本論文は、6個のアミノ酸からなる神経ペプチドであるエビラチドの脳内移行を証明しかつその薬効との関連を薬物動態学的見地から検討したものである。 始めに、エビラチドの中枢における作用を明らかにするために、brain microdialysis法を用いて薬理学的効果の指標の一つである脳内アセチルコリン放出促進作用を検討した。あらかじめラット脳線条体にpush-pullタイプの透析プローベを埋め込んだ後、脳透析液中にエビラチドを0.01-100mMの濃度で混和し透析膜を介して直接脳内に投与し、脳細胞間液中に放出されたアセチルコリンを経時的に観察した。その結果、行動薬理試験で効果が見られた投与量でアセチルコリン放出促進作用が認められ、この効果はエビラチドの細胞間液中濃度に依存し、高濃度で薬効の持続が示された。また、エビラチドを皮下投与(30mg/kg)した場合にも、投与後15-90分に有意なアセチルコリン放出の増加が認められ、エビラチドは全身血中から脳内に移行することが示唆された。 次に、エビラチドの脳内移行性を直接評価するために、in vivo実験を実施した。ラット海馬に水平タイプの透析プローベを埋め込み、125I標識エビラチドまたは脳内に移行しないとされる14C標識sucroseをラットの内頚動脈から50l/minの速度で10分間infusionし、同時にbrain microdialysis法により、脳細胞間液を回収した。Infusion開始直後から、脳細胞間液中には125I標識エビラチドが速やかに検出され、得られた脳細胞間液中には80%以上のエビラチドが未変化体として存在していることが判明した。エビラチドの脳細胞間液/内頚動脈血漿濃度比は、2.19×10-2とsucroseを投与したときのそれの約6倍高く、エビラチドがBBBを透過して脳内に移行することが直接的に証明された。 次に、エビラチドのBBB透過機構を明らかにするために、単離牛脳毛細血管(B-CAP)及び初代培養牛脳毛細血管内皮細胞(BCEC)を使用して、in vitro実験を行った。まず、エビラチドとB-CAPをインキュベーションしたところ代謝分解が認められたため20mM EDTAを添加しエビラチドの代謝を抑制した条件下で実験を行った。インキュベーション30分における総結合量及び内在化量はそれぞれ13.1及び5.0l/mg proteinであった。また、エビラチドの内在化量には明らかな温度依存性及び浸透圧効果が認められさらにendocytosis阻害剤であるdansylcadaverineにより有意な阻害が認められた。実験系に非標識エビラチドを100nM-5mM添加することにより、125I標識エビラチドの内在化量は飽和性を示し、みかけのKD値は62Mであった。この内在化量は、塩基性ペプチドであるpoly-L-lysine,protamine,E-2078及びACTHによって有意に低下したが、酸性ペプチドであるpoly-L-glutamateでは全く阻害されなかった。これらの結果は、エビラチドがabsorptive-mediated endocytosis(AME)によりBBBを透過する可能性を示しており、培養細胞であるBCECを使って同様の検討を行った結果と併せて、エビラチドがAMEによりBBBを血液側から透過しうることが明らかとなった。 脳細胞間液中に移行したエビラチドは脳神経細胞に直接作用して、神経伝達物質の放出促進効果を発現すると考えられるため、まず125I標識エビラチドとラット脳シナプトゾーム分画を用いたレセプターアッセイを行ったが、特異的な結合は認められなかった。 次に、脳神経細胞への取り込み実験をラット胎児前脳由来初代神経培養細胞を使用して行った。125I標識エビラチドの脳神経細胞への表面結合及び内在化は、時間依存的に増加し60分のインキュベーションで飽和に達し、細胞内に取り込まれたエビラチドは殆ど代謝を受けなかった。また、エビラチドはグリア細胞ではなく神経細胞に特異的に取り込まれた。非標識エビラチドを添加することにより、標識エビラチドの総結合量及び内在化量には飽和性が認められエビラチドに対する結合部位及び輸送経路の存在が考えられた。また、この内在化量はDNP及びdansyl-cadaverineにより阻害され、さらに塩基性ペプチドでは阻害されたが、酸性ペプチドでは全く阻害されなかった。これらの結果は、エビラチドがBBB透過時と同様なAMEにより神経細胞に取り込まれることを示しており、エビラチドと神経細胞との直接的な作用が本薬の薬効発現に関与している可能性が示唆された。 このように、本研究は生理活性ペプチドの脳内移行性の定量的評価法を確立し、その血液脳関門透過機構についても重要な知見を与えたという点で、薬物動態学、生物薬剤学の分野に大きく貢献するものと評価される。以上により本論文は博士(薬学)の学位を受けるに充分な内容を有すると認定した。 |