学位論文要旨



No 211826
著者(漢字) 小松,俊哉
著者(英字)
著者(カナ) コマツ,トシヤ
標題(和) 揮発性有機塩素化合物の嫌気的生分解機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 211826
報告番号 乙11826
学位授与日 1994.06.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11826号
研究科 工学系研究科
専攻 都市工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 松尾,友矩
 東京大学 教授 戸田,清
 東京大学 教授 大垣,真一郎
 東京大学 教授 花木,啓祐
 東京大学 助教授 味埜,俊
内容要旨

 近年、テトラクロロエチレン(PCE)、トリクロロエチレン(TCE)等の揮発性有機塩素化合物による地下水汚染が全国的に広がっていることが明らかになり、これらに発ガン性の疑いがあることから大きな問題となっている。汚染地下水を浄化するために各種の方法が用いられているが、根本的な浄化法として微生物の働きによるこれらの物質の分解除去(バイオレメディエーション)の可能性が考えられている。本研究では、嫌気プロセスでのバイオレメディエーションの適用実現性を検討するための基礎要件となる、これらの化合物の嫌気的生分解性と分解過程について調べた。さらに特に問題となる化合物に対して、分解菌の集積培養を試みた。

 先ず、嫌気性微生物源として下水処理場の消化汚泥を用い、バッチ実験で35℃における種々の揮発性有機塩素化合物の嫌気的生分解性と分解過程を調べた結果以下のことがわかった。

 (1)塩化エチレン類のPCE、TCEは、分子中の塩素が順次水素で置換される還元的脱塩素反応により分解されていき、3種のジクロロエチレン(DCE)異性体及び塩化ビニル(VC)が生成した。分子内の塩素数が少なくなるにつれて分解速度は遅くなり、また汚泥の起源により脱塩素能力は大きく異なった。

 (2)塩化エタン類の1,1,1-トリクロロエタン、塩化メタン類のクロロホルム、四塩化炭素はPCE、TCEに比べ容易に分解された。これらの分解においては還元的脱塩素反応以外の分解経路も存在した。

 (3)PCE、TCEに対する脱塩素能力が低い汚泥の場合も、有機物(酢酸、メタノールなど)を添加することにより、PCE、TCEともにcis-1,2-DCE(cis-DCE)にまでは容易に転換した。なお、他のDCE異性体は生成しなかった。

 (4)PCE、TCEの還元的脱塩素反応は、メタン生成菌の共代謝によるものではないことが示唆された。

 次に、PCE分解菌の集積培養が可能かを検討するため、2通りの水理学的滞留日数(HRT)条件で半連続培養を行った。分解菌の培養には還元的脱塩素反応でエレクトロンドナーとなる主要基質(有機物または水素)の添加が不可欠であり、各種の主要基質(約100mg/l)をPCE(約1mg/l)と同時投与した。半連続培養でPCEは以下のように分解された。

 (1)HRTが約75日の半連続培養において、PCEは主要有機基質の違い(メタノール、酢酸、酪酸、グルコース)にかかわりなく速やかにcis-DCEに転換した。

 (2)HRTが20日の半連続培養の定常状態において、主要有機基質がグルコースの場合にPCEは非常に速くcis-DCEに転換した。一方、主要基質がメタノールの場合は転換が不十分であった。

 (3)PCE、TCEは、cis-DCE、VCを経て非塩素化合物への完全転換が可能であった。しかし、cis-DCE以降の分解が非常に遅かった。

 以上のように、PCE、TCEは、主要基質を添加することによりcis-DCEまでは容易に転換したが、それ以降の分解は非常に遅く、また全く分解されない場合も多かった。そこで、難分解性のcis-DCEの分解に影響を及ぼす諸因子についてバッチ実験で検討した結果以下のことがわかった。

 (1)35℃において全部で7種の消化汚泥を用いて分解実験を行ったところ2汚泥にcis-DCEに対する分解性が見られた。

 (2)そのうちの1汚泥を用いて温度の影響を調べた結果、cis-DCEは25℃の場合に最も速く分解された。また、15℃、7℃の場合にも分解が進行した。このことから、地下水の温度域においても分解は可能と考えられる。一方、通常、嫌気性微生物反応に有利な35℃では分解能を保持できなかった。

 (3)その汚泥中ではVCの転換も進行し、転換物質の非塩素化合物はエチレンであった。すなわち、VCも還元的脱塩素反応を受けた。さらにエチレンも還元(水素付加反応)により一部がエタンに転換した。図1に塩化エチレン類の嫌気的生分解経路図を示す。

