学位論文要旨



No 211740
著者(漢字) 梨原,宏
著者(英字)
著者(カナ) ナシハラ,ヒロシ
標題(和) 木材を主素材とした車いすの開発に関する研究
標題(洋)
報告番号 211740
報告番号 乙11740
学位授与日 1994.04.11
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11740号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 木谷,収
 東京大学 教授 岡野,健
 東京大学 教授 大熊,幹章
 東京大学 教授 瀬尾,康久
 東京大学 助教授 岡本,嗣男
内容要旨

 障害の重度化、老齢人口の増加にともなって、福祉機器を必要としている身体障害者の自立への要求は多様化している。しかしながら我が国の福祉機器の供給は、機能的側面、心理的側面、福祉施策的側面ともに十分とは言い難い。

 本論文は、車いすを研究対象とし、資源的にも、強度的にも、心身の感覚特性からも優れた性質を持ちながら工業的に合理性が欠け製品化が困難と見過ごされて来た木材を主素材とし、成形合板技術を応用した車いすの開発を行い、機能的側面、心理的側面を満たすと共に、木材を用いた車いすが、工場で個々の身体障害者の障害の種類、身体能力、身体寸法に合わせ生産できる工業化の可能性、及び地域内の生産者が地域内の障害者に応える個別生産手法の可能性を追求する事を目的としている。本論文は以下の7章で構成されている。

 第1章「序論」では本研究の目的、既往の研究内容、車いすへの木材適応の意義、研究の特色、研究の方向性、研究の経緯を述べ、木材を主素材とする車いすの開発に関する研究の意義と特色を総括した。

 第2章「車いす使用者と装置、設備との適合性解析」では、屋内空間の中で車いす使用者が実際に各種装置、設備、家具等と接する時の空間的適合性を求めた。床からの垂直距離で実測し正規分布に置き換えた身体位置と、等確率からなる離散分布と見なした装置、設備の作業接点高さ及び適合許容幅をもとに、空間的適合性を算定する適合度評価式を案出し分析評価を行った。その結果より身体位置は座面高さ、テーブル高さ、眼高、手高ともばらつきが大きいため座面基準、差尺基準で計画された装置、設備との適合度が低く、JIS中型車いすを前提に提案された建築標準化設計仕様は、車いす使用者の身体位置の実態に合わず装置、設備との適合性を適切に反映できていないこと、折り畳みを前提にした車いすの座の構造は、装置、設備との適合性、座位保持性を悪くしていることを見いだした。一方、水平面上での移動空間量と、装置、設備への接近条件を建築標準化設計仕様に照らし評価した結果、住居等屋内で使用するには車いすの平面寸法の縮小、小回り性、膝下部の足回りのデッドスペースを少なくすることが必要であることを見いだした。以上から木材を主素材とした車いすの設計仕様として、折り畳みをしない座面構造で座面高さを430mmに統一し、差尺を250mmとすること、車幅を約600mm,最大車長を1000mm以内の無駄の無い寸法とすること等を得た。また提案されている座面基準、差尺基準による装置、設備の作業接点高さは、今後見直されるべき標準化設計仕様であることを見いだした。

 第3章「車いす設計項目の抽出と構造モデル化」では、経験的、直感的方法であるKJ発想法に基づく方法論的設計手法によって、医療的色彩の強い現在の車いすを、現代の生活感覚に相応しい表現体にするための車いす設計項目の抽出と構造モデル化を行った。車いす使用者の生活領域を装、食、遊、交、知、用途を屋内常用、屋外常用、作業用、スポーツ用、屋内介助用、屋外介助用、構成要素を座面系、駆動系、操作制御系、構造系にそれぞれ分類し分析要素とした。そして分析プロセスを生活要求の抽出、機能要求の抽出、関連樹木図の作成、相互作用マトリクスの作成、無向グラフの作成、用途別設計要素の序列化、重要課題の抽出、設計要素の具現化条件とし、そのプロセスに従って分析を行った。その結果より、座位保持向上、適合性向上、操作性能向上、軽装性向上、表現性向上の5項目とそれを具体化する13の主要設計項目を得た。用途別設計要素の序列化により、用途に共通な設計項目として座位保持の向上、イメージの向上、用途別には個々の用途毎に固有の設計項目が抽出された。その上で木材を主素材とした車いすの用途を屋内常用、屋内介助用ととらえ設計項目を求めた結果、木質環境のある座位保持の向上、木材の心理的情緒性を生かしたイメージの向上、手の触れる部分の木製化による皮膚感覚の向上を共通設計項目とし、用途別には屋内常用では適合性の向上、屋外介助用は介護者の操作性の向上を重要な設計項目として得た。

