学位論文要旨



No 211772
著者(漢字) 阿部,裕輔
著者(英字)
著者(カナ) アベ,ユウスケ
標題(和) 安全人工心臓の生理的制御法 : 1/R制御
標題(洋)
報告番号 211772
報告番号 乙11772
学位授与日 1994.04.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11772号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 藤正,巌
 東京大学 教授 古瀬,彰
 東京大学 教授 熊田,衛
 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 神谷,瞭
内容要旨 [はじめに]

 人工心臓は、現在では心臓移植へのブリッジとして、また開心術後の補助心臓として日常的に臨床応用されるに至っているが、完全人工心臓の制御法に関しては未だ確立された方法がない.現在までに行われてきた制御方法においては、心拍出量を正常範囲に保つ方法や動脈圧を一定に保つという方法で長期の生存が得られているが、これらの制御法では循環制御系の応答を適切に反映できず、慢性動物実験では中心静脈圧の上昇など循環系パラメータに異常がみられ、また運動時の制御法に関しても生体の要求を十分反映しえないなどの問題点があるため、現在までに生理的な制御は実現していない.

 本研究は、末梢血管抵抗の逆数(1/R)を基本入力とした完全人工心臓の新しい自動制御法(1/R制御)により完全人工心臓の生理的な制御を実現させることを目的とした.

[1/R制御の概念]

 従来の制御法は、生体の要求量を反映すると考えられる循環系パラメータに一定の目標値を設定し、その目標値を満足するように人工心臓を駆動する方法であるのに対し、本研究で提唱する制御方法は、人工心臓を装着した生体自身に人工心臓を制御させようとするものである.すなわち、生体自身が人工心臓を制御することができれば、生体の状態により制御目標値は自動的に変更されるからである.生体が循環系を制御するために直接操作可能なパラメータには、心拍数、一回拍出量(収縮力)および末梢血管抵抗の3つがあるが、完全人工心臓においては末梢血管抵抗のみとなる.本研究では、末梢血管抵抗の逆数(1/R:コンダクタンス)を基本入力とした制御方法(1/R制御)により、生体が末梢血管抵抗を操作することにより自身で心拍出量や動脈圧を操作できるような制御法を実現させることを試みた.

[方法]1.自動制御方法

 1/R制御は、コンピュータによる完全な自動制御とした.1/R制御で使用した関数(1/R制御関数)を以下((1)式)に示す.

 

 本研究では、空気圧駆動式人工心臓を使用した.その駆動パラメータには、拍動数、駆動空気圧および収縮期比率があるが、実際の制御では、心拍出量を拍動数と一回拍出量に分け、左右人工心臓のバランス制御で駆動空気圧を調節して一回拍出量が一定(設定値)に保持されるようにし、拍動数を6秒毎に変更することにより心拍出量を調節した.なお、収縮期比率は一定とした.

 左右人工心臓のバランスは、体循環と肺循環に貯留する血液量を動的にバランスさせることを目標とし、左心房圧と右心房圧に比例関係式(2)を持たせ、左人工心臓の一回拍出量が設定値と等しくなり、かつ(2)式を満足するように、左右人工心臓の駆動空気圧を2秒毎に自動制御した.

 

2.動物実験

 実験動物としては、ザーネン種雌成ヤギを使用した.完全人工心臓ヤギ4頭を用いて1/R制御を行い、対照実験として、自然心臓ヤギの血行動態の計測を3頭に行い、さらに完全人工心臓ヤギ3頭を用いて、従来の方法により、右人工心臓の拍出量が正常値である80〜100ml/kg/min.になるように駆動条件を固定する固定駆動とし、血行動態の計測を行った.

 完全人工心臓には、左右両心とも容積60mlの東大型血液ポンプ(空気圧駆動式サック型)による体外設置型の完全置換型人工心臓(自然心臓は切除)を用いた.計測データは、平均大動脈圧、平均左心房圧、平均右心房圧、心拍出量(左人工心臓の平均拍出量)、上半身および下半身の平均血流量とした.データの計測はコンピュータを用いて自動的に行い、コンピュータ制御可能な人工心臓駆動装置と計測コンピュータを接続して、計測コンピュータに制御プログラムを走らせることにより、自動計測と自動制御を同時に行った.

[結果と考察]

 1/R制御で、長期的にも安定した制御が可能であることが慢性動物実験により示され、最長360日の生存(1993年7月19日現在、空気圧駆動式完全人工心臓の動物実験としては世界最長生存記録)を得ることができた.

