学位論文要旨



No 211810
著者(漢字) 佐久間,康治
著者(英字)
著者(カナ) サクマ,ヤスハル
標題(和) 残留オーステナイトを含む複合組織高強度薄鋼板の冶金学的特性と熱処理条件
標題(洋)
報告番号 211810
報告番号 乙11810
学位授与日 1994.05.19
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11810号
研究科 工学系研究科
専攻 システム量子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 石田,洋一
 東京大学 教授 佐久間,健人
 東京大学 教授 岸,輝雄
 東京大学 教授 伊藤,邦夫
 東京大学 助教授 柴田,浩司
内容要旨

 本研究は残留オーステナイトとベイナイトがフェライトマトリクスと複合して存在する金属組織を特徴とする伸びの大きな高強度薄鋼板の冶金学的特性と工業上好ましい特性を得るために必要な熱処理条件を検討したものである.すなわち自動車ボディー等に用いられるプレス成形用薄鋼板の高強度化に伴って要求された成形性の改善に残留オーステナイトの変態誘起塑性を活用することを試み,その方法と優位性を実験室的に検討し,工場実験で再現性の確認を行ったものである.金属組織中にオーステナイトを残すことをステンレス鋼や従来のTRIP鋼のように高価な合金元素の添加や特殊な熱処理の組み合わせを行うことなく,本研究では二相域熱処理とベイナイト変態を組み合わせることにより安価なシリコン添加低炭素鋼で実現した.その複雑な金属組織を持つ薄鋼板の力学的性質を支配する因子を明らかにすることにより,これまでに工業的に製造されてきた薄鋼板よりも高強度で伸びの大きな薄鋼板を既存の連続焼鈍設備を用いた熱処理により工業的な製造を可能とするまでの一連の検討結果が本研究の内容であり.その要旨は以下のとおりである.

(1)序論

 第1章では最初に薄鋼板のいっそうの高強度化を図る方法として最も好ましい複合組織強化について,Dual-phase鋼を中心にこれまでの知見を整理した.特にDual-phase鋼の多様な金属組織とその力学的性質の関係を明らかとする上で多くの検討がなされてきた残留オーステナイトの効果について,伸びと強度を向上させる場合の条件を検討し,その機構とされる変態誘起塑性の特徴を簡単に整理した.引き続き,その知見を活かしてDual-phase鋼以上に伸びの大きな高強度薄鋼板開発のシーズとして発掘したシリコン添加鋼のべイナイト変態について冶金学的特徴付けを行い,これまでの工業的応用例を調査した.それをもとに本研究の目的を設定し,実現方法を具体化した.

(2)低炭素鋼における二相域からのベイナイト変態の特徴と得られる鋼板の力学的性質-Si-Mn鋼とNi鋼の比較

 第2章ではシリコン添加鋼でも炭素量が0.15%と少ない場合にはオーステナイト単相組織からベイナイト変態するとオーステナイトは僅かしか残留しないが,二相域処理でオーステナイト形成元素をオーステナイト中へ濃縮した状態から変態させると多量の残留オーステナイトがフェライト粒界にベイナイトとともに存在する金属組織が形成されることを見いだした.その機構としてニッケルのようなオーステナイト安定化元素を添加した鋼では単にベイナイト変態の進行が抑制されるのに対し,炭化物の析出を抑制するシリコンを加えた鋼ではベイナイティックフェライトが形成されるとともに未変態オーステナイト,特に二相域処理を行った場合にはフェライトに隣接してマンガンの濃化している領域中へ炭素が濃化し,その安定性が増すことの重要性を明らかとした.

 引き続いて金属組織と力学的性質の関係を調査し,-80〜120℃と試験温度を変えて引張試験を行うことにより,伸びの向上は残留オーステナイトの変態誘起塑性にもとづくことを示した.オーステナイトからマルテンサイトへの変態は小さな歪で起こる変態と大きな歪で起こる変態に分けられるが,マルテンサイトの存在しない金属組織に含まれる炭素の濃縮が進んだオーステナイトの力学的安定性は良好であり,大きな歪が加わった時にマルテンサイトに変態し,伸びを大きくすることが認められた.

