学位論文要旨



No 211823
著者(漢字) 下田,正弘
著者(英字)
著者(カナ) シモダ,マサヒロ
標題(和) 大乗『涅槃経』の研究 : 大乗経典研究方法確立への一歩として
標題(洋)
報告番号 211823
報告番号 乙11823
学位授与日 1994.06.13
学位種別 論文博士
学位種類 博士(文学)
学位記番号 第11823号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 江島,惠教
 東京大学 教授 木村,清孝
 東京大学 教授 土田,龍太郎
 東京大学 教授 金井,新二
 東京大学 助教授 熊本,裕
内容要旨

 本論文は大乗『涅槃経』の成立過程を思想・社会背景史の両面から探りながら,それを通じて現在必ずしも十分には確立されていない大乗経典一般の「読解法」についての新たな方法提示をなそうとするものである.本論文の前提とすべき現学界における大乗経典研究の問題点は次の3点に概括できる.

 (1)わが国の定説となっている大乗仏教の興起に関する平川彰の「在家・仏塔起源説」が諸外国の研究と真っ向から対立していること.

 (2)平川彰による文献を通じての「教団史研究」の方法が,同一文献において想定される「思想研究」と互いに接点を持ち得ていないこと.

 (3)『涅槃経』の先行研究である高崎直道『如来蔵思想の形成』が,後代の文献である『宝性論』の解釈を出ていないこと.

 (1)(2)は直接大乗経典全体に関わり,(3)は先ずは『涅槃経』固有の,しかし最終的には大乗の思想研究全体に通じる内容を抱えている.(1)は情報整理の問題であるから解決を図るのはたやすい.現在の諸外国の成果,殊に文献資料以外の考古学・碑文学の研究成果を取り入れて経典を読み直し,平川の「推定」を取り去って残された事実にのみ立脚すれば大乗は「部派教団」から起こったものであり,それと別建てされた「在家仏塔教団」の存在は考えられない.つまり平川説は成り立ち得ない.それに比し(2)(3)は「方法」に関する議論となる.(2)について平川はそれまで「思想・教理研究」一辺倒だった大乗経典を「教団史的」に読み直すことを提唱し,それによって大乗経典の読解方法を一新した.ところがその後この方法は「思想とは無関係に教団が存在する」「経典から思想を排除すれば教団史が確立される」という安直な発想を生み,そうした立場から次々に種々の経典の「教団史」が追求されることになる.一方で従来の「思想・教理研究」に続く者は教団史とは無関係に研究を進める.こうして同一文献にありながら「思想研究」と「教団研究」の成果は互いに無縁な独立した情報として提供されてしまう.当然両者の接点の発見が必要である.(3)は経典の思想研究の立場から問題を提供する.現在,古代インドの思想文献を読む際にはインドに起源する註釈書に沿って解釈することが最も正当な方法として認められている.高崎の取った方法はそれに従うものであり『宝性論』という註釈書によって『涅槃経』の思想を分析した.しかし翻ってみればそれは後代の「註釈書」の立場の再現であり,当該の文献を直接相手にした思想史の構築ではない.加えて『宝性論』のような大乗経典に対する註釈書の存在は極めて稀であり,それは幅広い大乗経典を相手にできる方法ではない.

 この(2)(3)は何れもある文献を解釈するに当たって自余の文献での定義をそのまま通用する点に,換言すれば文献を極めてマクロな視点から捉えようとする点に共通の問題を含んでいる.本論文はこの問題を解決するに当たって「当該の文献をそれに限ってミクロな視点で読む」という方法を取る.『涅槃経』中の一術語を他文献で明かされた定義を前提とすることなく『涅槃経』自身の脈絡中の「差異性」のみに注意しつつ解読していく.

 (2)について,本来経典には考察対象とする「一つの術語」が存在するだけでありそれを教団史的観点で読み取るか思想的観点で捉えるかは程度の差として現われる「想定」でしかあり得ず,教団史とはいえ思想と排他的な関係をなす「実在」などでは決してない.また経典の思想史構築にとって(3)の立場が必要になるのは「複数」の文献に跨って当該文献の検討を試みるので,その採用文献の範囲を限定しようとする際に恣意性を避けるため,インドの発言に従う必要が出るからである.しかし先ずは考察を当該の文献に限り,他文献を考慮するのは第二次的な作業に位置付けるべきだ.勿論その方法に従えば明かされる歴史は当該の文献内部に留まる「即自的歴史」ではある.しかしこの作業は複数の文献に亙る「比較研究」にどこまでも優先されなければならない.

