学位論文要旨



No 211765
著者(漢字) 島田,敦子
著者(英字)
著者(カナ) シマダ,アツコ
標題(和) メダカ(Oryzias latipes)特定座位法を用いた自然および誘発生殖細胞突然変異の研究
標題(洋) A Study on Spontaneous and Induced Germ-Cell Mutagenesis by Developing a Specific-Locus Test System Using the Japanese Medaka Oryzias latipes
報告番号 211765
報告番号 乙11765
学位授与日 1994.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第11765号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 石川,統
 東京大学 教授 黒岩,常祥
 東京大学 教授 平井,百樹
 大阪大学 教授 野村,大成
 京都大学 教授 尾里,建二郎
内容要旨

 ほんの100年ほど前から、人類が作り出し環境へ放出しはじめた放射能や化学物質が、生物にどのような遺伝的影響をあたえるかを解明することは、今日の地球環境問題との取り組みの一つとして重要である。一方、生殖細胞での自然および誘発突然変異の生成機構や、それらの子孫への伝達機構を解明することは、基礎生命科学の立場から見て極めて興味ある問題である。ところが生殖細胞突然変異の研究は、遺伝学的に十分吟味された多数の個体を必要とするため、これまでマウス以外の動物ではほとんど行われてこなかった。そこで、われわれはメダカに注目した。本研究の目的は、1)実験動物としてのメダカの利点を最大限に生かした生殖細胞突然変異検出系を開発する、2)生殖細胞に生じた突然変異が発生過程でどのように淘汰されるかを放剤線およびエチルニトロソウレア(ENU)を用いて調べる、3)得られた突然変異を解析し、誘発突然変異を利用したメダカゲノム研究の基礎を確立することである。

 生殖細胞突然変異を検出するための指標としては、特定座位突然変異、優性致死および奇形を用い、これらすべてを同一個体で検出できる実験系を作った。特定座位法とは、あらかじめ調べる遺伝子座(標識遺伝子座)を決めておき、野生型遺伝子に起こった前進突然変異を、劣性同型接合体(テスター)とかけあわせることによってF1で検出する方法である。そこでまず、メダカで知られている70以上の自然突然変異から、b(黒色素形成抑制),lf(白色素胞欠失),gu(虹色素減少)を名古屋大学の富田英夫博士より分譲していただき、かけ合わせによって多重劣性同型接合体を作成した。3座位とも発生の早い時期(b:受精後1.5日,lf.受精後2日,gu(受精後3日)に形質発現し、しかも突然変異形質を正確かつ迅速に(1秒以内)判定できることがわかった。テスター個体の生存力、繁殖力は高く、クローズドコロニーで実験に使いつつ、兄妹交配によって近交系を作成した。

 放射線照射実験では野生型オス成魚(佐倉集団)を大型プラスチックフラスコに入れ、東大原子力研究総合センターのCs-137ガンマー線源を用いて0.64,1.90,4.75,9,50Gy(0.95Gy/min)照射した。ENU処理は、小型プラスチックフラスコを用い、10mlの0.1,0.5,または1.0mMENU溶液に野生型オス成魚2匹ずつを27℃で2時間泳がせることにより行った。処理後の野生型オスメダカを、無処理のテスターのメスメダカ(b/b;lf/lf;gu/gu)とペアでケージに入れ、翌日から毎朝えられる受精卵を96穴マイクロタイタープレートに1個ずつ入れて27℃で孵化まで発生させた。胚死亡については、毎日観察し、また、b,lf,gu座位における突然変異および奇形のチェックを、胚死亡が始まらない(ほとんどの優性致死胚が死亡するのは、受精後10〜14日)受精後6日目(孵化約1日前)に実体顕微鏡の下で行った。この時点で検出された特定座位突然変異を総突然変異と定義した。また、これらのうち、正常に発生し、孵化後4日間以上生存した特定座位突然変異体を生存突然変異と定義した。処理後1〜3日に受精した胚は精子期処理、4〜9日は精細胞期処理、30日以降を精原細胞期処理とみなした。各指標の計算方法は、

 優性致死率=(初期胚死亡数+後期胚死数+孵化直後死亡数)/(受精卵数)

 総突然変異率=(6日胚で検出した特定座位突然変異数)/(観察個体の有効座位数の合計)

 生存突然変異率=(孵化後4日以上生存した特定座位突然変異数)/(孵化後4日以上生存した観察個体数×3)、であった。

 1)自然突然変異:約18万個体(約45万遺伝子座)を検索した。胚の自然致死率は、0.058であった。自然総突然変異17個体(3.8×10-5/遺伝子座)のうち2個体のみが正常に発生し、自然生存突然変異体となった(4.7×10-6/遺伝子座)。

