非晶質物質の構造は、並進対称性を持つ結晶と違い秩序度が低いために、言い替えれば自由度が大きく複雑であるために、現在に於いても十分に理解されていない。この構造に対する知識の欠如は、非晶質物質の特性の原子レベルでの理解だけでなく、非晶質状態の本質、即ち液体や結晶に対比して如何なる状態にあるのかをを解明する上での最も大きな障害となっている。本研究では、分子動力学を用いた計算によって非晶質構造中に潜む配向秩序を探求することで、液体→非晶質遷移や疑弾性変形の微視的機構について調査した。 ある原子とその回りの最隣接原子で定義されるクラスターのトポロジーやクラスター間の方位相関を調べるために、以下に示す表す形状因子変数と方位相関関数を導入した。即ち、まずi番目の原子を中心としその最隣接原子を頂点とする多角形をi番目のクラスターと定義し、そのクラスターの方位を中心原子iとその回りの最隣接原子の間の結合と外部座標系の角度(,)で規定される球面調和関数、Yla(,)、の和,qiaで表す。 ここにi及びjはそれぞれ中心原子及びその最隣接原子の位置座標を表す。またクラスターの位置を中心原子の位置で表し、クラスター間の距離の関数として相関関数Jt(r)を下記のように定義する。 これはクラスター間の方位相関を表すが、それに加えてそのr=0での値 はクラスターのトポロジーを表す因数として用いることができる。 さらにFig.1に示す連結した二つの正二十面体がこれらの正二十面体の中心を結ぶ直線の垂面に対して互いに鏡映対称の関係にあることに着目し、この方位関係を表す以下のような相関関数、Ktを導入した。 Fig.1 正二十面体型クラスターの間の二種類の単純連結 ここでRij=R(i-j)i-jはの方向に対する垂面に対してクラスターの座標を鏡映反転するオペレーターであり、RR…RRはi番目のクラスターとj番目のクラスターが複数の単純連結によって接続されている場合、各連結に対応するRを連結の順に乗ずることを意味する。これによって、上述のような鏡映対称を含んだ方位相関があれば、正の大きな相関として観測されるはずである。 Modified Johnson Potentialを用いた分子動力学による1000もしくは4394個の粒子からなるの単原子非晶質構造模型について、上述のクラスターの形状因子と方位相関を計算した。その結果、非晶質遷移温度(Tg)以下の温度では、各クラスターについてのiであるの分布にはFig.2に示すように二つのピークがあり、が0.3以上の小さなピークに対応するクラスターが正二十面体に近いトポロジーを持っていることがわかった。そこで、このが0.3以上の正二十面体型クラスターの間の配向の相関を計算した。正二十面体型クラスターについての(2)式のJt(r)は距離rによって符号を反転しながらrの大きなところで急速に減衰する関数となるが、一方(4)式のKt(r)はFig.3に示すように、符号の反転もなく、長距離においても大きな正の値を示す。Onsagerの減衰式、exp(-/r)/r、を用いてFig.3のKt(r)をフィットすると、その相関距離変数、、は15Åにも達する。ここでKt(r)は、互いに第一及び第二隣接となった正二十面体型クラスターが接続もしくは連結されていると定義し、これらの連結によって決まる経路に沿って鏡映反転操作を行ない求めたものである。したがって、一見無秩序にみえる非晶質の構造の中には多数の正二十面体型のトポロジーを持つクラスターが集団化、連結し、この集団の中には鏡映対称性に関連した強い配向秩序がある。また、正二十面体以外のクラスターの場合でも、隣接するクラスター間にはこの鏡映対称性に関連した配向秩序があり、この配向秩序にクラスターのトポロジーを越えた普遍性があることもわかった。 Fig.2 Tg以下の温度(700K)における非晶質模擬構造に対して計算したの分布(折れ線)とフィットにより求めた6次元のガウス分布(実線) 次に、このような正二十面体型の対称性に関与した配向秩序の温度による変化を調査した。上述の構造モデルに対して計算した(2)式のfの温度変化には、Tg(約900K)とそれよりかなり高い1600K近傍の温度(Tg2)に異常点が認められた。この現象は、Fig.4に示すように、の値が0.3以上の正二十面体型のクラスターの数がTg2以下の温度で急速に増加し、この増加がTgで突然凍結することによっている。Tg以上の温度においても、Fig.3に示したものと同様に、正二十面体型クラスターの間には鏡映対称性に関連した強い配向秩序が存在する。つまり、高温における過冷却液体の構造の変化は、正二十面体型クラスターの集団化とそれに伴う鏡映対称性に関連した配向秩序の発達であり、非晶質遷移はこの集団化の凍結として理解される。 Fig.3 Tg以下の温度における非晶質模擬構造に対して計算したKt(r)Fig.4 正二十面体型クラスターの数、NICSの温度変化 さらに興味深いことに、この正二十面体型クラスターの集団化と高温における過冷却液体の比熱の変化には強い関連性があることが示される。正二十面体型クラスターのエネルギーがそれ以外のトポロジーを持つクラスターよりもEbだけエネルギーが低いとする二つのエネルギーレベルからなるモデルと、これらクラスターの完全混合を仮定する。これから正二十面体型クラスターの数(NICS)の温度変化を熱力学的に導出しえるが、これと分子動力学によるTg2以上の温度でのNICSの変化を比較することで、Ebが約0.7eVと求められる。Tg2以下の温度では、鏡映対称性に関連した配向秩序の発達が起こるので、完全混合を仮定することはできない。しかし、Eb・∂NICS/∂T(Tは温度)が比熱に寄与するとして、分子動力学により求めたNICSからTgとTg2の間の温度における正二十面体型クラスター発生の比熱への寄与を見積もることができる。その結果はFig.5に示すように液体金属の比熱変化の実験値に非常に近いものとなる。 Fig.5分子動力学によって求めた正二十面体型クラスターの数の温度変化から予測される過冷却液体の比熱変化 以上のように、過冷却液体の構造中には正二十面体型のトポロジーを持ったクラスターが多数存在し、これらクラスターの間には鏡映対称性に関連した強い配向秩序があることがわかった。さらにこの正二十面体型クラスターの集団化は非晶質遷移や高温での液体における比熱変化と強く関連している。論文中では、これに加えTg以下の温度におけるクリープ変形がやはり正二十面体に関与した六次の球面調和項で表わされる構造異方性を誘導することや、この異方性の緩和と擬弾性変形の関連についても述べている。 |