学位論文要旨



No 211789
著者(漢字) 原田,久也
著者(英字)
著者(カナ) ハラダ,キュウヤ
標題(和) ダイズ11Sグロブリンに関する遺伝生化学的研究
標題(洋)
報告番号 211789
報告番号 乙11789
学位授与日 1994.05.09
学位種別 論文博士
学位種類 博士(農学)
学位記番号 第11789号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 武田,元吉
 東京大学 教授 荒井,綜一
 東京大学 教授 鵜飼,保雄
 東京大学 教授 平井,篤志
 東京大学 助教授 長戸,康郎
内容要旨

 ダイズは作物中で種子タンパク質含量が最高であることや,単位面積当りのタンパク質収量が高いこと,食品加工素材として優れていることなどの理由から植物タンパク質源として最も重要な作物である。ダイズ種子タンパク質の約70%は7Sグロブリンと11Sグロブリンで占められる。これらのタンパク質に関する物理化学的及び食品化学的研究は多いが,ダイズの種子タンパク質生産能を高度に利用するためには更に遺伝学的研究が必要である。

 本研究では栄養性,機能性の上で7Sグロブリンより優れている11Sグロブリンについて,その遺伝的変異の解析法を確立し,遺伝的変異の探索,サブユニットの遺伝解析を行った。また登熟中の11Sグロブリンの量的,質的変化,11Sグロブリンの合成蓄積と細胞内顆粒との関係を分析した。更に近縁野生種の11Sグロブリンの特性を明らかにすると共に,ダイズ11Sグロブリンの栄養性,機能性改変の手法を考察した。

1.ダイズ11Sグロブリンの解析手法

 11Sグロブリンに関する遺伝的変異を考えるとき,ダイズグロブリン中の11Sグロブリンの割合,11Sグロブリン分子の多様性,11Sグロブリンサブユニットの多型が問題になる。遺伝的変異を解析するときには多数の試料を扱うため,簡便で再現性がよく,精度の高い手法を探索した。

 その結果,ダイズグロブリン組成の解析には非変性のDavisの方法,11Sグロブリン分子種の解析には戸田と長尾の方法を一部改変した等速電気泳動法,11Sグロブリンサブユニットの解析にはLaemmliのSDSポリアクリルアミドゲル電気泳動法,Kitamuraの方法を改良したアルカリ尿素系電気泳動法,尿素を含む等電点電気泳動法が適していた。サブユニットの2次元泳動法として,尿素を含む等電点電気泳動法-SDSポリアクリルアミドゲル電気泳動法,アルカリ尿素系電気泳動法-SDSポリアクリルアミドゲル電気泳動法,尿素を含む等電点電気泳動法-アルカリ尿素系電気泳動法の3種とも利用可能であった。本研究では酸性サブユニットの変異を中心に解析するため,特にKitamuraの方法を改良したアルカリ尿素系電気泳動法を中心に用いた。改良した点はより鋭いスターティング帯を形成させるため,試料用ゲルのイオン強度を分離用ゲルの1/5として,試料は8M尿素,0.2M2-メルカプトエタノールに溶解した。また分離用ゲル中でのバンドの拡散を防ぐため,分離用ゲルのアクリルアミド濃度に6〜11%の濃度勾配をつけた。多数の試料を同一条件で泳動するため,泳動用ガラスセル,泳動槽を新たに開発し,泳動用緩衝液が直接ゲルの先端に触れるように設計した。

2.登熟に伴う11Sグロブリンの変化

 11Sグロブリンは一般に登熟期間の約1/3を経過した時期から子葉あたりの蓄積量が1mg以上になりA5サブユニットを保有する品種では登熟中期に急速に蓄積量が増加するが,A5を欠く品種ではゆるやかに増加して完熟期の11Sグロブリンの蓄積量も前者より少いことが明らかになった。登熟期間の約1/3に達した時期の11Sグロブリンは完熟期のものに比較するとA4,A5サブユニットが少く,11Sグロブリン分子種も異っていた。11Sグロブリンの蓄積が盛んな登熟中期から後期の子葉細胞には0.1〜0.3の比較的電子密度の高い多くの小胞が認められるが,細胞分画によって得た小胞画分にはタンパク質顆粒に存在する11Sグロブリンとは異る11Sグロブリンが見い出された。このタンパク質は分析用超遠心分離では11Sグロブリンと同じ沈降定数を示すが,非変性のDavisの電気泳動では移動度が高かった。2-メルカプトエタノール存在下のアルカリ尿素系電気泳動法では酸性,塩基性サブユニットを生じることからすでに中間サブユニット前駆体が切断され,ジスルフィド結合を生じていることがわかった。電子顕微鏡観察により,にの小胞は11Sグロブリンのタンパク質顆粒への蓄積に重要な役割を果たしていることが示唆された。

3.ダイズおよびツルマメにおける11Sグロブリンの変異と遺伝解析

 11Sグロブリンを非変性のDavisの電気泳動法により分析すると移動度の異る3つのグループに分類された。移動度の最も低いグループは他のグループのものに比較して11Sグロブリンの半分子の量か多く,7Sグロブリンに対する11Sグロブリンの割合が低かった。また等速電気泳動法によると最も移動度の高い11Sグロブリンに存在する等電点の低い分子種が欠失しており,A5サブユニットが欠失していた。

