本論文「病院環境における空気清浄度に関する研究-その実態と空気清浄度判定のための提言」は、本文46ページ(40×30)、図18枚、表22枚、引用文献79篇から構成されており、その要旨は以下に述べる内容である. 〔目的〕手術部を除くと、あまり測定されていない病院環境の空気清浄度の実態を明らかにし、また空気清浄度の判定をするための要因を見つけ、それを用いて簡便な空気清浄度判定の目安を作る目的で、1976年から1980年にかけて、東京およびその周辺に位置する病床数千床前後の5総合病院の空気清浄度を測定した. 〔方法〕測定場所は、当時手術部で行われていた清浄度区域区分の考え方を病院全体に広げて、書院環境を清潔区域(手術室など)、準清潔区域(未熟児室・ICUなど)、病院環境区域(病室・外来など)に分け、それぞれの区域より選んだ46カ所である.空気清浄度の指標は、空気中浮遊塵埃と浮遊微生物とし、塵埃数(粒径0.5,1,3,5,10m以上の各微粒子数)はparticle counterで午前7時30分より午後5時まで連続的に、微生物はReyniers改良型slit samplerで午前9時より午後2時まで1時間毎に測定した. 〔結果と考察〕病院毎の粒径別塵埃数(測定時間前1時間の平均値の常用対数)と微生物数(測定値の常用対数)の関係は、いずれも大粒径微粒子に比し、0.5と1.0m以上の小粒径微粒子数と微生物数との相関係数値が高かった.各病院の測定時間帯別に両者の関係を見ると、最も空気汚染度の高い時間帯(塵埃数は午前10時より11時、微生物数は11時)の粒径0.5m以上の微粒子数と微生物数との相関係数値が最も高かった.全測定病院の本時間帯での塵埃数(Y)と微生物数(X)の関係は、相関係数値が0.797(p<0.01)であり、Y=1.28X+3.51の関係式で示された. 病院毎の空調設備や清潔管理の必要性を加味して便宜的に分けた清浄度別に、微生物数を見ると、測定場所の汚染度が上がるに従って増加する傾向があった.またグラム陰性桿菌の検出頻度も、測定場所の汚染度が上がるに従って増加した.各場所から採取された微生物数とその同定された種類数は、正の相関関係にあり、微生物数が多い場所では種類数も多く、少ない場所では少なかった. 以上の結果に 現在最も重要な病原菌であるMRSAを加えて、粒径0.5m以上の微粒子数・微生物数・微生物の種類数・グラム陰性桿菌の検出率・MRSAの有無の5因子を用いて、病院環境の空気清浄度判定の目安を作成することを考えた. 〔総括〕本測定結果および各種報告値にMRSAを加えて、病院環境の空気清浄度判定のための提言を作成した.即ち、空気中浮遊塵埃数(粒径0.5m以上の微粒子数)・浮遊微生物数・微生物の種類数・グラム陰性桿菌の検出頻度(%)・MRSA検出の有無の5つの指標を用いて測定病院各場所の空気清浄度を5段階に分類した.即ち、バイオロジカルクリーン手術室における手術野付近など最も清浄な空気環境であると考えられる場所を含むultra-clean areaは、微生物数が1cfu/100l以下、種類数が3種類以下、グラム陰性桿菌の検出頻度が0%、MRSAは陰性とした.このように清浄な環境では、リネン類からの発塵などちょっとした要因で塵埃数が影響されるので、塵埃数の提言値は出さなかった.一般手術室環境を含むclean areaは、微生物数が12cfu以下、種類数が5種類以下、グラム陰性桿菌が5%以下、MRSAは陰性とし、塵埃数はY=1.28X+3.51の関係式から算出した8万個/ft3以下とした.手術部内廊下やHEPAフィルターを設置し清潔管理がなされている未熟児室や新生児室などを含むsemi-clean areaは、微生物数が30cfu以下、種類数が8種類以下、グラム陰性桿菌が10%以下、MRSAは陰性、塵埃数は25万個/ft3以下とした.病室環境および外来環境を含むnosocomial areaは、微生物数が50cfu以下、種類数が10種類以下、グラム陰性桿菌が15%以下、MRSAは陰性、塵埃数は48万個/ft3とした.また、微生物数・種類数・グラム陰性桿菌の検出頻度のいずれかが、nosocomial areaの提言値を越えた場合、またはMRSAが陽性の場合は、微生物汚染がある場所としてcontaminated areaとした.本提言値を本実測値に適用し、病院環境の空気清浄度による区域区分を行った. 以上の要旨から、本論文の特筆すべき点を挙げると、 1.従来殆ど大規模調査の行われていなかった病院環境の空気清浄度について、空気中浮遊微生物は吸引量が比較的正確なReyniers改良型slit samplerにより延べ276回の測定と、検出微生物の種類の同定を行い、また浮遊塵埃は5種類の各粒径微粒子数をparticle counterにより延べ約460時間におよぶ測定を行い、その結果より病院環境の空気清浄度の実態を明らかにしたことである. 2.浮遊塵埃数と浮遊微生物数の関係から、両者は病院が最も活動し、空気環境が最も汚れている午前11時の時間帯で最も高い相関関係にあり、また粒径0.5m以上の微粒子数(Y:常用対数)が、病院で問題となる微生物数(X:常用対数)と最も相関が高かった.その関係はY=1.28+3.51の式で示される.この結果より、最大汚染時間帯における粒径0.5m以上の微粒子数は、病院レベルでのラフな空気清浄度モニターになり得ることを示した.しかし、微粒子数が制御されている特定の場所では、塵埃数と微生物数の相関が見られない場合が多いことから、塵埃数が空気清浄度モニターとしては必ずしも使えないことが明らかになった. 3.病院環境の空気中浮遊微生物に関して明らかになったことは、空気中浮遊微生物数および浮遊微生物中に占めるグラム陰性桿菌の検出頻度が、測定場所の汚染度が上がるに従って増加する傾向が見られたことである.また、浮遊微生物数とその同定された微生物の種類数(Staphylococcus aureusとグラム陰性桿菌は種レベルで同定、その他は属レベル)は相関しており、微生物数が増加すると検出微生物の種類数も増加した. 4.以上の結果を用いて、粒径0.5m以上の微粒子数、浮遊微生物数、グラム陰性桿菌の検出頻度、検出微生物の種類数および本研究では検出されなかったが、現在最も重要な病原菌となっているMRSA(Methicillin resistant Staphylococcus aureus)を含めて、病院環境の空気清浄度判定のための提言を作成した.この提言が、従来の病院環境の空気清浄度スタンダードと異なる点は、従来のものが病院建築のために必要な空調設計(換気規格)の視点から作成されたものであり、病院使用時の実測を伴わないものであった.また、空気清浄度の指標となる浮遊塵埃と浮遊微生物は数のみが問題とされている.しかし、病院環境では空気中浮遊微生物の数だけではなくてその種類、特に易感染患者が多くなっている今日では、日和見感染の起因菌となるグラム陰性桿菌や、MRSAを含むStaphylococcus aureusが問題となる.本提言では、感染防止の視点より、微生物の種類、特にグラム陰性桿菌の種類数と検出頻度に注目するとともに、現在最も重要な病原菌であるMRSAを加えて本提言を作成した.本提言値を本実測値に適用することにより、病院環境の各清浄度区域における浮遊微生物のフローラを明確に示すとともに、汚染区域が特定できたことは、本提言の有用性を示すと考えられる. 以上より、本論文「病院環境における空気清浄度に関する研究-その実態と空気清浄度判定のための提言」は、学位の授与に値するものと考えられる. |