 2)ガンマー線誘発突然変異:約37万個体(約92万遺伝子座)を検索した。精子、精細胞、精標細胞それぞれにおいて、優性致死率、総突然変異率、生存突然変異率は、線量の増加とともに直線的に上昇した。1cGy1配偶子あたりの優性致死率は、精子で63×10-5,精細胞で37×10-5,精原細胞で3.6×10-5であった。1cGy1遺伝子座あたりの総突然変異率は、精子で131×10-7、精細胞で59×10-7、精原細胞で7.9×10-7であった。同様に、生存突然変異率は、精子で146×10-8、精細胞で57×10-8、精原細胞で9.0×10-8であった。これらの結果から、優性致死率、総突然変異率、生存突然変異率とも、雄生殖細胞の感受性は分化段階によって大きな違いがあることが明確に示された(1cGyあたりの誘発率は、3遺伝指標とも精子を1とすると精細胞は0.4〜0.6、精原細胞は0.06)。一方、優性致死率:総突然変異率:生存突然変異率の比は、生殖細胞の分化段階によらず約1:0.02:0.002であり、3つの遺伝的指標のあいだに一定の量的な関係があることが示唆された。それぞれの線量効果関係はほぼ直線的であることから、この関係は線量にも依存していないことになる。一般的に、放射線による優性致死の原因は染色体異常などであり、特定座位突然変異は欠失などの変異が原因であるとされている。本研究の結果から、優性致死と特定座位突然変異には、共通の誘発メカニズムがある可能性が示唆された。また、線量や生殖細胞の分化段階によらず常に総突然変異の約10%しか生存突然変異にならないことがわかり、本研究によって、放射線誘発特定座位突然変異が優性致死をともなう現象が初めて定量的に把握できた。一方特定座位突然変異の生存率は標識遺伝子座によってほぼ決まっていることから(b:約5%,lf:約12%,gu:約8%,減数分裂後の雄性生殖細胞の場合)、標識遺伝子とその近傍にある発生に重要な遺伝子がともに損傷を受けることが原因ではないかと考えられる。

 メダカの生存特定座位突然変異の倍加線量(自然突然変異率を2倍にするのに必要な線量)をマウス(Sega et al.,1978;Russell,1982)と比較したところ、精細胞と精原細胞についてはほぼ同等であったが、精子についてはメダカでの値(3.2cGy)はマウス(11.6cGy)の約1/3であった。

 3)ENU誘発突然変異:約17万個体(約39万遺伝子座)を検索し、ガンマー線誘発生殖細胞突然変異にみられた3つの遺伝的指標間の量的関係が、ガンマー線とは作用機作が異なるといわれている化学物質ではどうなるかに注目して実験を行った。その結果、a)減数分裂後の生殖細胞(精子と精細胞)では、優性致死率は二次曲線的な作用量効果関係を示し、受精後のDNA損傷の修復が示唆された。また、ガンマー線と同じぐ総突然変異の約10%しか生存突然変異にならなかった。ただし優性致死率;総突然変異率;生存突然変異率の比は約1:0.002:0.0002であり、優性致死誘発を基準にするとENUはガンマー線に比べ特定座位突然変異の誘発効率が低かった。b)精原細胞では、優性致死の有意な誘発率増加が検出されなかった。また、生存突然変異率は減数分裂後の細胞を処理した場合に比べてより高く、総突然変異体のうち0.5mM処理群で約80%,1.0mM処理群では約94%もが生存した。これらの結果から、ENUによる遺伝的影響は、処理された生殖細胞の分化段階によって大きく異なることがわかった。

 4)次に、放射線およびENUで誘発されたb遺伝子座の生存特定座位突然変異体の基礎的な特徴付けを行った。誘発突然変異を同型接合にもつ個体を作成し、生存力およびb遺伝子の機能に関連するメラニン化の程度を比較した。放射線誘発突然変異7つのうち5つは同型接合致死性であった。一方、調べた11個のENU誘発突然変異(減数分裂後の細胞に由来するものは1、他は減数分裂前)はすべてが同型接合生存性で、しかもそのうち5つはメラニン化の程度が野生型とヌル突然変異との中間であった。これらの誘発突然変異をすでに知られている7自然突然変異と比較し、b遺伝子座の構造と機能を推察した。

 以上の結果を総合すると、特定座位突然変異は精子形成過程での配偶子としての淘汰と、発生過程での接合子としての淘汰の二重淘汰を受けていることがわかった。しかも、今回実験したガンマー線誘発特定座位突然変異の場合は、配偶子として一度淘汰を受けたはずの精原細胞期誘発変異(誘発率は精原細胞期処理の場合は精子期処理の場合の1/10以下)が、さらに接合子として発生過程でも精子期誘発変異とほぼ同程度(両者とも約9割)の淘汰を受けることから、これら二段階の淘汰の対象になる遺伝子損傷は互いに異なる可能性が示唆された。本研究によって、メダカ特定座位法を用いた生殖細胞突然変異検出系が、生殖細胞変異の誘発メカニズムを研究する実験系として、また、メダカゲノム研究のための実験系としても有用であることが明らかとなった。

