学位論文要旨



No 211744
著者(漢字) 志村,武貞
著者(英字)
著者(カナ) シムラ,タケサダ
標題(和) 中枢作用性ペプチド、副腎皮質刺激ホルモンアナログであるエビラチドの血液・脳関門透過機構の研究
標題(洋) Absorptive-Mediated Endocytosis of a Central-Acting Adrenocorticotropic Hormone(ACTH)Analog,Ebiratide,at the Blood-Brain Barrier and Cerebral Neurons
報告番号 211744
報告番号 乙11744
学位授与日 1994.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第11744号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 杉山,雄一
 東京大学 教授 名取,俊二
 東京大学 教授 今井,一洋
 東京大学 教授 桐野,豊
 東京大学 助教授 寺崎,哲也
内容要旨

 エビラチドは、副腎皮質刺激ホルモン(ACTH)の8位のArg及び9位のTrpをそれぞれD-Lys8,Phe9に置換し、4位のMetを酸化したACTHの4位から9位のアナログでペプチド鎖のC末端にオクチルジアミノ基を結合させた構造を持ち、ラット及びマウスを用いた行動薬理学的検討から学習/記憶障害の改善に高い効果を示すことが報告され、現在アルツハイマー型痴呆症の治療薬として開発が進められている。本論文は、エビラチドの脳内移行を証明しかつその薬効との関連を薬物動態学的見地から検討した。

1.エビラチドの脳内移行に関する薬理学的及び薬物動態学的知見

 始めに、エビラチドの中枢における作用を明らかにするために、brain microdialysis法を用いて薬理学的効果の指標の一つである脳内アセチルコリン放出促進作用を検討した。本実験手法は無麻酔下でラットの脳細胞間液を経時的に採取可能なため神経伝達物質の動態を明らかにできる方法である。あらかじめラット脳線条体にpush-pullタイプの透析プローベを埋め込み、次に脳透析液中にエビラチドを0.01-100Mの濃度で混和し透析膜を介して直接脳内に投与した。この時のエビラチドの脳細胞間液中濃度は静脈内投与1g/kg-10mg/kgに相当することから、行動薬理試験で効果が見られた投与量でアセチルコリン放出促進作用が認められ、さらにこの効果はエビラチドの細胞間液中濃度に依存し、高濃度で薬効の持続が示された。また、全身投与での効果を見るために、透析プローベ装着ラットにエビラチドを皮下投与(30g/kg)したところ、生理食塩水投与時と比較して投与後15-90分に有意なアセチルコリン放出の増加が認められ、エビラチドは循環血中から脳内に移行する可能性が示唆された。

 次に、ラットにエビラチドを静脈内投与(2-20mg/kg)した時の血漿中及び脳実質中濃度をエビラチドに特異的なN端特異抗体を用いたラジオイムノアッセイ(RIA)法により測定した結果、投与後5分におけるbrain/plasma濃度比は、投与量にかかわらず0.042±0.014ml/gと一定値を示した。しかし、ここで得られた測定結果は実験手技的及びRIAの原理的理由から、脳採取時の血液のcontaminationや用いた抗体の交差反応性などの問題があり、特に脳内濃度を過大評価している可能性がある。従ってこの方法では、エビラチドが全身投与によって脳内に移行するという仮説を直接的に証明できず、brain microdialysis法によるエビラチドの脳内移行の検討を行った。

2.In vivo実験系におけるエビラチドの脳内移行の証明

 エビラチドの脳内移行性を評価するために、in vivo実験を実施した。ラット海馬に水平タイプの透析プローベを埋め込み、125I標識エビラチドまたは脳内に移行しないことが報告されている14C標識sucroseをラットの内頚動脈から50l/minの速度で10分間infusionし、同時にbrain microdialysis法により、脳細胞間液を5分毎に25分まで採取し、放射能を測定した。さらに、infusion終了後15分に脳を採取しcapillary depletion法により、脳の実質細胞に移行した標識体の量を測定した。その結果、エビラチドの脳実質細胞分画への分布容積(VD,app)は167.8±62.2l/g brainとsucroseのそれの約7倍大きかった。一方、脳細胞間液中には125I標識エビラチドが速やかに検出された。Infusion中に得られた脳細胞間液中には80%以上のエビラチドが未変化体として存在していることが判明し、エビラチドは未変化体として循環血中から脳細胞間液中に移行することが証明された。ここでエビラチドの脳脊髄液への移行は遅いことが分かっており、この速やかな移行はBBBを介していると考えられた。エビラチドの脳細胞間液/内頚動脈血漿濃度比は、2.19×10-2±0.20×10-2とsucroseを投与したときのそれの約6倍高く、非標識エビラチドをラットに静脈内投与後5分にRIA法で求めたbrain/plasma濃度比(4.2×10-2±1.4×10-2)の約1/2であった。以上から、エビラチドがBBBを透過して脳内に移行することが直接的に証明された。