(3)残留オーステナイトの体積率,力学的安定性におよぼす炭素量,フェライト体積率の影響と鋼板の力学的性質

 第3章ではDual-phase鋼として典型的な0.12%から共析組成の半分あまりになる0.4%まで炭素量を変えた鋼を用意し,二相域熱処理温度を変えてフェライト体積率を制御した時の残留オーステナイトの体積率および安定性と力学的性質を検討した.鋼に含まれる炭素量が多いと均一伸びを大きくするには変態時間を長くとる必要があるが,残留オーステナイトの体積率は増加する.炭素量にかかわらず強度と伸びの組み合わせが最も良好となるのはAc13変態点直上で熱処理してフェライト体積率を大きくした時であり,炭素量の増加により引張強度が590MPaから980MPaまで増加し,均一伸びに変化はないものの全伸びは39%から33%に減少することを定量的に明らかにした.しかし二相域処理温度を下げた場合にもベイニティックフェライトには炭素が僅かしか含まれないため残留オーステナイトの体積率や炭素の濃縮度で決定される力学的安定性は変化しないことを見いだした.

(4)ベイナイト変態条件と得られる鋼板の力学的性質におよぼす合金元素量の影響

 二相域熱処理した金属組織中にベイナイトとともに残留オーステナイトを含ませるにはシリコンだけでなく,オーステナイトをパーライト等に変態することなくベイナイト変態温度域へ過冷するために適当な合金元素,たとえばマンガンを添加しなけえばならない.そこで炭素についで重要な2つの合金元素,シリコンおよびマンガンが残留オーステナイトを確保し,大きな伸びが得られるようなベイナイト変態条件をどのように変化させるかを第4章で検討し,鋼に含まれるマンガンやシリコン量が増えると各変態温度で均一伸びが最大となるまでには長時間を要すること,それぞれの鋼で必要な変態時間の対数は変態温度の逆数と一次の関係にあることを明らかにした.また変態温度による影響と合わせて各元素の添加量による残留オーステナイト体積率の変化を検討し,一定量以上のシリコンが添加されていれば残留オーステナイト体積率に変化はないが,マンガン量を増すとともに変態温度を上げると残留オーステナイト体積率が増加し,引張強度も高くなることを見いだした.これは変態温度での熱的安定性が増加するためと考えられるが,炭素含有量から考えられるよりも残留オーステナイト体積率が過大だと伸びの増加にはつながらない.したがってシリコン量やマンガン量とともに残留オーステナイトの力学的安定性は増すものの,最も力学的安定性が良いのは上部ベイナイトの生成する下限温度375〜400℃で変態後であり,強度と全伸びの組み合わせにはベイナイトの強度も関係するため,400〜425℃で変態後に最も優れたものとなることが判明した.

(5)オーステナイト残留を目的とするベイナイト変態までの組織制御

 第3章および第4章で炭素,シリコン,マンガンの添加量,二相域熱処理温度およびベイナイト変態温度,時間と力学的性質の変化を明らかとしたが,第5章では炭素やシリコン,マンガンといった合金元素含有量の異なる鋼を用いて二相域熱処理後の冷却条件について検討した.その際,(a)Dual-phase鋼のように室温まで恒温変態せずに冷却した時と(b)均一伸びが最大となるように恒温変態してから室温まで冷却する時とで冷却速度の影響を対比し,(b)の場合には均一伸びを最大とするような冷却速度で引張強度と全伸びの組み合わせが最も優れ,その時の冷却速度は(a)の場合に引張強度と全伸びの組み合わせを最良とする冷却速度や降伏点伸びが見られなくなる冷却速度よりも大きいことを明らかとした.またこの冷却速度はおもにマンガンの添加量に依存するが,熱延後,冷延前に熱延板を再加熱することにより局部伸びが増加し,冷却速度を多少抑えた時に引張強度と全伸びの組み合わせが最良となり,変態に必要な時間も短縮されることを見いだし,熱延後の巻取温度を制御することで冷却速度や恒温変態条件の制約が緩和できることを示した.

(6)既存連続焼鈍設備を利用した残留オーステナイトを含む複合組織高強度冷延鋼板の製造と利用特性

 第6章では第2章から第5章で明らかとした冶金原理を集大成し,残留オーステナイトを含む伸びの大きな高強度冷延鋼板として引張強度590,780MPaの2つのグレードの製造方案と590MPa級の工場試作結果を概括した.製造に際しては既存連続焼鈍設備を用いることを前提に,再結晶帯から過時効帯への冷却方法として気水冷却,ガスジェット冷却いずれへも適用できるよう熱間圧延時の巻取温度と炭素およびマンガン添加量を調節した.提案した製造方案が妥当なことは引張強度590MPa級の高強度冷延鋼板の工場試作で確かめられ,フェライト結晶粒界を中心に体積率で6%あまりのオーステナイトが存在する金属組織が得られた.従来の高マンガン鋼で冷却速度のみを制御することにより得られた残留オーステナイトとは異なり,この残留オーステナイトは歪の大きな領域でマルテンサイトに変態するため,高強度にして大きな伸び,すなわち同等の引張強度を有する在来鋼や390〜440MPa級のリン添加鋼を上回る34〜36%の伸びがもたらされた.その効果による成形性改善効果の一例とし,張り出し性が大きく改善されることを工場試作鋼板を小型成形試験に供して確認した.

