学位論文要旨



No 211749
著者(漢字) 磯野,豊和
著者(英字)
著者(カナ) イソノ,トヨカズ
標題(和) 抗狭心症薬FK409の薬理学的研究
標題(洋)
報告番号 211749
報告番号 乙11749
学位授与日 1994.04.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(薬学)
学位記番号 第11749号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 齋藤,洋
 東京大学 教授 長尾,拓
 東京大学 教授 井上,圭三
 東京大学 助教授 長野,哲雄
 東京大学 助教授 松木,則夫
内容要旨

 狭心症に対する治療薬としての硝酸薬の歴史は古いが、今日でも狭心症発作時の第一選択薬とされている。硝酸薬の効果は速やかであり、狭心症発作の寛解には極めて優れている。しかし、効果の持続時間が短いことから、長期の発作予防という面からは必ずしも適切とは言えない。また、硝酸薬の長期投与の普及に伴い、その薬物耐性が治療上重要な問題となってきており、耐性を来すことのない新しい冠血管拡張剤の開発が望まれている。

 FK409((3E)-4-ethyl-2-hydroxyimino-5-nitro-3-hexeneamide)は藤沢薬品研究所で開発されたニトロ基及びオキシム基を有するオクタジエン化合物である。従来の硝酸薬が硝酸エステル(-ONO2)基を有するのに対し、本剤は炭素に直結したニトロ基(-C-NO2)を有する点が特徴であり、従来の硝酸薬とは異なる新しい化学構造の冠血管弛緩作用を有する新規半合成の発酵産物である。現在までに本剤の心血管系に対する詳細な検討はなされていない。そこで、本研究では初めにFK409の血管弛緩作用の生化学的メカニズムを明らかにすることを目的としてNOの産生能を中心に検討を行った。更に、FK409の血管弛緩作用耐性の検討及び心筋虚血モデルでの作用についても検討を行った。

1.FK409の血管弛緩作用の生化学的メカニズムについての検討

 ラット胸部大動脈を用いたin vitroの研究において、FK409(1×10-7M)はnorepinephrine(1×10-7M)により収縮させたラット摘出大動脈標本において,FK409投与後、血管組織中のcGMPレベルは徐々に増大し3分後にピークに達した。また、血管は経時的速やかに弛緩した。一方、血管組織中のcAMP値は若干増加する傾向を示したが、何れの時点においても有意な変化を示さなかった。Nitroglycerin(1×10-6M)処置の場合もFK409処置の場合と同様の結果であったが、cGMP値はFK409処置の場合より速やかに上昇し、30秒後にピークに達した後、徐々に減少した。次に、norepinephrine(0.1M)により収縮させたラット摘出大動脈標本を用い、FK409及びnitroglycerinの血管弛緩作用とcyclic nucleotideレベルに対する用量作用依存性を検討した。