 この方法によって詳細なる文献批判を試みた結果,そこには従来認められなかった新しい見通しが獲得された.それは『涅槃経』の問題にのみ限定されるものではなく大乗経典一般の話題に発展する内容を持つ.従来統一された文献として疑われることのなかった現大乗『涅槃経』は,ミクロな視点で見ればその成立に階層が予想され,それが複雑な変化を辿って現形態に落ち着いた過程がかなり克明に浮かび上がる.その概略を記せば,先ず(1)現形態の前半1/3に当たる『原始涅槃経』なる存在が予想され,(2)次に大衆部の影響下で「四法品」〔中半1/3〕ができ,(3)最後に「如来蔵思想」を説く後半1/3が完成している.この3段階に於いて経典の宣説者・担い手Tragerは(1)→(2)→(3)それぞれで「法師→個人の菩薩→グループの菩薩」へと変化する.

 ここで現在の考古学・碑文学の成果を考慮し,平川説に拘らずに仏教の歴史を見返せば,仏教には大きな二つの流れを前提することができる.一つはブッダの教え=法を伝承する出家者の流れであり,彼らは特別な訓練を施された知的な少数の選ばれた者たちである.他の一つは仏塔を「仏」そのものとして信仰する大勢の出家者と在家者とを含めた者たちの流れである.前者は「法」に仏の存在を認め後者は「仏塔」に現存の仏を認めた.そして大乗『涅槃経』に先行する部派系『涅槃経』は,遺「法」の伝承と「仏塔」信仰とを共に含み,この「両者の流れの合流点」に成立している.

 大乗『涅槃経』(1)の法師dharmabhanakaは,この非大乗系『涅槃経』を継承する流れの「聖地の仏塔」を遊行する巡礼者である.その遊行の過程で彼らは定住の「僧院仏教」に出会う.僧院では仏を「法」の立場で捉え無常な存在と見なす土壌を持ち,また定住者に特徴的な「財産」を備えている.この2点が法師の批判を招き『原始涅槃経』作成の動機となった.法師はbuddhadhatuを抱える仏塔stupaをそのまま現存する仏buddhaとして捉え,また遊行のため財産は最小限に止めている者たちなのである.しかし当初既成の教団に客分として留まった彼らは既成教団の者とも和合を第一とし,在家者と不可触民まで含んだ融和を保つ.この段階では法師・所化はともに「外」なる仏塔の媒介によつて緩やかに結ばれていたことが分かる.(2)の段階ではこの法師が「菩薩」を名乗り,徐々に既成の教団内に居を占め始める.また思想的には彼らは(1)で絶対的であった仏塔の役割を「世間に随順するものlokanuvartana」として限定し,三昧を通じて自らを「仏」に重ね合わせ出す.ここには既成教団の改革を目指しつつ,同時に仏の絶対性を説く者が他ならぬ自己自身であるというTragerの状況が反映されている.(3)になるとこの自己と仏の重なりに『如来蔵経』の影響が入り,菩薩はtathagatagarbha/buddhadhatuを所有する者として明確な位置付けに落ち着く.ここに至れば外なる「仏塔buddhadhatu」は否定され衆生の内なる「仏性buddhadhatu」へと転換される.そこでは「菩薩」は相互に内に確認される仏性を通じ強い使命感で結ばれるようになり,既成の部派教団の中に「教団内教団」を形成する.ここでは出家主義も進み在家者にも犯戒者にも厳格な態度が強調されるようになった.

 こうして(1)→(2)→(3)には教団的には涅槃経Tragerの出家主義化・教団化が確認され,その過程で仏常住思想が如来蔵思想へと変革されている跡が窺える.この思想変化を貫く地平は仏塔信仰という場である.(1)ではbuddhadhatuが衆生の外なる「仏塔」であり(3)ではそれが衆生の内なる仏性という「法」に変わる.この転換に大きな役割を果たした『如来蔵経』の術語tathagatagarbhaにしても,それは先ずstupaの同義語として解釈されている.こうして(1)では無常の世界にいた仏は衆生と異質な世界に連れ出され,(2)でそれが徹底外化されて(3)になるとまた衆生と同じ世界に戻るという図式が成立する.仏教全体の二大潮流から見れば,『涅槃経』のTragerは「法」の流れにいた仏を「仏塔」の流れに変え,そして徹底して仏の絶対化が図られた後には結果としてまた「仏性」という「法」の流れに帰着させてしまっていることになる.全ては仏を巡っての「法」と「仏塔」の交流である.こうして成立した『涅槃経』の教団は部派内に作られた,大衆部と関係の深い教団であることも分かる.

