学位論文要旨



No 211761
著者(漢字) 森井,政宏
著者(英字)
著者(カナ) モリイ,マサヒロ
標題(和) 2°共鳴におけるボトムクォーク生成の研究
標題(洋) A Study of Bottom Quark Production at the 2° Resonance
報告番号 211761
報告番号 乙11761
学位授与日 1994.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第11761号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 蓑輪,眞
 東京大学 教授 釜江,常好
 東京大学 教授 藤川,和男
 東京大学 助教授 加藤,貞幸
 東京大学 助教授 奥野,英城
内容要旨

 欧州原子核研究共同機構(CERN)の建設した電子陽電子衝突装置LEPは、1989年の稼働以来Z°共鳴近傍でのe+e-反応の精密測定によって、素粒子物理学の標準模型(Standard Model)の検証に大きな役割をはたしてきた。今日までにLEPの4実験が観測したZ°粒子崩壊事象は約1000万例に達し、Z°粒子の質量、全崩壊幅、各崩壊モードへの分岐比、および前後方電荷非対称性がこれまでにない高精度で測定された。これらの測定は標準模型の成功をゆるぎないものとしたが、それとともに異なった視点からの理論の検証、あるいは理論の破れの探索がより興味を集めてきている。そのような可能性の一つがZ°からボトムクォーク対への崩壊幅(Z°→b)の測定である。

 標準模型に登場する必要最小限の粒子群のうち、現在発見されていないのは重いトップクォークとヒッグス粒子である。これら未発見粒子の質量は標準模型による物理量の予言値に輻射補正を通じて影響を及ぼす。ボトムクォーク(bクォーク)は、トップクォークとアイソスピン二重項を形成しているために、そのZ°からの生成断面積に対する輻射補正が他のクォークの場合と異なっている。この違いはトップクォークの質量に依存し、崩壊幅比

 

 をとればほとんど不定性なしに標準理論で予言することができる。この量を測定することにより、標準模型に対して他の測定では得られない独立な制限が与えられる。

 Z°からボトムクォークへの部分崩壊幅比/had、Z°のハドロンへの崩壊事象のなかからボトムクォーク対生成事象(b事象)を選び出すことによって測定される。b事象の選択にはBハドロンの崩壊で生じる高い運動量を持ったレプトンを探す方法と、Bハドロンが比較的長い寿命を持つことを利用してその飛距離を測定する方法が多く用いられる。いずれの場合にもb事象の選択効率は種々の要因(bクォークのフラグメンテーション、レプトンへの分岐比、Bハドロンの寿命等)によって大きな不確定性を持ち、これまでの測定はこの系統誤差によって精度を損なっていた。本研究ではZ°のハドロンへの崩壊事象をその主スラスト軸に直交する平面で二つに分割し、各半球で独立にb事象の選択を行うことにより、選ばれた半球の数とその両半球が選ばれた事象の数の関係から上記の選択効率に関わりなく/hadを求めて測定精度を向上した。

 測定はLEPの4実験装置の一つ、OPAL検出器が1990年から1992年の間に観測した約70万例のZ°→hadrons事象を用いて行った。b事象の選択には、電子またはミュー粒子を検出する方法とBハドロンの飛距離を測定する方法の両方を用いた。上記の二重選択測定法を用いて

 

 が得られた。ただし三番目の誤差はZ°からチャームクォークへの崩壊幅(Z°→c)の不定性によるものであり、標準模型の検証の観点からは考慮する必要がない。この測定をLEPにおける他の物理量の測定と組み合わせることにより、トップクォークの質量をはじめとする係準模型の未定常数に新たな制限を加えることが可能になった。

審査要旨

 本論文は、素粒子間の弱い相互作用を媒介する3種類の粒子の一つであるZ°ボゾンが、ハドロンに崩壊する事象の内、ボトム・反ボトムクォーク対に崩壊する事象の割合

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 の測定について、実験の詳細と結果、およびその結果が素粒子の標準模型、特にトップクォーク質量に対して与える制限を論じたものである。

 素粒子物理学のいわゆる標準模型によれば、自然界を構成する物質はレプトンとクォークから成り、そのあいだの相互作用は光子やW、Z°ボゾン、グルーオン等のグージボゾンによって媒介される。クォークは陽子や中間子などのハドロンを構成し、6種類(アップ、ダウン、ストレンジ、チャーム、ボトム、トップ)の存在が予想されている。この中で最も重いトップクォークだけが未発見であり、その質量は標準模型に残された非常に重要な未確定パラメータである。