 第4章「車いすの設計、試作と試用評価」では、2章、3章で得た木材を主素材とした車いすの在り方をもとに概念設計を構築すると共に、LVL成形材、合板材による車いすの構成概念を構築した。その上で手動プレス、手動クランプ等を用いた手工作によるブナ材を素材とした成形合板技術を実験的に試み、設計、試作、試用評価を4回繰り返し、実用に適う車いすの仕様、構造を追求した。第3回までの試作では車輪を除く全ての部位を成形合板で構成した。第1回の試みではフレーム断面を24×24mmとし構成したところ、実用には無理が見られたが成形合板で車いすが構成できることを見いだした。第2回の試みでは自力操作可能な障害者に合わせ寸法を設定し、フレーム断面を30×30mmにしたところ、自宅で使用可能な堅牢なフレーム構造になったが移動機能の金属部品の選定、接合要素設計に課題を残した。車いす操作に慣れた人にはそれは静的で不満が見られ、主に高齢者に向くことを見いだした。第3回の試みでは高齢者を対象に介護接点を持つ構造にしたところ、施設の高齢者から好評を得た。しかし高齢者の障害の種類、身体能力に合わせた配慮が必要であり、背もたれ角度、足元の空間処理、色彩構成等に課題を残した。装置、設備との適合性、インテリア性、内、外の境界空間での使用性は満足された。車いすメーカーの参画による第4回の試みでは、座や操作等身体要求に関する部位を成形部材で、精度が求められる移動機能に関する部位を金属他工業部材で構成する、構造的にも生産技術的にも合理性のある構成概念を得、実用化と工業化に結びつけた。さらにノックダウン方式の組み立て手法にも道を開いた。

 第5章「車いす木材成形フレームの材料強度解析」では、表単板の繊維に平行な方向をL軸、繊維に直角な方向をT軸、積層の厚さ方向をR軸とした座標軸設定とし互いに直行する異方性材料としたLVL成形フレームの材料力学的性質を求めた。そのうえでブナ材の単板を用いてLVLに積層構成した成形部材のJISに準じた引張、圧縮、曲げ、剪断、割裂試験を行った。その結果、ユリア樹脂接着剤を用い低圧電流過熱によって成形された成形部材は、ムクのブナ材とほぼ同レベルの強度を持つことが縦引張、縦圧縮、縦剪断、曲げ、曲げヤング係数のデータから明らかになった。次にL型、T型形状を持つブナLVL成形フレーム部材と車いすに使用されている金属パイプフレーム部材(SUS,AL,鋼)とのL型フレーム加圧角曲げ、L型フレーム加圧角開き、T型接合曲げ強度比較試験を行った。その結果よりブナ成形フレームはその断面を30×30mmとすれば、ほぼ金属パイプフレームと同等あるいはそれ以上の強度を示すこと、駒入れによるT型接合構造は金属パイプ溶接構造の強さをしのぐ事が明らかになった。但し、成形フレーム部材のデータのばらつきは大きく、それを許容した幅を持った強度評価が必要であることも明らかにした。次に車いすを構成する木材成形フレームの強度解析を有限要素解析ソフト「MARC」を用いて行った結果、急激に座る動的座位姿勢の場合、繊維方向であるL方向に応力が分布する性質を持つことが分かり、強度的に理に適ったフレームの材質、形状、寸法、構成を持つことを証明した。またそれの最大応力は降伏応力の1/3程度であり、動的な負荷に対し、強度的に十分応えられることが分かった。

 第6章「実用化仕様と生産手法」では、工場での生産に移行した生産モデルの仕様と設定した概念設計との関係を明確にすると共に、個別の身体寸法要求への配慮点を明らかにし、レディーメード可能な部品構成条件を得た。現在の我が国の車いす工業界の実状に触れ、60歳以上の高齢者が身体障害者全体の6割を占め高齢化が進展しているにもかかわらず、これに関する企業は零細が多いこと、車いすの価格が公的給付制度によって押さえられ現代の要求にあったレベルに向上させられない状況にあることを明らかにした。そのうえで木材を主素材とした車いすを工場で生産するための成形合板材料である表面用材料、心用材料、接着材料の選択条件、個々の成形部品に対する成形型の条件、成形部材の構成、仕上げ条件、塗装条件、金属部品の構成条件、座、背もたれの張り加工条件、組立条件を明らかにした。一方、地域の木材資源を用いて地域で車いすを個別生産をする意義は、生産者主体のものの利用から、身体機能から住まい、生活、文化、福祉まで視野に入れた使用者主体の利用形態に変換することであること、そのために、技術力確かな成形合板メーカー、車いすメーカーから部品を取り寄せ、地域内家具業者、あるいは自ら挑戦する作り手が地域の個々の障害者に合わせ、仕上げ加工、塗装、組立を行い身体障害者に供給することが当面可能な生産手法であることを提示した。それには地域行政からの産業施策、福祉施策が必要であることを明らかにした。

