学位論文要旨



No 211817
著者(漢字) 嶋田,昌子
著者(英字)
著者(カナ) シマダ,マサコ
標題(和) ヒトリポ蛋白リパーゼを過剰発現するトランスジェニックマウスにおけるリポ蛋白代謝
標題(洋)
報告番号 211817
報告番号 乙11817
学位授与日 1994.05.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11817号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 脊山,洋右
 東京大学 教授 宮崎,純一
 東京大学 教授 清水,孝雄
 東京大学 助教授 久保田,俊一郎
 東京大学 講師 大内,尉義
内容要旨 1緒言

 リポ蛋白リパーゼ(LPL)はヒトでは主に脂肪組織、骨格筋で分泌され、血管内皮上に存在し、カイロミクロン、VLDL中の中性脂肪を加水分解する酵素である。加水分解されたカイロミクロン、VLDLはカイロミクロンレムナントレセブター、LDLレセプターを介して肝臓に取り込まれ、また生じた遊離脂肪酸は末梢組織でエネルギー源として利用されたり、貯蔵されたりする。一方、LPLの作用を受けたカイロミクロン、VLDLの構成分子の一部はHDL系に利用される。臨床の場においてはLPL欠損症が高カイロミクロン血症をきたす疾患として有名であり、この疾患の解析およびin vitroでの多くの研究によりLPLのリポ蛋白代謝における役割が検討されてきた。このLPLの生体内におけるリポ蛋白代謝への役割をさらに解明する為に、発生工学、分子遺伝学的手法を用いてLPLを過剰発現するトランスジェニックマウス(Tg)を作製し、本研究を行なった。

2方法1)トランスジェニックマウスの作製

 LPLは様々な組織で発現していることからUniversalに発現を司るプロモーターであるチキン-アクチンプロモーターを選択した。チキン-アクチンプロモーター/ヒトLPLcDNA融合遺伝子を作製し、BDF1の受精卵の雄性核にmicroinjectionにより導入した。導入LPL遺伝子の発現をサザンブロット法により確認し、各組織での発現をノーザンブロット法により検討した。

2)LPL活性の測定および血漿脂質レベル

 ヘパリシ(100units/kg)静注後3分で採血して得られた血漿および脂肪組織中のLPL活性をNilsson-Schotzらの方法で測定した。普通食での空腹時血漿中性脂肪値、コレステロール値を酵素法にて測定し、HPLC、超遠心法により、リポ蛋白分画分析を行ない比較検討した。次いで、10%ショ糖添加食を3週間投与後、高コレステロール食(1.25%コレステロール、0.5%コール酸ナトリウム、15%飽和脂肪酸添加)を2週間投与後それぞれの群で空腹時血漿中性脂肪値、コレステロール値の測定およびHPLCによるリポ蛋白分画分析を行なった。

3)代謝実験

 カイロミクロンの代謝について考察する為に400lのオリーブオイルをカニューレにて胃内に投与して経時的に血漿中性脂肪値を測定した。また、1mgのRetinyl palmitateを同様にカニューレにて胃内に投与して経時的に血漿Retinyl palmitate、Retinolを測定した。VLDLの代謝について考察する為にヒトの125I-VLDLを静注し、1分後をゼロとして経時的に採血し、そのVLDL分画の放射活性を測定した。

4)耐糖能、インスリン抵抗性の検討

 LPLと耐糖能異常、インスリン抵抗性を検討する為にブドウ糖を腹腔内に注射し経時的に採血し、血糖、インスリン、遊離脂肪酸値を測定した。

5)肥満との関係の検討

 LPLと肥満との関係を考察する為に体重とSmall Animal Compo-sition Analyzer(EM-SCAN、SA-2、Springfield、Illinois)にて体脂肪率を測定した。

3結果1)目的遺伝子の導入およ各組織での発現の確認:

 マウスの尾よりDNAを抽出し、ヒトLPLCDNAをプローブに用いてサザンブロット法を行った。80匹の生まれたマウスから3匹のファウンダーを得た。3ラインを確立し検討を加えた結果、1コビーの目的遺伝子の発現を確認したライン6-2のデーターを以下に示す。各組織での発現をサザンプロット法で用いたのと同じプローブで検討した。マウス本来のLPLmRNAの発現は脂肪組織、筋肉組織、心臓、腎臓などでみられた。導入遺伝子によるLPLmRNAの発現は2.3kbpの位置に示され、筋肉組織、心臓、脂肪組織をはじめ広範に分布した。

