学位論文要旨



No 129622
著者(漢字) 左,思洋
著者(英字)
著者(カナ) サ,シヨウ
標題(和) 負圧形状ロック原理を用いた次世代低侵襲手術用非磁性ガイド管に関する研究
標題(洋) Developing Nonmagnetic Outer Sheath with Negative Pneumatic Shape-locking Mechanism to Enable Novel Minimally Invasive Surgery
報告番号 129622
報告番号 甲29622
学位授与日 2013.03.25
学位種別 課程博士
学位種類 博士(情報理工学)
学位記番号 博情第444号
研究科 情報理工学系研究科
専攻 知能機械情報学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 准教授 正宗,賢
 東京大学 教授 下山,勲
 東京大学 教授 中村,仁彦
 東京大学 准教授 中島,勧
 東京電機大学 教授 土肥,健純
内容要旨 要旨を表示する

■背景・目的 近年では腹腔鏡下手術の低侵襲性を進化させたSingle Port Surgery(SPS)が急速に広まっている.更にNOTES(Natural Orifice Transluminal Endoscopic Surgery)が,欧米を中心に開発され,ヒトでの臨床応用も報告され.本研究では,SPSまたはNOTESを主なターゲットとする.

現在のSPSにおいては,従来の腹腔鏡下手術と同様に体内に大きな術野空間の確保が求められる.また,多くの機器が長い直線形状をしているため,低侵襲で患部が体内の奥深くに存在する場合のアプローチが極めて困難になる.これらの問題の解決には軟性手術器具が有効である.しかしながら,腹腔内部は深部に到達するための経路は存在しない.また軟性手術器具自体が柔らかいため,体内への挿入と術野への進入が困難である.更に器具の先端には鉗子やメスなどが搭載されており,それらが周辺の組織を傷つける可能性もある.このため,あらかじめ軟性手術器具の進入経路を確保するための機器の開発が求められる.NOTES手技において,隣接臓器を損傷せずにいかに安全に腹腔内へアプローチするか,術中の軟性手術器具の動作を安定させるかが課題となる.したがって,体内へ挿入する段階では柔状態を有し,患部に到達させた後に形状を固定する剛状態をもつ機器の開発が求められる.

そこで本研究はSPSまたはNOTESにおいてのアプローチ課題,軟性手術器具の動作安定化課題を解決するための非磁性柔剛可変ガイド管の提案と開発を行なう.開発したガイド管では,柔モードで体内に挿入し,臓器を迂回して患部へ到達させた後に任意の形状でロックすることで軟性手術器具が通過するための経路を確保できる.

■設計原理

一体化自由屈曲先端 ガイド管の先端部では,ピンジョイント方式による連結を行なっている.本屈曲機構においては,円筒状フレームを6個組み合わせることで2自由度の屈曲を実現する(Fig. 1(A)).自由屈曲先端は一体化設計されており,3Dプリンタによる一体化造形を行なった.これによりジョイントピンの挿入などの複雑な組立作業が一切不要となる.自由屈曲先端の屈曲駆動範囲を導出した(Fig. 1(B)).自由屈曲先端は広い屈曲範囲を有することがわかる.

柔剛可変シャフト 柔と剛のモードを切り替えるメカニズムとして,Snake belly機構とDragon skin機構を負圧駆動による原理を開発した.

Snake belly機構:樹脂で製作した鋸歯状のリンク,ベローズチューブと密封カバーによって構成される(Fig. 2(A)).柔モードにおいては,密封カバー内部の圧力は大気圧とバランスを保つため,鋸歯状リンクはベローズチューブとかみ合わない.一方剛モードにおいては,内部の空気は外部へ排出され,密封空間の内部は負圧となる.鋸歯状のリンクは大気圧によってベローズチューブに押し付けられ,鋸歯とベローズチューブの溝がかみ合うことでガイド管の形状はロックされる.

Dragon skin機構:樹脂で製作したウロコリンクと密封カバーによって構成される(Fig. 2(B)).ウロコリンク根元の表側に複数の溝,羽の裏側には歯がある.柔モードにおいては,ウロコリンクの羽は隣のリンクの根元とかみ合わない.一方剛モードにおいては,内部の密封空間が負圧となり,ウロコリンクの羽は大気圧によって,隣のウロコリンクの根元に押し付けられ,歯と溝がかみ合うことでガイド管の形状はロックされる.

■プロトタイプ 前述した原理に基づいてSnake belly機構プロトタイプ(Fig. 3(A))とDragon skin機構プロトタイプ(Fig. 3(B))を試作した.

Snake belly機構プロトタイプ:外径20mm,全長330mmである.4つのチャンネルを装備し,チャンネル径は7mm, 3mm, 1.9mm, と1.9mmである.

