II. 序章"Taxation under Imperfect Competition:backgrounds and issues"では、本論文の分析の背後にある幾つかの基本的な分析概念が解説され、全体の構成が説明される。まず最近のゲーム理論の発展により、寡占競争下における経済行動の分析が可能になったことが指摘される。また寡占競争における企業間の相互連関関係を、戦略的代替関係と戦略的補完関係に分けることが有用であり、戦略的代替関係をもたらすクールノー競争下の長期均衡では、社会厚生最大化という視点から見て過剰な数の企業が参入するという「過剰参入定理」が解説される。さらに、従来の租税理論はその分析枠組みを完全競争と独占に求め、現実の経済において重要な寡占産業が存在する経済で租税が果たす役割や効果を分析してこなかったことが強調される。次にラムゼイに始まる最適課税論が簡潔に解説され、この場合にも寡占産業の存在を仮定すると結論が異なることが示唆される。最後に、伝統的な課税理論では政府が租税政策にコミットできることが仮定されてきたが、寡占企業は政府が租税政策にコミットしているかどうかで自らの行動を変化させ資源配分に影響を与えることが説明される。
第1章"Taxation under Imperfect Competition:an overview"では、最近の寡占(不完全)競争下における租税理論の発展がより詳細に解説される。第2節ではクールノー競争の場合の(企業数が固定された)短期均衡と(企業数が内生変数である)長期均衡の定義、戦略的代替と戦略的補完の数学的定義、経済厚生の定義が与えられる。第3節では、クールノー競争下では物品税が過剰転嫁され、税率を越える価格の上昇をもたらす可能性があること、物品税率の上昇は経済厚生を必ず低下させるものの、企業間の戦略的依存関係を変化させ寡占企業の利潤を増加させる可能性があることが指摘される。とはいえ、長期均衡では税は100%消費者に転嫁されることも示される。第4節では、政府が寡占企業の価格規制はできないが参入規制ができる場合が考察され、過剰参入定理が厳密な形で導出される。第5節では、国際寡占状況下における課税政策の効果が、交易条件効果と国際間利益移動効果にわけて分析される。クールノー寡占の2国モデルの場合には、政府が自国産業に輸出補助金を与えることで、交易条件は悪化するが寡占利益を相手国から奪うことができ、ネットでは常に自国の経済厚生にプラスの効果を与えることが示される。また輸入関税、生産補助金などの与える効果や、相手国や世界全体の経済厚生に対する効果も説明される。第6節では、最適間接税に関わるラムゼイ・ルールが伝統的な完全競争モデルについて解説された後、クールノー寡占産業が存在する場合に拡張される。寡占が既に資源配分の歪みを生み出しているから、もし一括課税によって寡占利潤を吸収できるなら寡占企業に生産補助金を与えることが望ましく、疑似ラムゼイ・ルールが成立する。一括課税を使えない場合には、寡占と間接税がもたらすそれぞれの資源配分の歪みを考慮した複雑なルールが必要になる。長期の場合には、過剰参入定理によって課税の参入にもたらす効果をも含めたルールが必要になる。第7節では、税負担の帰着に対する効果が解説される。要素価格に対する効果を分析すれば良い完全競争の場合と異なって、寡占産業の場合には各家計の効用自体を分析する必要があることが強調される。
従来の最適物品税体系に関する議論は完全競争的な市場構造を前提として議論されてきた。その最も基本的な成果はダイアモンドとマーリースの貢献によるラムゼイ・ルールの定式化と生産効率性定理である。第2章"Final and Intermed ieate Goods Taxation in an Oligopolitsic Economy with Free Entry"では不完全競争的な市場を前提としたときこれらの帰結がどのように変更されるかを、最終財と中間財への最適課税問題として分析している。下敷きとなっているモデルは参入退出が自由なクールノー寡占モデルの簡単な一般均衡版である。議論のエッセンスは第1章で説明された過剰参入定理である。戦略的代替性を仮定したクールノー寡占では自由参人均衡において企業数が次善の意味でも過剰になる。したがって、企業の参入を抑制するfranchise taxを導入することは、規模の経済性を活用するという意味で資源配分を改善する可能性がある。他方この税は価格に転嫁されるから、消費者の消費財選択に新たな歪みを持ち込むことになる。第2節では基本モデルを提示した後、最善の資源配分を実現する政策として、不完全競争産業への生産補助金とfranchise taxを組み合わせた税補助金政策が財政収支をバランスさせつつ効率的資源配分を実現できることを明らかにする。これは以下の最適課税問題を論じる場合のベンチマークである。第3節では、最適課税問題を税収最大化問題と、その結果得られる税収関数を用いた効用最大化問題の二段階に分離して解析する。前者では不完全競争経済での生産効率性定理、後者ではラムゼイ・ルールの妥当性がそれぞれ検討される。第4節ではfranchise taxをともなう場合の最適税体系が分析される。