学位論文要旨



No 211832
著者(漢字) 笹岡,千秋
著者(英字)
著者(カナ) ササオカ,チアキ
標題(和) クロライド原子層エピタキシャル成長における自己停止機構に関する研究
標題(洋)
報告番号 211832
報告番号 乙11832
学位授与日 1994.06.16
学位種別 論文博士
学位種類 博士(工学)
学位記番号 第11832号
研究科 工学系研究科
専攻 電子工学専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 西永,頌
 東京大学 教授 多田,邦雄
 東京大学 教授 鳳,紘一郎
 東京大学 教授 荒川,泰彦
 東京大学 助教授 河東田,隆
 東京大学 助教授 尾鍋,研太郎
内容要旨

 本論文は、クロライド原子層エピタキシャル成長(ALE)における成長分子種の表面吸着状態を実験的に明らかにし、自己停止機構の起源についてまとめたものである。本論文で明らかにしたことは、各章ごとに以下のように要約される。

 第1章では、クロライドALEと自己停止機構に関する研究の背景、本研究の目的と意義、および本論文の構成について述べた。

 第2章では、DEGaCl((C2H5)2GaCl)と固体As蒸気を原料としたクロライドALE成長をおこない、成長実験および熱分解実験から成長に寄与する分子種を明らかにした。

 はじめに、実験で用いたALE成長装置とAs蒸気切り換え機構の動作について説明した。DEGaClとAs蒸気を用いたALE成長実験から、固体As蒸気を原料としても単原子層成長が実現されることを示した。通常V族原料ガスとして用いられるAsH3などの水素化物は、分解の際AsHx(x=1,2)や原子状水素などの活性な分子・原子を放出する。本実験から、これらの活性な分子は自己停止機構の発現に本質的ではないことが示された。

 次に、成長に寄与するIII族分子種を明らかにするため、四重極質量分析器(QMS)を用いDEGaClの熱分解実験をおこなった。成長実験と同一条件下で分解実験をおこなった結果、DEGaClは430℃でほぼ完全にGaClに分解することが示された。これより、成長実験で単原子層成長が実現された領域では、GaClが基板に供給されることが明らかとなった。DEGaCl分解時に生成される主な炭化水素はC2H6,C4H10と同定され、ラジカル分解が生じていることがわかった。一方、分解温度は流速に大きく依存し、高流速条件では未分解のDEGaClが基板上に供給される可能性のあることが明らかになった。このような条件下でも単原子層成長が実現されることから、未分解DEGaClによる自己停止機構についても考察する必要のあることを述べた。未分解のDEGaClが基板上に供給されたときの分解過程を調べるため、DEGaClと同様の分子構造を持つDEAlCl((C2H5)2AlCl)の熱分解実験をおこない、分解における表面の効果について検討した。この結果、系内にSiO2表面しかない場合はラジカル分解によりC2H6,C4H10が生成されるのに対し、清浄なAl表面が存在する場合はC2H4が生成されることが明らかになった。この分解過程の変化は、表面の空の軌道(empty state)が関与する脱離により説明できることを示した。さらに、表面の関与する分解過程は中心金属の性質に依存しないため、DEGaClの分解においても起こりうることを述べた。

 第3章では、Si(100),Si(111)清浄表面に吸着したDEGaClの吸着状態をXPS(X-ray Photoelectron Spectroscopy)およびRHEED(Reflection High Energy Electron Diffraction)により観察し、半導体表面におけるDEGaClの吸着・解離過程に関して調べた結果を述べた。

 室温でのDEGaCl吸着実験から、Si(100)2×1上では、分子状吸着が起きることがわかった。また角度分解XPS測定から、DEGaClは配向して吸着することが示された。この表面を昇温すると、210℃においてGa-C2H5,Ga-Cl結合の解離、および表面からのClの脱離が観察された。Si(111)7×7上では、Gaのケミカルシフトから室温吸着時にGa-Cl結合が解離することが明らかになった。解離により生成されたGa-(C2H5)2は、基板に対して垂直方向に結合することが角度分解XPS測定から示された。(111)上でも(100)表面と同様、210℃のアニールにより表面からClが脱離し、Ga-C2H5結合が解離することが明らかになった。(100),(111)表面における極めて低い温度でのCl脱離について、Si表面上の空の軌道が関与した解離によりC2H4と原子状水素が生成され、この原子状水素によりClが引き抜かれて表面から脱離するモデルを提案した。

