学位論文要旨



No 211767
著者(漢字) 平井,幸弘
著者(英字)
著者(カナ) ヒライ,ユキヒロ
標題(和) 日本における海跡湖の地形発達
標題(洋)
報告番号 211767
報告番号 乙11767
学位授与日 1994.04.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第11767号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 米倉,伸之
 東京大学 教授 大森,博雄
 東京大学 教授 松本,良
 東京大学 助教授 池田,安隆
 名古屋大学 助教授 海津,正倫
内容要旨

 日本列島の海岸平野のうち、オホーツク海沿岸、本州北部の太平洋および日本海沿岸、関東地方北東部、北陸および山陰地方の海岸平野には、砂州・砂丘地形によって外海と隔てられた湖沼:海跡湖が数多く分布している。従来これらの湖沼は一般に潟または潟湖と呼ばれ、「完新世の海進によって生じた入り江や浅海が、沿岸州の発達によって外海と遮断されて生じたもの」と理解されてきた(中山,1973;西條・阪口,1980;貝塚,1985;成瀬,1985a,1985bなど)。

 しかしかつて筆者(1983)は、関東平野中央部における沖積低地の地形発達を論じた際、沖積層の層序・層相や低地の微地形は、沖積層に埋没している更新世後期の地形面や侵食谷などの前地形の影響を強く受けていることを明らかにした。海跡湖と外海とを隔てている砂州・砂丘に関しても、近年山陰地方やオホーツク海沿岸で、完新世の砂州・砂丘の下に更新世後期の堆積物が存在することが明らかにされている(三位・藤井,1972;豊島,1975;大西,1977,1988;平井,1987aなど)。また、アメリカ合衆国、オーストラリア、モロッコなど諸外国の砂州海岸では、後氷期の海進期の沿岸の堆積環境は、海進が及んだ地域のそれ以前の堆積物がつくる地形に強く支配されていることが指摘されている(Kraft,1985;Moslow and Colquhon,1981;Thom,1985;Ballouche et Carruee sco,1986など)。

 そこで本研究では、海跡湖周辺の更新世後期とくに最終間氷期の堆積物の分布、湖盆と海とを隔てる砂州・砂丘の地形構造、海跡湖周辺の沖積層基底地形と沖積層の堆積構造、および海跡湖の湖岸・湖底地形を手がかりとして、日本における海跡湖の地形発達に関して検討を行い、以下の4点を明らかにした。研究対象地域として、比較的面積や深度が大きい(面積約20km2以上)の海跡湖が存在する代表的な7ヶ所の海岸平野(オホーツク海沿岸平野中部、三本木原、津軽平野、八郎潟周辺平野、関東平野北東部、米子平野、出雲平野)を取り上げた。

(1)砂州の発達過程

 海跡湖の湖盆と外海とを隔てている砂州・砂丘地形は、必ずしも後氷期の海進期に浅海底に新たに形成された沿岸州から発達したものではなく、最終間氷期の堆積物からなる地形を骨格として発達したものが多い。

 すなわち三本木原および関東平野北東部では、海跡湖の湖盆と外海との間に、標高約20m、幅3〜5kmの最終間氷期の砂州堆積物が段丘面として存在する。完新世の最初の砂州は、その段丘面の海側の段丘崖下および湖口付近の地下の、海面下-10〜-20m付近に存在する海食台を土台として、後氷期の海面上昇にともなって上方に成長しおよそ5,500〜4,500年前に離水した。

 また、オホーツク海沿岸平野中部、津軽平野、八郎潟西・北部の海岸平野、出雲平野では、海岸部に標高約10〜25mの最終間氷期の砂州地形が存在する。完新世の砂州は、後氷期の最高海水準期以降、この更新世砂州の一部を覆いさらにそれに付加するように、現在の湖口付近を中心として発達した。

 さらに八郎潟南部および米子平野の弓ケ浜では、海面下およそ-10m以深に、最終間氷期の砂州地形が埋没している。完新世最初の砂州は、後氷期の海面上昇とともに、この更新世砂州の最も内陸側の部分で上方に成長し、約5,000〜3,000年前に離水した。

(2)湖盆の形成過程

 各海岸平野における海跡湖の湖盆の原形は、最終氷期に形成された河谷地形である。この河谷地形は、主として最終氷期後期に形成された河床面(立川面に相当)とその背後の谷壁、およびそれらの地形を下刻し沖積層基底礫層(BG)を堆積させている河谷とからなる。このうち立川期に形成された地形面がいずれの平野でも相対的に広い面積を占め、BGが堆積している河谷の幅は約1km以下と狭い。そのため、現在の海跡湖の湖盆の概形は、立川面の埋没深度にある程度規定されている。

 すなわち、立川面の埋没深度が深い場合、湖盆の原形をなす河谷地形は半分程度しか埋積されておらず、現在の海跡湖の最大水深は約20m前後と大きく、湖棚崖から続く湖底斜面が顕著で、湖底平原はほとんど発達していない。逆に、立川面の埋没深度が浅い場合、現在の海跡湖の最大深度は約6〜8mと小さく、全体的に浅く湖底平原が非常によく発達している。

(3)湖盆の埋積過程

 海跡湖の湖盆の原形をなす河谷の中には、最終氷期極相期から更新世末までの間、沖積下部層が堆積した。沖積下部層は、立川面の埋没深度が深い平野では、下位の立川段丘面を一部覆って堆積し、立川面の埋没深度が浅い平野では、BGを堆積している谷の中に限られている。

 後氷期の海進期には、現在の海跡湖の範囲より最大5〜20kmほど内陸まで海進が及んで上述の河谷は溺れ谷となり、そこに沖積中部層が堆積した。沖積中部層は、湖口付近では流入する潮流によって運搬され堆積した最大層厚約30mの砂質堆積物で、海跡湖の湖底では層厚約10〜15mの粘土・シルト層となっている。

 後氷期の海進最盛期直後には、湾口部を閉塞するように完新世最初の砂州が形成された。これ以降は、湖奥の流入河川の河口付近を中心として、主として河川がもたらした砂質堆積物からなる沖積上部層が堆積した。湖盆中央の湖底平原では、沖積中部層に引き続いて細粒の粘土・シルトからなる沖積上部層が堆積した。

 沖積中部層および同上部層は、立川面の埋没深度が深い平野では、ほぼ平野全域の地下に厚く(厚さ約20〜30m)堆積している。しかし、立川面の埋没以深度が浅い平野では、沖積中部層下半部はBGの谷の中に堆積し、沖積中部層上半部以上が立川面を広く薄く(厚さ約5〜10m)覆って堆積している。沖積層全体の厚さは、BGを堆積させている谷の部分で最大約50〜60mに達するが、他の大部分のところでは約15m以下にすぎない。

 後氷期海進最盛期以降、海水準変動と連動した湖水準変動によって、海跡湖の湖岸には現成の砂浜・湖岸湿地および湖棚のほかに、標高2〜5mと標高1〜3.5mの2段の湖岸段丘面と、水深1.5〜3.5mに部分的に張り出した舌状の平坦面が形成された。これらの地形面は、最終氷期後期に形成された河成段丘面、または後水期の海進期に形成された海食台など、すでにそこに存在した平坦面を利用してその上に発達した。そのため山間の湖沼に比べて、海跡湖では湖岸低地や湖棚が広く連続して分布する。

(4)地形発達における地殻変動の関わり

 研究対象とした海岸平野では、米子平野を除いて、更新世後期の海成段丘面が海跡湖の周辺に広く分布する。これらの平野では、最終間氷期以降およそ1000年あたり約0.1〜0.2m前後の隆起が推定された。また米子平野は、1000年あたり約0.1mの沈降が推定された。

 一方日本の海岸平野の中で、沖積低地が卓越している釧路平野、石狩平野、新潟平野、濃尾平野などは、1000年あたり0.2m以上の速度で沈降している。これらの平野では、後氷期の海進最盛期頃、それ以前の地形を埋積して平滑になった浅海底に新たに沿岸州が形成され、その背後に閉鎖的な水域(いわゆる潟)を生じた。しかし、これらの水域の最大水深は約1〜2mと非常に浅く、本稿で取り上げた比較的規模の大きな海跡湖とは、地形発達上区別される。

 また、最終間氷期の海岸堆積物が標高50〜100m以上の段丘面をなし、かなり開析されているような、東北および中部日本の日本海沿岸の半島部や、西南日本太平洋沿岸の宮崎平野などは、1000年あたり約0.5〜1m以上の速度で隆起していることが知られている。これらの地域では、沖積低地の広がりは小規模で、海跡湖は存在しない。

 これらの平野に比較すると、本研究で対象とした海岸平野は地殻変動が穏やかな地域と見なせる。そのため最終間氷期に形成された砂州地形は、その後あまり変位・変形を受けずに海岸部に存続した。最終氷期の河谷は、このような砂州地形を迂回してその背後を下刻し、現在の海跡湖の湖盆の原形がつくられた。そして後氷期の海進期には、海水準が最終間氷期最盛期頃の古海水準とほぼ同じ高さまで達し、その高さ±数mの範囲で安定した。そのため、最終間氷期に発達した砂州や最終氷期に形成された河谷を骨格として、完新世の大規模な砂州・砂丘、および比較的面積が広くある程度の深度を持った海跡湖が発達したと言える。

審査要旨

 日本列島の海岸平野のうち、オホーツク海沿岸中部、本州北部の太平洋および日本海沿岸、関東地方北東部、北陸および山陰地方の海岸平野には、砂州・砂丘地形によって、外海と隔てられた湖沼(海跡湖)が数多く分布している。従来これらの湖沼は一般に潟または潟湖と呼ばれ、[完新世の海進によって生じた入江や浅い海が、沿岸州の発達によって外海と遮断されて生じた」と理解されてきた。しかしこれらの海岸平野の地形発達は最終間氷期以降の地形によって骨格が規定され、とくに沖積層下に埋没している更新世後期の地形面や堆積物に深く関係している可能性がある。そこで本研究では、比較的面積や深度が大きい海跡湖が存在する代表的な7つの海岸平野(オホーツク海沿岸中部、三本木原、津軽平野、八郎潟周辺平野、関東平野北東部、米子平野、出雲平野)について、海跡湖周辺の更新世後期、特に最終間氷期の堆積物の分布、海跡湖の湖盆と外海を隔てる砂州・砂丘の地形構造、海跡湖周辺の沖積層基底地形と沖積層の堆積構造、および海跡湖の湖岸・湖底地形に着目して調査を行い、日本における海跡湖の地形発達について考察した。