図1 塩化エチレン類の嫌気的生分解経路

 (4)共存有機物の影響を調べた結果、メタノールは還元的脱塩素反応に対して阻害効果を持つことが明らかになった。従って、メタノールはバイオレメディエーションの際の添加エレクトロンドナーとして不適当と考えられる。

 (5)cis-DCE添加濃度の影響を検討するため、低濃度添加系(0.9mg/l)と高濃度添加系(9mg/l)での分解を比較した。再添加時には高濃度系の方が低濃度系よりも非常に速い転換パターンを示したことから、分解菌が高濃度系に多く増殖していたと考えられる。また、高濃度cis-DCEを添加した汚泥は、低濃度を添加したものに比べ、低濃度域の分解にも効果的であった。

 次に、cis-DCE分解菌の集積培養が可能かを検討するため、25℃で種々の主要基質を添加して半連続培養(各バッチ期間は通常7日間、HRT約35日)を行った。cis-DCEの分解状況は以下の通りであった。

 (1)主要基質として100mgCOD/lの酢酸、プロピオン酸、グルコース、酵母エキス、水素を添加した5培養系のうち、cis-DCEの分解能を保持できなかったのは酢酸添加系だけであった。一方、他の4培養系はcis-DCE(0.46mg/l)をかなり速くエチレンに転換する集積培養系に発展できた。

 (2)プロピオン酸培養系、グルコース培養系及び酵母エキス培養系の場合は定常状態においてcis-DCEは4日でほぼ完全にエチレンに転換した。一方、水素培養系でのcis-DCEの転換速度はそれらより若干遅かった。図2にプロピオン酸培養系でのcis-DCEの転換(定常状態の平均値)を示す。汚染地下水レベル(通常1mg/l未満)の塩化エチレン類に対してこれほど速くエチレンに転換する集積培養系の報告は本研究が初めてである。

図2 定常状態でのcis-DCEの転換(プロピオン酸培養系)

 (3)cis-DCEのVC、エチレンへの転換は逐次一次反応で近似でき、各系でのcis-DCE、VC分解の一次反応速度定数が求められた。

 (4)酢酸培養系以外で集積培養が可能であったことから、水素が還元的脱塩素反応の直接のエレクトロンドナーであることが示唆された。

 (5)低濃度(10mgCOD/l)の主要基質(グルコース、水素、プロピオン酸、乳酸)を添加した半連続培養も行ったが、cis-DCEの転換は徐々に不十分になり定常状態は得られなかった。

 さらに、cis-DCE分解集積培養菌を用いてバッチ実験を行い、低濃度cis-DCEの分解機構等をより詳細に検討した結果以下のことが明らかになった。

 (1)エレクトロンドナーが水素の場合、メタン生成阻害剤2-ブロムエタンスルホン酸(BES)の添加によりメタン生成反応が強く阻害されてもcis-DCEからエチレンへの還元的脱塩素反応は影響を受けなかった。従って還元的脱塩素反応がメタン生成菌の共代謝反応でないことが明らかになった。

 (2)BES添加系、無添加系ともに水素消費の中心はメタン生成反応ではなくホモ酢酸生成反応であった。さらに還元的脱塩素反応の進行程度は水素消費量に支配された。従って、還元的脱塩素反応は水素利用ホモ酢酸生成菌の共代謝反応であると考えられる。

 (3)一方、エチレンからエタンへの水素付加反応は分解機構が異なり、水素利用メタン生成菌の共代謝反応と推定された。図3に集積培養菌による低濃度cis-DCEのエチレン、エタンへの転換機構を示す。

図3 集積培養菌によるcis-DCEのエチレン、エタンへの転換機構

 (4)主要基質がプロピオン酸、グルコースなどの集積培養系の場合も、それらの嫌気分解過程で生成した水素を利用して同機構でcis-DCEの転換が進行するものと考えられる。水素培養系よりも転換活性が高かったのは栄養物質条件の違いが原因と推察された。

 (5)集積培養菌のPCEに対する分解性をバッチ実験で調べた結果、初回の添加時には分解開始までラグが見られたが再添加時には極めて速くcis-DCE以降に転換した。従ってPCEあるいはTCEからエチレンに転換可能な集積培養菌を得るのも困難でないと考えられる。

 (6)集積培養菌が持つcis-DCEに対するエチレンへの転換活性は4℃で保存した場合に長期間保持された。

 本研究の結果、至適温度域で適切なエレクトロンドナーが存在すれば、汚染地下水レベルの塩化エチレン類がかなり速く水道水基準値(0.01〜0.04mg/l)未満まで分解でき、また転換物質は無害なエチレン、エタンであることがわかった。従って、嫌気プロセスでのバイオレメディエーションの適用可能性が示されたと言えよう。バイオレメディエーションの際の添加エレクトロンドナーとしては、プロピオン酸、乳酸、エタノールなどacetogenic菌により分解される低分子有機物が最適と考えられ、今後は実際の汚染地下水の浄化にどの程度効果を示すのかを検討する研究が必要である。

