学位論文要旨



No 211847
著者(漢字) 杉本,雅純
著者(英字)
著者(カナ) スギモト,マサズミ
標題(和) 長期背地適応後のメダカの形態学的体色変化に関する研究
標題(洋) Studies on morphological color change in the medaka, Oryzias latipes,after prolonged background adaptation
報告番号 211847
報告番号 乙11847
学位授与日 1994.06.27
学位種別 論文博士
学位種類 博士(理学)
学位記番号 第11847号
研究科
専攻
論文審査委員 主査: 東京大学 教授 川島,誠一郎
 東京大学 教授 嶋,昭紘
 東京大学 教授 神谷,律
 東京大学 教授 守,隆夫
 東京大学 教授 平野,哲也
内容要旨

 変温脊椎動物の体色変化は,生理学的体色変化と形態学的体色変化の二つの範畴に分類される。前者は皮膚中に存在する色素胞の運動性に起因する比較的速い体色の変化で,後者はその色素胞の大きさや密度,そして皮膚中の色素量の変化によって起こる比較的遅い体色変化として知られている。魚類や数種の爬虫類を除いた変温脊椎動物では,これらの体色変化はホルモンによって調節されている。しかし,硬骨魚類の生理学的体色変化については,むしろ神経による制御系が中心であり,その制御によって他の変温脊椎動物よりもすばやい変化が可能になっている。この神経支配は交感神経系によるもので,その制御系,情報伝達系等に関しては,ホルモンに関するものを含めて多くの研究がなかれており,その解明が進んでいる。しかし,硬骨魚類の形態学的体色変化については,他の変温脊椎動物と同様,黒色素胞刺激ホルモンなどの内分泌系の関与を中心にいくつかの報告があるだけで充分な研究はなされていない。特に,前述した末梢神経系の形態学的体色変化における役割に関しては,全く研究されていない。形態学的体色変化は生埋学的体色変化の延長線上にあると考えられていることから,硬骨魚類の体色変化を解明するためには,この問題は重要な研究課題であると考えられる。そこで本研究では,照明下でメダカを長期間背地適応させることによって起こる形態学的体色変化をモデルとして,黒色素胞の形態及び反応性の変化を調べ,それらに対する末梢神経系の関与を検討した。

 野性メダカ(Oryzias Latipes,wild type)を黒色または白色背地に24時間連続照明下で10日間適応させた後,頭部・背部・体側部の鱗を剥離し,その上に存在する黒色素胞の密度及び個々の黒色素胞の大きさ(鱗上で占める面積)などを測定し比較した(図1)。一般に頭部及び背部の鱗に存在する黒色素胞は,密度・大きさ共に体側部のものよりもまさっていた。そして背地適応後には,黒色または白色背地適応個体の黒色素胞は,細胞密度及び個々の大きさが増加または減少した(図1A,C)。このとき細胞内の黒色素顆粒が細胞体に凝集している際に占める面積には有意な差がなかったことから,大きさの変化は主に枝状部の占める面積の差によるものと考えられた(図1C)。また体側部の鱗上の黒色素胞は,背地適応後も大きさには変化はみられず,分布密度のみ有意に変化した。黒色素胞に分化すると考えられているメラノブラストをドーパ反応により検出し,その密度を比較すると部位別では一般に体側部で高く,背地適応後には黒色素胞の場合とは逆の傾向を示した(図1B)。このような形態学的な変化における末梢神経系の関与を調べるため,あらかじめ6-hydroxydopamineを腹腔内に投与して,交感神経節後繊維終末のノルエピネフリンを枯渇させたメダカ(除神経メダカ)を用いて同様に背地適応を行い比較した。その結果,除神経メダカでは,白色背地に適応させても黒色素胞の大きさは減少するが,細胞密度は有意に減少しないことがわかった(図1A,C)。また,ドーパ反応陽性のメラノブラストの密度は除神経によって影響を受けなかった(図1B)。この結果から,メラノブラストの分化に対する関与は不明であったが,長期背地適応により生じる黒色素胞の細胞密度の変化(減少)には末梢神経系が関与していることが明らかとなった。

図1 背地適応後のメダカの頭部(H),背部(D),体側部(L),より単離した鱗上の黒色素胞の定量的解析結果。A:黒色素胞数,B:ドーパ反応陽性メラノブラスト数,C:単一黒色素胞内の色素顆粒の占める面積,D:鱗上(0.1mm2)で色素顆粒の占める面積の割合。W,白色背地適応個体;B,黒色背地適応個体;DW,白色背地週応除神経個体;DB,黒色背地適応除神経個体

 形態学的な変化が生じた後の黒色素胞の色素顆粒凝集性物質に対する反応性を調べ比較してみると,表1に示したように,黒色背地適応個体ではノルエピネフリンに対する感受性は増大し,松果体ホルモンであるメラトニンに対しては感受性が減少した。白色背地適応個体では,反対の傾向となった。硬骨魚類を黒色背地へ適応させると,交感神経節後繊維からの黒色素胞へのノルエピネフリンの放出は抑制され,白色背地では促進されることが知られている。この結果から,哺乳類の神経-効果器系で知られているように,効果器である黒色素胞に作用する神経伝達物質の量によってその反応性が変化した可能性が示唆された。実際に,除神経メダカを用いた場合には,背地色に関係なく,未処理で黒色背地に適応させた個体と同様の結果となった(表1)。従って,長期背地適応後のノルエピネフリンやメラトニンに対する黒色素胞の反応性の変化は,交感神経系によって調節された結果と考えられる。

表1 ノルエピネフリン(NE),メラトニン(Melatonin),黒色素凝集ホルモン(MCH)に対する黒色素胞の反応性変化。

 このような黒色素胞の感受性の変化が,実際に神経から分泌される伝達物質に対しても有効であるかどうかを電気的な神経刺激法を用いて調べた。長期背地適応個体より単離した鱗に,種々の強度,頻度の電気刺激(1msec)をさまざまな時間加えて黒色素胞の凝集反応を比較した。その結果,黒色背地適応個体の黒色素胞では,白色背地適応個体のものより低強度の電気刺激に対して凝集反応を示した(図2)。また充分な強度の電気刺激(5V)ではその頻度に依存して凝集反応が増大したが,黒色または白色背地適応個体間での反応の有意な差はみられなかった。しかし,低強度の電気刺激(2V)では,頻度変化にかかわらず黒色背地適応個体の黒色素胞の凝集反応率は常に高くなった(図3)。これらの結果は,前述した黒色素胞のノルエピネフリンに対する反応性の変化だけでは説明できるものではなく,末梢神経側の興奮性や神経支配の程度などの変化を示唆している。そこで次に,長期背地適応が鱗上の交感神経節後繊維に及ぼす影響を形態学的に調べた。背地適応中のメダカから鱗を経日的に単離し,分布する交感神経節後繊維を3H標識ノルエピネフリンを用いたオートラジオグラフィーにより検出し比較した。黒色背地適応個体の鱗では,黒色素胞の密度が増加すると共に,結節状の神経繊維網が発達し,個々の黒色素胞に対応して放射状の集網を形成していった。反対に,白色背地適応個体の鱗では,黒色素胞密度が減少すると共に神経繊維網は著しく退行した(図3)。従って,背地適応によって交感神経節後繊維による神経支配も著しく影響を受けることが明かとなった。さらに,この神経繊維網の変化は,背地色を交換してさらに適応を続けると逆行することから,可逆的であり,このとき,黒色素胞密度の変化に比して神経繊維網の変化は著しく遅れることが見出された。このことから,黒色素胞および交感神経節後繊維に生じるこれらの現象は,必ずしも直接的な作用を及ぼし合っているとは限らないが,メダカが背地色に適応することによって共に誘起される現象であると考えられる。

図2 電気刺激強度(V)と単一黒色素胞の色素顆粒凝集反応(%)の関係。1ミリ秒のパルスを刺激として1Hzで30秒間加えた。B:黒色背地適応個体,W:白色背地適応個体。図3 電気刺激頻度(Hz)と単一黒色素胞の色素顆粒凝集反応(%)の関係。1ミリ秒のパルスを刺激として2Vまたは5Vで30秒間加えた。B:黒色背地適応個体,W:白色背地適応個体。図4 3H-NE標識神経線維が背地適応メダカ鱗上で占める面積の経日変化。B:黒色背地適応個体,W:白色背地適応個体。*P<0.01,**P<0.001。

 以上の研究結果から明らかになった現象は,ある背地色に長期間適応したメダカが明度の異なる背地へ新たに適応する際の効率を高めていると思われる。すなわち,暗色背地に長期間適応したメダカでは,黒色素胞の密度,大きさが増加しているが,ノルエピネフリンに対する感受性も増大し,交感神経繊維網も発達している。従って,新たな明色背地においての黒色素胞内の色素顆粒を凝集させる生理学的体色変化や,黒色素胞密度を減少させる形態学的体色変化には有利であり,効率良く新背地色(より明るい背地)に適応するのに役立つ。また,明色背地に長期間適応した場合には,黒色素胞のノルエピネフリンに対する感受性の低下,交感神経繊維網の退行が,より暗い背地へ移動した際の黒色素胞内の色素顆粒の拡散,黒色素胞密度の増加による適応に有利に働くと考えられる。