Snake belly機構プロトタイプ:外径20mm,全長575mmである.5つのチャンネルを装備し,チャンネル径は7mm, 3mm, 3mm, 3mm, と1.7mmである.選択的にガイド管内に負圧を加えることで,部分的に柔軟性コントロールすることができる.ガイド管のすべての材料はプラスチックと非磁性材質であり,MRI対応性に優れる.

■評価実験

ワイヤによる先端屈曲特性 駆動用ワイヤの移動距離と先端のフレームが最初の直線状態に対してなす角度を測定した.繰り返しによる誤差については,左右方向(水平面屈曲)における標準偏差が平均で±2.6°,上下方向(垂直面屈曲)における標準偏差が平均で±3.3°という再現性を確認した.水平面屈曲で-95.3±1.35°~89.1±1.5°の範囲で,垂直面屈曲においては-108.7±1.4°~105.4±1.5°の範囲であった.

柔状態と剛状態の形状特性 柔の状態と剛の状態それぞれにおいて,外力による変形に関する特性の評価を行なった.柔剛可変シャフト先端から150mmのところを固定し,柔剛可変シャフト先端に直線状態から垂直となる方向へ負荷をかける.そのとき負荷の大きさと先端のスペーサが最初の直線状態に対してなす角度を測定した.Snake belly機構プロトタイプ:先端負荷としては最大3Nとした.柔状態においては,7.5N・cmの小さい負荷トルクで20度を湾曲し,45N・cmのトルクで70°以上も湾曲したことから,小さな外力によって変形できることが示された.一方で剛状態において,7.5N・cm以下のトルクに対して変形を示さなかった.負荷トルクが20N・cmを超えると変形が大きくなったが,湾曲角度が柔状態の1/3以下となった.Snake belly機構プロトタイプ:柔状態においては,先端負荷は最大0.5Nで湾曲角度の測定を行った.先端湾曲角度の変化は-48.7±5.8°~ 67.4±1.7°の範囲であった.0.5Nの負荷によって大きな変形が可能であり,機構における十分な変形性を確認した.剛状態においては,先端負荷としては最大3Nとした.測定の結果,先端の湾曲角度の範囲が-31.8±0.9°~31.8±1.3°であった.軟性手術器具が術野で発生させる力の大きさ,および固定点となる体内の挿入口から術部までの距離を考えると保持力が充分であると考えられる.またガイド管は大きな臓器を持ち上げることを想定しておらず,剛モードにおいての形状保持トルクはチャンネル中に挿入された軟性手術器具の挿入力と臓器の外部圧力に対しても充分であると考えられる.

MRI誘導下手術の可能性 本ガイド管のMRIへの対応性に関する評価を行なった.ここではガントリ内に撮像ファントムを配置し,ガイド管を撮像ファントムに挿入する.ガイド管をガントリ内に挿入したことによりファントム内部の格子の歪みは確認されなかった.ガイド管の挿入によるS/N比の低下率は4.6%で非常に低く,画質の低下は見られなかった.さらに,ガイド管の先端にMRI可視マーカーや造影剤入りチャンネルの導入によって,ガイド管の先端の向きや全体の形状を3DのMR画像で確認することができた.以上により本システムについてMRIガイダンス下における低侵襲手術の実現可能性を示した.

胃部分切除術(動物実験)2頭のブタを全身麻酔下で使用し,Transrectal NOTES routeによる機能評価をするため試験した.シミュレーションは胃部分切除術を目標として施行した.全ての施行において胃部分切除術に成功し,下記に示す機能が確認された.1)軟モードによる挿入時の臓器損傷の危険性の回避が可能 2)剛モードによる横隔膜圧排・視野確保が可能 3)補助3mmニードル腹腔鏡を併用し,肝臓などの実質臓器をシャフトにて挙上し視野展開に寄与させることが可能 4)ガイド管の送水機能は切開層やレンズの洗浄対策として有用 5)ガイド管の細径軟性鉗子の挿入機能はガイド管の侵入方向での臓器把持・カウンタートラクション効果の発生に有用

■まとめ 本研究では従来の低侵襲手術ではアプローチ困難な体内深部領域の患部に対する軟性手術器具の挿入,入れ替えを可能とし,さらにMRI safeの要求を満たすため,すべて非金属体にて構成可能な柔剛可変ガイド管を開発し,製作および評価実験を行なった.結果から本ガイド管の設計原理が正しく,有効であることを確認した.そして,MRIに影響を及ぼすことなく,経路確保のための柔剛可変ガイド管における臨床への有効性,および体内深部治療の低侵襲化への有効性が確認された.

Fig. 1 Bending distal end (A) Kinematics model of bending distal end. (B) Workspace of the bending distal end P(X,Y,Z).

Fig. 2 Shape holding mechanism of the outer sheath between flexible and rigid modes; (A) Snake belly structure. (B) Dragon skin structure.

Fig. 3 Prototype; (A) Snake belly prototype. (B) Dragon skin prototype.