 血行動態を比較してみると、固定駆動では大動脈圧と右心房圧の上昇がみられたが、1/R制御ではそれらの異常はみられず、長期的にも生理的な値を維持していた.また、固定駆動では心拍出量はほぼ一定に保たれており、その変動が非常に少ないに対して、1/R制御では、自然心臓と同様に、心拍出量は生体の状態により絶えず変動し、その変動状態も自然心臓と同様となっていた.上半身と下半身の血流量をみると、固定駆動では、上半身と下半身で一定の心拍出量を奪い合っているような関係となっていたが、1/R制御では、自然心臓と同様に、心拍出量は上半身や下半身の要求量を反映して変動していた.さらに、運動負荷を与えると、心拍出量は自動的に増加し、このときの拍動数増加率のプロファイルは自然心臓における心拍数増加率のそれらとほぼ同様であり、人工心臓の最大拍出量までは、1/R制御が自然心臓に匹敵する制御性を持っていることがわかった.また、1/R制御では、生化学データやホルモン値に異常はみられず、長期制御例では貧血も改善し、心拍出量がヘマトクリット値の低下に伴い増加するという生理的な関係がみられた.このような完全人工心臓の生理的な制御法は従来にはないものであり、また、日常動作時から運動時までの調節を一つの制御ロジックで実現した、完全な自動制御法も従来にはなく、いずれも本研究が最初の成功例である.

 1/R制御関数は、循環系パラメータを入力として目標心拍出量を出力する関数であるが、関数のみでは心拍出量や大動脈圧の絶対値を決定できないOpen loop関数である.この関数で心拍出量や大動脈圧は生理的な値に保たれ、かつ長期的にも制御が安定していたことから、制御は心臓が切除された生体に残存する制御系を利用してClosed loopとなっていることがわかる.これより、1/R制御は、フィードバック経路の主要部分を生体側が受け持った特殊なフィードバック制御であり、1/R制御関数はそのフィードバック経路の一部を形成するだけの関数であると考えられる.また、1/R制御関数は、(1)個体差に左右されない関数である、(2)生理的パラメータで記述された汎用関数であるため、基本的にはどのような人工心臓にも応用可能である、という特色を持つ.

 以上より、1/R制御は、従来の完全人工心臓の制御法と比較して格段に優れた自動制御法であり、また現時点においては自然心臓の制御に最も近い制御法である.1/R制御を含めた自動制御の問題点としては、計測系に関係したトラブルが無視できないため、実用化のためには計測系に関する改善が必要である.

審査要旨

 本研究は、完全人工心臓の生理的な制御を実現することを目的として、生体自身による完全人工心臓の制御という新しい概念により、心臓が切除された完全人工心臓において唯一生体自身が制御可能な末梢血管抵抗に着目し、末梢血管抵抗の逆数(1/R)を基本入力とした自動制御法を1/R制御と名付け、心拍出量を計算する関数を構築することにより、日常活動時から運動時までの制御を一つのロジックで完全に自動的に行う制御を試みたものであり、以下の結果を得ている.

 1.1/R制御により、長期的にも安定した制御が可能であることを慢性動物実験により示し、空気圧駆動式完全人工心臓の動物実験としては世界最長生存記録にあたる最長360日の生存を得た.

 2.従来行われてきた心拍出量を正常値に保つように駆動条件を固定する固定駆動では、右心房圧や大動脈圧の上昇など循環系パラメータに異常を伴うが、1/R制御では循環系パラメータに異常はみられず、またこれらは長期的にも生理的な値を維持していた.

 3.固定駆動では、心拍出量は24時間にわたりほぼ一定に保たれているが、1/R制御では、自然心臓と同様に、心拍出量は生体の状態により絶えず変動し、その変動状態も自然心臓と同様となっていた.

 4.上半身下半身の血流量の分配状態をみると、固定駆動では心拍出量が一定のため上半身と下半身に血流量の奪い合い現象がみられるが、1/R制御では自然心臓と同様に心拍出量は上半身や下半身の要求量を反映して変動していた.

 5.運動負荷を与えると、心拍出量は自動的に増加し、このときの拍動数増加率のプロファイルは自然心臓における心拍数増加率のそれらとほぼ同様であり、人工心臓の最大拍出量までは、1/R制御が自然心臓に匹敵する制御性を持っていた.

 6.固定駆動では、甲状腺ホルモンの低下や軽度の貧血などの病態がみられるが、1/R制御では、生化学データやホルモン値に異常は見られず、長期制御例では貧血も改善し、心拍出量がヘマトクリット値の低下に伴い増加するという生理的な関係がみられた.

 以上、本論文は完全人工心臓の新しい制御法により、完全人工心臓において従来より問題となっていた循環系パラメータの異常や制御性が悪いといった制御上の問題点を全て解決したものであり、完全人工心臓を装着した患者に健常人と同等な生活を可能とする制御法として、完全人工心臓の研究に重要な貢献をなすと考えられる.また、本論文は生体の循環制御系の解明にも役立つものと考えられ、さらに、生体に関数を与えて、生体がこの関数を用いて自身で循環系を制御できたということは、生体制御という観点からみても極めて異色のものであり、生体制御の研究分野においても重要な貢献をなすものと考えられる.以上より、本研究は医学の発展に寄与することが多いと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる.

UTokyo Repositoryリンク