審査要旨

 本論文は4章からなり,第1章は長期背地適応後に生じるメダカ黒色素胞の分布と形態の変化と交感神経系の関与,第2章は長期背地適応後の黒色素胞のホルモンおよび神経伝達物質に対する反応性の変化,第3章は長期背地適応後の黒色素胞の電気的な神経刺激に対する反応性の変化,第4章は長期背地適応後の色素胞に対するアドレナリン性神経支配の変化について述べている.硬骨魚類の形態学的体色変化は,皮膚中に存在する色素胞の大きさや密度の変化によって起こる比較的遅い体色変化として知られている.現在まで,形態学的体色変化の制御系については,内分泌系を中心に報告があるだけで充分な研究はなされていない.特に,末梢神経系の役割に関しては全く研究されていない.本論文において,論文提出者は,メダカの長期間背地適応の形態学的体色変化をモデルとして,生理学的,薬理学的,形態学的手法を用いて,これらの間題を解決することを目的とした.

〈第1章〉長期背地適応後の黒色素胞の分布と形態の変化

 第1章では,長期背地適応後の形態学的体色変化を,定量的に解析するため,鱗に存在する黒色素胞の密度と大きさを測定した.黒または白背地適応個体の黒色素胞は,その密度及び大きさが増加または減少した.末梢神経系の関与を調べるため,除神経処理をして同様に背地適応を行い,比較した結果,除神経メダカでは,白背地適応後,黒色素胞の大きさは減少するが,密度は有意な変化を示さないことがわかった.この結果から,長期背地適応により生じる黒色素胞の密度の変化(減少)には末梢神経系が関与していることが示唆された.次に,形態学的な変化が,黒色素胞の運動性に与える影響を調べるため,第2章では,ホルモンや神経伝達物質に対する黒色素胞の反応性を検討した.

〈第2章〉長期背地適応後の黒色素胞のホルモンおよび神経伝達物質に対する反応性の変化

 黒色背地適応個体では,ノルエピネフリンに対する感受性は増大し,メラトニンに対しては減少した.白色背地適応個体では,反対の傾向となった,また,除神経メダカを用いた場合には,背地色に関係なく,未処理で黒色背地に適応させた個体と同様の結果となった.それらの知見から,哺乳類の神経-効果器系で知られているように,効果器である黒色素胞に作用する神経伝達物質の量によってその反応性が調節されている可能性が示唆された.このような感受性の変化が,組織内で神経から分泌される伝達物質に対しても有効であるかどうかを,第3章で,電気的な神経刺激法を用いて調べた.

〈第3章〉長期背地適応後の黒色素胞の電気的な神経刺激に対する反応性の変化

 黒または白背地に長期間適応させたメダカより剥離した鱗に,種々の強度,時間,頻度のパルス電流刺激を加えて黒色素胞の凝集反応を比較した.その結果,時間や頻度でなく強度を変化させた場合に差がみられた.これらの結果は,前述した黒色素胞の反応性の変化だけで生じたのではなく,末梢神経側の興奮性や神経支配の程度などの変化を示唆した.そこで第4章で,交感神経節後繊維に対する影響を形態学的に検討した.

〈第4章〉長期背地適応後の色素胞に対するアドレナリン性神経支配の変化

 分布する交感神経節後繊維を3H標識ノルエピネフリンを用いたオートラジオグラフィーにより検出し比較した.黒色背地適応個体の鱗では黒色素胞の密度が増加すると共に,結節状の神経繊維網が発達し,白色背地適応個体では,反対に,黒色素胞密度が減少すると共に神経繊維網は著しく退行した.この神経繊維網の変化は,背地色を交換してさらに適応を続けると逆行することから,可逆的であり,このとき,黒色素胞密度の変化に比して神経繊維網の変化は著しく遅れることが見出された.従って,背地適応によって交感神経節後神経繊維による神経支配も著しく影響を受けることが明かとなり,これらの現象はメダカが背地色に適応することによって共に誘起される現象であるが,直接的な相互作用の有無に関してはさらに検討すべき課題として残された.

 以上のように,本研究は,黒色素胞による形態学的体色変化に交感神経系による調節が働いていることを明らかにした.また,その際,黒色素胞の運動性反応の感受性や,交感神経による神経支配の調節に関して,新たな知見を得た.これらの成果は,研究の進んでいる生理学的体色変化の制御系の解明と合わせて,体色変化の総合的な解明をしていく上での重要な証拠であり,生物科学の進歩に貢献するものと評価される.

 なお,第3章は,川村隆幸,藤井良三,大島範子,第4章は,大島範子との共同研究であるが,論文提出者が主体となって分析および検証を行ったものであり,論文提出者の寄与が十分であると判断する.

 したがって,本論文提出者は,博士(理学)の学位を授与できると審査委員全員一致して認めるものである.

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