 第7章「結論」では、各章で得られた成果をまとめ、成形合板技術を応用した木材を主素材とした車いすは工業生産可能なものとなり実用化に結びつけたこと、地域での個別生産の可能性にも道を開いたことを総括した。

審査要旨

 本論文は,車いすを研究対象とし,資源的にも,強度的にも,心身の感覚特性からも優れた性質を持ちながら工業的に困難であるとして見過ごされてきた木材を主素材とし,成形合板技術を応用した車いすの開発を行い,これが機能的側面、心理的側面を満たすと共に,工場で個々の身体障害者の障害の種類,身体能力,身体寸法に合わせ生産できる可能性を追求したものであり,7章より構成されている。

 第1章は本研究の目的,既往の研究内容,車いすへの木材適応の意義,研究の方向性,研究の経緯を述べている。

 第2章は,屋内空間の中で車いす使用者が実際に各種装置,設備,家具等と接する時の空間的適合性を求めた。床からの垂直距離で実測し正規分布に置き換えた身体位置と,等確率からなる離散分布と見なした装置,設備の作業接点高さ,及び適合許容幅をもとに空間的適合性を算定する適合度評価式を案出し,分析評価した。その結果より身体位置は座面高さ,テーブル高さ,眼高,手高ともばらつきが大きいため座面基準,差尺基準で計画された装置,設備との適合度が低く,折り畳みを前提にした車いすの座の構造は,装置,設備との適合性,座位保持性を悪くしていること,一方,水平面上での移動空間量と,装置,設備への接近条件を建築標準化設計仕様に照らし評価した結果,住居等屋内で使用するには車いすの平面寸法の縮小,小回り性,膝下部の足回りのデッドスペースを少なくすることが必要であることを見いだし,これらより木材を主素材とした車いすの設計諸寸法を決定している。

 第3章では,経験的,直感的設計手法によって,車いす設計項目の抽出と構造モデル化を行った。車いす使用者の生活領域を装,食,遊,交,知に分け,用途を屋内常用,屋外常用,作業用,スポーツ用,屋内介助用,屋外介助用に区別し,構成要素を座面系,駆動系,操作制御系,構造糸に分類し分析要素とした。そして分析プロセスを生活要求の抽出,機能要求の抽出,関連樹木図の作成,相互作用マトリクスの作成,無向グラフの作成,用途別設計要素の序列化,重要課題の抽出,設計要素の具現化条件とし,そのプロセスに従って分析を行った。その結果より座位保持向上,適合性向上,操作性能向上,軽装性向上,表現性向上の5項目とそれを具体化する13の主要設計項目を求めた。

 第4章では,2章,3章で得た木材を主素材とした車いすの在り方をもとに概念設計を行うと共に,成形材,合板材による車いすの構成概念を構築した。その上で,ブナ材を素材とした成形合板技術を実験的に試み,設計,試作,試用評価を4回繰り返し,実用に適う車いすの仕様,構造を追求している。そして,座や操作等身体要求に関する部位を成形部材で,精度が求められる移動機能に関する部位を金属他工業材で構成する形で,構造的にも生産技術的にも合理性のある構成概念を得,実用化と工業化に結び付け,さらにノックダウン方式の組立手法にも道を開いた。

 第5章では,成形フレームの材料力学的性質を求めた。ブナ材と車いすに使用されている金属パイプフレーム部材の強度比較試験を行った結果,ブナ成形フレームはその断面を30×30mmとすれば,ほぼ金属パイプフレームと同等あるいはそれ以上の強度を示すことが明らかになった。次に車いすを構成する木材成形フレームの強度について有限要素解析を行った結果,急激に座る動的座位姿勢の場合,繊維方向に応力が分布する性質を持つことが分かり,強度的に理に適ったフレームの材質,形状,寸法,構成を持つことを明らかにした。

 第6章では,工場での生産に移行した生産モデルの仕様と設定した概念設計との関係を明確にすると共に,個別の身体寸法要求への配慮点を明らかにし,レディーメード可能な部品構成条件を求めている。第7章は結論である。

 このように本研究は,木材を主素材とする車いすの設計原理を多角的に追求し,その基礎を明らかにしたもので,学術上,応用上寄与するところが少なくない。よって審査員一同は,博士(農学)の学位を与えてしかるべきものと判定した。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50880