学位論文要旨



No 211840
著者(漢字) 吉村,浩太郎
著者(英字)
著者(カナ) ヨシムラ,コウタロウ
標題(和) ラット薄筋移植モデルにおける移植筋の回復に関する研究 : 電気生理学的・組織学的・酵素組織化学的・生化学的手法による脱神経筋・self-reinnervation筋との比較検討
標題(洋)
報告番号 211840
報告番号 乙11840
学位授与日 1994.06.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(医学)
学位記番号 第11840号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 野々村,禎昭
 東京大学 教授 金澤,一郎
 東京大学 教授 山内,昭雄
 東京大学 教授 内田,久則
 東京大学 助教授 長野,昭
内容要旨

 現在すでに臨床的に広く用いられているにもかかわらず、いまだ数多くの問題点を抱えている移植筋肉とくに神経血管柄付き遊離移植筋の脱神経過程および再神経支配過程(筋細胞の変性および再成熟過程)における変化をより明らかにするために、また臨床的に求められる、より安全で信頼性の高い筋肉の移植手術、速やかな移植筋の回復、およびより満足できる機能的回復(より大きな筋力の獲得)などのテーマヘの糸口を模索する目的で本研究を行った。さらに神経支配などの影響による筋細胞の可塑性、組織化学的筋線維タイプとミオシンアイソフォームとの相関関係、および脱神経およびそれに続く再神経支配によって引き起こされる筋線維(筋細胞)の変性および再生の実態など今だに不明の点が多いテーマについてもその一端を明らかにすることを念頭に置いた。

 神経血管柄付遊離移植筋肉に関する研究を行ううえで信頼性の高い動物実験モデルを開発する必要があるが、本研究ではWistar系ラット(オス)(400〜500g)の速筋遅筋混合型筋である薄筋を使用して、神経血管柄付き筋肉移植モデルを新たに考案、作成した。実際には薄筋をそけい皮弁との複合皮弁として、顔面咬筋上に移植し、内頚動脈、外頚静脈、顔面神経下顎枝と顕微鏡下に吻合した。当初は薄筋のみを移植するモデルを試みたが、後に移植薄筋弁をそけい皮弁との複合皮弁とすることによって静脈還流が飛躍的に増加し、血行再建の成功率が良くなった。また、そけい皮弁は術後の血行開存の皮膚モニターとして本研究の円滑かつ計画的な進行に大いに有用であった。

 さらに移植後の脱神経ならびに再神経支配過程における移植筋(線維)の変化をいくつかの視点から比較、分析する目的で、同じくラット薄筋を用いた脱神経筋モデル、およびself-reinnervation(本来の支配神経による再神経支配)筋モデルを作成した。

 術後0、1、2、3、4、8、12、16週において、(再神経支配の見られるものについては)誘発筋電図を記録し、それぞれの筋肉の連続凍結切片を作製し、H-E染色およびミオシンATPase染色を行ない、組織化学的筋線維タイプ別の直径や組成などを検索した。さらに各筋の構成ミオシンのアイソフォームをピロリン酸ポリアクリルアミドゲル電気泳動法を用いて検索した。

 移植筋、self-reinnervation筋ともに2ないし4週にて再神経支配が確認され、両者の神経再支配までの期間には有意な相違は認められなかった。Self-reinnervation筋は、組織および誘発筋電図から16週においてはほぼ正常筋近くまで回復したが、移植筋は、脱神経筋と比較すれば再支配の影響が見られるものの、直径(短径)で正常薄筋の約50%、誘発電位で約25%の回復であった。このようにすべての筋線維に再支配が行き渡っていく速さは同程度であるが、両者の最終的な最大誘発電位の大きさには大きな開きがあった。筋線維そのものの回復の違いもさることながら、残存している筋線維数の差からくる影響が大きいと思われた。