 本論文は6章から構成され、第1章では従来の研究の問題点および本研究の目的と構成を述べた。第2章では、研究地域の地形分類図を提示し、海跡湖周辺の最終間氷期の堆積物の分布・層序・堆積年代・堆積環境について記載し、海跡湖と外海を隔てている砂州地形の構造について調べた。完新世の砂州地形は最終間氷期の堆積物からなる地形を骨格として発達したものが多く、完新世の砂州地形が更新世段丘を侵食した海食台にのるもの(三本木原、関東平野北東部)、完新世の砂州地形が最終間氷期の砂州地形を一部おおい、またはその前面に付加しているもの(オホーツク沿岸平野中部、津軽平野、八郎潟西部・北部海岸平野、出雲平野)、完新世の砂州地形が最終間氷期の砂州地形に重なって分布しているもの(八郎潟南部海岸平野、米子平野の弓ケ浜)の3類型に分類された。

 第3章では、海跡湖とその周辺低地における沖積層の基底地形と沖積層の堆積構造を記述し、海跡湖の湖盆の原形をなす地形を明らかにした。沖積層の下に埋没している地形は、最終氷期後期(立川期にほぼ相当)に形成された河谷地形とそれをさらに下刻して沖積層基底礫層を堆積している河谷とからなる。現在の海跡湖の湖盆形態は、沖積層下に埋没している立川面の埋没深度にかなり規制されている。すなわち、立川面の埋没深度が深い地域(三本木原)では、現在の海跡湖の最大水深は約20m前後であり、湖盆の原形をなす河谷地形は半分程度しか埋積されていない。一方、立川面の埋没深度が浅い地域(関東平野北東部、八郎潟周辺平野、米子平野、出雲平野)では、現在の海跡湖の最大水深が約8〜6mと浅く、全体的に浅い湖低平原がよく発達している。

 第4章では、海跡湖の湖岸段丘、湖棚、河成三角州、潮汐三角州、湖底平原などの地形発達について調べ、完新世の砂州地形の形成後の湖盆の埋積過程を明らかにした。後氷期海進最盛期以降の海水準変動に関連して、海跡湖では標高5m以下の2段の湖岸段丘と水深1.5〜3.5mの湖棚が形成された。流入河川の河口付近に分布する河成三角州の発達による湖盆の埋積は盛んで、津軽平野と出雲平野では湖岸線が約20km以上、そのほかの平野でも約4〜5km前進している。湖口付近には海側から湖盆への堆積物の流入によって、半径1〜3kmの潮汐三角州が形成されているが、その規模はいずれも小さい。

 第5章では、研究地域における砂州の発達過程、湖盆の形成過程、湖盆の埋積過程について総括し、それらの地形発達における地殻変動のがかわりを評価するために、最終間氷期の海成堆積物の現在の分布高度から地殼変動速度を推定した。その結果、三本木原、関東平野北東部、八郎潟西部・北部の一部では1000年あたり約0.2mの隆起、オホーツク海沿岸平野中部、津軽平野、八郎潟西部・北部の一部、出雲平野では1000年あたり約0.1mの隆起、八郎潟南部と米子平野では1000年あたり約0.1mの沈降が推算された。これらの地域における地殼変動の傾向と変動速度の違いは、砂州地形の発達過程の3類型(第2章)とよく対応している。日本の海岸平野のうち、沖積低地が卓越している地域と海跡湖が分布する地域とを比較すると、本研究で対象とした海跡湖が分布する海岸平野は地殻変動が相対的に穏やかな地域である。そのため最終間氷期に形成された砂州地形は、その後あまり変位・変形を受けず海岸部に存続し、最終氷期の河谷は砂州地形を迂回して下刻し、現在の海跡湖の原形が形成された。後氷期海進は最終間氷期最盛期の海水準とほぼ同じ高さに達し、そのため最終間氷期に発達した砂州地形を骨格として完新世の砂州・砂立地形が形成され、最終氷期に形成された河谷地形を原形として比較的面積が広く、ある程度の深さを持った海跡湖が発達した。

 第6章では、本研究によって得られて結論をまとめ、残されて課題を指摘した。

 本論文は、日本列島の海岸平野に分布する海跡湖とその周辺地域における最終間氷期以降の地形と堆積物について詳しく調べ、代表的な海跡湖の地形発達を明らかにしたものである。本研究は日本列島における海岸平野の地形発達について、新たな知見を加えたものであり、自然地理学、とくに地形学の進展に貢献するところが大きい。よって本論文提出者平井幸弘は博士(理学)の学位を受けるに価すると審査姿員全員が判定した。

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