学位論文要旨



No 211783
著者(漢字) 住田,敏之
著者(英字)
著者(カナ) スミタ,トシユキ
標題(和) 硬変肝における急性相蛋白合成障害に関する臨床的・実験的検討 : IL-6および手術侵襲に対する反応を中心に
標題(洋)
報告番号 211783
報告番号 乙11783
学位授与日 1994.04.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11783号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 出月,康夫
 東京大学 教授 小俣,政男
 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 山口,宣生
 東京大学 教授 小林,寛伊
内容要旨 I.研究目的

 外科侵襲時、肝ではC-reactive protein(CRP)や1-acid glycoprotein(1AGP)などの生体防御に不可欠な急性相蛋白の合成が亢進する。肝細胞での急性相蛋白合成を促進する主たるメディエータはinterl eukin-6(IL-6)であるとされ、侵襲時の急性相蛋白合成亢進の機序は、IL-6を中心に検討されてきた。

 一方、肝硬変併存患者では重篤な術後合併症の好発に、急性相蛋白合成障害D関与が指摘されている。しかし、肝硬変併存手術症例におけるIL-6産生と急性相蛋白合成との関連は明かにされていない。

 そこで本研究では肝硬変でのIL-6産生と急性相蛋白合成の関連を解明するため、臨床的・実験的検討を行なった。臨床検討では肝硬変併存手術症例を中心に術後の血中IL-6と急性相蛋白の推移をみ、これらと肝障害の程度との関係を検討した。さらに硬変肝の急性相蛋白合成障害をより詳細に検討するため、硬変肝ラットでのrecombinant human IL-6(rhIL-6)腹腔内投与後、および手術侵襲後の肝における2-macroglobulin messenger RNA(2M mRNA)の発現をノーザンプロット法で解析した。なお2Mはラットの代表的な急性相蛋白である。

II.臨床的検討1.研究方法

 1990年12月から1年間に東京大学第一外科で施行した手術症例26例を対象とした。内訳は肝硬変併存肝切除術7例、肝硬変非併存手術19例(肝切除3、胃切除8、食道切除8例)である。これらの術前、術直後、術後1、3日目にIL-6、CRP、1AGPの末梢血中濃度を測定した。

2.成績

 1)術後CRP、1AGP濃度は、肝硬変併存肝切除例では肝硬変非併存手術例より有意に低値であった。術後IL-6濃度は、肝硬変併存肝切除例では肝硬変非併存胃切除例より有意に高値をとったが、肝硬変非併存肝切除例とは有意差がなかった。

 2)術直後、術後1日目のIL-6濃度は、手術時間と正相関があった。

 3)肝硬変併存肝切除例では、術前ICG R15と術後1日目のIL-6濃度との間に正相関があった。

 4)術直後のIL-6と術後1日目のCRPの間には、肝硬変非併存手術例では正相関を認めたが、肝硬変併存手術例では逆に負相関を認めた。

III.動物実験1.研究方法

 0.05%thioacetamide(TAA)水溶液を8-12か月(初期肝硬変ラットは6か月)飲水させて作製した約300gの硬変肝SDラットのうちkICGが0.06〜0.09/minの50匹と、正常肝対照52匹を用いた。

1)IL-6に対する硬変肝ラットの急性相蛋白合成反応

 a)IL-6、4×104units(U)/1匹を正常肝、硬変肝ラット(以後両群と表記)へ腹腔内投与(i.p.)し、その2、4、6、8、10時間後に肝臓を採取し、肝2M mRNA発現量を測定した。発現が最大となったi.p.6時間後の発現量を両群各6匹ずつで比較した。

 b)IL-6、2×104U/1匹(1/2量)、8×104U/1匹(2倍量)をi.p.し、a)で発現が最大となったi.p.6時間後の発現量を、各投与量において両群各4匹ずつで比較した。

 c)TAA 6か月投与後の初期肝硬変ラットにIL-6、4×104U/1匹i.p,し、その6時間後に肝2M mRNA発現量を測定し、a)の硬変肝ラットと比較した。

2)手術侵襲に対する硬変肝ラットの急性相蛋白合成反応

 a)上腹部単開腹術後の肝2M mRNA発現を両群各4匹ずつで比較した。

 b)左腎摘8、16、24時間後の肝2M mRNA発現量を測定し、発現が最大となった16時間後の発現量を両群各6匹ずつで比較した。

3)RNA解析法

 肝組織よりRNAを抽出し、ノーザンブロット、ハイブリダイゼーションを施行した。2M mRNA発現量の定量にはバイオイメージアナライザーBAS2000による計測と、スロットブロットを併用した。