(7)総括

 第7章では本研究を総括し,その要約を行った.

審査要旨

 自動車ボディー等に用いられるプレス成形用薄鋼板は、これを高強度化するにあたって、成形性の維持が難しい課題である.本研究は残留オーステナイトの変態誘起塑性によりこれを達成した研究である.従来のTRIP鋼のように高価な合金元素の添加や特殊な熱処理の組み合わせで達成するのではなく、二相域熱処理とベイナイト変態とを組み合わせることにより、残留オーステナイトとベイナイトがフェライトマトリックスと複合して存在する金属組織を安価なシリコン添加低炭素鋼で実現した.従来、工業的に製造されてきたものよりも高強度で伸びの大きな薄鋼板を既存の連続焼純設備を用いた熱処理により製造している.

 論文は以下の7章より成る.

 第1章は序論である.薄鋼板の一層の高強度化を図る方法として最も好ましい複合組織強化について、二相鋼を中心にこれまでの知見を整理している.特に、残留オーステナイトの効果について、伸びと強度を向上させる条件を検討し、その機構とされる変態誘起塑性の特徴を整理した.次いで、シリコン添加鋼のベイナイト変態について冶金学的特徴付けを行い、これをもとに本研究の目的を設定している.

 第2章では、低炭素鋼における二相域からのベイナイト変態をSi-Mn鋼とNi鋼で比較し、ニッケルのようなオーステナイト安定化元素を添加した鋼では単にベイナイト変態の進行が抑制されるのに対し、炭化物の析出を抑制するシリコンを加えた鋼ではベイニティックフェライトが形成されるとともにフェライトに隣接している未変態オーステナイト領域中へ炭素が濃化し、その安定性を向上させている.この力学的安定性の良好なオーステナイトは大きな歪が加わった時にマルテンサイトに変態し、伸びを大きくしていることが示された.

 第3章では、残留オーステナイトの体積率、力学的安定性に及ぼす炭素量、フェライト体積率の影響と鋼板の力学的性質を調べている.炭素量にかかわらず強度と伸びの組み合わせが最も良好となるのはAc1変態点直上で熱処理してフェライト体積率を大きくした時であり、炭素量の増加により引張強度が590MPaから980MPaまで増加し、均一伸びに変化はなく、全伸びは39%から33%というわずかな減少に止まる.

 第4章では、炭素について重要な2つの合金元素、シリコンおよびマンガンが残留オーステナイトを確保し、ベイナイト変態条件をどのように変化させるかを検討している.その結果、シリコン量やマンガン量とともに残留オーステナイトの力学的安定性は増すものの、最も力学的安定性が良いのは上部ベイナイトの生成する下限温度375〜400℃の変態後であり、強度と全伸びの組み合わせにはベイナイトの強度も関係するため、400〜425℃の変態後に最も優れた鋼となることが見い出された.

 第5章では、炭素やシリコン、マンガンといった合金元素含有量の異なる鋼を用いて二相域熱処理後の冷却条件について検討している.この結果、最適な冷却速度はおもにマンガンの添加量に依存するが、冷却速度を多少抑えた時に引張強度と全伸びの組み合わせが最良となり、変態に必要な時間も短縮されることが見い出された.

 第6章では、第2章から第5章で明らかにした組織学的原理をもとに既存の連続焼鈍設備を用い、残留オーステナイトを含む伸びの大きな高強度冷延鋼板を試作した結果を概括している.試作鋼ではフェライト結晶粒界を中心に体積率で6%以上のオーステナイトが残留する金属組織が得られた.この残留オーステナイトは従来の高マンガン鋼で冷却速度のみを制御することにより得られた残留オーステナイトとは異なり、歪の大きな領域でマルテンサイトに変態するため、高強度域で大きな伸びを示す.その結果、同等の引張強度を有する在来鋼や390MPa〜440MPa級のリン添加鋼を上回る34〜36%の伸びが得られることが確認された.

 第7章は総括である.

 以上、本研究は残留オーステナイトを含む複合組織を既存の連続焼鈍設備を用いた熱処理により、安価なシリコン低炭素鋼で実現し、これにより高強度プレス成形用薄鋼板の成形性を高めることに成功した研究で、金属材料学上の貢献が顕著である.よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる.

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