2)血漿および脂肪組織中のLPL活性の検討:

 血漿LPL活性は、対照群に比しヘテロで1.7倍、ホモで2.8倍の有意の上昇がみられ、脂肪組織中のLPL活性は対照群に比しヘテロで約5倍に上昇していた。

3)普通食および10%ショ糖添加食、高コレステロール食投与後の空腹時血漿脂質レベルの検討:

 普通食投与では、空腹時血漿中性脂肪値はへテロで対照群の24%、ホモで9%であり、有意の低下を認めた。血漿コレステロール値には有意差はなかった。HPLCによるリポ蛋白分画分析では、Tg群でVLDL粒子の消失を認め、LDLコレステロールは、Tg群で約2倍に増加していた。超遠心法にてさらに詳細に検討したところTg群ではVLDLの中性脂肪は対照群の11%に減少し、LDL粒子はコレステロールに富んでいた(28.5 versus 44.6%)。また、HDL2コレステロールはTg群で1.4倍に増加していた。3週間の10%ショ糖添加食投与後では、空腹時血漿中性脂肪値はヘテロで対照群の約20%であり、リポ蛋白分画分析(HPLC)では普通食に比べ対照群でVLDLの中性脂肪は著しく増加していたが、Tg群ではVLDL粒子の消失を認めた。2週間の高コレステロール食投与後では、空腹時血漿コレステロール値は対照群でヘテロの1.4倍で有意の増加を認めた。リポ蛋白分画分析(HPLC)では普通食に比べ対照群でVLDL、LDLコレステロールは著しく増加していたが、Tg群ではLDLコレステロールのピークの増加は約2倍であった。

4)カイロミクロン代謝の検討:

 オリーブオイル投与後の血漿中性脂肪値は対照群では2時間後、Tg群では1時間後にピークを認め、ピークの高さはTg群では対照群の約3分の1で、カープ下の面積はTg群では対照群の24%であった。Retinyl-Palmitate負荷試験では血漿Retinyl palmitate値は対照群、Tg群ともに投与2時間後にピークを認め、ピークの高さは対照群ではTg群の5.7倍で、カープ下の面積はTg群では対照群の15.0%であった。血漿Retinol値も対照群、Tg群ともに投与2時間後にピークを認め、ピークの高さはTg群では対照群の約1.4倍であった。カイロミクロンの代謝の明らかな亢進を示していた。

5)VLDL代謝の検討:

 125I-VLDLを用いてVLDLのクレアランスを検討したところTg群では対照群に比しクリアランスは亢進しており、除去率はTg群では対照群の約2倍に増加していた。VLDL代謝の促進が認められた。

6)耐糖能、インスリン抵抗性の検討

 LPLと耐糖能異常、インスリシ抵抗性を検討する為にブドウ糖を腹腔内に注射し経時的に血糖、インスリン、遊離脂肪酸値を測定した。対照群とTg群でこれらの値に有意差はなかった。

7)肥満との関係の検討

 LPLと肥満との関係を考察する為に体重と体脂肪率を測定しプロットした。両群に有意差はみられなかった。

4.考察

 リポ蛋白リパーゼ(LPL)はヒトでは主に脂肪組織、骨格筋で分泌され、カイロミクロン、VLDL中の中性脂肪を加水分解する酵素であり、生体内で重要な役割を果たしている。LPLを過剰発現している本Tgは筋肉組織、心臓、脂肪組織をはじめ広範に導入したヒトLPL遺伝子の発現をみた。LPL活性の上昇に伴い、有意に空腹時血漿中性脂肪値の低下、VLDL粒子の消失、LDLコレステロールの上昇を認めた。このことは各組織の血管内皮上に存在するLPLはリポ蛋白中の中性脂肪の加水分解およびVLDLからLDLへのConversionを規定していることを示唆する。代謝実験でみられたカイロミクロン、VLDL代謝の亢進もこの結果を支持している。従来LPLによる加水分解の過程に生じるカイロミクロンあるいはVLDLの表皮成分(リン脂質、遊離脂肪酸、アポ蛋白)がHDL3に送られ、HDL2様の粒子に変化すると考えられていた。普通食での超遠心法によるリポ蛋白分画分析の結果では、本Tgで対象群に比べ血漿HDL2レベルの増加傾向が認められ、LPLの過剰発現はHDL代謝にも影響を与えていることを示唆し、上記の仮説を初めてin vivoで支持する結果となった。