 これらに基づき、GaAs上での未分解DEGaClによる自己停止機構を考察した。この結果、Gaの堆積する過程として、表向Gaダイマーに起因する空の軌道を介した解離により原子状水素が生成され、これによりGaClが還元されるというモデルを得た。またGa堆積の自己停止性に関しては、Ga面上でのGaClおよび原子状水素の表面滞在時間が短いため、還元反応速度が低下することで説明できることを述べた。

 第4章では、表面に吸着したGaCl,InClの吸着状態を昇温脱離(Temperature Programmed Desorption,TPD)測定から明らかにし、これらの分子の脱離の活性化エネルギーをもとに自己停止機構を考察した。

 はじめに、新たに設計製作したモノクロライド分子線セルについて述べた。本セルは、金属GaまたはInとCl2を800℃で反応させ、超高真空下でGaCl,InCl分子線を生成するものである。QMSにより本セルの反応生成物を分析し、ほぼ100%の効率でGaCl,InCl分子線が生成されることを確認した。

 次に、GaAs(100)2×4As安定化面および4×6Ga安定化面にGaClを吸着させTPD測定をおこなった。両表面とも3L(Langmuir,10-6 Torr・s)以上のGaCl暴露で吸着量が飽和し、多層吸着が生じないことが示された。また脱離分子種はGaClであり、脱離の次数は1次であることが明らかになった。GaCl脱離ピークはAs安定化面で330℃,Ga安定化面で220℃に観察された。これより脱離の活性化エネルギーはそれぞれ38±2kcal/mol,32±2kcal/molと求められた。InAs(100)2×4As安定化面および4×2In安定化面上に吸着したInClのTPD測定から、脱離分子種はInClであること、1.2L以上の暴露でInCl吸着量が飽和することがわかった。InClのTPDピークはAs安定化面では300℃に、またIn安定化面では180℃と220℃に現れ、InClがAs安定化面上でより安定に吸着することがわかった。

 TPDより得られた脱離の活性化エネルギーから、GaClのGaAs上での表面滞在時間GaClは、クロライドALEの典型的な成長温度である450℃において、As安定化面上で10-1s,Ga安定化面上で10-3sと求められた。これらの値はクロライドALEにおけるGaCl供給後のパージ時間に対し1桁以上短い。したがってALE成長時表面に吸着したGaClは、何らかの反応により脱離の活性化エネルギーの高い分子または原子に変化することが明らかになった。この反応過程として、成長雰囲気ガスであるH2によるGaClからGaへの還元が有力であることを示した。また自己停止機構に関しては、表面がGaで覆われるとGaCl表面滞在時間が減少し、還元反応速度が急激に低くなるために、それ以上のGaの堆積が抑えられることで説明されることを述べた。

 第5章では、自己停止機構をV族吸着の立場から実験的に調べた結果について述べた。

 はじめに、GaAs(100)ALE成長時の表面であるc(4×4)As過剰吸着面のTPD測定から、この構造は500℃まで安定であること、As被覆率は1.28〜1.61ML(Monolayer)であることを明らかにした。これより典型的なGaAs ALE成長条件下では、As供給後も1ML以上のAs被覆率が保たれることが示された。これらに基づき、III族原料ガス供給時に表面全体がAsで覆われていることが、単原子層成長実現の要件であることを述べた。一方、InAs(100)2×4As安定化面では、吸着種間の相互作用により300℃付近からAsの脱離が始まることがわかった。したがって、ALE成長温度域では1MLのAs被覆率を維持することができず、このために単原子層成長が実現されないことを明らかにした。またAs脱離の頻度因子は、1×1019s-1と通常の一次脱離における値1013s-1に比べて大きいことが示された。頻度因子には吸着ポテンシャル面の曲率が反映されることを指摘し、In安定化面の吸着ポテンシャル面形状が特異であることを述べた。

 次に、歪系材料のALEにおけるV族脱離過程を明らかにするため、1MLInAs/GaAs(100)表面のAs脱離をTPDにより調べた。この系では、バルクInAs表面と比べ、As脱離温度が約80℃高温側にシフトすることが明らかになった。また、脱離の頻度因子はバルクの値と一致することが示された。脱離温度のシフトに関しては、GaAs上の1ML InAsの場合バルクInAsに比べAsダイマー形成時のAs原子の変位が小さく、エネルギー的に有利になることから説明された。さらに格子定数の違いに起因するAs脱離温度のシフトを利用し、歪系においてInAsのALE成長が実現される可能性があることを述べた。