 A5サブユニットの欠失は北海道を除き,日本の在来種または在来種から選抜された品種の約25%に見い出された。日本の育成品種の60%以上がA5欠失であった。分析した範囲では北海道やアメリカ合衆国の品種にはA5欠失が見い出せなかった。韓国の品種はA5欠失が5%程度であったが,ネパールの品種は50%以上がA5欠失であった。中国の品種を分析することができればA5欠失の地理的分布,他の形質との遺伝的相関等について有用な情報が得られることが期待される。

 遺伝分析の結果,A5サブユニットの有無は1遺伝子座の2つの対立遺伝子によって支配されていること,A5サブユニットの遺伝子量が11Sグロブリンの蓄積量のひとつの要因になっていることが明らかとなった。A5サブユニットの有無と毛茸色,花色,種皮色との遺伝的関連は見い出せなかった。

 ツルマメ11SグロブリンのA5サブユニットは含量が一般にダイズより高く,ダイズとは異る特性を持つことが示唆された。すなわちN末端アミノ酸配列がダイズと異ること,ダイズのようなA5欠失が見い出せないこと,A5欠失には等電点が低く,分子量の小さい新規なサブユニット(A5a)が見い出されたこと,11Sグロブリンの精製の過程でA5サブユニットが失なわれることがあることが明らかとなった。

 A4サブユニットはアルカリ尿素系電気泳動で識別できるバンドの数は通常1本であるが,品種によって3本のものが見い出された。T229の場合,調製用等電点電気泳動法で4種類のA4類似サブユニットが単離され,見かけの分子量は同一であったが,等電点,N末端アミノ酸配列,CNBrフラグメントに差異が見い出された。11Sグロブリンサブユニット中に占めるA4サブユニットの含量についても大きな差異が存在した。ツルマメの中には通常のA4よりもアルカリ尿素系電気泳動法で移動度の高いものが存在し,この変異は1遺伝子座の共優性対立遺伝子によって支配されていることが明らかになった。

 グループIサブユニットについてもA0欠失,A0よりも等電点の高い酸性サブユニットの存在,A0,A1同時欠失,A3欠失等多くの変異が見い出された。グループI酸性サブユニットの異る品種間の交雑では,F2種子で両親とF1種子のサブユニット型しか分離せず,グループIサブユニットを支配する遺伝子は強く連鎖していることが示唆された。

 グループI酸性サブユニット,A4サブユニット,A5サブユニットの変異を利用した遺伝分析から各々の遺伝子座は互いに独立であることが明らかとなった。各々の遺伝子座をGly-1,Gly-2,Gly-3と名づけた。各遺伝子座には11Sグロブリンサブユニットの遺伝子がクラスターとなって存在しており,一般に全体で5個以上の遺伝子が存在することが示唆された。

4.Glycine亜属植物の11Sグロブリン

 ダイズ11Sグロブリンに対する抗体に対して,Glycine属植物の8つの種の脱脂種子粉末から標準緩衝液で抽出したタンパク質を免疫二重拡散法で反応させた結果,Glycine属全体に11Sグロブリンが存在するが,Bracteate亜属とSoja,Glycine亜属の間では抗原決定基に差異が存在することがわかった。蔗糖密度勾配遠心によりG.wightiiを除いて冷沈画分に11Sグロブリンが濃縮されていることが確かめられた。

 Glycine亜属植物の11Sグロブリンには分子量の大きい中間サブユニット(61〜74kd)とそれを構成する分子量の大きい酸性サブユニット(48〜55kd)が存在しており,ダイズやツルマメに存在するA4が欠失していた。Glycine亜属植物のもうひとつの主要な中間サブユニットは約58kdであり,ダイズやツルマメの主要な中間サブユニットと分子量はほぼ同じであったが,それを構成する酸性サブユニットは平均的にダイズよりやや小さく(36kd),塩基性サブユニットはやや大きかった(21kd)。G.tomentella,G.tabacine,G.latifolia,G.falcataの場合は36kdの酸性サブユニットの等電点はダイズと比較すると大きく塩基性側に偏って分布していた。一方G.canescensやG.clandestinaではダイズと同じ程度の等電点であった。

5.11Sグロブリンの遺伝的制御

 以上の結果で明らかになったダイズ11Sグロブリンサブユニットの遺伝子座をDNAマーカー連鎖地図上に位置づける意義と手法について考察した。またダイズ11Sグロブリンサブユニットの変異と各サブユニットのアミノ酸組成及び加熱ゲルのゲル化特性とゲル物性への寄与の差異を考慮して,ダイズ11Sグロブリンの栄養性,機能性の遺伝的改変の戦略を示した。またGlycine亜属の11Sグロブリンサブユニットを含めた外来遺伝子の利用についても議論を加えた。

