学位論文要旨



No 211841
著者(漢字) 高橋,泰子
著者(英字)
著者(カナ) タカハシ,ヤスコ
標題(和) 病院環境における空気清浄度に関する研究 : その実態と空気清浄度判定のための提言
標題(洋)
報告番号 211841
報告番号 乙11841
学位授与日 1994.06.22
学位種別 論文博士
学位種類 博士(保健学)
学位記番号 第11841号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 郡司,篤晃
 東京大学 教授 杉下,知子
 東京大学 教授 小林,寛伊
 東京大学 助教授 松原,純子
 東京大学 助教授 岩本,愛吉
内容要旨

 室内の空気清浄度を考える際に、その判断の基準となる要素はいろいろあるが、病院環境では、院内感染や日和見感染の起因菌となる可能性のある空気中浮遊微生物が、最も問題となる.しかし、浮遊微生物はその採取方法、使用培地の種類や鮮度、培養条件(温度・湿度・好気的・嫌気的・培養時間)などいろいろな変動因子があるために、正確に空気清浄度を反映して測定されているのかという不安がある.一方、空気中浮遊塵埃は、測定に際して変動因子が少なく、その場所の浮遊塵埃数を物理的に測定器を用いて、リアルタイムで容易にカウントできるという利点がある.

 著者は、手術部を除くとあまり測定されていない病院環境の空気清浄度の実態を明らかにし、また空気清浄度を判定するための要因を見つける目的で、1976年から1980年にかけて、東京およびその周辺に位置する病床数千床前後の5総合病院において、清浄度が異なると考えられる病院内各場所の空気清浄度を、空気中浮遊塵埃および浮遊微生物を指標に用いて測定した.当時手術部では、手術部環境を清潔区域、準清潔区域、汚染区域に分けて清潔保持のために互いの区域が交差しないようにするゾーニングという新しい考え方が取り入れられて、管理運営がなされようとしていた.著者は、この清浄度区域区分の考え方を病院全体に広げて、病院環境を手術室など最も清浄度を必要とする清潔区域、未熟児室・新生児室など比較的清浄度を必要とする準清潔区域、病室や外来など一般的病院環境を含む病院環境区域に分けた.それぞれの区域より選んだ46か所の実測値より、病院環境の空気清浄度の実態を示すとともに、空気清浄度判定のための提言を行った.

1.測定場所と測定方法

 T,N,J,KおよびSの5つの総合病院の各病院内を便宜的に清潔区域、準清潔区域、病院環境区域に分け、それぞれの区域より選んだ6-7か所の空気清浄度測定を行った.測定場所は、病院毎に空調設備および清潔管理の必要性を加味して清浄度が高いと思われる方からABC順に記号で示した.

 空気中浮遊塵埃は、光散乱式微粒子計CI208Aを用いて粒径0.5,1.0,3.0,5.0,10.0m以上の各微粒子数を、同時にかつ連続的に測定した.空気中浮遊微生物は、Reyniers改良型slit samplerで測定した.浮遊微生物採取用培地は市販の羊血液寒天培地(日水)を用い、培養条件は37℃48時間で好気的に培養後、生育した各種細菌の集落数を算定し、採取微生物の種類の同定を行った.測定時間は各場所とも日中の病院が最も活動している時間帯とし、通常の使用状況で測定した.空気中浮遊塵埃数は、午前7時30分より午後5時まで連続的に、空気中浮遊微生物は午前9時より午後2時まで1時間毎に計6回測定した.

2.測定結果

 各測定場所の粒径別空気中浮遊塵埃数(測定時間前1時間の平均値の常用対数)と浮遊微生物(測定値の常用対数)の関係を病院別に見ると、いずれも大粒径微粒子に比し0.5mおよび1.0m以上の小粒径微粒子数と浮遊微生物数との相関係数値が、高い傾向を示した.次に各病院の測定時間帯別に、各粒径別塵埃数と浮遊微生物数の関係を見ると、最も空気汚染度の高い時間帯(浮遊塵埃数は午前10時より11時、浮遊微生物は午前11時)の0.5m以上の微粒子数と浮遊微生物数との相関係数値が最も高かった.全測定病院の本時間帯での両者の関係は、相関係数値が0.797(p<0.01)であり、Y=1.28X+3.51の式であらわされる相関関係にあった.