 FK409(1×10-9-1×10-6M)は血管組織中のcGMPレベルを用量依存性に増加させるとともに、用量依存性の血管弛緩作用を示した。一方、cAMP値は増加傾向を示したが、何れの濃度においても有意な変化を示さなかった。Nitroglycerin(1×10-9-1×10-6M)もFK409とほぼ同様な結果であった。FK409処置によるラット胸部大動脈組織中のcGMPレベルの増加を伴う血管弛緩作用は、内皮細胞の除去を行っても殆ど影響を受けなかった。更に、ラット胸部大動脈を用いた実験において、FK409の血管弛緩作用はL-NMMA(内皮細胞でのL-arginineからNOの生成阻害剤)前処置により全く影響されず、NOのスカベンジャーであるoxyhemoglobin前処置によっても若干抑制されたのみであった。一方、FK409は血管弛緩作用を示す3.2×10-7Mの用量において、ラット胸部大動脈より調整した可溶性guanylate cyclase活性を顕著に活性化した。10nMのoxyhemoglobin前処置により、この活性化作用は殆ど抑制された。以上の結果より、FK409の血管弛緩作用はacetylcholineの場合とは異なり,内皮細胞非依存性であり、平滑筋細胞内においてFK409構造分子そのものからのNOの遊離を介する可能性が示唆された。そこで、ラット胸部大動脈より調整したホモジュネート画分を用いてFK409のNOの産生能について検討したところ、FK409はsulfhydryl供与基であるL-cysteineの存在の有無に関係なくNOを産生した。一方、nitroglycerinはL-cysteineの存在下ではNOの産生を示したが、L-cysteineの非存在下ではNOを殆ど産生しなかった。更に、NOにより活性化されるguanylate cyclaseに対する作用を検討したところ、nitroglycerin(1×10-6-1×10-4M)はL-cysteine非存在下ではラット胸部大動脈より調整した可溶性guanylate cyclase活性の増強作用を殆ど示さなかったのに対し、FK409(1×10-7-1×10-5M)はL-cysteineの有無にかかわらず用量依存性に可溶性guanylate cyclase活性を増大させた。この結果はFK409がL-cysteineの存在の有無に関係なくNOを産生した結果と合致するものであった。また、家兎の血管より調整したcGMP-phosphodiesterase活性に対してFK409は1×10-5Mの高用量においても全く阻害作用を示さなかった。一方、cGMP-phosphodiesteraseの競合阻害剤として知られているM&B22,948は本酵素を阻害した(IC50:3.7×10-7M)。

2.FK409の血管弛緩及び降圧作用耐性の検討

 摘出イヌ冠血管標本を用い血管弛緩作用耐性の検討を行った。高濃度の薬物60分間処置により耐性を誘導した。FK409による弛緩作用の用量作用曲線はFK409またはnitroglycerinにより耐性を誘導する前のそれと殆ど差を認めず、EC50値も変化しなかった。一方、nitroglycerin及びisosorbide dinitrateの弛緩作用の用量作用曲線は各々の薬物高濃度処置前のそれに対して右方にシフトし、それぞれの薬物高濃度処置により弛緩作用の減弱ないし減弱傾向を示した。更に、ラットを用いてFK409の降圧作用耐性を検討した。

 FK409またはnitroglycerin4日間連続投与(1日3回、皮下投与)により、5日目のFK409の血圧下降作用は殆ど減弱しなかったが、nitroglycerinまたはisosorbide dinitrate4日間連続投与(1日3回、皮下投与)による各々の薬剤の血圧下降作用は有意に減弱した。これらの結果より、nitroglycerin及びisosorbide dinitrateは容易に自己耐性を発現するのに対し、FK409は自己及び交叉耐性を発現しにくい事が明らかになった。現在、硝酸薬の作用耐性は平滑筋細胞内でのsulfhydryl供与基(L-cysteine等)の枯渇により発現する可能性が最も有力である。なぜならば、硝酸薬は酵素的に還元されてNOまたはS-nitrosothiolを産生させるが、この反応の過程においてsulfhydryl供与基が必要とされている。FK409の血管弛緩作用の生化学的メカニズムについての検討成績より、FK409は平滑筋細胞内でのsulfhydryl供与基(L-cysteine等)の枯渇が生じた場合にもNOを十分産生する事により弛緩作用を示し、作用耐性が生じにくい可能性が強く示唆された。

