現在、環境保護の面から自動車の燃料消費低減が強く求められている。高速道路網の整備に伴い走行抵抗の低減に寄与度が高い空力性能の向上はとりわけ重要である。 現在まで、自動車周り流れを理論的に予測する技術が不十分な為、車体空力設計法は確立していない。そのため空力性能開発は、クレイモデルの形状修正と風洞実験による流体力計測を繰り返す方法が主にとられているが、開発効率に問題があるばかりか、この方法では形状と流体力の把握に力点が置かれ、その間に介在する流場をプラックボックスとして扱うため、技術の発展性にも問題がある。形状と流体力をつなぐ流場の物理現象の理解、把握が理論的な車体空力設計にとって極めて重要である。しかしながら自動車周りの流場の理解、把握は高Reynolds数の乱流に伴う三次元性、非定常性により実験的に容易ではない。移動地面効果の再現も風洞試験で完全には解決されていない。一方、数値流体力学(CPD)の手法はこれらの障害に対して有効性が期待できるが、bluff bodyに不可避な剥離乱流の取り扱いがネックとなって信頼性が充分ではなく、設計への応用は遅れている。 以上のような背景から本研究は、流場の把握を通して車体空力開発を、より理論的なものに改善する為に、CFDを実用レベルで適用可能にする事を目的としている。乱流現象には未解明な部分が多く残されているため、実験流体力学の手法を相互補完的に併用し総合することによって、十分な実用性を持たせる事を重視した。 本研究では、車体関連空力問題を大きく内部流と外部流に分けて考え、各々に適した数値解析手法を取り、各々第1部と第2部で扱う。 第1部では、内部流としてエンジンルーム内流れを扱い、フロントエンドからの冷却風量予測を可能にする設計手法を開発した。極めて複雑な形状を実用的に簡略化して扱うため、直交格子系でk-乱流モデルにより定常解を求める市販コードにラジエターのモデリングの為の独自の改造を施し用いた。多数の実車実験風量との比較から風量の定量的一致は得られないものの、相関が取れるため、計算値から実験値を推定する換算係数を導入する事によって実用的予測精度を確保した。本手法を冷却性能の厳しい開発車両に適用し、フロントエンド形状の改良を通して、目標風量確保の達成と、開発期間の大幅短縮に寄与した。現在、本手法は開発のルーチンに組み込まれ用いられている。 第2部では車体外部流に関する問題として車体空力特性の予測と外部形状設計法へのCFDの応用を扱う。 第1章では従来の車体周り流れの研究を一覧し第2部の目的と構成を述べる。bluff bodyである自動車の周り流れは、実験では3次元的非定常的に把握する事の困難な大きな剥離乱流域を伴い、これに起因する圧力抵抗が支配的である。従って車体形状と剥離乱流に伴う渦流れ場と流体力の相互関係を明かにすることが重要である。この目的でCFDを用いる場合に、計算機容量の制約下でどこまで渦運動を解像できるかが焦点になる。実験で知られている車体後流の大きな渦運動をSGS乱流モデルの適用で解像しで流場の主要な特性の把握を試みる本研究の方針と、非定常計算の重要性について述べる。移動地面の存在は自動車周り流れの大きな特徴であり、検証実験として移動地面効果を考慮する事の重要性についても論ずる。 第2章では風洞試験で未解決の移動地面効果の正確な再現を目的とした新しい試験法の開発を行う。実車走行時の車両、地面、流体の相対的運動関係を正しく再現するために静止流体中を車両模型が移動する方法として曳航水槽を用いる方法を開発した。動粘性係数の小さい水を作動流体に選ぶことで実用的な低い模型移動速度でも高いReynolds数が得られる。水槽試験では、自由表面での造波が流体力に影響を与えるため、これを避けるような実験条件の設定が必要である。そのため速度、没水度を変化させて没水度に関する実験条件、及び造波の観点からFroude数による実験条件の設定を行った。またReynolds数の影響も調査した。こうして設定された実験条件で流体力計測を行い、揚力への地面影響が大きい事を明かにした。また地面近傍を移動する物体の周りの流れが、地面への物体の接近に伴い顕著に変化する様子を可視化し、更に表面圧力の計測も行った。水槽試験の評価を行う為、複数の形状を対象にムービングベルトを備えた3種の風洞と比較した。その結果、blockageを小さく、模型後方の距離を長く取れる条件の良い風洞試験と水槽は定量的に同等の結果を示し、相互に信頼性が確認された。ここで確立した水槽試験法は第5章でCFDの検証に用いる。移動地面の再現で風洞の持つ問題点を原理的に持たない水槽試験法の有効性が示された。 第3章では車体周り流れを扱う為の計算法を説明する。設計へ応用するには車体の複雑形状を扱い、高精度で流体力を求める必要がある。そのためには物体近傍の剪断層を解像できる一般座標系を採用し、乱流の非定常性を扱う為に時間依存Navier-Stokes方程式をtime-accurateに解く事が必要となる。この観点から有限体積法WISDAM-V(Zhu,1991)を採用した。特にSGS乱流モデルを簡易化した形で組み込んでいる点に特徴があり物体表面でwall-functionを使わないので剥離に関連した物体表面上の微妙な運動に対応できる利点がある半面、このモデルは格子依存性を積極的に利用するため、格子間隔、Reynolds数に応じたチューニングが不可欠である欠点を持つ。しかし自動車周り流れ解析にとって後部周りの3次元剥離を中心とする現象を的確に説明できることが重要であり、本法の可能性は高いと考えられる。 第4章では回転楕円体の厚い境界層に関する詳細な実験(Patel et al,1973)を比較対象として、SGSモデルの長さスケールの選択の仕方とモデル定数の最適値を数値実験によって決定した。その結果、物体近傍の速度分布に改善の余地はあるものの、圧力分布は実験値とほぼ完全に一致した。このことは圧力抵抗が主要な抵抗成分を占める自動車周り流れの予測に対する本計算法の有効性を示すものと言える。 第5章では、以上までで開発を行った実験手法、計算手法を基礎に、車体後部形状の最適化を行い、実用設計問題に対する有効性の検討を行った。車体後部形状を対象としたのは、空力性能に対する寄与度が高いにも拘らず、剥離乱流を扱い得る理論的設計法が確立していないためである。 対象形状の選定では、現代の自動車の後部形状の調査及び実務現場からの需要の調査に基づき、実用上の制約条件も加味した結果、空力的に不利な、従って改善効果の大きい小型車を最適化の対象とした。実用性を確認する為に前半部は実車形状を用いた。後部形状は系統的、かつ広範に形状変化させたノッチバック形状とスラントバック形状を対象にした。スラントバックには従来、実験でも計算でも扱いが困難で、現象が学問的、実用的にも重要な臨界形状を含めた。 以上の後部系統形状について計算と水槽実験、風洞実験を行った。まず計算の時間平均のCd、Clを求め実験値と比較した。Cdに関しては多くの場合で0.02以内の精度で予測でき、実験との対応が良く取れていることが示された。一方、Clに関しては定量的予測精度が十分でない。 広範な形状に対して実験と良好な対応がとれた事から、流場の主要な渦構造については解像されており、形状差に基づく流場の差異もある程度正しく表現されているものと考えられる。このことに依拠して、数値解析結果の時間平均流場に対して、速度、圧力、後流中の渦度について形状と流場の関係を調べた。その結果、従来指摘されている縦渦度とCdの間の相関はある程度見られるものの、設計に応用する為の判断基準としては不十分なこと、臨界形状を境にして流場が全く変化すること、剪断渦の後流中への放出長さとCdが対応しており、その長さと縦渦が強まる位置とCdにも対応が見られ、従って、縦渦の物体への遠近がCdに影響していること、等がわかった。以上を通して本解析法は空力設計に使える精度を有していることが示された。 第6章では臨界形状を対象として非定常な流場の挙動を調べた。高Cdと低Cdが交互に現われる点で実験事実と異るが、その出現間隔が車長ベースの無次元時間でみて長い事、及び高Cdと低CdのCd値の比率が実験に近い事によって、渦の解像によって臨界現象がある程度計算で再現されていると考えられる。まずCd、Clの周期からStrouhal数を求め、現象が渦放出に基づくものである事を確認し、渦放出の観点から、圧力、Helicity、Lamb vectorによって時系列変化を観察した。その結果、臨界現象の高Cd状態は後部傾斜面上に横渦が溜った状態でそこから横渦が放出され、渦の負圧が遠ざかる事によって低Cdの状態が生じていること、横渦から縦渦への転化が、球の後流と類似して生じており、3次元物体に共通する現象と考えられること等を示した。非定常計算の結果をComputer Graphicsで可視化し、流場の時系列変化を3次元的に観察することが、流場と流体力の関係の把握に有効であることを確認した。 第7章では以上の本研究で得た手段を設計に応用する場合の方針について述べ、設計法として提案し、その設計への応用実施例で本計算法の有効性を示した。 本研究は剥離流の主要な渦構造を解像する方針で数値解析を行い、更に実験を援用することにより、数値解析が設計に実際に応用可能である事を示した点で、数値流体解析の車体空力設計への本格的応用の端緒となるものと位置付けられる。 |