3.エビラチドの血液-脳関門透過機構の解明

 エビラチドのオクタノール/水分配係数(log P)は-3と低いため、受動拡散によりBBBを透過するとは考えにくく、何らかのメカニズムがエビラチドのBBB透過に介在していると考えられる。ペプチドのBBB透過機構にはreceptor-mediated endocytosis(RME)及びabsorptive-mediated endocytosis(AME)が知られている。AMEでは、ペプチドの持つ+電荷と細胞膜の-電荷とが電気的に引き合い吸着し、ペプチドが細胞内に取り込まれる。一方、RMEではペプチドとそれに対するレセプターが結合し、細胞内に取り込まれる。エビラチドはその構造中にヒスチジンやフリーのアミノ基を持つため中性付近で+に荷電すると考えられ、AMEの介在の可能性が高い。このことを確かめるために、最初に入手及び調製が容易で、既に確立されている実験系である単離牛脳毛細血管(B-CAP)を用いて、次にB-CAPの欠点を補う実験系として初代培養牛脳毛細血管内皮細胞(BCEC)を使用して、エビラチドのBBB透過機構を検討した。

 まず、エビラチドとB-CAPをインキュベーションしたところ代謝分解が認められたため、代謝酵素活性を阻害する目的でEDTAを添加した。EDTAはアプロチニン,バシトラシンと比較して代謝酵素阻害能が強く、20mM EDTA添加により80%以上エビラチドの代謝が抑制された。インキュベーション30分における総結合量(total binding)及び内在化量(acid-resistant binding)はそれぞれ13.07±0.86及び5.00±0.18l/mg proteinであった。また、エビラチドの内在化量には明らかな温度依存性及び浸透圧効果が認められ、さらにendocytosis inhibitorであるdansylcadaverineにより有意な阻害が認められた。実験系に非標識エビラチドを100nM-5mM添加することにより、125I標識エビラチドの内在化量は飽和性を示し、maximum binding capacity(Bmax)は144.2pmol/mg protein,half-saturation constant(KD)は62.1M及びnonspecific bindingは2.2l/mg proteinであった。この内在化量は、塩基性のポリペプチドであるpoly-L-lysine,protamine及びACTHによって有意に低下し、さらにAMEにより取り込まれるE-2078の共存によっても低下した。一方、酸性ペプチドであるpoly-L-glutamate及びRMEで取り込まれるinsulin,transferrinでは全く阻害されなかった。これらの結果は、エビラチドがAMEによりBBBを透過する可能性を示している。しかしながら、B-CAPはviabilityの低さ、血液側から脳内への輸送の方向性が明確でないこと、実験系に酵素阻害剤を添加せざるを得なかったなどの問題点があり、次に培養細胞であるBCECを使ってエビラチドの輸送機構を検討した。

 125I標識エビラチドとBCECをインキュベーションした結果、エビラチドはBCECによって代謝されないことが明らかとなり、BCECの実験系では酵素阻害剤を添加する必要が無かった。125I標識エビラチドの内在化量は、温度依存性及び浸透圧効果が認められ、かつdansylcadaverineによって有意に低下した。さらにmetabolic inhibitorである2,4-dinitrophenol(DNP)によっても減少した。また、AMEの特徴的現象である塩基性ペプチドでの阻害、酸性ペプチドでの非阻害が観察された。以上から、BCECを使用することにより代謝酵素阻害剤の非存在下においても、エビラチドがAMEによりBBBを血液側から透過しうることが明らかとなった。AMEにはペプチドの等電点(pl値)が重要な因子となる。エビラチドの等電点をクロマトフォーカシング法により求めた結果、10でありAMEのメカニズムに適していると考えられる。

4.エビラチドの脳神経細胞への取り込み

 脳細胞間液中に移行したエビラチドは脳神経細胞に直接作用して、神経伝達物質の放出促進効果を発現すると考えられる。その際、エビラチドに対するレセプターの存在の可能性が考えられるため、まず125I標識エビラチドとラット脳シナプトゾーム分画を用いたレセプターアッセイを行った。ラット脳を6部位に分割しそれぞれに対してエビラチドの特異的な結合部位を検索したがレセプター介在性の結合は認められなかったため、エビラチドはレセプター以外の機構、例えば神経細胞に結合/内在化して作用する可能性が考えられ、次に脳神経細胞への取り込み実験をラット胎児前脳由来初代神経培養細胞を使用して行った。

 125I標識エビラチドの脳神経細胞への表面結合及び内在化は、時間依存的に増加し60分のインキュベーションで飽和に達し、細胞内に取り込まれたエビラチドは殆ど代謝を受けなかった。また、エビラチドはグリア細胞ではなく神経細胞に特異的に取り込まれた。非標識エビラチドを添加することにより、標識エビラチドの総結合量及び内在化量には飽和性が認められ(KD=30M)、エビラチドに対する結合部位及び輸送経路の存在が考えられた。また、この内在化量はDNP及びdansylcadaverineにより阻害され、さらに塩基性ペプチドでは阻害されたが、酸性ペプチドでは全く阻害されなかった。これらの結果は、エビラチドがBBB透過時と同様なAMEにより神経細胞に取り込まれることを示しており、エビラチドと神経細胞との直接的な作用が本薬の薬効発現に関与している可能性が示唆された。