 内因性(10%ショ糖添加食)および外因性(脂肪負荷、Retinyl-Palmitate負荷)中性脂肪の食事性負荷に対してTg群は空腹時血漿中性脂肪値の上昇に対して著しい抵抗性を示した。また、高コレステロール食の負荷に対してもTg群は空腹時血漿コレステロール値の上昇に対して抵抗性を示した。この説明としていくつかの可能性が考えられるが、いずれにせよTg群では過剰のLPLの作用により加水分解をうけたカイロミクロン、VLDLはLDL受容体依存性、非依存性経路を介する取り込みが亢進し、高コレステロール食の負荷に対してもLDLの産生が減じており、高コレステロール血症に至らないことを示している。LPLと耐糖能異常、インスリン抵抗性、肥満との関係について検討を加えたが本Tgにおいて対照群と比して有意な結果は得られなかった。従来より主張されていた肥満の成因としてのLPLの過剰発現は否定的と考えられた。

 分子遺伝学的手法、特にある特定の遺伝子をマウスに導入するトランスジェニックの発生工学的手法は、導入した遺伝子の機能や病態との関係を明らかにする上で大変有用である。私共の開発したマウスによりLPLの生体内における役割が明確にされた。今後未だ解明されていないLPLの役割、特に動脈硬化との関係を明らかにしていきたい。

審査要旨

 本研究はリポ蛋白代謝に於て重要な役割を果たしていると考えられるリポ蛋白リパーゼ(LPL)の生体内での役割を明らかにする為に、ヒトリポ蛋白リパーゼ(LPL)を筋肉組織、心臓、脂肪組織をはじめ広範囲の組織で過剰発現しているトランスジェニックマウスを自ら作製し解析をおこなった結果、下記の結果を得ている。

 1.LPL活性の上昇に伴い、有意に空腹時血漿中性脂肪値の低下、VLDL粒子の消失、LDLコレステロールの上昇を認めた。各組織の血管内皮上に存在するLPLはリポ蛋白中の中性脂肪の加水分解およびVLDLからLDLへのConversionを規定していることを示唆している。

 2.LPLによる加水分解の過程に生じるカイロミクロンあるいはVLDLの表皮成分がHDL3に送られ結合してHDL2様の粒子に変化すると考えられていた。普通食での超遠心法によるリポ蛋白分画分析の結果はトランスジェニックマウス群では対照群に比べ血漿HDL2レベルの増加傾向が認められ、LPLの過剰発現がHDL代謝にも影響を与えている可能性を示唆し、上記の仮説を初めてin vivoで支持する結果となった。

 3.トランスジェニックマウス群はカイロミクロン、VLDLの代謝が促進し、内因性(10%ショ糖添加食)および外因性(脂肪負荷、retinyl palmitate負荷)の中性脂肪の食事性負荷に対して空腹時血漿中性脂肪値の上昇に対して著しい抵抗性を示すことを明らかにした。

 4.高コレステロール食の負荷に対してもトランスジェニックマウス群は空腹時コレステロール値の上昇に対して有意の抵抗性を示すことを明らかにした。トランスジェニックマウス群では過剰のLPLの作用により加水分解をうけたカイロミクロン、VLDLはLDL受容体依存性、非依存性経路を介する取り込みが亢進し、LDLの産生が減じており、高コレステロール食の負荷に対しても高コレステロール血症に至らないと考えられた。

 5.LPLと耐糖能異常、インスリン抵抗性、肥満との関係について検討を加えたがトランスジェニックマウス群において有意な結果は得られなかった。従来より主張されていた肥満の成因としてのLPLの過剰発現は本トランスジェニックマウスにおいては否定的と考えられた。

 以上、本論文はヒトLPLを過剰発現するトランスジェニックマウスの解析から、従来より示唆されてきたLPLの役割が生体内で実際に果されていることを示し、また、LPLが中性脂肪のみならずコレステロール代謝にも関わっている可能性を示唆した点で意義深い。また、これまで肥満の成因としてのLPLの過剰発現が指摘されていたが、本トランスジェニックマウスは肥満傾向を来たさず、肥満とLPLの過剰発現という図式に改めて疑問を投げかけた。従って、本研究はLPLと生体内のリポ蛋白代謝の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク