学位論文要旨



No 211829
著者(漢字) 青木,清平
著者(英字)
著者(カナ) アオキ,キヨヒラ
標題(和) 車体周り粘性流の構造と流体力の研究 : 計算流体力学と実験流体力学の総合による車体設計への応用
標題(洋)
報告番号 211829
報告番号 乙11829
学位授与日 1994.06.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11829号
研究科 工学系研究科
専攻 船舶海洋工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 助教授 宮田,秀明
 東京大学 教授 加藤,洋治
 東京大学 教授 小林,敏雄
 東京大学 教授 大坪,英臣
 東京大学 助教授 山口,一
内容要旨

 現在、環境保護の面から自動車の燃料消費低減が強く求められている。高速道路網の整備に伴い走行抵抗の低減に寄与度が高い空力性能の向上はとりわけ重要である。

 現在まで、自動車周り流れを理論的に予測する技術が不十分な為、車体空力設計法は確立していない。そのため空力性能開発は、クレイモデルの形状修正と風洞実験による流体力計測を繰り返す方法が主にとられているが、開発効率に問題があるばかりか、この方法では形状と流体力の把握に力点が置かれ、その間に介在する流場をプラックボックスとして扱うため、技術の発展性にも問題がある。形状と流体力をつなぐ流場の物理現象の理解、把握が理論的な車体空力設計にとって極めて重要である。しかしながら自動車周りの流場の理解、把握は高Reynolds数の乱流に伴う三次元性、非定常性により実験的に容易ではない。移動地面効果の再現も風洞試験で完全には解決されていない。一方、数値流体力学(CPD)の手法はこれらの障害に対して有効性が期待できるが、bluff bodyに不可避な剥離乱流の取り扱いがネックとなって信頼性が充分ではなく、設計への応用は遅れている。

 以上のような背景から本研究は、流場の把握を通して車体空力開発を、より理論的なものに改善する為に、CFDを実用レベルで適用可能にする事を目的としている。乱流現象には未解明な部分が多く残されているため、実験流体力学の手法を相互補完的に併用し総合することによって、十分な実用性を持たせる事を重視した。

 本研究では、車体関連空力問題を大きく内部流と外部流に分けて考え、各々に適した数値解析手法を取り、各々第1部と第2部で扱う。

 第1部では、内部流としてエンジンルーム内流れを扱い、フロントエンドからの冷却風量予測を可能にする設計手法を開発した。極めて複雑な形状を実用的に簡略化して扱うため、直交格子系でk-乱流モデルにより定常解を求める市販コードにラジエターのモデリングの為の独自の改造を施し用いた。多数の実車実験風量との比較から風量の定量的一致は得られないものの、相関が取れるため、計算値から実験値を推定する換算係数を導入する事によって実用的予測精度を確保した。本手法を冷却性能の厳しい開発車両に適用し、フロントエンド形状の改良を通して、目標風量確保の達成と、開発期間の大幅短縮に寄与した。現在、本手法は開発のルーチンに組み込まれ用いられている。

 第2部では車体外部流に関する問題として車体空力特性の予測と外部形状設計法へのCFDの応用を扱う。

 第1章では従来の車体周り流れの研究を一覧し第2部の目的と構成を述べる。bluff bodyである自動車の周り流れは、実験では3次元的非定常的に把握する事の困難な大きな剥離乱流域を伴い、これに起因する圧力抵抗が支配的である。従って車体形状と剥離乱流に伴う渦流れ場と流体力の相互関係を明かにすることが重要である。この目的でCFDを用いる場合に、計算機容量の制約下でどこまで渦運動を解像できるかが焦点になる。実験で知られている車体後流の大きな渦運動をSGS乱流モデルの適用で解像しで流場の主要な特性の把握を試みる本研究の方針と、非定常計算の重要性について述べる。移動地面の存在は自動車周り流れの大きな特徴であり、検証実験として移動地面効果を考慮する事の重要性についても論ずる。