 Fig.1は、全測定病院の全測定場所について、便宜的に分けた清浄度を示すABC順に、各測定場所の空気中浮遊微生物数の平均値を示した.本図より、測定場所の汚染度が上がるに従って浮遊微生物数が増加する傾向が見られる.また黒塗りで示すグラム陰性桿菌の検出頻度は、測定場所の汚染度が上がるに従って増加傾向が見られた.また、各測定場所から採取された空気中浮遊微生物数とその種類数との関係は正の相関関係にあり、浮遊微生物数が多い場所では種類数も多く、少ない場所では種類数も少なかった.

3.考察

 空気中浮遊微生物は、単独ではなく塵埃に付着して空気中を浮遊していると考えられているが、病院内各場所の実測値についてその相関性を明確にした報告はあまりない.著者は各病院の測定場所別に得た空気中浮遊塵埃数と浮遊微生物数の関係を検討し、浮遊塵埃数は浮遊微生物測定時間前1時間の平均値の常用対数を、空気中浮遊微生物数は測定値の常用対数を用いることにより、両者の病院毎の相関性および測定病院全体の相関性を明確に示した.全測定病院全測定場所における最大空気汚染時間帯の空気中浮遊塵埃数(0.5m以上の微粒子数)と同微生物数の関係は、Y=1.28X+3.51の関係式で示される相関関係にあった.この結果から、各病院が最も活動している時間帯において、粒径0.5m以上の塵埃数を測定することにより、その場所の空気清浄度をある程度推定できる.従って病院環境において空気中浮遊塵埃数は、空気清浄度のラフなモニターとして意義がある.一方、各測定場所内での両者の関係は明確でなく、特に浮遊塵埃数を制御している場所では負の相関が見られる場合もあった.そのような特定の場所では、浮遊塵埃数は空気清浄度モニターとしては使えない.

 T,N,J,K,Sの5総合病院各測定場所より採取した空気中浮遊微生物の内訳(原則として属レベル、Stahylococcus aureusとグラム陰性桿菌は種レベルの同定)より、便宜的に分けた清浄度別測定場所の汚染度が上がるに従って、採取微生物数は増加する傾向が見られ、また微生物数と検出微生物の種類数との間に正の相関関係が見られた.この結果は、浮遊微生物数ばかりでなく出現種類数についても、空気汚染度判定の指標になると考えられる.一方、本測定より病院内各場所のグラム陰性桿菌検出頻度は、環境汚染度の増加とともに増加する傾向を示した.グラム陰性桿菌は、BCORの空気中からは全く検出されなかった.空気中グラム陰性桿菌に関する著者らの検討によれば、清浄空間において人体からグラム陰性桿薗の空気中への発菌は極めて僅かである.また病室空気からの本菌の出現頻度は、環境の汚染度(グルタールアルデヒドによる病室消毒後の経過期間)と関係しており、病室の汚染度が上がるに従って増加した.従って、空気中グラム陰性桿菌検出頻度が、空気汚染度の指標の一つになると考えられる.

 本測定より、空調設備の異なる5病院が、清浄度区域別ではほぼ同様の空気清浄度レベルを示したことから本実測値が病院環境の空気清浄度の実態を示すと考えられる.

4.総括

 著者の測定結果および病院環境における空気中浮遊微生物数に関する各種報告値より、空気中浮遊塵埃数(粒径0.5m以上)・空気中浮遊微生物数・出現微生物の種類数・空気中グラム陰性桿菌の検出頻度(%)・MRSA検出の有無を指標として、測定病院各場所の空気清浄度を5段階に分類し、表1に示す病院環境の空気清浄度判定のための提言を作成した.この提言値を本実測値に適用することにより、病院環境はbiological clean operating room(BCOR)の術野付近等病院の日常使用環境において最も清浄と考えられる場所を含むultra-clean area、一般手術室環境を含むclean area、手術部内廊下やHEPAフィルターを設置し、清潔管理がなされている未熟児室や新生児室等を含むsemi-clean area,病室環境及び外来環境を含むnosocomial areaに分けられた.Contaminated areaは、4つの指標のいずれかの条件を充たした場所とした.なお、本測定時MRSAは未だ問題とされていなかったが、現在では最も重要な汚染菌であるので、本提言に加えた.