審査要旨

 放射線や化学物質による生殖細胞突然変異の生成機構や次世代への伝達機構を解明することは、基礎生命科学の立場からのみならず地球環境問題としても極めて重要である。本論文の目的は、発生が直接観察できるメダカの利点を最大限に生かし、特定座位突然変異法による生殖細胞突然変異実験系を確立し、生殖細胞に生じた突然変異がどのようにして次世代に伝えられるかという問題の基礎過程を明らかにすることである。本論文は4章からなる。

 第1章はメダカ特定座位突然変異検出系の特徴と、材料として用いたテスターメダカの開発について述べられている。生殖細胞突然変異を検出するための指標としては、特定座位突然変異、優性致死および奇形を用い、これらすべてを同一個体で検出できる実験系を作った。まず、メダカで知られている70以上の自然突然変異から、b(黒色素形成抑制),lf(白色素胞欠失),gu(虹色素減少)を選び、かけ合わせによって多重劣性同型接合体を作成した。3座位とも発生の早い時期(b:受精後1.5日,lf.受精後2日,gu:受精後3日)に形質発現し、しかも突然変異形質を正確かつ迅速(1秒程度)に判定できた。テスター個体の生存力、繁殖力は高く、クローズドコロニーで実験に使いつつ、兄妹交配によって近交系を作成した。

 第2章では、ガンマー線誘発特定座位突然変異および優性致死の定量的関係か明らかにされた。1)自然突然変異:約18万個体(約45万遺伝子座)を検索した。胚の自然致死率は、0.058であった。自然総突然変異17個体(3.8×10-5/遺伝子座)のうち2個体のみが正常に発生し、自然生存突然変異体となった (4.7×10-6/遺伝子座)。2)ガンマー線誘発突然変異:約37万個体(約92万遺伝子座)を検索した。優性致死率、総突然変異率、生存突然変異率とも、雄生殖細胞の感受性は分化段階によって大きな違いがあることが明確に示された。一方、優性致死率:総突然変異率:生存突然変異率の比(単位放射線量当たり)は、生殖細胞の分化段階によらず約1:0.02:0.002であり、3つの遺伝的指標のあいだに一定の量的な関係があることが明らかにされた。また、線量や生殖細胞の分化段階によらず常に総突然変異の約10%しか生存突然変異にならないことがわかり、放射線誘発特定座位突然変異が優性致死をともなう現象を初めて定量的に明らかにした。

 第3章では、ENU誘発特定座位突然変異および優性致死の定量的関係が明らかにされた。ガンマー線誘発生殖細胞突然変異に関して3つの遺伝的指標間でみられた定量的関係が、ガンマー線とは作用機作が異なるといわれているアルキル化剤(ENU)ではどうなるかに注目し、約17万個体(約39万遺伝子座)を検索して実験を行った。その結果、減数分裂後の細胞(精子・精細胞)では、ガンマー線と同じく総突然変異の約10%しか生存突然変異にならなかったが、優性致死誘発を基準にするとENUはガンマー線に比べ特定座位突然変異の誘発効率が低いことがわかった。一方、精原細胞では優性致死の有意な誘発率増加が検出されなかった。さらに、総突然変異体のうち0.5mM処理群で約80%,1.0mM処理群では約94%もが生存した。これらの結果から、ENUによる遺伝的影響は、処理された生殖細胞の分化段階によって大きく異なることがわかった。

 第4章において、放射線およびENUで誘発されたb遺伝子座の生存特定座位突然変異体の基礎的な特徴付けを行った。誘発突然変異を同型接合にもつ個体を作成し、生存力およびb遺伝子の機能に関連するメラニン化の程度を比較した。放射線誘発突然変異は同型接合致死性が多いのに対して、調べたENU誘発突然変異はすべてが同型接合生存性で、メラニン化の程度が野生型とヌル突然変異との中間のものが多いことを明らかにした。

 以上のように、本研究は、生殖細胞での突然変異の生成・伝達過程には、雄性生殖細胞分化過程での配偶子としての淘汰と、発生過程での接合子としての淘汰がどのように関与しているかをメダカを使って初めて定量的に明らかにした。これは、実験生物モデルとしての研究が最も進んでいるマウスではけっして得られない成果であり、生殖細胞に生じた突然変異の子孫への伝達機構の解明に大きく寄与するものと評価される。

 なお、本論文は嶋 昭紘氏との共同研究であるが、論文提出者が主体となって実験および検証を行ったもので、論文提出者の寄与が充分であると判断する。したがって、博士(理学)を授与できると認める。

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