 第2章では風洞試験で未解決の移動地面効果の正確な再現を目的とした新しい試験法の開発を行う。実車走行時の車両、地面、流体の相対的運動関係を正しく再現するために静止流体中を車両模型が移動する方法として曳航水槽を用いる方法を開発した。動粘性係数の小さい水を作動流体に選ぶことで実用的な低い模型移動速度でも高いReynolds数が得られる。水槽試験では、自由表面での造波が流体力に影響を与えるため、これを避けるような実験条件の設定が必要である。そのため速度、没水度を変化させて没水度に関する実験条件、及び造波の観点からFroude数による実験条件の設定を行った。またReynolds数の影響も調査した。こうして設定された実験条件で流体力計測を行い、揚力への地面影響が大きい事を明かにした。また地面近傍を移動する物体の周りの流れが、地面への物体の接近に伴い顕著に変化する様子を可視化し、更に表面圧力の計測も行った。水槽試験の評価を行う為、複数の形状を対象にムービングベルトを備えた3種の風洞と比較した。その結果、blockageを小さく、模型後方の距離を長く取れる条件の良い風洞試験と水槽は定量的に同等の結果を示し、相互に信頼性が確認された。ここで確立した水槽試験法は第5章でCFDの検証に用いる。移動地面の再現で風洞の持つ問題点を原理的に持たない水槽試験法の有効性が示された。

 第3章では車体周り流れを扱う為の計算法を説明する。設計へ応用するには車体の複雑形状を扱い、高精度で流体力を求める必要がある。そのためには物体近傍の剪断層を解像できる一般座標系を採用し、乱流の非定常性を扱う為に時間依存Navier-Stokes方程式をtime-accurateに解く事が必要となる。この観点から有限体積法WISDAM-V(Zhu,1991)を採用した。特にSGS乱流モデルを簡易化した形で組み込んでいる点に特徴があり物体表面でwall-functionを使わないので剥離に関連した物体表面上の微妙な運動に対応できる利点がある半面、このモデルは格子依存性を積極的に利用するため、格子間隔、Reynolds数に応じたチューニングが不可欠である欠点を持つ。しかし自動車周り流れ解析にとって後部周りの3次元剥離を中心とする現象を的確に説明できることが重要であり、本法の可能性は高いと考えられる。

 第4章では回転楕円体の厚い境界層に関する詳細な実験(Patel et al,1973)を比較対象として、SGSモデルの長さスケールの選択の仕方とモデル定数の最適値を数値実験によって決定した。その結果、物体近傍の速度分布に改善の余地はあるものの、圧力分布は実験値とほぼ完全に一致した。このことは圧力抵抗が主要な抵抗成分を占める自動車周り流れの予測に対する本計算法の有効性を示すものと言える。

 第5章では、以上までで開発を行った実験手法、計算手法を基礎に、車体後部形状の最適化を行い、実用設計問題に対する有効性の検討を行った。車体後部形状を対象としたのは、空力性能に対する寄与度が高いにも拘らず、剥離乱流を扱い得る理論的設計法が確立していないためである。

 対象形状の選定では、現代の自動車の後部形状の調査及び実務現場からの需要の調査に基づき、実用上の制約条件も加味した結果、空力的に不利な、従って改善効果の大きい小型車を最適化の対象とした。実用性を確認する為に前半部は実車形状を用いた。後部形状は系統的、かつ広範に形状変化させたノッチバック形状とスラントバック形状を対象にした。スラントバックには従来、実験でも計算でも扱いが困難で、現象が学問的、実用的にも重要な臨界形状を含めた。

 以上の後部系統形状について計算と水槽実験、風洞実験を行った。まず計算の時間平均のCd、Clを求め実験値と比較した。Cdに関しては多くの場合で0.02以内の精度で予測でき、実験との対応が良く取れていることが示された。一方、Clに関しては定量的予測精度が十分でない。

