従来,肥満、糖尿病における高血圧の発症機序に関する研究は、高インスリン血症自体が高血圧を惹起するという方向で研究がすすめられてきたが、実際に高インスリン血症により高血圧を起こす直接的な実験根拠は、殆ど得られていない.また,インスリン自体が血管収縮ではなく、血管弛緩に働く物質であることが報告されているので、高インスリン血症だけで血圧の上昇を説明するのが困難と考えられる.申請者は、従来不明確であった高血圧の発症とインスリンの関係を、高インスリン血症という観点ではなく、インスリン抵抗性といういわば逆の観点から、血管平滑筋細胞内Ca++([Ca++]i)調節の異常と関連させて、三段階の実験を行い検討した. 申請者は、まず摘出ラット大動脈標本を用い、インスリンが内皮依存性及び非依存性弛緩作用の両方を持つことを示した.さらに、インスリン弛緩作用の機序に関して、(1)インドメサシンによる前処置(2)NO阻害剤であるLNMMAによる前処置(3)内皮細胞内遊離Ca++濃度(4)平滑筋細胞内遊離Ca++濃度などの変化について実験を行い、検討を加えた.申請者は、インスリンの内皮依存性弛緩作用が、内皮細胞内遊離Ca++濃度の増加とNOの遊離を介することを、初めて示した.また、インスリンが血管平滑筋細胞内Ca++流入機構を修飾することを明らかにした. 高インスリン血症が、腎臓でのNa+の再吸収の亢進、交感神経活動の亢進、細胞膜のNa-K ATPase活性の低下などの機序により高血圧を起こす可能性などが考えられているが、申請者は、Wistarラットにインスリンを浸透圧ミニポンプにて皮下に持続投与することにより得られた高インスリン血症モデルラットでは、Vehicle投与ラットに比較し、平均血圧が下降した傾向を示した。さらに、高インスリン血症モデルラットの摘出大動脈を用い、KClによる脱分極刺激および受容体作動物質の一種であるphenylephrineに対する収縮感受性、及び平滑筋細胞内Ca++上昇反応が、低下したことを示している。 次いで申請者は、肥満高血圧モデルの一種であるZucker Obeseラットを用い、対照のZucker Leanラットに比較し、前者ではインスリン抵抗性が存在すること、平均血圧が有意に高く、血中インスリン濃度が高いことを確認した上、Zucker Obeseラットの摘出大動脈のKCl,phenylephrine及びserotoninに対する収縮感受性の上昇、及び平滑筋細胞内Ca++濃度の上昇反応の増加を示している。さらに、これらの収縮因子に対する血管感受性の増大は、血管平滑筋細胞の電位依存性Ca++チャンネルを介するCa++流入の増大に関連している可能性を提出している。 以上より、本論文では、インスリン抵抗性を持つZucker Obeseラットにおいては高インスリン血症ラットで得られた結果と逆に血圧が高く、種々の血管作動物質に対する収縮感受性の上昇及び平滑筋細胞内Ca++濃度の上昇反応の増加など、他の論文に発表がみられない知見を得ている。また、細胞内Ca++調節異常が、インスリン抵抗性と高血圧の共通な病因である可能性を提出している。本研究の成果は、従来不明であった肥満、糖尿病における高血圧の発症機序の解明に重要な意義があると考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。 |