審査要旨 要旨を表示する

本論文では,軟性の手術器具が重要組織を迂回して,患部に安全に到達でき,かつ器具の交換も安全に行なうことを可能とする柔剛可変ガイド管の開発・研究を行った.具体的には,柔モードで体内に挿入し,臓器を迂回して患部へ到達させた後に任意の形状でロックする機構として,Snake belly機構とDragon skin機構を負圧駆動による原理を考案した.これにより軟性手術器具が通過するための経路を確保できる.また更に,先端部能動的な屈曲機構として,一体化自由屈曲機構を開発し,考案した機構をガイド管プロトタイプへ実装・試作を行った.

本論文は8章からなり,第1章では低侵襲手術の現状を解説し,SPSとNOTESの臨床上の問題点及び軟性手術器具の進入経路を確保するための機器の開発の必要性を述べた後に,体内へ挿入する段階では柔状態を有し,患部に到達させた後に形状を固定する剛状態をもつ機器の開発の必要性について説明した.第2章では,本研究の目的として,体内への低侵襲なアプローチのため,軟性手術器具が進入可能な通路を作成するガイド管の開発を述べている.第3章では,体内組織の特性,ガイド管の体内進入方法および動力の伝達方法を検討した後に,「先端屈曲」機能の実現のための一体化2自由度屈曲機構,および「柔剛可変」機能を実現させるためのSnake belly機構とDragon skin機構を負圧駆動による原理について述べている.第4章では,前章での検討に基づいて実際に用いた機構と試作したガイド管プロトタイプシステムの構成を説明し,ガイド管プロトタイプの機能と特徴を述べている.第5章では,試作したガイド管について,機構学・力学的点からの性質について解析した.第6章では,開発したガイド管プロトタイプに対して,機構に関する基礎特性,MRI誘導下手術の可能性および動物による臨床環境での評価実験を行った.柔状態では0.5N以下の外力で,大きく湾曲可能に対して,1kPaの負圧を加えることで45N・cmのトルクに対する形状維持が可能となった.ガイド管をガントリ内に挿入したとしてもほとんどMRIに対する影響はないことが分かる.ガイド管の挿入によるS/N比の低下率は4.6%で非常に低く,画質の低下は見られなかった.造影剤チャンネルを導入することで,ガイド管の全体形状の確認が容易であり,さらに3つのMRI可視マーカを先端に配置することで,先端の向きを確認することが可能となった.MRIガイダンス下でのガイド管の使用可能性が示された.動物実験においては,体内に侵入するアプローチを実施し,体内の胃の一部を切除出来ることを明らかとした.第7章では機構学的特性および評価実験の結果から本ガイド管の低侵襲手術への有効性について述べる.第8章は結論として.本ガイド管が次世代低侵襲手術への有効性を示したものといえる.

本論文で開発した次世代外科手術のための柔剛可変ガイド管の特色は以下の3点である.1)新しいSPS:本研究では,気腹法などの空間確保を行わずに,術具を挿入するポート数を1つのみで,体内深部組織に対する低侵襲治療が可能となる手術方法を開発した.この手術方法は今までまだ行われていない新しい手術方法であり,当該分野は国内外共に未踏の研究領域である.2)MPS:開発したガイド管を用いて,消化管を進入路として,隣接臓器を損傷せず安全に腹腔内へアプローチし,術中の軟性手術器具の動作を安定させることが可能となる.動物実験では2頭のブタを全身麻酔下でガイド管を用いて,胃部分切除術に成功した.3)MRIを用いた画像誘導手術:ガイド管の挿入における画像誘導技術の一つとして,MR画像の使用を想定した.本ガイド管は負圧を形状のロック原理としており,一方で樹脂を構造体として用いるため,MR対応性に優れると考えられ,MRIを用いた画像誘導手術が可能となる.

現在,柔軟状態から,剛性状態に切り替えることが可能であるデバイスの研究は世界的にも例が少なく,非常に独創的で将来性のある研究である.また軟性手術器具が通過するための経路を確保してから,様々な軟性手術器具を入れ替えることが可能であるため,手術時間の短縮が可能となる上に,軟性手術器具が空気に露出する時間が減り感染の可能性も低くなる.負圧駆動によるシンプルなロック構造でありながら,柔状態と剛状態の役割を同時に果たし,さらにはMRI下での使用も可能であるため,医療機器として実用性および安全性が非常に高いものと言える.

本論文は左氏が率先して研究を行い,従来のマニピュレータとは一線を画した独創的な"負圧制御による柔剛可変機構"を発案・試作開発したものであり,現在の内視鏡下手術よりも安全で低侵襲な手術が実現でき,従来困難であった治療法の開拓も可能である.また,新たな低侵襲手術方法を提案することにより,臨床にもたらす影響は大きく,研究の価値は多大であると言える.

以上により本論文は博士(情報理工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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