 広範な形状に対して実験と良好な対応がとれた事から、流場の主要な渦構造については解像されており、形状差に基づく流場の差異もある程度正しく表現されているものと考えられる。このことに依拠して、数値解析結果の時間平均流場に対して、速度、圧力、後流中の渦度について形状と流場の関係を調べた。その結果、従来指摘されている縦渦度とCdの間の相関はある程度見られるものの、設計に応用する為の判断基準としては不十分なこと、臨界形状を境にして流場が全く変化すること、剪断渦の後流中への放出長さとCdが対応しており、その長さと縦渦が強まる位置とCdにも対応が見られ、従って、縦渦の物体への遠近がCdに影響していること、等がわかった。以上を通して本解析法は空力設計に使える精度を有していることが示された。

 第6章では臨界形状を対象として非定常な流場の挙動を調べた。高Cdと低Cdが交互に現われる点で実験事実と異るが、その出現間隔が車長ベースの無次元時間でみて長い事、及び高Cdと低CdのCd値の比率が実験に近い事によって、渦の解像によって臨界現象がある程度計算で再現されていると考えられる。まずCd、Clの周期からStrouhal数を求め、現象が渦放出に基づくものである事を確認し、渦放出の観点から、圧力、Helicity、Lamb vectorによって時系列変化を観察した。その結果、臨界現象の高Cd状態は後部傾斜面上に横渦が溜った状態でそこから横渦が放出され、渦の負圧が遠ざかる事によって低Cdの状態が生じていること、横渦から縦渦への転化が、球の後流と類似して生じており、3次元物体に共通する現象と考えられること等を示した。非定常計算の結果をComputer Graphicsで可視化し、流場の時系列変化を3次元的に観察することが、流場と流体力の関係の把握に有効であることを確認した。

 第7章では以上の本研究で得た手段を設計に応用する場合の方針について述べ、設計法として提案し、その設計への応用実施例で本計算法の有効性を示した。

 本研究は剥離流の主要な渦構造を解像する方針で数値解析を行い、更に実験を援用することにより、数値解析が設計に実際に応用可能である事を示した点で、数値流体解析の車体空力設計への本格的応用の端緒となるものと位置付けられる。

審査要旨

 近年の計算機のめざましい発展により、流体力学の研究は大きな変革を受けている。従来理論的な解明が困難とされてきた各種の非線形流体現象が計算流体力学の技術によって理解が深まりつつある。しかし、一方では、それでも不充分な計算機容量によって高レイノルズ数の流れを精度よく解像することは困難であり、また一方では、計算流体力学によるシミュレーション結果を工学的に応用する技術については、いろいろの試みがなされ、新しい手法が開発されることが期待されている。

 本研究は、車体まわり流れを対象として、流体力学的研究の最も本質的な目的である流れの構造と機構を可能な限り解明し、この理解に基づいて実用車体の流体力学的性能を向上させるための形状設計に応用することを主題としている。車体の流体力学的性能としては、抗力が小さいこと、揚力が小さいことが重要であるが、一般に形状が流線型ではなく、鈍な形状を持っている上に、地面の上を進行するという固有の特徴を持っているため、随所で流れが剥離し、車体は大小の剥離渦におおわれ、また地面との間に作る境界層との干渉もあり、車体まわり流れは最も複雑な流れである。従来、実験風洞による研究にしか頼れなかったのはこのような理由によるが、本研究では有限体積法を中心的な手法として車体まわり流れを時間精度を保持したままシミュレーションし、車体まわり流れと、結果として得られる流体力に充分な精度を得て、シリーズ化した車体形状に応用し、最も流体力が適切な形状を得る実際的手法を提案し、実証している。また、エンジンルーム内の流れや、実験水槽を使った車体の流体力計測法と可視化法を提案し、その有効性を実証している。本論文は、第1部と第2部に分れており、第1部で車体内部流を取り扱い、第2部で車体外部流を取り扱っている。