 Z°ボゾンからボトムクォーク対への崩壊幅は、ボトムクォークとトップクォークの間の大きな質量差のために、他の荷電-1/3クォーク(ダウンクォークとストレンジクォーク)への崩壊幅とは異なっている。この差、Z°-bbバーテックス補正の大きさはトップクォークの質量の2乗に比例する。上記の崩壊分岐比bb/hadはこの補正のために、トップクォーク質量に依存しながらその他の理論的不定性、特にヒッグス粒子質量の影響をほとんど受けないという良い性質を持つ。この量を精密に測定することにより、トップクォーク質量に対して新たな制限を加えることができるものと期待される。

 実験は欧州原子核研究協同機構(CERN)の電子陽電子衝突型加速器LEPと、その4実験装置の一つであるOPAL検出器を用いて行われた。電子と陽電子を2°共鳴に近い重心系エネルギーで衝突させて生成した、約70万例のZ°ボゾンのハドロン崩壊事象から、ボトムクォーク生成事象の割合を測定した。ボトムクォーク生成事象の選択には、ボトムハドロンの崩壊で生じる大きな運動量を持った電子、ミュー粒子などのレプトンを検出する方法と、ボトムハドロンが比較的長い寿命(約1.5ps)を持つことを利用してその飛距離を測定する方法を用いた。

 Z°ボゾンの崩壊で生じたクォークと反クォークは、強い相互作用によって多数のハドロンに崩壊し、ジェットと呼ばれる粒子の束を形成する。各事象はクォーク及び反クォークから生じた互いに逆方向の2つのジェットを持ち、全体としてはクォーク・反クォークの運動量の方向に細長く伸びた構造を持つ。事象中で測定された粒子の運動量をもとに、この方向(主スラスト軸)を計算し、それに直交する平面で事象を2つに分割すれば、各半球にはクォークまたは反クォークに由来するジェットが一つずつ含まれていることが期待される。この各半球で独立にボトムクォークの選択を行うことにより、選ばれた半球の数と両半球が選ばれた事象の数の関係からボトムクォーク選択の効率を測定することができる。この二重選択測定法によって測定の系統誤差が大幅に改善された。

 測定の結果、

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 が得られた。誤差は統計誤差、系統誤差、およびZ°ボゾンからチャームクォークへの崩壊幅の測定誤差による三つの部分に分けて、その順番に示した。この結果を本研究以前にOPAL検出器を用いて行われた測定と組み合わせることにより、

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 が得られた。この結果は標準模型の予言と誤差の範囲で一致する。測定誤差は本研究によって約1/1.8に向上した。

 上記の測定結果を、OPAL検出器を用いて測定された他の物理量(Z°共鳴の生成断面積のラインシェイプ、タウ粒子の偏極度、ボトムおよびチャームクォーク生成の前後方荷電非対称性)と組み合わせて、標準模型を仮定すると、トップクォーク質量について、

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 の制限が得られた。ここで、中心値はヒッグス粒子の質量として300GeVを仮定して得られたものであり、一番目の誤差は各測定値の統計誤差と系統誤差によるもの、二番目の誤差はヒッグス粒子の質量を60から1000GeVの間で動かした場合の中心値の変化を表す。

 以上、本論文はZ°ボゾンのボトムクォークへの崩壊分岐比を精密に測定することにより、標準模型を検証し、トップクォークの質量に新たな制限を与えた点で、素粒子物理学に大きく貢献するものと言える。したがって審査員一同は本論文が博士(理学)の学位論文としてふさわしく、合格であると判定した。

 本論文のもととなる実験は、「OPAL実験グループ」とよばれる、論文提出者を含む315名の研究者の共同で行われたものである。本研究のデータ解析は、特にそのうち3名の研究者(R.B.Batley氏、D.G.Charlton氏および論文提出者)によって行われた。論文提出者は、二重選択測定法を案出し、解析の主要部分を担当するとともに、電子の検出に関する詳細な研究を行った。Batley氏はボトムハドロンの寿命を、Charlton氏はミュー粒子の検出をそれぞれ利用したボトムクォーク事象選択法についての研究を担当した。研究全体としては、測定原理の考案と測定結果の算出を行った論文提出者が主要な貢献をしたものと認められる。また、論文提出者は実験装置の中で重要な位置を占める電磁カロリメータの運転に貢献した。本実験の内容を論文提出者が学位論文として使用することについては,OPAL実験グループの承諾を得ていることを確認した。

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