 [結論]エビラチドは、末梢投与により血液-脳関門をabsorptive-mediated endocytosisにより透過し、脳細胞間液中に移行することが証明された。さらに脳細胞間液中に分布したエビラチドは、神経細胞に結合/内在化することが明らかとなった。以上の結果から、この現象が本化合物の薬理効果の発現、特にアセチルコリン放出促進作用等の発現に関与していることが強く示唆された。

審査要旨

 本論文は、6個のアミノ酸からなる神経ペプチドであるエビラチドの脳内移行を証明しかつその薬効との関連を薬物動態学的見地から検討したものである。

 始めに、エビラチドの中枢における作用を明らかにするために、brain microdialysis法を用いて薬理学的効果の指標の一つである脳内アセチルコリン放出促進作用を検討した。あらかじめラット脳線条体にpush-pullタイプの透析プローベを埋め込んだ後、脳透析液中にエビラチドを0.01-100mMの濃度で混和し透析膜を介して直接脳内に投与し、脳細胞間液中に放出されたアセチルコリンを経時的に観察した。その結果、行動薬理試験で効果が見られた投与量でアセチルコリン放出促進作用が認められ、この効果はエビラチドの細胞間液中濃度に依存し、高濃度で薬効の持続が示された。また、エビラチドを皮下投与(30mg/kg)した場合にも、投与後15-90分に有意なアセチルコリン放出の増加が認められ、エビラチドは全身血中から脳内に移行することが示唆された。

 次に、エビラチドの脳内移行性を直接評価するために、in vivo実験を実施した。ラット海馬に水平タイプの透析プローベを埋め込み、125I標識エビラチドまたは脳内に移行しないとされる14C標識sucroseをラットの内頚動脈から50l/minの速度で10分間infusionし、同時にbrain microdialysis法により、脳細胞間液を回収した。Infusion開始直後から、脳細胞間液中には125I標識エビラチドが速やかに検出され、得られた脳細胞間液中には80%以上のエビラチドが未変化体として存在していることが判明した。エビラチドの脳細胞間液/内頚動脈血漿濃度比は、2.19×10-2とsucroseを投与したときのそれの約6倍高く、エビラチドがBBBを透過して脳内に移行することが直接的に証明された。

 次に、エビラチドのBBB透過機構を明らかにするために、単離牛脳毛細血管(B-CAP)及び初代培養牛脳毛細血管内皮細胞(BCEC)を使用して、in vitro実験を行った。まず、エビラチドとB-CAPをインキュベーションしたところ代謝分解が認められたため20mM EDTAを添加しエビラチドの代謝を抑制した条件下で実験を行った。インキュベーション30分における総結合量及び内在化量はそれぞれ13.1及び5.0l/mg proteinであった。また、エビラチドの内在化量には明らかな温度依存性及び浸透圧効果が認められさらにendocytosis阻害剤であるdansylcadaverineにより有意な阻害が認められた。実験系に非標識エビラチドを100nM-5mM添加することにより、125I標識エビラチドの内在化量は飽和性を示し、みかけのKD値は62Mであった。この内在化量は、塩基性ペプチドであるpoly-L-lysine,protamine,E-2078及びACTHによって有意に低下したが、酸性ペプチドであるpoly-L-glutamateでは全く阻害されなかった。これらの結果は、エビラチドがabsorptive-mediated endocytosis(AME)によりBBBを透過する可能性を示しており、培養細胞であるBCECを使って同様の検討を行った結果と併せて、エビラチドがAMEによりBBBを血液側から透過しうることが明らかとなった。

 脳細胞間液中に移行したエビラチドは脳神経細胞に直接作用して、神経伝達物質の放出促進効果を発現すると考えられるため、まず125I標識エビラチドとラット脳シナプトゾーム分画を用いたレセプターアッセイを行ったが、特異的な結合は認められなかった。

 次に、脳神経細胞への取り込み実験をラット胎児前脳由来初代神経培養細胞を使用して行った。125I標識エビラチドの脳神経細胞への表面結合及び内在化は、時間依存的に増加し60分のインキュベーションで飽和に達し、細胞内に取り込まれたエビラチドは殆ど代謝を受けなかった。また、エビラチドはグリア細胞ではなく神経細胞に特異的に取り込まれた。非標識エビラチドを添加することにより、標識エビラチドの総結合量及び内在化量には飽和性が認められエビラチドに対する結合部位及び輸送経路の存在が考えられた。また、この内在化量はDNP及びdansyl-cadaverineにより阻害され、さらに塩基性ペプチドでは阻害されたが、酸性ペプチドでは全く阻害されなかった。これらの結果は、エビラチドがBBB透過時と同様なAMEにより神経細胞に取り込まれることを示しており、エビラチドと神経細胞との直接的な作用が本薬の薬効発現に関与している可能性が示唆された。

 このように、本研究は生理活性ペプチドの脳内移行性の定量的評価法を確立し、その血液脳関門透過機構についても重要な知見を与えたという点で、薬物動態学、生物薬剤学の分野に大きく貢献するものと評価される。以上により本論文は博士(薬学)の学位を受けるに充分な内容を有すると認定した。

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