第2節で明らかにされたように、この場合政府は経済の資源配分を最善な状態に回復する手段を持っているため、一定の税収確保を条件とする次善の税体系は、通常のラムゼイ・ルールにわずかな変更を加えたルールとして記述される。すなわち、第一に物品税率が最適条件を満たすよう設定されている限り、生産の効率性を阻害する必要がなく、ここでの文脈では不完全競争産業に特定された中間財課税は必要がない。第二に、各財に対する物品税率に関しては、通常のラムゼイ・ルール税率から最善の税補助金部分を差し引く、つまり不完全競争産業の生産財に対して寡占による歪みを割り引いた低い税率を設定することが最適になる。また、以上の結論は、A.Sandmoが外部性のある経済での最適課税問題で明らかにした最善の政策と次善の政策の間での分離可能性の議論を不完全競争経済に拡張した形になっている。第5節はfranchise taxが実行可能ではない場合の最適課税問題を分析している。この場合、最善の資源配分を回復することは、与えられた政府の政策手段の範囲内では不可能なため、最適税体系はラムゼイ・ルールと異なる。具体的には、第一に、不完全競争産業に対して差別的な中間税課税あるいは補助金の導入が必要になり、生産効率性定理が成り立たない。そして、中間財課税は、規模の経済性と生産効率性の(限界的な)トレード・オフを考慮したルールによって決まる。各中間財に対する需要における代替効果と生産弾力性によって特徴づけられるこの課税ルール(論文では生産サイドのラムゼイ・ルールと呼ばれる)は通常のラムゼイ・ルールと似た性質を持っていることが明らかにされる。
第3章"Oligopolistic Competition and Economic Welfare:A General Equi librium Analysis of Entry Regulation and Tax-subsidy Schemes"ではクールノー型の寡占産業を含む二部門一般均衡モデルを用いて、寡占産業に対する限界的な参入規制および税補助金政策の厚生経済学的分析を展開している。参人規制の分析は、第1章で説明されている過剰参入定理を一般均衡モデルの枠組みへ拡張する試みであり、限界的税補助金政策の検討は、第2章で展開された最適な税補助金政策において要求される選好や生産技術に関する詳細な情報が得られない場合にでも実行可能な金銭的誘因を模索するという意味を持っている。また、従来、この種の税補助金に関する分析はHarberger以来、租税の帰着分析として要素価格の変化に重点を置いた分析が主流であったが、本章では経済厚生への効果が分析の主眼になっている。本文ではまず第一に、個別企業の均衡生産量を拡大することが、限界的な政策の導入が経済厚生を改善するための必要十分条件であることを明らかにする。この点は第1章で導出されている厚生基準の一般均衡版である。そのうえで、第二に、一般均衡の比較静学分析により、産業間での要素集約度の捻れ(factorintensity twistと呼ばれている)が存在しないことが、限界的な参入規制の導入が経済厚生を改善する十分条件であることを指摘する。すなわち、不完全競争産業の限界費用における要素集約度および平均費用における要素集約度がともに、完全競争産業の要素集約度より同一の生産要素に集約的であれば、本来、部分均衡分析によって証明された過剰参入定理の妥由性を一般均衡にも拡張できることになる。第三に、限界的な税補助金政策に関しては、生産補助金、一括型の補助金、限界費用部分の賃金補助金、資本補助金、固定費用部分の賃金補助金、資本補助金と合計6種類の補助金を取り上げ、これらをうまく組み合わせることによって経済厚生をできるケースを検討している。税補助金の経済厚生効果は、それが個別企業の均衡生産量に与える効果として、限界費用効果、総費用効果、要素代替効果の3種類に分けることができる。限界費用効果は補助金が直接企業の限界費用を低下させること通じた効果、総費用効果は補助金による企業の参入退出への影響を通じた効果であり、要素代替効果は補助金が生産要素投入の代替を促進し要素価格を変化させるために生ずる効果である。限界費用効果以外は、不完全競争産業の限界費用および平均費用における相対的な要素集約度に依存してその符号が変わる。そのため相対的な要素集約度いかんによって、厚生改善的な税補助金政策の組み合わせも異なることが示される。
