内容要旨 | | 概略 メラニンの合成は律速反応触媒酵素であるチロシナーゼにより調節されていることが知られているが,人種的な皮膚の色調の重要な決定因子としての役割についてはこれまで明確にされていなかった.種々のスキンタイプ由来の培養ヒトメラノサイトを用いて検討した結果,培養メラノサイト内メラニン量とチロシナーゼ活性は,活性をin situで測定した場合にはきわめて強い相関を示したが,活性を細胞ホモジネートで測定するとそれに匹敵する強い相関は示さなかった.両者の解離は,ある種の白色人種由来のメラノサイトをホモジネートすることにより,潜在化していた細胞内チロシナーゼの存在が顕在化し,in situチロシナーゼ活性から予測されるよりもはるかに高い活性を示したことを意味する.免疫沈降分析および免疫ブロット法により,白色人種由来メラノサイト内に存在するチロシナーゼ分子の数は,色の濃い黒人由来のメラノサイト内に存在するチロシナーゼ分子の数とほぼ同等であり得ることが明らかとなった.赤毛新生児由来のメラノサイトはチロシナーゼ分子の数も酵素活性もともに低下していた.白色人種と黒色人種のメラノサイトではおよそ同等なチロシナーゼmRNAが証明されたが,赤毛新生児由来のメラノサイトではチロシナーゼmRNAも減少していた.以上より,白色人種由来の生きたメラノサイト内でのin situのチロシナーゼの活性とメラニン産生量は黒色人種由来のメラノサイトに比して常に低下している一方で,一般の白色人種はしばしば黒色人種並みのチロシナーゼを細胞内で産生し保有しており,それゆえ,皮膚の色素産生の潜在的な能力は保持されているものと思われる.それに対して,赤毛でそばかすの多い人々(スキンタイプI)は,チロシナーゼの産生が制限されており,それゆえ,これらの人々ではメラニン産生の潜在的能力も制限されているものと思われる. 緒言 皮膚の色調と紫外線への反応の仕方によって6つのスキンタイプが知られている.これらのスキンタイプが何によって規定されているのか,以下にあげることがらはすでに指摘されているが,詳細はなお不明である.すなわち,1)メラニンが主に皮膚の色調を決定する,2)異なった色の皮膚でもメラノサイトの皮膚内密度は変わらない,3)皮膚の色調とメラノソームの凝集の度合いは相関しているらしい.以上より,個々のメラノサイト内のメラニン産生の効率の善し悪しが人種的な皮膚の色調を規定すると考えられる.しかし,個々のメラノサイト内で何がメラニン産生の効率を規定しているのかは,さらに明らかにされる必要がある. 一方,チロシナーゼはメラニン合成の律速段階酵素であり,また,ヒトにおいてチロシナーゼの活性が欠損すると全身性白皮症になるということから,種々のスキンタイプにおけるメラノサイト内のチロシナーゼ活性の違いがもっぱら人種的な皮膚色の差を生ずる主要要因となっている可能性は十分にあるものと思われる.これまでの報告によると,黒色人種と白色人種の新生児包皮のホモジネート中のチロシナーゼ活性は,平均すれば,黒色人種皮膚の方が白色人種皮膚よりも高いチロシナーゼ活性を示す.しかしながら,これらの報告によるとまた,黒色皮膚と白色皮膚の活性においてかなりの部分類似の値を示しており,チロシナーゼ活性のみでは皮膚色を予測できないことを示唆する結果であった.ここでは,人種的な皮膚の色調に関わるチロシナーゼの役割をより一層明確にするために,種々のスキンタイプ由来の純粋な培養ヒトメラノサイトを用いて,チロシナーゼ活性,酵素分子の定量,チロシナーゼmRNAレベルを比較測定した. 材料と方法使用薬品と購入先 論文参照細胞培養 黒色人種,白色人種,および赤毛の新生児包皮よりヒトメラノサイトを培養した.培地の組成はHAM’SF-10medium,32nM TPA,10-4M IBMX,5%ウシ胎児血清,10%ウマ血清に抗生物質を加えたものである. チロシナーゼ活性 3Hおよび14Cを用いてin situおよびin vitroでチロシナーゼ活性を測定し,後者ではさらに以下にあげる3つの方法を併用して,メラニンの生成までの全過程を含めた酵素活性を測定した. 1)チロシン水酸化酵素活性 3Hを用いてチロシンからドーバに至る反応における3H2Oの生成を測定することで酵素活性を測定した. 2)14C-メラニン合成活性 14C-チロシンから14C-メラニンの生成を測定した. 3)ドーパ酸化酵素活性 ドーパを与えて合成されるメラニンを吸光度で比較定量した. 膜構造分画と細胞質分画内のチロシナーゼ活性の局在 50,000xg,20分の高速遠心分離により,ホモジネートを上清と沈澱物の2分画にわけ,酵素が膜構造物の内に局在せず,細胞質内に浮遊しているかどうかを調べた. メラニン量測定 アルカリ処理後,波長400nmで吸光度を測定した. 