2.成績1)IL-6に対する硬変肝ラットの急性相蛋白合成反応

 a)IL-6投与前のラットの肝2M mRNA発現量は、両群間で有意差はなく、この発現量を1(以後前値と表記)として、他の発現量を相対的に表示した。

 b)IL-6、4×104U/1匹i.p.2、4、6、8、10時間後の肝2M mRNA発現量は、正常肝ラットで各々前値の1、1.2、6.4、2.4、1.4倍であり、i.p.6時間後にピークとなった。しかし硬変肝ラットでは、IL-6i.p.による発現量の増加は、i.p.後のどの時間でもみられなかった。i.p.6時間後の発現量は、両群間で有意差があった(p<0.001)。またi.p.6時間後の発現量と前値との間には正常肝ラットでは有意差を認めたが(p<0.001)、硬変肝ラットでは有意差がなかった。

 c)IL-6、2,4,8×104U/1匹i.p.6時間後の肝2M mRNA発現量は、正常肝ラットでは各々前値の2.0、6.4、5.7倍で、前2者間ではIL-6投与量増加に応じて有意な発現の増加を認めたが(p<0.001)、後2者間に有意差はなかった。一方、硬変肝ラットでは、各々前値の1.0、0.9、0.8倍で、前値に対する有意な発現の増加はなかった。また各投与量において、両群の発現量の間に有意差を認めた(p<0.001,p<0.001,p<0.01)。

 d)TAA6か月投与後の初期肝硬変ラットへのIL-6、4×104U/1匹i.p.6時間後の肝2M mRNA発現量は前値の6.2倍で、TAA 8-12か月投与後の硬変肝ラットとの間に有意差を認めたが(p<0.001)、正常肝ラットとの間には有意差がなかった。

2)手術侵襲に対する硬変肝ラットの急性相蛋白合成反応

 a)単開腹16時間後の肝2M mRNA発現量は、両群で各々前値の1.4、1.5倍であり、有意差はなかった。

 b)腎摘8、16、24時間後の肝2M mRNA発現量は、正常肝ラットでそれぞれ前値の12、43、26倍、硬変肝ラットでは、4、11、11倍であり、共に腎摘16時間後にピークとなった。腎摘16時間後の発現量は、両群間で有意差があった(p<0.001)。

IV.考察

 肝硬変併存肝切除例の術後のCRP、1AGP濃度は、肝硬変非併存手術例より有意に低かったが、肝切除範囲と術後のCRP、1AGP濃度の間には関連がなく、かつ肝硬変非併存肝切除例と比較しても術後のCRP、1AGP濃度が低値をとった。従って肝硬変併存肝切除術後のCRP、1AGP濃度の有意な低値には、肝切除に伴う肝の容積の減少だけでなく、硬変肝での急性相蛋白合成障害が関与していると考えられる。

 一方、最近では侵襲時の肝での急性相蛋白合成のメディエータとしてIL-6が重視されている。今回の検討でも、IL-6濃度は術直後に最高値をとり、約1日遅れて急性相蛋白濃度が上昇した。また術直後のIL-6濃度と手術時間の間には正相関があり、IL-6濃度が手術侵襲の大きさを反映することが示唆された。そして肝硬変非併存手術例では、術直後のIL-6と術後1日目のCRPの間に正相関を認め、手術侵襲に対するIL-6産生増加が肝での急性相蛋白合成を亢進させるという、これまでの報告を支持する成績が得られた。

 しかし、肝硬変併存肝切除例では逆に、術直後のIL-6と術後1日目のCRPの間に負相関を認め、硬変肝では術後のIL-6濃度が増加しているものほど、急性相蛋白合成が障害されていた。さらに肝硬変併存肝切除例では、肝予備能の指標のひとつである術前ICG R15と術後1日目のIL-6濃度との間に正相関があり、肝硬変が高度であるほど術後のIL-6濃度が高かった。

 以上より肝硬変併存肝切除例では、肝硬変が高度であるほど術後血中IL-6濃度は高値をとるが、これにみあった肝での急性相蛋白の合成亢進がおきず、硬変肝では、IL-6に対する急性相蛋白合成反応が障害されていることが示唆された。

 今回の臨床検討では、硬変肝でのIL-6に対する急性相蛋白合成反応の障害が示唆されたため、硬変肝ラットを用いてIL-6と肝細胞での急性相蛋白合成の関係をより詳細に検討した。単位肝細胞あたりの蛋白合成能の比較には、蛋白の血中濃度測定よりもその蛋白の肝細胞中mRNAの測定の方が有用である。通常mRNA発現量は対応する蛋白の合成量に比例するので、mRNAの測定により、単位肝細胞あたりの蛋白合成能の比較が可能となる。そこで正常肝と硬変肝の急性相蛋白合成能を比較するため、肝での2M mRNA発現量を測定した。

 まずIL-6腹腔内投与実験では、肝2M mRNA発現の増加は正常肝では認められたが高度肝硬変では認められず、肝硬変ではIL-6に対する肝での急性相蛋白合成反応が障害されていること、また初期肝硬変ラットとの比較から、肝硬変の重症化に伴いIL-6に対する反応が悪化することが判明した。