審査要旨

 発ガン性の疑いがあるトリクロロエチレン(TCE)、テトラクロロエチレン(PCE)などの揮発性有機塩素化合物による地下水汚染が大きな社会問題となっている。近年このような揮発性有機塩素化合物を生物的に分解させようとする研究が始められているが、嫌気的な条件下での完全な脱塩素化反応を確認し、その生物分解機構を明らかにした研究は少なく、その分解機構には不明な点が多く残されている。

 本研究は、このようなトリクロロエチレン、テトラクロロエチレンの嫌気的な生分解につき、実験的研究を行い、これらの物質の完全な脱塩素化反応を進め得る嫌気性バクテリアの集積培養に成功し、そのバクテリアの生理特性を明らかにしたものである。本論文は「揮発性有機塩素化合物の嫌気性生分解機構に関する研究」と題し、8章より成っている。

 第1章は「序論」で、研究の目的、論文の構成について述べている。

 第2章は「揮発性有機塩素化合物(CAH)による地下水汚染」である。本研究の背景となっている揮発性有機塩素化合物(以下CAHと記す)による地下水汚染の現状、課せられている水質基準を整理し、併せて、バイオレメディエーションによる浄化法についてまとめている。好気性微生物の応用に比べて、嫌気性微生物の作用についての基礎的解明が遅れていることを述べている。

 第3章は「揮発性有機塩素化合物の嫌気的生分解に関する既往の研究」である。数少ない例であるが、嫌気条件下で還元的脱塩素反応により、CAHは分解されていき、無害なエチレン、エタンへ転換していくことがあることを示しているが、低濃度での場合の分解の可能性については不明な点が多いことを述べている。

 第4章は「CAH分解実験の方法」である。本研究において実施した実験につき、その方法を述べている。基質(分解対象となる物質)としては、TCE、PCE、trans-DCE、cis-DCE、CT、CF、DCM、TCA、DCAの合計9種類とそれらの分解中間体である、1,2-DCE、VC、CAを選んだことを述べている。CAHの分解過程を評価する方法として、物質転換を定量的に評価する指標の算出方法を提示している。

 第5章は「各種のCAHの嫌気的生分解性と分解過程」である。PCE、TCEを中心としたCAHの嫌気的生分解性と分解過程をバッチ実験で調べた主要な結果として、(1)PCE,TCEとも嫌気条件下で非塩素化合物への転換が可能である、(2)分子内の塩素数が少なくなるにつれて分解速度は遅くなる、(3)汚泥の起源によりその脱塩素能力は大きく異なる、(4)これらの分解はメタン生成菌との共代謝によるものではない、といった新しい知見を得ることに成功している。

 第6章は「cis-1,2-ジクロロエチレン(cis-DCE)の分解に及ぼす諸因子」である。PCE、TCEの脱塩素過程では、cis-DCE,さらには塩化ビニル(VC)が分解されにくい物質として蓄積するケースが多いことに関連し、それらの分解過程についての実験を行っている。結果として、(1)これらの物質を分解する汚泥は限られたものであり、その分解の最適温度は25℃付近と通常のメタン生成菌の最適温度範囲より低い、(2)この汚泥中ではVCからの脱塩素も進み、エチレン、エタンへの転換が確認される、(3)低濃度で培養した汚泥の方が優れた性能を示す、という新しい事実を明らかにしている。

 第7章は「cis-DCE分解菌の集積培養及び分解機構」である。前章で確認されたcis-DCE分解菌の半連続培養による集積培養の可能性、分解菌の分解特性について検討している。結果として、(1)集積培養時のエレクトロンドナーとしては、プロピオン酸、グルコース、酵母エキスはほぼ同様の成績を示すが、水素は若干遅れ、(1)酢酸では分解能を示さない、(2)脱塩素反応は水素利用ホモ酢酸生成菌との共代謝反応でもある、(3)集積培養によりcis-DCE分解菌を増殖していくことが可能であり、現場でのバイオレメディエーションへの応用の可能性を開くものである、という点を明らかにしている。

 本研究は、難分解性の揮発性有機塩素化合物、特にTCE、PCEについての嫌気性条件下での生物分解機構についての基礎的検討を行い、脱塩素反応を完結する応力を持つ微生物の確認に成功したものである。社会問題化しているこれらの物質の汚染問題の解決に対して有効な情報、手段を提供するもので、その成果は高く評価され、大きな貢献をなすものである。よって本論文は、都市工学、とりわけ、環境工学の発展に大きく寄与するものであり、博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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