 以上を要約すると,本研究により,ダイズ及びツルマメの11Sグロブリンの遺伝的変異の解析法が確立され,3つの酸性サブユニット群の遺伝的変異が同定され、それらは各々独立した3つの遺伝子座によって支配されることが明らかになった。またダイズ11Sグロブリンの登熟に伴う量的,質的変化と蓄積に関わる小胞の存在を示した。更にGlycine亜属の11Sグロブリンの特性を解明すると共に,ゲノム研究との関連や,外来遺伝子の利用を含めてダイズ11Sグロブリンの栄養性,機能性の改変の方法を考察した。

審査要旨

 ダイズは作物中で種子タンパク質含量が最高であり,植物タンパク質源として最も重要な作物である。本研究では栄養性,機能性の上で7Sグロブリンより優れている11Sグクブリンについて,その遺伝変異の生化学的解析法の確立を図った。さらに遺伝変異の探索,サブユニットの遺伝解析,登熟中の蓄積経過,近縁野生種(Glycine亜属)での11Sグロブリンの生化学的特性などを検討した。得られた知見の概要は以下の通りである。

1.ダイズ11Sグロブリンの解析手法

 ダイズグロブリン中の11Sグロブリンの割合,11Sグロブリン分子の多様性,サブユニットの多型などを解析するため,簡便で再現性・精度の高い手法を探索した。その結果,グロブリン組成の解析には非変性のDavisの方法,11Sグロブリン分子種の解析には改良等速電気泳動法,サブユニットの解析には3種類の改良電気泳動法が適していた。とくに本研究では酸性サブユニットの変異を中心に解析するために,Kitamuraの方法を改良したアルカリ尿素系電気泳動法をおもに用いることとした。さらに多数の試料を同一条件で泳動するため,泳動用ガラスセル,泳動槽を開発し,泳動用緩衝液が直接ゲルの先端に触れるように設計した。

2.登熟に伴う11Sグロブリンの変化

 11SグロブリンのA5サブユニットを保有する品種と,A5を欠く品種が見出された。A5サブユニットを保有する品種では登熟中期に急速に蓄積量が増加するが,A5を欠く品種ではゆるやかに増加して完熟期の11Sグロブリンの蓄積量も前者より少ないことが明らかになった。11Sグロブリンの蓄積が盛んな登熟中期から後期の子葉細胞には1〜0.3の比較的電子密度の高い多くの小胞が認められたが,細胞分画によって得た小胞画分にはタンパク質顆粒に存在する11Sグロブリンとは特性の異なる11Sグロブリンが見出された。電子顕微鏡観察により,この小胞は11Sグロブリンのタンパク質顆粒への蓄積に重要な役割を果たしていることが示唆された。

3.ダイズおよびツルマメにおける11Sグロブリンの遺伝変異

 11Sグロブリンを非変性のDavisの電気泳動法により分析すると移動度の異なる3グループに分類された。移動度の最も低いグループはA5サブユニットが欠失していた。A5サブユニット欠失は北海道を除き,日本の在来種または在来種から選抜された品種の約25%に見出された。日本の育成品種では60%以上がA5欠失であった。分析した範囲では北海道やアメリカ合衆国の品種にはA5欠失が見出せなかった。韓国その他の国についても特徴のある結果が得られた。

 遺伝分析の結果,A5サブユニットの有無は1遺伝子座の2種類の対立遺伝子によって支配されていること,A5サブエニットの遺伝子量が11Sグロブリンの蓄積量のひとつの要因になっていることが明らかとなった。

 ダイズ祖先種のツルマメではA5サブユニットは一般にダイズより含量が高く,N末端アミノ酸配列がダイズと異なり,A5欠失が見出せず,新規なサブユニット(A5a)が見出されることなどが明らかとなった。

 A4サブユニットはアルカリ尿素系電気泳動で識別できるバンド数は通常1本であるが,品種によって3本のものが見出された。グループIサブユニットについてもA0欠失を始めとする多くの変異が見出された。これらのグループI,A4,A5サブユニットの遺伝子座は互いに独立であった。各遺伝子座には5個以上の遺伝子がクラスターとなっていることが示唆された。

4.Glycine亜属植物の11Sグロブリン

 Glycine亜属では分子量の大きい中間サブユニット(61〜74kd)とそれを構成する分子量の大きい酸性サブユニットが存在していたが,A4が欠失していた。その他,Glycine亜属とダイズとの相違点をいくつか指摘することができた。

5.11Sグロブリンの遺伝的制御についての考察

 以上の結果で明らかになったダイズ11Sグロブリンサブユニットの遺伝子座をDNAマーカー連鎖地図上に位置づける意義と手法について考察した。また,11Sグロブリンの栄養性;機能性の遺伝的改変の戦略を示した。

 以上を要約すると,本研究によりダイズおよびツルマメの11Sグロブリンの遺伝的変異の解析法が確立された。さらにGlycine亜属まで含めた遺伝変異について多くの生化学的知見が得られた。これらの成果は学術上,応用上寄与することが大きい。よって審査員一同は申請者に博士(農学)の学位を与える価値があることを認めた。

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