 次に手術侵襲後の肝での2M mRNA発現を検討した。単開腹では、侵襲が小さすぎて発現量が両群共ごく少なく、急性相蛋白合成能の比較には適さないため、摘出時間が短く、無菌操作が容易で、肝血流への影響も少ない左腎摘出術を施行した。術後の肝2M mRNA発現量は、高度肝硬変では正常肝の約1/4にすぎず、肝硬変では手術侵襲に対する急性相蛋白合成反応が障害されていることが明かとなった。

 また腎摘後では、両群共IL-6腹腔内投与後よりはるかに強い2M mRNAの発現が認められたことから、腎摘という手術侵襲が加わった際には、副腎皮質ホルモン等、急性相蛋白合成を促進するIL-6以外の因子もその産生・分泌が増加し、より強い発現が認められたと考えられた。

V.結論

 高度肝硬変では、IL-6や手術侵襲に対する肝での急性相蛋白合成反応が障害されていることが、臨床的にも実験的にも明かとなった。さらに実験的には、術後の急性相蛋白合成にはIL-6のみならず、他の急性相蛋白合成促進因子の作用も重要であると考えられた。

審査要旨

 本研究は、肝細胞での急性相蛋白合成を促進する主たるメディエータであるinterleukin-6(IL-6)産生と生体防御に不可欠な急性相蛋白の合成との関連を、硬変肝において解明するため、肝硬変併存手術症例を中心とした臨床的検討と、recombinant human IL-6(rhIL-6)腹腔内投与後、および手術侵襲後の硬変肝ラットを用いた実験的検討を行い、下記の結果を得ている。

 1.肝硬変併存肝切除術7例、肝硬変非併存手術19例(肝切除3、胃切除8、食道切除8例)の術前後のIL-6、C-reactive protein(CRP)や1-acid glycoprotein(1AGP)の末梢血中濃度を測定した結果、術後CRP、1AGP濃度は、肝硬変併存肝切除例では肝硬変非併存手術例より有意に低値であった。また肝硬変非併存手術例では、術直後のIL-6と術後1日目のCRPの間には正相関を認め、手術侵襲に対するIL-6産生増加が肝での急性相蛋白合成を亢進させるという、これまでの報告を支持する成績が得られた。

 しかし、肝硬変併存肝切除例では逆に、術直後のIL-6と術後1日目のCRPの間に負相関を認め、硬変肝では術後のIL-6濃度が増加しているものほど、急性相蛋白合成が障害されていた。さらに肝硬変併存肝切除例では、肝予備能の指標のひとつである術前ICG R15と術後1日目のIL-6濃度との間に正相関があり、肝硬変が高度であるほど術後のIL-6濃度が高かった。

 以上より肝硬変併存肝切除例では、肝硬変が高度であるほど術後血中IL-6濃度は高値をとるが、これにみあった肝での急性相蛋白の合成亢進がおきず、硬変肝では、IL-6に対する急性相蛋白合成反応が障害されていることが示唆された。

 2.正常肝と硬変肝の急性相蛋白合成能を比較するため、ラットでのrhIL-6腹腔内投与後、および手術侵襲後の肝における2-macroglobulin messenger RNA(2M mRNA)の発現をノーザンブロット法で解析した。なお2Mはラットの代表的な急性相蛋白である。硬変肝ラットは、0.05%thioacetamide(TAA)水溶液を8-12か月(初期肝硬変ラットは6か月)飲水させて作製した。

 2-1 ラットの腹腔内にIL-6を投与したところ、肝2M mRNA発現の増加は正常肝では認められたが高度肝硬変では認められず、肝硬変ではIL-6に対する肝での急性相蛋白合成反応が障害されていることが判明した。また初期肝硬変では正常肝とほぼ同等の発現の増加が認められ、肝硬変の重症化に伴いIL-6に対する反応が悪化することが判明した。

 2-2 ラットに手術侵襲を加え、その後の肝での2M mRNA発現を検討した。単開腹では、侵襲が小さすぎて発現量が両群共ごく少く、急性相蛋白合成能の比較には適さないため、摘出時間が短く、無菌操作が容易で、肝血流への影響も少い左腎摘出術を施行した。術後の肝2M mRNA発現量は、高度肝硬変では正常肝の約1/4にすぎず、肝硬変では手術侵襲に対する急性相蛋白合成反応が障害されていることが明かとなった。

 また腎摘後では、両群共IL-6腹腔内投与後よりはるかに強い2M mRNAの発現が認められたことから、腎摘という手術侵襲が加わった際には、副腎皮質ホルモン等、急性相蛋白合成を促進するIL-6以外の因子もその産生・分泌が増加し、より強い発現が認められたと考えられた。

 以上、本論文は肝硬変併存手術症例を中心とした臨床的検討と、硬変肝ラットを用いた実験的検討により、高度肝硬変では、IL-6や手術侵襲に対する肝での急性相蛋白合成反応が障害されていることを明かにした。本研究はこれまで明かにされていなかった肝硬変併存手術症例における術後の急性相蛋白合成障害の原因の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/53866