 さてこの『涅槃経』の変化は従来注目されなかった新たな大乗仏教の歴史を,ことに考古学・碑文学の研究結果と整合する形で映し出している.そもそも仏塔信仰は部派の特徴であり大乗の特徴ではない.また正統派の「法」の伝承は仏滅後直ちに固定的な形にまとまったのではなく,伝承が完成して閉じるまでは長期に亙って「揺れ」続け,その時期は大乗経典成立以後にまで及ぶ可能性がある.大乗はこの「法の伝承の揺れ」の中の一要素から生まれたものである.創始期の大乗は部派の内部での仏塔信仰の否定運動から起こった.「法」の流れからの「仏塔」への関与である.この関与がAgama以外の「経」の成立となって現われたところに大乗の特色がある.そこにはoral→literalという「経典」の媒体の変化が大きく絡んでいることも疑いない.大乗の如き個人の才能が発揮される場はliteralな媒体でしかあり得ないからだ.しかしこの新たなるメディアの登場は次々に追随者を生みだし結果として膨大な雑多な内容を含む文献群を誕生させる.この追随者の中には仏塔信仰のみを説く者も当然存在するが,しかしそれは新たな「大乗経典」という形式のみを利用した亜流として質的に区別しておかねばならない.

審査要旨

 多種多様なインド大乗仏教経典の形成・展開過程について,従来の研究は,大別して,(1)ある特定の経典を対象としてその思想内容を分析する「思想研究」と,(2)その経典の担い手の在り方を考察する「教団研究」とに大別される.そして,現状では、膨大な大乗仏教経典の一部分が研究対象とされているにすぎず,また,過去の研究成果の多くが見直しを迫られている.

 このような状況にあって,本論文は,大乗『涅槃経』を取り上げ,その形成・展開の過程を明らかにし,同時に,大乗仏教経典全体についての,より一般的な研究方法の確立を目指した意欲的な研究であり,注目すべき成果を収めている.

 本論文は,全体が五部分によって構成される.

 【序論】は,従来の経典研究が「思想研究」または「教団研究」にのみ偏り,不充分であることを指摘する.そのうえで,文献をそれに限ってミクロな視点で読み,いわば「思想研究」と「教団研究」との統合化を企図するという,筆者の視点が提示される.また研究対象を,大乗『涅槃経』の前半部分に限定することが明示される.

 【第1章 原始涅槃経】においては,大乗『涅槃経』成立の核となる部分,すなわち法顕訳『大般泥経』(6巻)中第1-2巻,曇無訳『大般涅槃槃経』(全40巻)中の第1-3巻,チベット語訳の最初部分を,「原始大乗涅槃経」と呼ぶという提案がなされ,その部分の教団史的背景を分析し,さらにその中に第1類部分と第2類部分という二層があり,その支持者が「法師」から「菩薩」に変化し,その間に「教団化」が進められたという事実を指摘する.さらに,第1類部分では「仏は常住である」という仏身思想が,第2類部分では「一切の衆生には如来になる可能性(如来蔵)がある」という如来蔵思想が,それぞれ中心課題となっていること,したがって,そこに一定の思想的展開が見られることを予示する.

 【第2章 涅槃・舎利崇拝を巡る変化】は,初期仏教・部派仏教という非大乗系(=小乗仏教)における「ブッダの死」「涅槃」の解釈に観察の目を向け,ブッダ死後の仏塔崇拝の重要性を考察し,仏塔が「生きたブッダ」として崇拝されていたという結論を得る.そこでは,仏塔崇拝は非大乗系では軽視され,大乗仏教に固有のものであったとする,平川彰の説が批判されている.

 【第3章 『涅槃経』の思想】は,【第1章】で予示された『涅槃経』の成立過程に関連して,舎利・仏塔に端を発した「仏身」「如来蔵」という概念を詳細にわたって分析し,これらの概念がその間に「外の舎利・仏塔」から「内の舎利・仏塔」,すなわち「ブッダになる可能性」へと変化していったという,新しく,かつ注目すべき見解を表明する.

 【第4章 『涅槃経』の教団・社会背景史的側面】は,【第3章】を教団史的視座から補強した部分であり,大乗の『涅槃経』が小乗部派の大衆部ときわめて密接に関係していたということを,説得力をもつ方法と思索によって論証している.

 以上のように,本論文は,『涅槃経』関係文献のみならず,他の大乗仏教経典について,またその研究方法をめぐって,多くの新しい知見をもたらすものとして,高く評価される.しかし,不備な点がないわけではない.論証を急ぐあまり,個々の関係文献の取り扱いにおいて細心の配慮を欠く部分が多少見られ,今後その克服が要望される.

 以上を総合して,本論文は博士(文学)の学位が授与されるに値いする研究成果であると判断する.

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