学位論文要旨



No 211818
著者(漢字) 韓,樹中
著者(英字)
著者(カナ) カン,ジュチュウ
標題(和) インスリン抵抗性を伴う高血圧発症機序における血管平滑筋細胞内Ca調節異常の役割
標題(洋) Role of Abnormal Cellular Calcium Regulation of Vascular Smooth Muscle in Hypertension With Insulin Resistance
報告番号 211818
報告番号 乙11818
学位授与日 1994.05.25
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11818号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 矢崎,義雄
 東京大学 教授 野々村,禎昭
 東京大学 助教授 内田,康美
 東京大学 助教授 永井,良三
 東京大学 助教授 藤田,敏郎
内容要旨

 肥満、糖尿病における高血圧の発症に関して高インスリン血症が原因となっている可能性が考えられてきたが、実際に高インスリン血症により高血圧を惹起する実験的な根拠は殆ど得られていない。またインスリン自体が血管収縮ではなく血管弛緩に働く物質である。従って、高インスリン血症自体だけでなく、インスリン抵抗性の存在が上記高血圧に関与している可能性もある。そこで、本研究はインスリン抵抗性が高血圧の発症、維持に関与している可能性を明らかにし、その機序を血管平滑筋細胞内Ca++調節の異常と関連させて検討することを目的としている。実験には以下の三段階に分けて行った。

 実験1は、ラット大動脈血管標本に蛍光Ca指示薬fura-2を負荷し、平滑筋あるいは内皮細胞内遊離Ca濃度([Ca++]i)と張力を同時測定する方法を用いて、インスリンが血管平滑筋の収縮と[Ca++]iに対してどのような作用を有するか、またその機序についてまずin vitroで検討した。結果としては、1)内皮保存および剥離のいずれの標本においても,norepinephrineによる収縮はインスリンの累積投与により用量依存的に弛緩した。内皮剥離標本での弛緩に比べ、内皮保存標本での弛緩が有意に大きかった。これらの弛緩作用は平滑筋[Ca++]iの減少を伴っていた。2)内皮保存標本での弛緩はインドメサシン前処置により変化しなかったが、EDRF阻害剤であるL-NMMA前処置により有意に抑制さた。3)静止状態にある内皮保存標本にインスリンを投与すると、内皮[Ca++]iの上昇と静止張力の下降が認められたが、内皮剥離標本ではいずれの反応も認められなかった。以上の結果より、インスリンが内皮依存および非依存性の血管弛緩作用の両方を有すること、また、内皮依存性弛緩は内及細胞内遊離Ca濃度の増加とEDRFの遊離を介することが示唆された。

 実験2では、高インスリン血症が血管平滑筋の収縮と[Ca++]iにどのような影響を及ぼすかを、インスリン持続投与モデルラットを用いて検討した。Wistarラットにインスリンを浸透圧ミニポンプにて2週間皮下に持続投与することによりhyperin-sulinemia rat(HIR)を作製し実験に用いた。対照群としてvehicle投与ラット(CUR)を用いた。観血的に平均血圧を測定した後、摘出した大動脈標本にfura-2を負荷して平滑筋の収縮と[Ca++]iを測定した。結果として、1)CVR群に比し、HIR群では平均血圧が下降する傾向が認められたが有意差はなかった。2)KCl、phenylephrine(PE)による収縮感受性はHIR群において低下し、用量作用曲線がそれぞれ右に偏移した。3)KClおよびPEによる血管平滑筋[Ca++]iの上昇もHIR群で有意に抑制された。以上の結果は実験1のin vitro研究の結果とほぼ一致して、生体内での血中インスリン濃度の上昇によっても、血管作動物質KCl,PEによる平滑筋の収縮と[Ca++]iの上昇反応が抑制されることが示された。