 第1部では、エンジンルーム内流れを計算流体力学技術の実際的応用によってシミュレーションを行い、フロントエンドからの冷却風量予測を可能にする設計手法を開発している。極めて複雑な形状を近似的に取り扱うため、ラジエターのモデリングのための独自の工夫を考え、実測値と計算値との間を結ぶ換算係数を導入して実用的予測精度を確保している。この手法が実用車設計のルーチンとして確立され、開発期間の短縮に寄与している。

 第2部では、車体外部流の流体力学的問題を主として計算流体力学手法によって広範に研究している。

 第1章は、第2部の序論であり、第2部の目的と構成を述べている。車体まわり流れは、実験で把握することの困難な3次元非定常の、大きな剥離乱流を伴い、これによる圧力抵抗が支配的である。従って、車体形状と剥離乱流に伴う渦流場と流体力の相互関係を明らかにすることが重要であり、この目的で計算流体力学を適切に応用する方法が述べられている。

 第2章では、実験風洞では未解決の移動地面効果の正確な再現を行うための新しい実験法の開発を行っている。実車走行時の車両、地面、流体の相互運動関係を正しく再現するため船舶用水槽で車体模型を曵引する実験法を開発した。レイノルズ数の影響、自由表面の影響を適切に評価することにより必要充分な精度が得られ、風洞実験より精密な地面効果の理解が得られている。車体形状開発のための実験法としての水槽試験法が確立された。

 第3章では、車体まわり流れを扱うための計算法が説明されている。車体近傍の剪断層を解像するため物体境界適合一般座標系を用い、非定常な剥離流場を扱うためにナビエ・ストークス式を時間精度を保ちながら時間発展で解いていく手法としている。計算の安定性などの理由で有限体積法の形としている。乱流モデルとしては、SGS乱流モデルを簡略化したものを用いている。他のモデルに比べて制約条件が少なく剥離を中心的に含む流場に適切なものと考えられている。

 第4章では、回転楕円体まわりのシミュレーションを実施し、実験結果と詳細な比較を行い、厚い境界層の流れに対する本法の有効性を検証すると共に、乱流モデルの長さスケールの選択の仕方等の最適チューニングを行っている。

 第5章では、具体的に乗用車の形状を選び、そのノッチバック形状とスラントバック形状を系統的に変化させ、水槽実験、風洞実験と本研究の方法によるシミュレーションを行い、形状の系統的変化が引き起こす流体現象とその結果としての流体力との関係を流体力学的に論理的かつ精度良く説明できることを示している。本研究の方法によるシミュレーションでは抗力係数と揚力係数が絶対値としても充分な精度を持ち、系統模型相互の関係も正しく評価されている。このことは、流体力を決定する主要な渦構造も満足のいくレベルで解像されており、形状差による渦構造の変化も説明されているものと考えられる。車体後部の渦構造が横渦と縦渦とで構成され、縦渦の強弱、位置関係が抗力の大小と関係していることも示されている。このように本シミュレーション法が車体の流体力係数の予測に有効であることが明らかにされている。

 第6章では、臨界形状を対象として、非定常な渦流場の挙動が明らかにされている。高抗力状態と低抗力状態ではhelicity,Lamb vectorで表現される渦流場に明確な差があり、車体後部における横渦と縦渦の相互関係とその時系列的変化が本質的な現象であることが示され、時間精度のある有限体積法シミュレーションが、このような非定常流れに有効であることが示されている。

 第7章では、本研究の手法を極く最近の実車開発に応用し、大変有効に利用できることを応用例として示している。

 以上のように本論文は、車体まわりの流れの予測法と実験法にいくつかの新しい技術を開発し、実際的な応用によって、それらの有効性を確認し、これらは総合的に自動車工学を中心とした工学研究の進歩に大きく貢献したと認められる。よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格と認められる。

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