3.FK409の血管弛緩作用及び種々の心虚血モデルにおける改善作用3-1摘出血管標本における血管弛緩作用の検討

 FK409(4.6×10-10-4.6xl0-6M)はKClまたはazo-PGH2で誘発させた犬摘出冠動脈(径の大きい冠動脈;large vessel)及び伏在動脈の収縮反応に対して用量依存性の血管弛緩作用を示した。EC50値での相対的効力比較では、伏在動脈より冠動脈に対して約150倍強い血管弛緩作用を示した。また、FK409の冠血管拡張作用はnitroglycerinより5-26倍強かった。次にイヌ冠動脈(large及びsmall vessel)に対する血管弛緩作用の効力をnitroglycerinと比較検討した。KCl収縮に対してFK409のsmall vesselにおける弛緩作用はlargevesselにおける弛緩作用より弱かった。EC50で比較した両血管に対する作用の分離度(Small/Large;S/L比)は、FK409(S/L比=28)の方がnitroglycerin(S/L比=11)よりも大きかった。この様に、FK409は冠動脈のsmall vesselよりlarge vesselを強力かつ選択的に拡張した。一方、内因性の冠血管拡張物質であるadenosineはlange vesselより寧ろsmall vesselにおいて弛緩作用が強かった。従って、FK409は太い冠血管の弛緩や側副血行路の生成を介して心筋虚血部位における好ましい血流の再分配を起こすことが期待される。また、ウサギ伏在動、静脈に対する血管弛緩作用の効力を比較検討したところ、FK409(1.0×10-9-1.0×10-6M)はnorepinephrine(1×10-6M)による伏在動、静脈血管の収縮を用量依存性に弛緩させた。また、その弛緩作用は動脈よりも静脈に対して有意に強かった。同様の結果がnitroglycerinにおいても認められた。加えて、犬を用いた実験においてFK409が静脈灌流量を減少させる事が報告されており、本剤は心臓の前負荷を軽減させることにより狭心症を改善する可能性も期待される。

3-2種々の心筋虚血モデルにおけるFK409の抗狭心症作用

 麻酔イヌを用いた冠動脈部分狭窄及び心房ペーシングによる労作性狭心症モデルにおいて、FK409は静脈内投与(1-100g/kg)により心電図のST上昇を有意に抑制した。一方、強力な冠血管拡張剤のdipyridamole(1000g/kg、静脈内投与)は無効であった。また、麻酔ラットを用いたmethacholine冠動脈内投与による異型狭心症モデルにおいて、FK409は静脈内または十二指腸内投与何れにおいても心筋表面ST上昇を抑制し、優れた抗狭心症作用を示した。更に、麻酔イヌを用いた左前下行枝の結紮による心筋虚血モデルにおいて、FK409は0.32g/kg/minの持続静脈内投与により心筋虚血部の心筋内層及び外層血流量を有意に増大し、また心筋虚血部の血流分布も改善した。Nitroglycerinも同様な作用を示した。

まとめ

 (1)FK409の血管弛緩作用は内皮細胞非依存性であり、内皮細胞からのNOの遊離を介さずに生じることが示唆された。実際、FK409はL-cysteineの有無に関係なくラット大動脈より調整した可溶性画分中にてNOを産生した。血管平滑筋細胞内においてsulfhydryl基の非存在下でもFK409構造分子そのものよりNOが遊離し、cGMPレベルが上昇することが本剤の血管弛緩作用の主体と考えられた。更に、FK409はイヌ摘出冠血管標本及びラットを用いた血圧下降作用の検討において、自己耐性及びnitroglycerin、isososorbide dinitrateとの交叉耐性が生じにくいことが明らかとなった。

 (2)FK409は強力な冠血管拡張作用物質であり、特に太い冠動脈部位に対して選択的に強い弛緩作用を示した。その効力はnitroglycerinより5-26倍強かった。また、FK409は麻酔イヌの心筋虚血モデルにおいて、心筋虚血部の血流量の増大及び血流分布を改善した。更に、犬の労作性狭心症モデルやラットの異型狭心症モデルにおいて、FK409は静脈内及び十二指腸内投与により抗狭心症作用を示した。この結果は、nitroglycerinとは異なりFK409は初回通過効果を比較的受けにくいことに基づくものと考えられた。更に、FK409はウサギの伏在動脈よりも静脈に対して弛緩作用が強いことより、静脈灌流量を減少させ心筋酸素消費量を減少させる事も期待される。