 実験3では、遺伝的なインスリン抵抗性を持つZucker Obeseラット(ZOR)とインスリン抵抗性を持たないZucker Leanラット(ZLR)を用い、平均血圧、またKCL,PEおよびserotonin(5-HT)による血管平滑筋の収縮と[Ca++]iの上昇反応を検討した。結果としては、1)ZOR群では、ZLR群に比べ平均血圧が有意に高かった。空腹時血糖、血中インスリン濃度は有意に高く、OGTTのそれらも有意に高かった。2)大動脈のKCl,PEおよび5-HTの累積投与による最大収縮反応に関しては、両群間でそれぞれ差はなかった。一方、収縮感受性はいずれもZOR群で有意に高かった。KCL,PEおよび5-HT投与による平滑筋[Ca++]iの上昇もZOR群で有意に高く、用量作用曲線はそれぞれ左に移動した。以上の結果より、インスリン抵抗性を持つZucker Obeseラットでは高インスリン血症があるにもかかわらず、実験的な高インスリン血症ラットで得られた結果と逆に、血圧が高く、種種の血管作動物質に対する収縮感受性の上昇および平滑筋[Ca++]i上昇反応の増加が認められた。従って、高インスリン血症の外にインスリン抵抗性の存在も肥満、糖尿病における高血圧の発症に重要であると考えられる。

審査要旨

 従来,肥満、糖尿病における高血圧の発症機序に関する研究は、高インスリン血症自体が高血圧を惹起するという方向で研究がすすめられてきたが、実際に高インスリン血症により高血圧を起こす直接的な実験根拠は、殆ど得られていない.また,インスリン自体が血管収縮ではなく、血管弛緩に働く物質であることが報告されているので、高インスリン血症だけで血圧の上昇を説明するのが困難と考えられる.申請者は、従来不明確であった高血圧の発症とインスリンの関係を、高インスリン血症という観点ではなく、インスリン抵抗性といういわば逆の観点から、血管平滑筋細胞内Ca++([Ca++]i)調節の異常と関連させて、三段階の実験を行い検討した.

 申請者は、まず摘出ラット大動脈標本を用い、インスリンが内皮依存性及び非依存性弛緩作用の両方を持つことを示した.さらに、インスリン弛緩作用の機序に関して、(1)インドメサシンによる前処置(2)NO阻害剤であるLNMMAによる前処置(3)内皮細胞内遊離Ca++濃度(4)平滑筋細胞内遊離Ca++濃度などの変化について実験を行い、検討を加えた.申請者は、インスリンの内皮依存性弛緩作用が、内皮細胞内遊離Ca++濃度の増加とNOの遊離を介することを、初めて示した.また、インスリンが血管平滑筋細胞内Ca++流入機構を修飾することを明らかにした.

 高インスリン血症が、腎臓でのNa+の再吸収の亢進、交感神経活動の亢進、細胞膜のNa-K ATPase活性の低下などの機序により高血圧を起こす可能性などが考えられているが、申請者は、Wistarラットにインスリンを浸透圧ミニポンプにて皮下に持続投与することにより得られた高インスリン血症モデルラットでは、Vehicle投与ラットに比較し、平均血圧が下降した傾向を示した。さらに、高インスリン血症モデルラットの摘出大動脈を用い、KClによる脱分極刺激および受容体作動物質の一種であるphenylephrineに対する収縮感受性、及び平滑筋細胞内Ca++上昇反応が、低下したことを示している。

 次いで申請者は、肥満高血圧モデルの一種であるZucker Obeseラットを用い、対照のZucker Leanラットに比較し、前者ではインスリン抵抗性が存在すること、平均血圧が有意に高く、血中インスリン濃度が高いことを確認した上、Zucker Obeseラットの摘出大動脈のKCl,phenylephrine及びserotoninに対する収縮感受性の上昇、及び平滑筋細胞内Ca++濃度の上昇反応の増加を示している。さらに、これらの収縮因子に対する血管感受性の増大は、血管平滑筋細胞の電位依存性Ca++チャンネルを介するCa++流入の増大に関連している可能性を提出している。

 以上より、本論文では、インスリン抵抗性を持つZucker Obeseラットにおいては高インスリン血症ラットで得られた結果と逆に血圧が高く、種々の血管作動物質に対する収縮感受性の上昇及び平滑筋細胞内Ca++濃度の上昇反応の増加など、他の論文に発表がみられない知見を得ている。また、細胞内Ca++調節異常が、インスリン抵抗性と高血圧の共通な病因である可能性を提出している。本研究の成果は、従来不明であった肥満、糖尿病における高血圧の発症機序の解明に重要な意義があると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

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