医薬品は、その高度な生命関連性ゆえ他の商品と異なり、研究開発から製造販売に至るすべての工程が厳格な法規制下におかれている。加えて、国民皆保険下のわが国においては、その使用、価格等も法のもとに規制される。したがって、医薬品を業として取扱う医薬品産業は、その諸活動が行政施策の影響を強く受けることとなる。新医薬品の研究開発も例外ではない。 薬事法等に基づく承認制度、研究開発助成制度等の行政施策については、その新医薬品の研究開発動向に及ぼす影響が研究されている。しかし、医薬品産業に対し強い影響力を持つといわれている薬価基準制度については、その医薬品産業への影響について数多くの研究がなされているにもかかわらず、新医薬品の研究開発に対する効果については、ほとんど何も解析がなされていない。また、その具体的検証事例は皆無に等しい。 そこで、今回、本研究主題の一環として、薬価基準制度が研究開発動向に対しどのように機能したのかという点を明らかにすべく、主として1980年代前半の薬価改正及び新医薬品の薬価基準収載価格に着目し研究を行った。 なお、研究開発動向を示す指標としては、研究開発費、生産金額、承認新医薬品数等を用いた。 1.薬価基準のマクロ的影響 1980年代前半にとられた薬価基準上の多くの行政的措置、特に1983年以降の連続した薬価改正は医薬品生産金額に対し抑制的直接影響を与えた。しかし、研究開発動向に対し明らかな抑制的影響をもたらすまでには至らなかった。 1984年、1985年の総生産金額のマイナス成長は医療用医薬品の落ち込みによる。同時期、国民医療費は増加傾向を示していたし、一般用医薬品等医療用医薬品以外の医薬品も同様な傾向であった。 1984年度の研究本務者一人あたり研究費の減少以外に、1984年度、1986年度の研究開発費の伸び率の低下も認められるが、後者は有形固定資産購入費の減額によるものであり、研究開発動向に対する本質的抑制現象とは考えられない。1978年薬価改正時に採用された「銘柄別品目収載」の効果もあり、研究開発志向の強い大手医薬品工業にとっては、研究開発面への影響を避けうる企業内対応ができていたものといえる。そして、新薬の薬価設定における「類似薬効比較方式」の継続的採用(1982年)も医薬品工業の研究開発志向を支援する作用をもたらしたものと考えられる。 なお、日米MOSS協議に基づき新薬の年4回定期的薬価基準収載が実施された1986年度以降と比較し、新薬収載の間隔、品目数の研究開発動向への影響等は認められなかった。 2.薬価基準のミクロ的影響2-1.キノロン薬のケース キノロン薬とは、1962年、Lesherによって発表されたNalidixic acidをオリジナル医薬品とし、同種化学構造を有する合成抗菌性医薬品を総称する。医療ニーズの高い感染症用医薬品の領域において一定の高い評価を得、生産金額全体の約2%(合成抗菌剤の構成割合)を占める。 その構造は、ナフチリジン系、キノリン系、ピリドピリミジン系、シンノリン系の4種の基本骨格が開発されており、ピリジン環部分の1位のアルキル基、3位のカルボキシル基、4位のオキソ基が必須構造といわれる。そして、抗菌力の増強、抗菌スペクトラルの拡大と、その抗菌活性を飛躍的に向上させたNorfloxacin以降のキノロン薬(ニューキノロン薬)は、すべて6位にフルオロ基を導入しており、「フルオロキノロン」とも呼ばれる。 画期的な最初のニューキノロン薬がわが国で開発されたように、製品開発、作用メカニズムの研究等本分野の研究開発はわが国が世界をリードしている。承認を得たキノロン薬12成分のうち国内開発品は9成分、ニューキノロン薬についていえば8成分中7成分を占める。又、現在開発中のキノロン薬もその多くが日本主導で研究開発が進められている。そして、国内開発キノロン薬の多くが海外への導出に成功している。 1993年9月現在、薬価基準に収載されているキノロン薬は12成分を数えるが、ニューキノロン薬収載前後の薬価推移を一日最大薬価でみると特徴的な動きが明らかとなる。 1979年4月薬価収載されたPipemidic acidの一日薬価は1576.8円。既存のキノロン薬Nalidixic acid及びPiromidic acidとは明かに異なる。これは、Pipemidic acidが、緑膿菌を有効菌種に加え、中耳炎等の適応症を収得したこと。このことが化学構造類似のキノロン薬より、効能・効果の近似する抗生物質に近い高薬価設定となった理由であろう。 最初のニューキノロン薬Norfloxacinは、1984年3月収載され、一日薬価は1241.6円。この薬価はPipemidic acidの薬価と類似しており、Cefaclorの一日薬価1117.8円より11%高い。統くOfloxacin、Enoxacinの一日薬価は1242.0円。Cefaclorの一日薬価より30%高く、Ciprofloxacinにあっては40%高い薬価となっている。 