 以上の検討結果より、FK409はユニークな作用機序を有する、経口投与可能な作用耐性の生じにくい抗狭心症薬になるものと考えられる。

審査要旨

 硝酸薬の効果は速やかであり、狭心症発作の寛解には極めて優れている。しかし、効果の持続時間が短いことから、長期の発作予防という面からは必ずしも適切とは言えない。また、硝酸薬の長期投与の普及に伴い、その薬物耐性が治療上重要な問題となってきており、耐性を来すことのない新しい冠血管拡張剤の開発が望まれている。FK409((3E)-4-ethyl-2-hydroxyimino-5-nitro-3-hexeneamide)は新たに開発されたニトロ基及びオキシム基を有するオクタジエン化合物である。従来の硝酸薬が硝酸エステル(-ONO2)基を有するのに対し、FK409は炭素に直結したニトロ基(-C-NO2)を有する点が特徴であり、従来の硝酸薬とは異なる新しい化学構造の冠血管弛緩作用を有する新規半合成の発酵産物である。本研究では、1)FK409の血管弛緩作用の生化学的メカニズムの解明(NOの産生能を中心に)、2)FK409の作用耐性の検討、3)血管弛緩作用の選択性及び種々の心筋虚血モデルでの作用について詳細に検討し、以下に示す諸点を明らかにした。

1.FK409の血管弛緩作用の生化学的メカニズム:

 Norepinephrineにより収縮させたラット胸部大動脈を用いた実験において、FK409処置による血管組織中のcGMPレベルの増加を伴う血管弛緩作用は、内皮細胞の除去を行っても殆ど影響を受けなかった。更に、FK409はL-cysteineの有無に関係なくラット大動脈より調整した可溶性画分中にてNitric Oxide(NO)を産生した。一方、nitroglycerinはL-cysteineの存在下ではNOの産生を示したが、L-cysteineの非存在下ではNOを殆ど産生しなかった。血管平滑筋細胞内においてsulfhydryl供与基(L-cysteine等)の非存在下でもFK409構造分子そのものよりNOが遊離し、cGMPレベルが上昇することが本剤の血管弛緩作用の主体であることが明らかとなった。

2.FK409の血管弛緩及び降圧作用耐性:

 イヌ摘出冠血管標本及びラットを用い,血管弛緩作用及び血圧下降作用の耐性発現の検討を行った。その結果,FK409は自己耐性及びnitroglycerin,isosorbide dinitrateとの交叉耐性が生じにくいことが明らかとなった。一方,nitroglycerin及びisosorbide dinitrateは容易に自己耐性を発現した。現在、硝酸薬の作用耐性は平滑筋細胞内でのsulfhydryl供与基の枯渇により発現する可能性が最も有力である。FK409は平滑筋細胞内でのsulfhydryl供与基の枯渇が生じた場合にもNOを十分産生する事により血管弛緩作用を示し、作用耐性が生じにくいとの予想が本研究により実証された。

3.血管弛緩作用の選択性、種々の心筋虚血モデルでの作用:

 FK409は強力な冠血管拡張作用物質であり、特に太い冠動脈部位に対して選択的に強い弛緩作用を示した。その効力はnitroglycerinより5-26倍強かった。また、FK409は麻酔イヌの心筋虚血モデルにおいて、心筋虚血部の血流量の増大及び血流分布を改善した。更に、犬の労作性狭心症モデルやラットの異型狭心症モデルにおいて、FK409は静脈内または十二指腸内投与により抗狭心症作用を示すことを確認した。この結果は、nitroglycerinとは異なりFK409は初回通過効果を比較的受けにくいことに基づくものと示唆された。更に、FK409はウサギの伏在動脈よりも静脈に対して弛緩作用が強いことより、静脈灌流量を減少させ心筋酸素消費量を減少させる可能性も示唆した。

 以上、本研究はFK409の抗狭心症作用とその作用機作を研究し、FK409はsulfhydryl基の非存在下でもその構造分子そのものよりNOを遊離し血管弛緩作用を示すことを明らかにし、経口投与可能な作用耐性の生じにくい抗狭心症薬になる可能性を示したものである。よって、本研究は抗狭心症薬の分野に貢献するものであり、博士(薬学)の学位に十分値するものと判断した。

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