図表Fig.1 Distribution of number of airborne microorganisms in hospital environment. / Table1.Proposal for classification of hospital environment using levels of air-cleanliness.
審査要旨

 本論文「病院環境における空気清浄度に関する研究-その実態と空気清浄度判定のための提言」は、本文46ページ(40×30)、図18枚、表22枚、引用文献79篇から構成されており、その要旨は以下に述べる内容である.

 〔目的〕手術部を除くと、あまり測定されていない病院環境の空気清浄度の実態を明らかにし、また空気清浄度の判定をするための要因を見つけ、それを用いて簡便な空気清浄度判定の目安を作る目的で、1976年から1980年にかけて、東京およびその周辺に位置する病床数千床前後の5総合病院の空気清浄度を測定した.

 〔方法〕測定場所は、当時手術部で行われていた清浄度区域区分の考え方を病院全体に広げて、書院環境を清潔区域(手術室など)、準清潔区域(未熟児室・ICUなど)、病院環境区域(病室・外来など)に分け、それぞれの区域より選んだ46カ所である.空気清浄度の指標は、空気中浮遊塵埃と浮遊微生物とし、塵埃数(粒径0.5,1,3,5,10m以上の各微粒子数)はparticle counterで午前7時30分より午後5時まで連続的に、微生物はReyniers改良型slit samplerで午前9時より午後2時まで1時間毎に測定した.

 〔結果と考察〕病院毎の粒径別塵埃数(測定時間前1時間の平均値の常用対数)と微生物数(測定値の常用対数)の関係は、いずれも大粒径微粒子に比し、0.5と1.0m以上の小粒径微粒子数と微生物数との相関係数値が高かった.各病院の測定時間帯別に両者の関係を見ると、最も空気汚染度の高い時間帯(塵埃数は午前10時より11時、微生物数は11時)の粒径0.5m以上の微粒子数と微生物数との相関係数値が最も高かった.全測定病院の本時間帯での塵埃数(Y)と微生物数(X)の関係は、相関係数値が0.797(p<0.01)であり、Y=1.28X+3.51の関係式で示された.

 病院毎の空調設備や清潔管理の必要性を加味して便宜的に分けた清浄度別に、微生物数を見ると、測定場所の汚染度が上がるに従って増加する傾向があった.またグラム陰性桿菌の検出頻度も、測定場所の汚染度が上がるに従って増加した.各場所から採取された微生物数とその同定された種類数は、正の相関関係にあり、微生物数が多い場所では種類数も多く、少ない場所では少なかった.

 以上の結果に 現在最も重要な病原菌であるMRSAを加えて、粒径0.5m以上の微粒子数・微生物数・微生物の種類数・グラム陰性桿菌の検出率・MRSAの有無の5因子を用いて、病院環境の空気清浄度判定の目安を作成することを考えた.

 〔総括〕本測定結果および各種報告値にMRSAを加えて、病院環境の空気清浄度判定のための提言を作成した.即ち、空気中浮遊塵埃数(粒径0.5m以上の微粒子数)・浮遊微生物数・微生物の種類数・グラム陰性桿菌の検出頻度(%)・MRSA検出の有無の5つの指標を用いて測定病院各場所の空気清浄度を5段階に分類した.即ち、バイオロジカルクリーン手術室における手術野付近など最も清浄な空気環境であると考えられる場所を含むultra-clean areaは、微生物数が1cfu/100l以下、種類数が3種類以下、グラム陰性桿菌の検出頻度が0%、MRSAは陰性とした.このように清浄な環境では、リネン類からの発塵などちょっとした要因で塵埃数が影響されるので、塵埃数の提言値は出さなかった.一般手術室環境を含むclean areaは、微生物数が12cfu以下、種類数が5種類以下、グラム陰性桿菌が5%以下、MRSAは陰性とし、塵埃数はY=1.28X+3.51の関係式から算出した8万個/ft3以下とした.手術部内廊下やHEPAフィルターを設置し清潔管理がなされている未熟児室や新生児室などを含むsemi-clean areaは、微生物数が30cfu以下、種類数が8種類以下、グラム陰性桿菌が10%以下、MRSAは陰性、塵埃数は25万個/ft3以下とした.病室環境および外来環境を含むnosocomial areaは、微生物数が50cfu以下、種類数が10種類以下、グラム陰性桿菌が15%以下、MRSAは陰性、塵埃数は48万個/ft3とした.また、微生物数・種類数・グラム陰性桿菌の検出頻度のいずれかが、nosocomial areaの提言値を越えた場合、またはMRSAが陽性の場合は、微生物汚染がある場所としてcontaminated areaとした.本提言値を本実測値に適用し、病院環境の空気清浄度による区域区分を行った.