免疫沈降分析 一定量の抗チロシナーゼ抗体と免疫複合体を形成するホモジネートの量を比較し,ホモジネート内のチロシナーゼ分子の相対的定量をおこなった. 免疫ブロット SDS電気泳動後,抗チロシナーゼ抗体を用いた免疫ブロット法(蛍光発色)によるチロシナーゼ分子の相対的定量をおこなった(蛋白25 g,約8×104cellあたり).X線フィルム上のシグナルはコンピューターデンシトメーターで定量し,白色人種および黒色人種由来のメラノサイトで比較した. ノーザンブロット ヒトチロシナーゼcDNAをプローブとしてチロシナーゼmRNAの相対的定量をおこなった.フィルム上のシグナルはコンピューターデンシトメーターにて定量し,必須酵素のGAPDHmRNA量で標準化した. 統計 回帰分析はコンピューター使用.2群比較は母分散を等しいと仮定しないt検定(いわゆるWelchの方法)を用いた. 結果 培養されたヒトメラノサイトは種々の人種から20種類以上におよぶ.これらのメラノサイトは実験計画法を用いて最適化された培地中で,対数増殖を示す条件で培養された.この条件下で黒色人種由来のメラノサイトでは白色人種由来のメラノサイトよりも常に多量のメラニン色素(メラニン量で約3倍)を1年以上にわたって産生し続けた.赤毛新生児由来のメラノサトも形態は通常の白色人種由来のメラノサイトと同様であり,メラニンの産生量も一般の白色人種同様,黒色人種よりも常に低値を示した. 15細胞株を用いて,メラニン量とホモジネート内チロシナーゼ活性の相関をみると,従来の報告から予想された通り,確かにある程度の相関は示す(r=0.808)ものの,白色人種由来の細胞株でも,しばしば黒色人種並みの活性を示した,ところが,チロシナーゼ活性を培養細胞を生かしたままin situで測定すると,興味あることに,今度は白色人種由来のメラノサイトは例外なく黒色人種由来のメラノサイトよりも著明な低値を示し,メラニンとの相関関係も0.923と非常に強いものであった.以上,チロシナーゼ活性をホモジネートで測定しても,メラニンの量または黒色人種由来が,白色人種由来のメラノサイトかを予測しえないにもかかわらず,活性をin situで測定すれば,例外なく人種的な相違を予測できることが明らかとなった. では,なぜin situでは極度に低いチロシナーゼの酵素活性が,ある種の白色人種において細胞をホモジネートしてから活性をはかると,予想し得ないような高い活性を示すのであろうか.この白色人種でみられる不当に高いと思われるホモジネート内酵素活性は,単に第1反応であるチロシン水酸化反応の活性の高さを表現するのみで,必ずしもメラニンの合成まで至らしめていないのであろうか.この点については,ドーパ酸化酵素活性および14C-メラニン合成活性を測定した結果,チロシナーゼ水酸化酵素活性は最初の律速段階の反応のみならず,最終的にメラニンが合成されるまでの反応すべてを代表する活性を反映していると考えられた. 一方,ホモジネート内の酵素の所在として,チロシナーゼが細胞質に遊離せず,膜構造の内に存在するかを調べたが,チロシナーゼはある種の白色人種においても細胞質内に遊離しているのではなく,人種を問わず,膜構造分画内に大部分の活性の局在を示した. また,抗チロシナーゼ抗体を用いた免疫沈降分析では,in situのチロシナーゼ活性が黒色人種由来のメラノサイトの約1/8しか示さなかった白色人種由来のメラノサイトのホモジネート中にも,黒色人種とほぼ同等かそれ以上のチロシナーゼ分子が存在することが示された.これにより,白色人種由来メラノサイト内に存在するチロシナーゼ分子の数は,色の濃い黒人由来のメラノサイト内に存在するチロシナーゼ分子の数とほぼ同等であり得ることがわかった.一方,赤毛新生児由来のメラノサイト内のチロシナーゼ分子の濃度は黒色人種および白色人種由来のメラノサイト内のそれの約1/2であった.さらに,免疫ブロット法でも白色人種由来のメラノサイト3株のいずれもが,黒色人種由来のメラノサイトの70%以上のチロシナーゼ分子を有している一方,in situチロシナーゼ活性およびメラニンの量では1/5以下であることが示された. また,チロシナーゼcDNAをプローブとしたノーザンブロットによる解析では,白色人種由来のメラノサイト内のチロシナーゼmRNAのレベルが黒色人種由来のメラノサイトとほぼ同等であった.一方で,赤毛新生児由来のメラノサイトでは一般白色人種および黒色人種に比してチロシナーゼmRNAのレベルも著明に低下していた. 考察 以上より,生きたメラノサイト内のin situチロシナーゼ活性が人種的な皮膚の色調を規定するきわめて重要な要因と考えられる.さらに,1)チロシナーゼ遺伝子活性(mRNAレベル)は一般白色人種と黒色人種で同等であり得る,2)一般白色人種は黒色人種並みのチロシナーゼ分子を保有しているが,大部分はメラノサイト内で活性化されていない,3)赤毛の人種ではチロシナーゼの産生そのものが低下していて,皮膚の色素産生も低下している,以上のように考えられた.これらを規定しているメカニズムはさらに追究されなければならないが,1)分子生物学的にチロシナーゼのアミノ酸配列の差(人種間で比較し得るほどにデータの蓄積が無いが,アメリカと日本で発表されたチロシナーゼcDNAの配列は同等であり,人種間で異なっているという証拠はこれまでのところ示されていない),2)インヒビターの存在(単純な混合試験では白人由来のメラノサイト中の物質に黒人のメラノサイトの高いホモジネートチロシナーゼ活性を低下させる効果を見出せなかった),3)メラノソームの構造および機能の相違(今のところ人種間で細胞内メラノサイトの成熟の度合いの差は示されているが明確な構造の差は証明されていない),などにつき改めて今後検討されるべきであると考えられる. |
審査要旨 | | メラニンの合成は律速反応触媒酵素であるチロシナーゼにより調節されていることが知られているが,人種的な皮膚の色調の重要な決定因子としての役割についてはこれまでほとんど明確にされていなかった.本研究では,人種的な皮膚の色調に関わるチロシナーゼの役割をより一層明確にするために,種々のスキンタイプ由来の純粋な培養ヒトメラノサイトを用いて,in situおよびホモジネートにおけるチロシナーゼ活性,酵素分子の定量,チロシナーゼmRNAレベルを比較測定したものである. その結果, 1)培養メラノサイト内メラニン量とチロシナーゼ活性の相関を検討した結果,活性をin situで測定した場合にはきわめて強い相関を示したが,活性を細胞ホモジネートで測定するとそれに匹敵する強い相関は示さなかった. 2)免疫沈降分析および免疫ブロット法により,白色人種由来メラノサイト内に存在するチロシナーゼ分子の数は,色の濃い黒人由来のメラノサイト内に存在するチロシナーゼ分子の数とほぼ同等であり得ることが明らかとなった. 3)赤毛新生児由来のメラノサイトはチロシナーゼ分子の数も酵素活性もともに低下していた. 4)白色人種と黒色人種のメラノサイトではおよそ同等なチロシナーゼmRNAが証明されたが,赤毛新生児由来のメラノサイトではチロシナーゼmRNAも減少していた. 5)以上より,白色人種由来の生きたメラノサイト内でのin situのチロシナーゼの活性とメラニン産生量は黒色人種由来のメラノサイトに比して常に低下している一方で,一般の白色人種はしばしば黒色人種並みのチロシナーゼを細胞内で産生し保有しており,それゆえ,皮膚の色素産生の潜在的な能力は保持されているものと思われた. 6)一方,赤毛でそばかすの多い人々(スキンタイプI)は,チロシナーゼの産生が制限されており,それゆえ,これらの人々ではメラニン産生の潜在的能力も制限されているものと思われた. 以上のごとき結果は,従来の多くの報告で包含していた多くの矛盾点あるいは不明確な点を初めて総合的に明確に説明するものとして,極めて重要である.従来,一般にチロシナーゼ活性といえばホモジネート中の活性を測定することが一般的で,材料の選出の仕方や報告者の解釈の仕方により,チロシナーゼ活性と人種的な皮膚の色調の関係に関する結論には統一的な見解が存在しなかった.本研究では,in situチロシナーゼ活性とホモジネートにおいて測定されたチロシナーゼ活性はその生物学的意義が全く異なることをまず明確にした.ホモジネートにおけるチロシナーゼ活性は細胞内のチロシナーゼの量を反映するが,それ自体が必ずしもin situにおけるチロシナーゼの活性の発現の仕方を規定しない.これは従来指摘されていない重要な現象を明確にしたもので,その背景として,本研究では, 1)比較的新しい正常ヒトメラノサイトの培養技術をとりいれ,かつ,予備実験を通して本研究にふさわしい実験系を確立したこと. 2)チロシナーゼ活性の定量のみでなく,分子生物学的手法であるイムノブロット法やノーザンブロット法をとりいれて酵素やmRNA量の定量をし得たこと. 3)全体として相互矛盾のない,体系的な結論を得たこと. の3点が特に評価されるべきであると思われる.以上,本研究は体系的な実験系を通して生物学的に重要な現象を把握し,明確にし得たもので,学位の授与に価すると考えられる. |