバランスに起因する.

a)行動実験の示す応答の変化

偽陽性率の増加が学習途上(Day4)で減少に転じたことから,学習には少なくとも2つのステップが存在することを示唆する.

b)生理実験の示す多様性の意義の変化

学習経過に伴うMI,CVの非単調な変化は,多様性の意義に関して以下のことを示唆する.学習途上では,個々の神経細胞の持つ刺激に対する反応性を増加させる(MIの増加)と共に,集合応答に対する同期性を向上させること(CVの低下)でノイズに対してより頑強に入力信号に対してより確実に反応できるようになり,一方で,学習成立後では,個々の神経細胞の持つ刺激選択性を低下させる(MIの低下)と共に,集合応答に対する同期性を低下させること(CVの増加)で,集団で刺激情報を符号化する際の効率性を上昇させた.

c)シミュレーションの示す生理実験との整合性

神経ダイナミクスに多様性を持つ神経回路において,コリン作動性受容体活性の効果を評価したところ,トレーニング中の神経応答はトレーニング前よりも同期的に,トレーニング後の神経応答はトレーニング前よりも非同期的になった.これは,本実験における生理実験結果と一致した.また,周波数局在構造をモデル化した神経回路において,コリン作動性受容体活性の効果を評価したところ,興奮性細胞間の結合強度と抑制性神経から興奮性神経への結合強度が不釣り合いな場合,それらが均衡している時と比べて,LFPsの各周波数に対する第一スパイクの位相固定度合いが試行間でバラつかなくなった.これも,本実験における生理実験結果と一致した.

上述の要点より,学習経過に伴う符号化能力・同期性のバラつき(多様性)は,聴覚野の情報処理の特徴を如実に反映している.すなわち,学習の途上では確実性を,学習の成立後では効率性を,それぞれ,優先している.このように,神経集団による情報表現において,個々の神経細胞の反応特性の多様化は,情報処理の確実性と効率性のバランスを調整するために,極めて重要な役割を担っている.

審査要旨 要旨を表示する

本研究では,神経集団による情報表現において,個々の神経細胞の反応特性の多様性と神経集団の同期性の意義を考察した.具体的には,ラットの聴覚野を実験モデルとし,その神経反応から,個々の神経細胞の符号化能力と細胞集団活動の同期性のばらつきを定量的に調べた.また,これらの特徴が,学習により,どのように変化するかを調べた.さらに,生理実験で得られた知見が,どのような神経回路の特徴に起因するかをシミュレーションで検証した.

第一章「序論」では,研究の背景として,大脳皮質がどのような特徴を有しているかを説明し,その特徴が環境適応の観点からどのような利点をもたらすかについて議論している.その際のキーワードとして,神経集団内の「多様性」を取り上げている.次に,大脳皮質内の情報処理のメカニズムについて議論し,上述の特徴が情報処理の観点からどのような利点を生み出すかについて議論している.さらに,既存の集団符号化の方法について説明し,神経集団と個々の神経細胞の活動を同時に評価する指標として「同期現象」に着目する意義を説明している.この同期現象は多様性と密接に関連するはずであるが,多様性と同期性の関連を調べた先行研究が少ない.このことを問題視したうえで,本研究の目的として,(i) 感覚野における神経反応の多様性の特徴を明らかにすることと,さらに,(ii) その多様性を生み出す同期現象のメカニズムを明らかにすることを導出している.

第二章「行動・生理実験」では,聴覚野内の応答の多様性と同期性が,学習によりどのように変化するかを定量的に評価するために,オペラント条件付けを用いた行動実験と細胞外計測法を用いた生理実験を行った.まず,古典的な評価方法により,聴覚野の周波数マップを明らかにした.次に,個々の神経細胞の情報処理の多様性を評価する指標として相互情報量を導入し,周波数局在構造内での多様性を定量評価し,さらに,その多様性が学習によりどのように変化するかを調べた.最後に,神経集団による活動の多様性を考察するために,個々の神経細胞の発火電位のタイミングが,平均的な集団活動を示す局所電場電位に対して,どの程度揃うかを定量的に評価した.その結果,個々の神経細胞の応答特性も,細胞間の同期性も,周波数マップに依存しており,さらに,学習により,周波数局在構造とともに柔軟に変化することが示された.

第三章「シミュレーション」では,前章の考察より,学習による可塑的な神経応答の変化の要因が,興奮性細胞と抑制性細胞のバランスの変化にあるとする仮説を導出し,この仮説を二つのシミュレーション実験で検証した.一つのモデルでは,ランダム結合した神経回路の自己組織化において,興奮と抑制のバランスが同期性にどのような影響を与えるかを調べた.その結果,このシミュレーションモデルにより,生理実験で調べた神経活動の同期性を説明できること,さらに,同期性の変化は,個々の細胞のダイナミクスに多様性がある場合に顕著になることがわかった.もう一つのモデルでは,興奮と抑制のバランスが,聴覚野の周波数局在構造を模したネットワークにおいて,同期性にもたらす影響を検証した.このモデルでも,興奮と抑制のバランスが,ネットワークの同期性に決定的な影響を与えていること,さらに,その影響は生理実験の結果と合致することが示された.

第四章「考察」では,これまでの実験結果を総括し,先行研究の知見と比較しながら,総合的に議論している.特に,聴覚野の応答の特徴や位相同期性の意義に説明を加え,多角的な視点から,学習による応答の変化の原因を追究し,情報処理の確実性と効率性のバランスを議論している.

第五章「結論」では,本研究で実施した研究項目の概要を整理し,それらから得られた知見を結論として知識化している.生理実験とシミュレーション実験の結果を多角的に考察した結果,(i) 学習は,経過日数と共に情報処理の確実性と効率性のバランスを変化させ,神経応答の多様性はこのバランスに対応して変化すること,(ii) この変化は,ネットワーク内の抑制・興奮間のバランスに起因することを本研究の結論として結んでいる.

上述の要点より,学習経過に伴う符号化能力や同期性のばらつき(多様性)は,聴覚野の情報処理の特徴を如実に反映している.すなわち,学習の途上では確実性を,学習の成立後では効率性を,それぞれ,優先している.このように,神経集団による情報表現において,個々の神経細胞の反応特性の多様化は,情報処理の確実性と効率性のバランスを調整するために,極めて重要な役割を担っている.本研究で注目した神経集団による情報表現方法は,聴覚野にとどまらず,視覚や体性感覚など感覚野における普遍的な知覚情報処理の一端を解明する手がかりになる.その点で,本研究には,神経科学や認知科学分野において,学際的な学術的な貢献が認められ,今後の発展も期待できる.

よって本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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