第4章"Commitment vs.Discretion:Import Tariffs under Strategic R&D Investment"はクールノー型の生産量競争とその前段階の研究開発投資競争を含んだ2段階の不完全競争モデルを用い、政府が一定の輸入量を実現するための関税にコミットできる場合とできない場合の間での、価格、利潤、経済厚生に関する比較を二国の部分均衡モデルによって行っている。コミットメントのない関税政策(本文ではdiscretionary tariff policyと呼ばれている)とは、研究開発投資の競争が終了した段階で一定の輸入数量を実現するべく関税率を設定し直すことを言い、研究開発投資の努力にかかわらず輸入量において一定の「結果」を保証する政策である。その意味でコミットメントのない関税政策は常に制約的な数量制限に近い性質を持っていて、この観点からすると、本章で行われている分析は、伝統的な関税と数量制限の相違を不完全競争市場の設定で検討する分析の一つと位置付けることもできる。分析の一つの主眼は政府が結果主義的な貿易政策をとる場合、関税率あるいは輸入補助金に対してコミットメントを失う結果、企業の研究開発投資行動におけるインセンティブが歪められる点にある。本章ではまず、一定の仮定の下で、コミットメントのない関税政策の下での研究開発投資の均衡水準がコミットメントのある関税政策の下での均衡投資量を下回ることが明らかにされる。本章の指摘の一つはこの効果が輸入競争企業だけでなく輸出企業にも及ぶ点であり、その結果、輸入国が結果主義的な貿易政策を採用すれば、輸入国の消費者のみならず輸出国の消費者も価格上昇による余剰の損失を被ることになる。一方、企業の側からは、結果主義的関税政策は企業間の協調的行動を容易にする性質を持っている。事実、コミットメントのない関税政策は、企業の戦略的な投資インセンティブを小さくするため、均衡では各企業は個々の生産費に照らして過剰な研究開発投資の水準を減らすことができる。このため、コミットメントをともなう関税政策のケースに比して、輸入競争企業も輸出企業もより大きな利潤を得ることができる。この結論からすると、結果主義的な政策は競争企業の利潤拡大に動機づけられたものとみなすことができる。経済厚生に関しては、研究開発投資の水準にともなう資源配分効果と総費用効果の二つに着目している。資源配分効果では、研究開発投資の増大が企業の限界費用を低下させる結果、当該財の市場供給量を拡大し、経済厚生を改善する。したがって、この点ではコミットメントを伴う関税が好ましい。一方、総費用効果では、いずれの関税政策の下でも各企業は総費用が最小となる水準を超えて研究開発投資を実行するため、コミットメントを伴う関税は過剰な研究開発投資競争を助長する側面を持つ。異なる方向に作用するこれら二つの効果のいずれが優越するかについて、本章では企業数の影響に焦点を当てている。企業数が増加するに従い均衡価格は限界費用に近づいて行くため、一定の研究開発投資量の増加から得られるネットの経済厚生増は、企業数の増加に伴って低下する。言い換えれば、相対的に少数の企業が競争している場合には(あるいは各国の企業が生産物市場においてより協調的であれば)、コミットメントを伴う関税政策が経済厚生の観点から望ましいが、逆に企業数が十分に多くなれば、むしろ、結果主義的な関税が経済厚生の点で優越する。
以上紹介したように、この論文は、不完全競争状態にある産業が経済に存在する場合の課税の経済的意味と租税政策のあり方について、クールノー競争モデルを中心としたゲーム理論的アプローチを駆使することで、新たな知見をつけ加えた先端的研究である。分析の理論的背景を解説する序章と、この分野の既存の研究を展望する第1章は、要領の良い解説とバランスのとれた評価を与えており、筆者の分析能力とこの分野の理解の深さを伺わせるものである。また、第2章〜第3章の分析は、最適間接税の理論や租税の帰着分析を不完全競争産業が存在する経済に拡張するという野心的な試みであり、しかも第2章における中間生産物に対する課税のルールや、第3章における要素集約度の捻れの問題の指摘など、不完全競争産業が存在することが、従来の常識を覆すような新しい論点をもたらすことを明快に指摘している。第2章と第3章が経済学と財政学に与えた貢献が十分に大きく、しかも独創的なものであることは、これらの章の原型をなす論文が、厳正なレフェリー審査を経てJournal of Public Economicsに既に掲載されていることからも明らかである。第4章は、Brander=Spencerによって開始された国際寡占産業における自国企業援助政策の経済分析を、研究開発活動を含めたダイナミックな競争過程に対する効果にまで分析を拡張し、政府の政策に対するコミットメントという視点から、結果主義的通商産業政策の限界と欠点を明確に指摘している。この意味で、第4章は筆者が単に経済理論だけでなく、現実の経済問題に対しても大きな関心を持っており、しかもそれを冷静かつ客観的に分析する能力を持っていることを示唆している。
とはいえ第2章の分析など、一部の理論的分析は、数学的には厳密で明確であるとしても、その経済学的解釈が明快に示されなかったり、著者の問題意識と分析の全体像を読者に伝えるための努力が不十分であるという印象が拭えない。また、論文を通じて筆者は、不完全競争産業を、同質財を生産する企業群が生産量を通じて競争するという「クールノー競争」型に限っており、論文で得られた結論の多くがこの仮定に依存していると考えられる。これに対して、競争形態が生産量ではなく価格であるという「ベルトラン競争」を分析すれば、戦略的代替関係のかわりに戦略的補完関係が中心となるし、異質財を生産する不完全競争産業を分析すれば、財や企業数の増大が、「財のメニュー」の増大を通じて消費者厚生に影響を与えるという効果を検討することができたと思われる。