このようなニューキノロン薬の薬価水準は、Pipemidic acidの薬価設定をその起点とし、続く最初のニューキノロン薬NorfloxacinがPipemidic acidの薬価に準拠したこと。その後のニューキノロン薬はNorfloxacin(近時はOfloxacin)の薬価に準拠し、ニューキノロン薬としての薬価水準を構成したこと。そして、抗生物質と異なる独自の薬価改正を経たこと。以上の一連の動きがニューキノロン薬に高い薬価水準を与え、薬物の評価と相俟って市場規模の拡大をもたらし、ニューキノロン薬の研究開発の活性化を導いたといえる。 市場規模、高薬価が研究開発品目選択の重要な要素となるという企業の行動メカニズムが働いたことは、薬価設定根拠に影響を及ぼすといわれる臨床試験対照薬として、キノロン薬の場合の尿路感染症についてはPipemidic acid、呼吸器感染症についてはOfloxacinの選択が最も多かったというデータからも裏付けられるものである。事実、ニューキノロン薬の開発時期はその大部分がPipemidic acidの薬価収載以降の1980年代であったこと、また、承認新薬数におけるセフェム系抗生物質との対比においてニューキノロン薬の比率が高まってきていることは本結論を直接的に証明するものである。 2-2.H2受容体拮抗薬のケース ヒスタミン受容体にサブタイプが存在することを想定し、それまでのヒスタミン受容体拮抗薬で抑制されない胃酸分泌等を抑制する拮抗薬薬の開発を目指したJ.W.Blackらによって、1972年Burimamide、1973年Metiamide、そして、1975年にはCimetidineが開発された。 Cimetidineは、1976年11月英国、1977年8月米国で承認され、世界中で高い評価を得、わが国においては1981年9月承認された。 H2-ブロッカーの化学構造は、ヒスタミンと同じイミダゾール環を有するもの(Cimetidine)の他、フラン環(Ranitidine)、チアゾール環(Famotidine、Nizatidine)、3-ピペリジール・メチルフェニール基(Roxatidine)を有する化合物が存在し、わが国で臨床使用に供されている。 1981年12月薬価に収載されたCimetidineの収載薬価は92.2円(200mg錠)、一日薬価は371.6円。既存の消化性潰瘍薬の一日薬価、スルピリド190.5円、ゲファルナート139.2円の2〜3倍の高薬価が設定されている。これは、Cimetidineの驚異的な医療効果に相応する類似薬が存在しなかったことから、外国での販売価格をも考慮した原価算定方式で薬価が設定されたものであろう。 その後、H2-ブロッカーより、さらに強力な酸分泌抑制作用を持ち、かつ持続的に作用する新しいメカニズムに基づくプロトンポンプ阻害薬(P.P.I.)が登場。1991年1月初のP.P.I.Omeprazoleが承認され、同年3月薬価基準に収載された。その収載薬価は376.3円(20mg錠)と、治験成績等で示されていた効力の差を反映するように、H2-ブロッカーの約1.5倍の高薬価が設定されている。 消化性潰瘍薬は治験途中(第2相試験)での開発断念も少なくないが、承認成分数は16(1982年〜1992年)と活発な研究開発が続けられている。 このことは、Cimetidineとそれに続くH2-ブロッカーの高薬価が研究開発を活性化したといえよう。Omeprazole等P.P.I.の高薬価も将来の消化性潰瘍薬の研究開発を活性化させるものと考える。 3.研究開発動向パターン キノロン薬の研究開発の解析を基に、図に示す研究開発、新製品の上市、市場動向を総合的、経時的に把握する研究開発動向パターンを提示することが可能である。 図 研究開発動向のパターン なお、このパターンモデルは免疫抑制薬などにもあてはまるが、オリジナル新医薬品が新しいメカニズムに基づき創製された場合(-ブロッカー、H2-ブロッカー等)にはオリジナル新医薬品即ちブレイク・スルー新医薬品となる。そして、ブレイク・スルー新医薬品に高薬価が設定されれば、第二次開発競争が長期持続化する傾向がみられる。 4.総括 医薬品産業に対し強い影響力を持つといわれる薬価基準制度について、その新医薬品の研究開発動向に対する影響を、マクロ面及びミクロ面より調査研究した。そして以下の知見が明らかとなった。 1 1980年代前半に集中して実施された大幅な薬価改正は、医療用医薬品の生産金額に対し抑制的直接影響を与えた。しかし、研究開発動向に対し明らかな抑制的影響をもたらすまでには至らなかった。 2 高薬価設定は研究開発に対するインセンティブとなり、当該医薬品群の研究開発の活性化につながる。 3 ニューキノロン薬の薬価形成のメカニズム及びそのプロセスを解明し研究開発との関連性を証明した。 4 キノロン薬の事例研究を基に、新医薬品の研究開発、新製品の上市、市場動向を総合的、経時的に把握しうる研究開発動向パターンモデルを創製した。このモデルはH2-ブロッカー、免疫抑制薬等にもあてはまり、普遍性は高く、個別薬品群の研究開発動向の予測及び解析に資するものと思われた。 (完) |