 形態面からself-reinnervation筋と比較すると、筋線維の成熟の過程において、移植筋の方では初期に炎症細胞の浸潤が多い、変性・壊死線維が多く線維組織が増える、筋線維の成熟がやや遅れる、などの相違点が見られたが、とくに筋線維の直径の回復ぶりの違いが目立つ。移植筋線維の直径は、4週以降脱神経筋線維と比較すると明らかな再支配の影響が認められるものの、著明な直径の回復を示しているself-reinnervation筋線維(正常時の約9割にまで回復)とは異なり、正常時の約1/2の短径を維持する程度であった。また、再神経支配が始まっている4週以降においても、脂肪変性が進行したり直径の回復が見られないなどは注目すべき所見で、神経支配以外の要因が影響していることが強く示唆された。両者の回復の違いには、再建血行、手術侵襲の影響に加えて、とくに腱切断およびそれに伴う不均一な低緊張による影響が大きいと考えられた。筋移植(とくに部分筋移植)における筋固定の困難さ、またそれが移植筋に与える影響の大きさが伺えた。

 ミオシンATPase染色において、正常薄筋では前腹はタイプ2線維優位であり、一方後腹はタイプ1線維優位であり、全体としては同程度に(タイプ1:タイプ2≒45:55)交じりあっていた。一方、表情筋(上口唇挙筋)および咬筋はすべてタイプ2線維のみよりなっていた。移植筋では、脱神経、tenotomy、異神経支配によると思われるタイプ1線維の減少が見られた。しかし、12週以降新たにタイプ1線維の増加が見られた。脱神経筋おいては、タイプ1線維の萎縮・減少が見られたが、8週以降一部のタイプ2線維の肥大が観察された。Self-reinnervation筋においては当初の脱神経変化の後、筋線維タイプ組成は術前と同程度になった。しかし正常筋と比較するとタイプグルーピングが明らかに見られた。またいずれの筋においても、タイプ変化に伴い移行型と思われるタイプ2c線維の増加が見られた。タイプ2c線維はself-reinnervation筋においてとくに8週においておよそ20%近くまで増加した。

 今回の移植筋において認められた変化(最後のタイプ1線維の増加)は神経支配の影響のみからは説明が難しく、すなわち速筋型運動ニューロンによる交差神経支配やmuscular neurotizationの結果としてはとらえることができないため、筋線維は生来均一なものではないこと、もしくは筋線維の可塑性(plasticity)には限界があることなどの可能性が考えられた。

 ピロリン酸ポリアクリルアミドゲル電気泳動において、正常薄筋は同程度の遅筋ミオシン(SM)と速筋ミオシン(FM)から、上口唇挙筋はFMのみから構成されていた。術後移植筋においては、脱神経、tenotomy、新たな異神経支配による影響と思われるSMの減少が見られた。しかし、12週以降新たにSMの増加が見られ、組織化学的検索によって得られた所見との一致がみられた。移植筋においては全過程を通じて胎児ミオシン(EM)もしくは新生児ミオシン(NM)は検出されなかった。一方脱神経筋においては、術後SMの減少がみられ8週以降はFMのみとなった。Self-reinnervation筋では、術後やはり脱神経に伴うSMの減少がみられたが、4週以降は新たな再支配に伴い再びSMの増加がみられた。さらに、両筋において術後2ないし4週においてEMもしくはNMと思われる移動度の大きいアイソフォームが検出され、その後は消失した。以上のようにミオシンアイソフォームの移行過程と思われる4週以降においてはいずれの筋においてもEMおよびNMは検出できなかった。今回の結果より、タイプ変化に伴い現れた移行型と思われるタイプ2c線維は、SMとFMが混在した筋線維であると考えられた。すなわち、移行型のタイプ2c線維は、EMおよびNMからなると思われる未分化型のタイプ2c線維とは、ATPase活性の表現型は同一であるが、本質的には全く異なるものである可能性が示唆された。

 また、脱神経筋およびself-reinnervation筋において術後2ないし4週に一時的にEMもしくはNMと思われる移動度の大きいアイソフォームが検出されたことから、一部のミオシンにおいて脱神経に伴い逆分化といえる変化が生じている可能性が示唆された。しかしながら、この逆行性の変化は、"ごく一部"においてみられ、かつ"限られた範囲"までしか進行せず、数週間と"一時的"で、神経支配のあるなしにかかわらず再分化を開始すると考えられた。もうひとつの可能性として、脱神経後の変性に引き続いて生じる筋再生が表現されていることも考えられた。この場合、この変性後の再生は全体から見るとごく一部で生じ、やはり数週間と一時的に活発となるもののその後はそれら未熟なミオシンはそれ以上分化できずに消滅していくのかもしれない。