 以上の要旨から、本論文の特筆すべき点を挙げると、

 1.従来殆ど大規模調査の行われていなかった病院環境の空気清浄度について、空気中浮遊微生物は吸引量が比較的正確なReyniers改良型slit samplerにより延べ276回の測定と、検出微生物の種類の同定を行い、また浮遊塵埃は5種類の各粒径微粒子数をparticle counterにより延べ約460時間におよぶ測定を行い、その結果より病院環境の空気清浄度の実態を明らかにしたことである.

 2.浮遊塵埃数と浮遊微生物数の関係から、両者は病院が最も活動し、空気環境が最も汚れている午前11時の時間帯で最も高い相関関係にあり、また粒径0.5m以上の微粒子数(Y:常用対数)が、病院で問題となる微生物数(X:常用対数)と最も相関が高かった.その関係はY=1.28+3.51の式で示される.この結果より、最大汚染時間帯における粒径0.5m以上の微粒子数は、病院レベルでのラフな空気清浄度モニターになり得ることを示した.しかし、微粒子数が制御されている特定の場所では、塵埃数と微生物数の相関が見られない場合が多いことから、塵埃数が空気清浄度モニターとしては必ずしも使えないことが明らかになった.

 3.病院環境の空気中浮遊微生物に関して明らかになったことは、空気中浮遊微生物数および浮遊微生物中に占めるグラム陰性桿菌の検出頻度が、測定場所の汚染度が上がるに従って増加する傾向が見られたことである.また、浮遊微生物数とその同定された微生物の種類数(Staphylococcus aureusとグラム陰性桿菌は種レベルで同定、その他は属レベル)は相関しており、微生物数が増加すると検出微生物の種類数も増加した.

 4.以上の結果を用いて、粒径0.5m以上の微粒子数、浮遊微生物数、グラム陰性桿菌の検出頻度、検出微生物の種類数および本研究では検出されなかったが、現在最も重要な病原菌となっているMRSA(Methicillin resistant Staphylococcus aureus)を含めて、病院環境の空気清浄度判定のための提言を作成した.この提言が、従来の病院環境の空気清浄度スタンダードと異なる点は、従来のものが病院建築のために必要な空調設計(換気規格)の視点から作成されたものであり、病院使用時の実測を伴わないものであった.また、空気清浄度の指標となる浮遊塵埃と浮遊微生物は数のみが問題とされている.しかし、病院環境では空気中浮遊微生物の数だけではなくてその種類、特に易感染患者が多くなっている今日では、日和見感染の起因菌となるグラム陰性桿菌や、MRSAを含むStaphylococcus aureusが問題となる.本提言では、感染防止の視点より、微生物の種類、特にグラム陰性桿菌の種類数と検出頻度に注目するとともに、現在最も重要な病原菌であるMRSAを加えて本提言を作成した.本提言値を本実測値に適用することにより、病院環境の各清浄度区域における浮遊微生物のフローラを明確に示すとともに、汚染区域が特定できたことは、本提言の有用性を示すと考えられる.

 以上より、本論文「病院環境における空気清浄度に関する研究-その実態と空気清浄度判定のための提言」は、学位の授与に値するものと考えられる.

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