内容要旨 | | 自殺既遂者を対象とした臨床研究として,近年欧米においては,心理学的剖検法(psychological autopsy)による研究が中心となりつつある。それらの報告において,最も衝撃的であったのは.既遂者における精神障害の頻度の著しい高さであり,中でもうつ病と,次いでアルコール症が注目されている。日本では,心理学的剖検法による既遂者研究は方法論的困難にもよりほとんど行なわれていない。したがって既遂者に占める精神障害の割合については,警察資料などにもとづいた検討がなされている程度である。本研究は,主に自殺と精神障害に関する検討を行なうものである。ただし既遂者を直接の対象とするのではなく,三次救急施設に収容された自殺患者のうちより,生命的危険性の高い企図手段をもちい,既遂者に準ずるとみなしうる一群を抽出し,検討の対象とするものである。 都内,墨田,江東,江戸川,葛飾4区を管轄診療圏とする,都立墨東病院救命救急センターに収容された6年間(1986-1991年)の自殺企図者は423名である。このうち本人ないし家族の精神科面接,照会状などにより精神科診断が可能であった者265名(退院時転帰;意識回復256名,持続性植物状態ないし重度神経障害5名,死亡4名)を主たる調査対象として診療録より後向き調査を行なった。同期間に入院となった自殺未遂のうち,意識回復者については全例が調査対象に含まれている。また比較のため,その他の既遂群153名についても診療録の救急医の記載より同様の調査を行なった。 つぎに調査対象265名を,自殺企図手段そのものの生命的危険性に応じて,各手段ごとに絶対的危険群(AD群)(133名)と相対的危険群(RD群)(132名)とに分けた。AD群は,一部死亡者を含み,他はすべて自殺失敗者として既遂者に準ずるとみなしうるものである。 各診断の割合(AD群対RD群)を見ると,分裂病・妄想性障害(35%対30%),うつ病(21%対11%),精神作用物質性障害(19%対7%)その他(性格障害,反応性・神経症性抑うつ状態,精神障害なしと診断された者の合計)(25%対49%)であり,精神作用物質性障害を含む狭義の精神障害の割合はAD群で75%ときわめて高く,RD群の48%を上回っている。 AD群を年齢層別に,若年層(30歳未満),中年層(30-49歳),高年層(50歳以上)に分け各診断割合を見ると,若年層でもっとも多いのは分裂病・妄想性障害52%であり,高年層でもっとも多いのはうつ病48%である。またアルコール症を中心とした精神作用物質性障害は中年層で22%ともっとも割合が高い。 警察庁統計によれば「アルコール症・精神障害」を原因とした自殺は2割弱とされている。また既遂群153名中では約30%にアルコール症を含む狭義の精神障害の存在が推定された。しかし多くの者は事情不明であり,精神障害の実際の割合はさらに高いものと推測される。 既遂者集団に準ずるとみなしうるAD群において,精神作用性物質障害を含む狭義の精神障害の割合がきわめて高いという事実は,自殺予防においては,まず精神障害の自殺防止がもっとも重要な課題となることを裏づけるものである。また高年層ではうつ病をとくに重視する必要があるが,若年層では欧米と異なり分裂病ないしそれに近縁する病態を第一に重視する必要があるといえる。 なお自殺の危険因子とされる単身生活,未婚,離婚,無職などの社会生活状況や,過去の未遂歴,精神科治療歴は,RD群にも多く認められ,とくにAD群に多く見られる因子はない。この結果は,これらの危険因子にもとづいて将来の既遂者を予知することの困難をうかがわせるものである。 同センターの管轄診療圏である都東部4区内における同時期の6年間の自殺死亡者の年齢層別割合と,AD群の年齢層別の診断比率をもとに,自殺者における精神障害の割合の推計を試みた。その結果,自殺者に占める精神障害の割合は,抑うつ性障害圏46%,精神病圏26%,物質乱用性障害圏18%と推計される。これらを合わると90%に上り,欧米におけるこれまでの心理学的剖検法による既遂者研究の結果と同様に,日本においても自殺既遂者に占める精神障害の割合が高いことが推定される。 AD群の分裂・妄想性障害の状態像では幻覚妄想状態が67%と多く,自殺の要因として病的異常体験の存在が重要と考えられる。しかし病的異常体験の存在と,従来強調されてきた抑うつ感情や絶望感との関係についてはさらに詳しい検討を要すると考えられる。アルコール症と診断された者のうち9割は治療歴がなく,約6割は幻覚妄想,異常酩酊,せん妄などのアルコール精神病を呈している。したがって未治療のアルコール症の自殺では,アルコール精神病が関与している割合は従来の報告よりも多いことが推測される。 精神障害なしと診断された者では,動機として対人的問題が多いが,元来の人格形成上にも問題のある者が多い。今回の調査では,それらのの未遂者の中に,いわゆる「合理的自殺」(rational suicide)と思われる者は認められなかった。 なお付録資料として,上記4区内にて同期間(1986-1991年)に発生した自殺死亡者1562名ならびに救急隊搬送自損者(自殺企図者)2224名の実態をあわせて検討した。 4区内の救急隊搬送自損者の特徴を重症度別に見ると,より重症例となるほど既遂者集団に近似し,男性の割合が多く,年齢層が高く,縊首,飛び降り,などの苛酷な手段が多くなる。逆に生命的危険性のないより軽症例では,若年女性の割合が多く,手段として服薬と刃物が多くを占める。したがって既遂者と軽症未遂者とではその特徴が大きく異なるが,既遂者と重症未遂者では共通する部分が大きくなる。 (以上) |