 さらに脱神経筋、self-reinnervation筋ともに術後2ないし4週において、遅筋ミオシンよりわずかに移動度の大きい1ないし2本のバンドが検出された。これらはミオシンアイソフォーム移行期に現れる遅筋ミオシンのH鎖と速筋ミオシンのL鎖とのハイブリッドタイプの可能性などが考えられた。

審査要旨

 本研究は神経血管柄付き遊離移植筋の回復過程を明らかにするために、移植筋の回復過程を経時的に観察するとともに、脱神経筋およびself-reinnervation筋の変化と比較して、臨床的にも解決すべき問題点を検討した。まず神経血管柄付き遊離移植筋に関する研究を行う上でまず大きな問題となるより信頼性の高い動物実験モデルをラットを用いて開発し、これを用いて神経血管柄付き移植筋における神経制御の影響(再神経支配など)によって引き起こされる組織化学的筋線維タイプおよびミオシンアイソザイムの変化の解析を試みたものであり、下記の結果を得ている。

 1)移植薄筋弁をそけい皮弁との複合皮弁とすることによって静脈還流が増え、血行再建の成功率が良くなり、さらにそけい皮弁は術後の血行開存の皮膚モニターとして有用であった。血管柄付き移植に伴う血行動態の変化が、とくに移植組織が小組織の場合に及ぼす影響について、ならびにその一解決法についての知見が示された。

 2)移植筋とself-reinnervation筋の比較により、再生神経の成長、最終的な最大誘発電位ならびに筋線維の直径などの回復の相違が明らかにされ、残存している筋線維数の差からくる影響の大きさも示唆された。また、移植筋における問題点として、不均一な低緊張による影響が大きいと考えられ、とくに筋の部分移植の場合筋固定法の改善が強く望まれることが考えられた。

 3)脱神経筋や移植筋における組織化学的筋線維タイプの神経支配の影響のみでは解釈しにくい変化の結果より、筋線維は本来均一なものではないこと、もしくは筋線維の可塑性には限界があること(Hohの仮説)などが考えられた。

 4)脱神経、tenotomyおよび再支配などによる筋線維タイプ移行期には、幼若なミオシン(胎児ミオシンおよび新生児ミオシン)は検出されなかった。また脱神経後2〜4週において、幼若なミオシンが観察された。したがってタイプ変化に伴い現れた移行型と思われるタイプ2c線維は、遅筋ミオシンと速筋ミオシンが混在した筋線維と考えられ、移行型のタイプ2c線維は、胎児ミオシンおよび新生児ミオシンからなると思われる未分化型のタイプ2c線維とはミオシンATPase活性の表現型は同一であるが、本質的には全く異なるものである可能性が示唆された。

 5)脱神経後2〜4週に幼若なミオシンが観察された。ひとつの仮説として、逆分化といえる変化が生じていることがかんがえられた。しかしながら、この逆行性の変化は、同時には一部のみにおいて進行し、かつ限られた範囲までしか進行せず、数週間と一時的であると考えられた。またそれ以降は、神経支配のあるなしにかかわらず再分化を開始すると考えられた。

 一方もうひとつの可能性として、脱神経後の変性に引き続いて生じる筋再生が表現されていることも考えられた。この場合、この変性後の再生は全体から見ると同時にはやはり一部のみで進行しており、やはり数週間と一時的に活発となるもののその後はそれら未熟なミオシンはそれ以上分化できずに消滅していくことも考えられた。

 以上、本論文は血管柄付き移植筋の実験モデルとしてはじめてラットを用いた信頼性の高いモデルを開発する一方、移植筋の回復過程を脱神経筋やself-innervation筋と比較して経時的にまた多方向から明らかにした。さらに未だに不明の点の多い、脱神経後やタイプ移行期の筋細胞の変性、再生や分化の解明に重要な貢献をなすと考えられ、学位の授与に値するものと考えられる。

UTokyo Repositoryリンク http://hdl.handle.net/2261/50890