 第6章では、クロライドALE成長による自己停止機構に関する研究について得られた成果を総括し、本論文の結論を述べた。

 以上のように、本研究ではクロライドALEにおけるIII族およびV族成長分子種の吸着状態を実験的に明らかにし、自己停止機構のメカニズムの解明をおこなった。

審査要旨

 本論文はクロライド系原子層エピタキシャル成長(Atomic Layer Epitaxy,ALE)における成長分子種の表面吸着状態を実験的に調べ、自己停止機構を明かにしたもので6章からなっている。

 第1章は序論でありクロライド系ALEの自己停止機構に関する研究の背景、本研究の目的と意義、および本論文の構成について述べている。

 第2章ではジエチルガリウムクロライド(DEGaCl,(C2H5)2GaCl)と固体砒素蒸気を原料としたクロライドALE成長を行い、成長実験および熱分解実験から成長に寄与する分子種を明かにしている。先ず、DEGaClと砒素蒸気を用いてALE成長が可能であることを示し、従来信じられていたAgH3などの水素化物が分解するときに生成される活性な原子や分子がALEを可能とするという考え方は正しくないことを示した。

 次に成長に寄与するIII族分子種を明かにするため、四重極質量分析器(QMS)を用いDEGaClの熱分解実験を行っている。先ず、単分子層成長が可能な条件下ではDEGaClはほぼ完全に分解しGaClが基板に供給されることを示し、この時生成される分子はC2H6,C4H10であることを明かにした。又、未分解のDEGaClが基板に来たときの分解の様子を明かにするためにDEAlClの熱分解実験をおこない、系内にSiO2表面しかない場合はラジカル分解によりC2H6,C4H10が生成されるのに対し、清浄なAl表面が存在するときにはC2H4が生成されることを示した。

 第3章では、Si(100),Si(111)清浄表面におけるDEGaClの吸着状態をX線光電子分光(XPS)および反射高エネルギー電子線回折(RHEED)により調べた結果を述べている。室温での実験ではSi(100)2×1上でDEGaClは分子状吸着をしていること、また角度分解XPS測定から吸着したDEGaClは配向していることを示している。一方、この表面を昇温すると、210℃においてGa-C2H5,Ga-Cl結合の解離、および表面からのClの脱離を観察している。しかし、Si(111)7×7上では、室温吸着時にGa-Cl結合が解離すること、解離により生成されたGa-(C2H5)2は基板に対して垂直方向に結合することを示している。Si(100),(111)両面において非常に低い温度でClが脱離するメカニズムについて、Si表面上の空の軌道が関与した解離による原子状水素が原因であるというモデルを提案している。

 第4章では表面に吸着したGaCl,InClの状態を昇温脱離測定(TPD)から明かにし、これ等分子の脱離の活性化エネルギーから自己停止機構を考察している。先ず、超高真空下でGaClとInClの分子線を安定に生成するための新たな分子線セルを作製し、GaAs(100)2×4As安定化面および4×6Ga安定化面にGaClを、InAs(100)2×4As安定化面および4×2In安定化面にGaClおよびInClを吸着させTPD測定を行っている。その結果、GaCl,InClともに吸着量が飽和し多層吸着が生じないこと、脱離の次数は一次であることを明かにした。又、InClはGaClより低温で脱離することも示した。これ等の分子の表面滞在時間は非常に短く、このため、ひとたび表面がGaでおおわれるとGaClの還元反応率が急激に低下しGaの多層吸着が抑制されることを明かにした。

 第5章ではV族吸着の自己停止機構を調べた結果につき述べている。はじめに、GaAs(100)ALE成長時の表面であるC(4×4)As過剰吸着面のTPDによりAsの被覆率は1.28〜1.61分子層(ML)であること明かにしている。これによりALE成長条件下では、As供給後、1ML以上のAs被覆率が保たれておりこのため単分子層成長が行われることを示した。一方、InAs(100)2×4As安定化面では低温でAsの脱離が起こりそのためALE成長温度領域では単分子層成長が実現されないことを明かにしている。

 第6章ではクロライドALE成長による自己停止機構に関する研究について得られた成果を総括し、本論文の結論を述べている。

 以上これを要するに、本研究ではクロライド系原子層エピタキシャル成長におけるIII族およびV族分子種の分解、吸着、脱離過程を原子・分子レベルで明かにすることにより自己停止機構の解明を行ったもので、半導体超薄膜成長技術の基礎の確立に寄与するところが多大であり、電子工学に貢献するところが大きい。

 よって本論文は博士(工学)の学位請求論文として合格であると認められる。

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